プロローグ
ここに、三十八年かけて「実体としての母」と「内面化された母」の両方から離脱した男性の手記がある。
私はそれを読んだ。そこに記されていたのは、母から逃げた男の回想だけではなかった。
私たちは、自分を自分の意思で形づくってきたと思っている。何を好み、何を恐れ、何を正しいと感じ、どこまでを許し、どこからを拒むのか。その一つひとつを、自分が選び、自分が育て、自分の輪郭にしてきたのだと信じている。
だが、その選び方を最初に与えた者が誰だったのかを、誰も覚えていない。
私たちが気づいたときには、すでに考え方があり、感じ方があり、世界の受け取り方があった。
私たちの『自分』は、誰かに作られている。
それは、疑われることすらない。人は、自分のものとして現れたものを、そのまま自分のものとして受け取ってしまうからだ。
『自分』を作っているものが、本当に自分から生まれたものなのか、誰にも確かめられない。もし、そこに別の誰かの形が混じっていたとしても、それは異物として認識できない。
あなたの中に不可避な『誰か』がいても、気づくことも逃げることもできない。
その可能性に触れてなお、あなたは『あなた』で居続けることができるのか?
この手記の内容の真偽は分からない。だが、少なくとも手記の書き手が、私たちに伝えようとしたことは理解できた。
私たちは、誰かに支配されている。
だが、誰もが気づいていない。
いや、その現実を見ようとしていない。
見えてしまえば、自分の中の『誰か』の存在が、もはや他人事ではなくなってしまう。認めたくないから、他の誰かを支配する。そうして、支配は受け継がれていく。
この手記を読み終えたとき、あなたの中に息づく『誰か』を、そしてその『誰か』によって生かされている『自分』を知るだろう。
あなたは、本当に『あなた』なのか。
それは、絶望なのか。それとも救済なのか。
――その問いが、あなたの中に残りつづける。
あなたが選んだ事象の全てを、あなたは『自分』が選んだとは、言えなくなる。
その絶望と恐怖に耐えられるのであれば、ぜひこの手記に触れてほしい。




