第二話 条件付きの自由|〈外郭〉
僕は、役場勤めの父とパート勤めの母の次男として生まれた。
幼少の頃から「ただいま」を言えたことがない気がする。
幼稚園でさよならの挨拶を終えたら、大人の輪を潜り抜け、細いあぜ道を通り、ひとり帰宅する。
ススキの匂いを思い出す。
裏口から家に入る。そこには父も母も兄も居ない。
記憶の中の僕は、ソースを舐めている。
他に思い出すのは、叩かれる痛みと手首のあざと狭い暗闇。あとは、暗闇に浮かぶ眉間に深い皺の入った能面の母だけだ。
小学校に入ってもひとりは続いた。
朝は家族の誰より先に起きた。ご飯をよそい、食卓に置かれた「のりたま」か「永谷園のお茶漬け」をかける。
家を出るのは決まって七時二十分。朝から父と母は怒鳴り合う。その声が届く前に、靴を履いていた。
父は仕事、母はパートで、夕方まで家には居ない。父も母も酒好きで、しばしば飲んでから帰ってきた。だから、学校帰りの門限は無かった。
これは自由と言うことではなかった。
母から家にかかってくる電話に出なければならない。出られなければ、後に、目隠しされベランダに吊るされた。
泣き疲れ、鉄の匂いと冷たさだけを感じていた。
僕の高所恐怖症は、この時の遺産だ。
兄は、僕を残して、遊びに出ていた。だから、僕は友達と遊んだことがない。夏休み明け、クラスで僕だけは白いままだった。
兄は母に叱られれば、その後に、僕を折檻した。母はそれを「弟の役目」と言い放った。
スキーに行きたいとワガママを言った覚えがある。「行きたいなら行けば」と、裸足のまま降り積もる雪の中に放り込まれた。
家に安らぎなど無かった。
家族旅行では、夫婦喧嘩を観るだけ。楽しかった想い出など、ひとつもない。
高学年になると、家事を命じられるようになった。
学校が終わると、誰とも遊ばず、家に帰る。庭に水をやり、トイレを洗い、風呂を洗う。兄の間食を作る。
二つ違いの兄には全く自由が無くなっていた。良い大学に入り、良い会社に勤めるために、兄は勉強を強いられた。
僕ら兄弟は、母の帰宅後に部屋に閉じ込められた。部屋には、兄のための問題集が積まれていた。それと、父が見張りを命じられた時に遊んでいた将棋の駒と盤。
その部屋の中では、僕は自由だった。
僕は、兄と共に問題集を解いていた。飽きたら、ひとり将棋。その繰り返し。
片田舎の田んぼの中にある閑静な住宅街だ。耳を澄ませば、遠くを通る高速道路を走るトラックの音が聞こえる。
しかし、僕らの部屋では、叩く音と金切り声が壁を伝って流れていた。それらが自分たちに向く恐怖に、静かに耐えていた。これが、唯一、母の怒りから身を守る術だった。
我が家には、お小遣いなどは無かった。まれに親戚がくれるお小遣いが全てだった。
その僅かなお金で、母の機嫌を取ろうとした。母の日はカーネーションを、誕生日にはプレゼントを、修学旅行の土産に夫婦茶碗を。
「そんなお金がどこにあった?」
「無駄遣いするな」
思えば、母の口から「ありがとう」と聞いたことは、一度もない気がする。
恐ろしいことに、箱庭の外を知らない子供は、この環境を『普通』と感じてしまう。
僕は、この異常な家庭環境に違和感を抱くことなく、思春期に入った。
死ぬまで違和感を持たずにいられたなら、僕は幸せだったのかも知れない。




