第十一話 思考の継承|〈遺律〉
母と対峙した二年間、自分の顔を直視する余裕すら無かった。
緊張と興奮が落ち着いてきたある日、鏡に映る自分の顔を見た。
顎は少し引きぎみ。目線はわずかに上がっていた。警戒した爬虫類のような鋭い眼光。眉間の深いしわ。
笑顔を作ってみたが、鏡の僕は笑っていない。それでも、笑おうとした。片方の口角だけしか上がらない。
母の笑顔だ。
全身が鳥肌に覆われた。
季節は秋だったはずだが、僕の記憶では真冬の寒さだ。
それからしばらくの間、思考のすべてが母の声で再生されるかのようだった。白昼夢というには生々しく、現実の延長にあった。
僕は母の思考と行動を、ほとんど誤差なく予測できていた。それだけ、長年かけて作った脳内シミュレータが正確だったのだ。
自分の言動を入力に、相手の反応を出力として比べ、誤差が減るまで回路を強化した。繰り返すうち、母の思考回路が僕の中に組み込まれていった。
こうして、僕の脳内には母の思考回路が構築されたのだろう。
脳内の思考回路は、単独では存在しない。感情や反応や表情も、その回路から切り離されてはいなかったのだと思う。
回路は、使うほどに増強されていく。そのうち僕の反応は、母の反応に置き換わっていった。
思考だけでなく表情までもが、母を模写していたのだ。
確かに僕は、母の執拗な執着から脱出した。共依存関係は解消されたはずだった。
もう物理的に母は居ない。でも、僕の中に母が居る。
現実として、僕は母と同じく、利己のために他人を制御した。逃げても逃げなくても、母は脳内にまで侵食する結果は変わらなかった。
僕は生まれた時点で、『母』となる宿命を背負っていたのだ。
そんな僕が父になれば、きっと、同じことを子供にする。僕もまた、母と同じ親になる。
袋小路どころじゃなかった。
出口はどこにも見当たらない。歩いても歩いても、表のない道ばかり。階段を上がると、また裏の見えない道が広がっている。
「再帰的な思考は、行動における自由を奪う。」
親子の構造は、『釈迦の輪廻』のごとく自己を縛り、幾重にも重なるメビウスの輪を作り出す。
そこに、悪意の有無は関係がない。慈悲の愛を知らない親は、子に慈悲の愛を与えられない。
母の愛が歪んでいたのではなかった。『愛されること』を母は知らなかったのだ。
そして、その連鎖に僕もまた加担していた。
これが、ドラマのように次々と起こる『不運』を作りだした。これら全ては、現実に起こったのだ。
会社の倒産、従業員の暴徒化、家族の孤立。
奪おうとすれば、奪われる。母の支配欲は、周囲に常に争いを産んだ。
虐待、十一年間の逃亡と追跡、調停での対決。
僕が支配に身を任せていれば、これらは起こらなかった。
父の難病も僕の記憶喪失も、母に従っていれば、起きなかったのかも知れない。
演出でもスピリチュアルでもない。我が家に起きた不運は、必然だったのだ。
鏡の中の母を見るたび、ただ無力を思い知った。
この時期の感情は、書けない。
感情の記憶が出てこないのだ。




