第十二話 内なる母との戦い|〈脱核〉
僕の『内なる母』は、時間と共に薄れていくと思っていた。現実は逆だった。
他人の言葉や仕草の端々に、母の陰影を見るようになった。
胸の奥の筋肉が、反射的に硬直する。目の前の誰かの声に、背中の皮膚が粟立つ。
理屈では他人だと分かっている。それでも、身体が『母』として反応してしまうのだ。
オフィスの蛍光灯の下、同僚の笑い声が一瞬、あの女の声に変わる。
上司の言い回しに、母の抑揚が混ざる。店員の笑顔が、あの歪んだ口角に重なる。子をあやす親の手つきが、かつての叱責の仕草と一致する。テレビの中にすら、母の断片が潜んでいた。
世界が、母の写像で満たされていく。
母が映る。
母が居る。
『あの顔』が、他人の内から覗いてくる。
その都度、心拍が跳ね、僕は胸を抑え丸まった。叫び出したい衝動を、奥歯で押し潰して飲み込んだ。それを、『内なる母』が嘲笑っていた。
陰影に感じるのは、強い自己顕示と承認欲、そして、嫉妬心。
彼らもまた、程度の差はあれど、『支配構造』の中で生きているのかも知れない。学歴、立場、金、名声――世間が示す「正しい生き方」を教えられ、信じている。だが、疑うことなく大人になれば、これらへの懐疑は自己否定となってしまう。
でも、きっと深層では『気づいている』。その否定を肯定するために、次世代に同じ教育を施すのだろう。
社会は、『支配』に溢れていた。
そして、これらは僕に、同族嫌悪として現れた。
この嫌悪の津波を止めるには、僕が『母』そのものになればいい。しかしこれは、支配の連鎖への加担を意味する。支配の恐怖が次世代へと引き継がれてしまう。
僕は覚悟を決めた。
嫌悪感を逆手に、完全なる母からの離脱をする。
嫌悪感は、その言動が母と類似している傍証だ。だから、嫌悪を感じたときは、その逆を選んだ。胸の奥で小さな拒絶が疼いた瞬間に、身体を逆に動かした。
まず、母が命じたエリートとしてのキャリアは捨てた。金欲を捨てるため、わずかながらも運用していた資産も、全て寄付した。見た目は、小綺麗であれば何でもよい。
感じる嫌悪はそれぞれで、その原因など分からなかった。とにかく、誰かの何かの言動に嫌悪を感じたなら、その言動は止めるか、逆の選択をした。そこに一切の私念は入れない。
損だと思っても、正しいと思っても。嫌悪を感じたら、ただ正す。前髪を整えるのと同じ。
ただ淡々と。
自分の内側から古い皮膚を剥がすような苦痛。
自分でありながら自分でない。
外から箱庭の中を観察している感覚。
昨日の自分を思い出せず、知らない友人が増えていった。まるで、多重人格者のようにも感じた。それでも、「母の思考ならこうする」という予測の逆を機械的に実行した。
この訓練が、僕に新しい自分を生み出している感覚になっていった。繰り返すうちに嫌悪感は少しずつ消えていった。
『母』は消滅した。ある日、そう思えた。
不思議な感覚だった。個人としての自分と、組織人としての自分と、社会に生きる自分とが、別々だが、すべてを『自分』だと認識できる。
鏡を見れば、そこには穏やかな僕が映っていた。その顔は、赤子の僕を抱いた母の写真とそっくりだった。
高いところで汗をかくことも、暗い部屋で震えることも、朝起きて涙することも、もう僕には無くなっていた。
こうして、母の下に生まれてから三十八年を経て、僕はその支配から脱した。
だが、高校時代や大学時代に過ごした日々の感情を思い出せない。恋愛もしていたはずなのに、僕はその恋心が分からない。
思い出すのは、やはり母に支配された生活だけだった。
僕は本当に『僕』なのだろうか。
感じる世界が、現実か幻覚かさえも、もう分からなくなっていた。
ただ、今、僕はこうして自分の意思で書いている。このことだけは、疑いようのない事実だ。
この時すでに、僕の人生は、折り返しをとうに過ぎていた。
これから何をしようか。
それだけをずっと考えていた。
この日の夜に食べたラーメンの味を、僕は忘れることができないだろう。




