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最終話 紫鳶の小袖

鏡之介が帰ってきました。

半月のあいだ、水絵は寺子屋を守り続けてきました。

そして今、二人の前にはまだ解いていない話があります。

中津川で起きたこと。そして、水絵が用意していたもの――。



 言ってしまってから、水絵は急に恥ずかしくなった。鏡之介から視線を逸らし、


「……仕立屋は、そういう風に考えます」


 と、早口で言った。


「なるほど」


 鏡之介は、反古紙と算木袋を床に並べる。


「……どちらも……美しい」


 しばしの沈黙が、また流れる。

 不意に鏡之介が言った。


「訊かねぇのか? 中津川で何があったか」


「鏡之介さんが話したくないなら、訊きません」


 これは、半月の間ずっと考えていたことだった。中津川の件がどうなったのか、知りたい。だが、鏡之介が言いたくないのなら、無理強いは絶対にするまい……と。

 水絵の言葉を聞いた鏡之介は、一つ息を吐き、前置きなしに話し始めた。


「火浣布のことは、水絵の考えが当たってる。最初に作った火浣布は、両神山って所で穫れた石綿を使ってたんだが、それだと大きく作れない」


 だから、源内は、よりよい石綿を求めて、奥地に入っていった。


「そこで見つけちまったんだな、中津川にある金の山を。新しいのを見つけたわけじゃねえ。遠の昔に、閉じちまった坑があるのを見つけたんだ」


「閉じた? なんでですか?」


「水だよ」


 鏡之介は水絵にもわかりやすく話してくれた。

 鉱山を掘る時、気をつけなければならないのは、風穴と水抜き。どちらも、山を掘る人足の命に関わる。


「百年以上も前にゃ、けっこうな金が穫れていたらしいが、水が出ちまってどうにもならない。だから、山を閉じたんだ。けど、源内さんは考えた。水抜きさえなんとかなれば、また金が穫れるってな」


 そんなに簡単に、なんとかなるものなのだろうか? そう思ったが、話の腰を折ってはまずいので黙っていた。


「源内さんはお上の許しを得て、山を掘り始めた。俺が手を貸すようになったのは、その頃だ。山を測って、坑の図面を引く。風穴の場所を考え、水の落としを作る」


「うまくいったんですか?」


「坑自体はな」


 鏡之介は苦い笑みを見せた。


「掘ることはできたが、穫れた金はごくわずかだった。人足の手間賃や道具代、掛りは膨大になっていたが、それに見合うだけの金は、到底穫れない。掘れば掘るほど、損をする。だから、源内さんにそう言った。『できるだけ早く、山を閉じるべきだ』とな。そうしたら……」


「『おまえの算には志がない』と言われたんですね」


 言いよどんだことを水絵が言うと、鏡之介は驚きに目を見開いた。


「……すみません。聞いてしまいました」


 頭を下げると、鏡之介は首を横に振った。


「いや。帰ろうとしたおまえを引き留めたのは俺だ。それはかまわねぇ。けど、よくそんなこと、憶えていたな」


「なんとなく、耳に残っていて」


 それを言った時の鏡之介の口調が、何の感情も見えない醒めたものだったので、かえって心に残ったのかもしれない。


「だから、俺は山を下りた。二年前のことだ」


 物別れになった理由がそういうことなら、あのとき鏡之介が断ったのはうなずける。だが、結局、鏡之介は山に戻った。


「金は駄目でも、鉄なら利が立つんですか?」


 源内の言葉を思い出して訊いてみる。

 鏡之介は、再び苦笑した。


「鉄でも、おそらく利は立たねぇ。金と違って手間がかかるし、金ほどの値もつかねぇ」


 それがわかっているのに、行ったのは何故なんだろう? 水絵の疑問は、顔に出ていたらしい。


「利が立たなくても、人死にが出るのを見過ごすことはできねえからな」


 源内が見せた図面では駄目なことが、鏡之介には一目でわかったらしい。このままことを進めれば、人足の命が失われるのは、火を見るよりも明らかだ。だから鏡之介は言ったのだ。『仕方ないですね』と。


