第一話 家族という「箱庭」|〈囲い〉
あれから一年が経ち、ようやく過去を振り返ることができている。だが、振り返っていることが、僕が、未だに母から離脱できていない傍証でもある。
それでも、これまでの母からの離脱を文章に書き残し、それを捨ておけば、僕はようやく『僕』として人生を始められる気がしている。
三十八年間も、僕は母に捕らわれていた。
過去を回想すると、飼っていた犬と自分の境遇を重ねてしまう。
僕の家ではメスの超小型犬を飼っていた。
獣医は「運動は十五分で十分」と言い、母はそれを忠実に守った。散歩には感染や事故などのリスクがある。母は、彼女を家から出さなかった。理にはかなっていた。
彼女は一日中、母と共に過ごした。
常に母の側におり、母の膝の上を特等席とし、穏やかな眼差しで、そこに留まっていた。僕には箱庭に閉じ込められているように見えた。
だからある日、彼女を散歩に連れ出した。
最初は戸惑い、やがて玄関で待つようになった。期待が行動に現れた。しかし、母の許可は下りなかった。
母の眼を盗み、彼女を連れ出した。その都度、彼女は生き生きと楽しそうだった。冷たい雪の中をはしゃぐ姿は、幼き自分と重なった。
ただ、散歩は週に一度もなかった。
母の膝でまどろむ彼女の眼差しは沈んでいった。
散歩は、彼女に外の快楽と内の閉塞を同時に与えた。
僕の行動は正しかったのだろうか。正解は彼女だけが知っている。
ただ、彼女は犬だから語れない。だから僕は自己肯定できてしまう。
『箱庭』は、箱の外から制御可能な世界だ。
外界との接触を排除し、内側の限られた関係性だけで構成される。そこでは、安全性と引き換えに、自由と多様性が制限される。
親子関係におけるそれは、過保護として現れる場合もある。外部に触れさせないことで、意図せず選択肢を奪う。結果的に、子供の自由度を下げてしまう。
ただし、その善悪は一意には決まらない。自分が箱庭の住人であることを知らないことは、無限の世界を知るのと同義だ。
知ってなお、残るか出るかは、本人次第だ。
だが、飼い犬には、選ぶ自由はない。選択肢を与えることと選択を強いることは違う。
あの日の散歩は、彼女にとって『自由』か『絶望』か。
人である僕には選ぶ自由があった。
僕は、自分で『箱庭の外に出ること』を選んだ。そして今は、その外から、あの箱庭を見つめている。
それでも時折、あの小さな背中を思い出す。
今、春風に流れるコーヒーの匂いに、新しい紙とインクの匂いが混じっている。
僕が過ごしていた『箱庭』を、これから記していこうと思う。