「山を測って、図面を引いてきた。後のことは知らねぇ」


 鏡之介は、視線を外に向けた。


「あの人は、風呂敷を広げるのは上手だが、畳み方を知らねえんだ」


 浅葱から紺青へと染め分けた空が、入相の近いことを知らせる。


「さてと……」


 立ち上がりかけた鏡之介を制するように、水絵は言った。


「待って。これを……」


 棚の奥に隠すように置いてあった風呂敷包みを差し出す。源内の本が包んであった風呂敷だ。


 本だと思って受け取ろうとした鏡之介が、怪訝な顔をする。


「……本じゃねえな」


「本はもう少し貸してください。これは……その、さっきの算木袋のついで(・・・)に作った……お礼です」


 訝しげな顔のまま、座り直した鏡之介が風呂敷をほどく。出てきたものを見て、鏡之介の目が驚きに見開かれた。


 ――紫鳶の地に、淡銀の七宝柄の小袖。


「なんだ、これは……」


「わたしが縫いました」


「そんなことは言われなくてもわかってる。算木袋のついでって」


 言おうとしていることを察して、水絵は鏡之介の言葉を遮った。


「だから、お礼です」


「礼をされるようなことを、した覚えはねぇ。むしろ、礼をしなくちゃならねえのは、俺のほうだ。半月も留守にしたからな」


「憶えてませんか? 助けてくれたじゃありませんか。わたしが巾着切りの仲間に襲われた時」


 一年前の春の夜。岡っ引きのまねごとをして危ない目に遭った水絵を、鏡之介は助けてくれた。


「鏡之介さんは命の恩人。そのお礼です」


「そんな、昔のこと……」


「それに、鏡之介さん、言ったじゃないですか『差し出した礼を断ったら、向こうに恥をかかせることになる』って」


 以前、歌舞伎役者の菊村月之丞の着物を仕立て直した時、その礼にと初春芝居の枡席を用意してくれた。水絵が固辞しようとしたら、鏡之介が言った言葉だ。

 それを言っても、鏡之介は受け取ろうとしない。


「とにかく、これは受け取れねえ。こんな、新しい反物……」


 言いかけた言葉を、また遮った。


「お金はかかってません。ほら、源内先生が寺子屋に来た日、鳴門屋さんが無茶な仕事を押しつけてきたって言ったでしょう? そのお礼に、一反くれるって言ったんです。裏もおまけしてもらいましたから、案じるには及びません」


「馬鹿か、おまえは。そういうことなら、自分のでもおっかさんのでも、新しい着物をあつらえりゃあよかったじゃねえか。……なんで、俺なんかに」


「ああ、もう!」


 水絵の大声に、鏡之介が驚く。


「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと着てください! もう縫っちゃったんだから、今さら取り返しはつきません。鏡之介さんが着てくれなかったら、着物が泣きます」


 鏡之介はしばらく黙っていたが、わざとらしく深いため息を吐き、


「……では、ありがたく」


 と頭を下げた。そして、包み直すために風呂敷に手をかける。


「待って。着てみてください。丈や裄が合ってるかどうか、確かめたいんで」


「水絵なら、間違えることはないだろう」


 鏡之介はそう言ったが、着てはくれるようで、立ち上がると帯に手を回した。

 水絵は慌てて後ろを向く。

 帯を解く衣擦れの音に、胸が騒ぐ。

 脱いだ小袖が、床に落ちる音を聞いて、後ろ向きのまま手元に引き寄せた。

 「かまわぬ」の小紋は、かなりひどい有様だった。泥汚れはもとより、いくつものかぎ裂きやほつれがある。そして、「大急ぎで帰ってきた」が嘘でない証拠の、裾の擦りきれ。


「これは、洗い張りしなくちゃ駄目ですね」


 後ろを向いたまま、鏡之介に言う。


「ああ」


「かなり傷んでますから、少し時間がかかりますよ」


 すると、驚いたような声がした。


「水絵がするのか?」


「ええ。うちは洗い張りも請け負っているんです。ちゃんと張り板もありますよ」


 しばしの沈黙の後、鏡之介が言った。


「いや、それには及ばん。張物師に出す」


「ええ!? なんでそんなことわざわざするんですか?」


 振り返ると、すでに鏡之介の着替えは終わっていた。


 その姿を見て、水絵は言葉を失った。


 上背のある鏡之介に、紫鳶の小袖は、息を呑むほど似合っている。


「……た、丈も裄も、大丈夫みたいですね」


 視線を「かまわぬ」の小紋に移し、それを畳もうとすると、鏡之介が来てその手を止めた。

 しゃがみ込んだ裾から、鉄御納戸の八掛が覗く。小紋の紫鳶色と、鉄御納戸色の対比がなかなか粋だ。手前味噌だが、いい組み合わせだと思う。そう思った時、


「自分で、張物師に出す」


 と言う鏡之介の言葉に、いい気分がぶち壊される。


「なんで、わたしじゃ駄目なんですか。ちゃんとできますよ」


「腕を疑ってるんじゃねえ。おまえに頼むと、とんでもないことになりそうだ」


 何のことを言っているのか分からずに、首をかしげると、


「お仙の着物みたいなのは、勘弁してもらいたい」


 と言う。

 それで、気がついた。水絵が仕立て直した月之丞の着物は、かなり奇抜なものだった。千代紙のように真四角に切った布地を市松模様のようにつなぎ合わせた物だったが、月之丞には似合っていた。

 月之丞は、それを、初春芝居でお仙を演じる時の衣装に使ったのだ。

 鏡之介は、自分の小袖も、そんな風にされるのかと危ぶんでいるのだろう。

 水絵は、ぷっと吹き出した。


「そんなことしませんよ。あの時ほど痛んではいないし、それに、鏡之介さんは歌舞伎役者じゃないでしょう?」


 すると、鏡之介は、水絵の耳元で囁くように言った。


「ああ。歌舞伎役者じゃねえ。俺は、寺子屋師匠だ」



最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

半月の別れのあと、鏡之介は寺子屋へ戻ってきました。

紫鳶の小袖と、七宝の算木袋。

水絵と鏡之介、そして寺子たちの日々は、これからも続いていきます。


またどこかで、この寺子屋の謎解きにお付き合いいただければ幸いです。


平賀源内の火浣布、中津川の鉱山開発については、 「平賀源内と中島利兵衛」(中島秀亀智著)を参考にさせていただきました。


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