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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第四章 札がなくても

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第99話 いつもより遠く


 ドランの稽古場を出たあと、そのまま冒険者ギルドへ向かった。朝の混雑はまだ残っていて、掲示板の前には何人か集まり、受付にも短い列ができていた。


 エルザとヴェラは、先に来ていた。


「おはようございます」


 エルザの視線が俺の服へ向く。昨日補修した袖を見て、その次に腰の剣へ移った。


「ドランさんのところへ行ってきたんですね」


「分かります?」


「朝から木屑がついています」


 肩を見ると、小さな木屑が一つ付いていた。指で払う。


「腕は?」


 ヴェラが聞く。


「もう大丈夫です。普通に打ち合ってきました」


「それなら安心しました」


「今日はどうします?」


 俺が掲示板を見る。


「ちょうど一つ見ていました」


 エルザが札を指した。〈灰石の口〉第一層、第三道標より先。最初の分岐から左側通路。


「あっちですか」


「はい」


 この前は、最初の分岐を右へ行った。細い足場を渡り、平たい岩棚の先でロイたちを見つけた。今回は、その分岐の左側だ。


 札を読む。第一分岐から左側の公開路。既設の白墨印二箇所と、奥の曲がり角までの通行状態を確認する。崩落、著しい漏水、足場の変化、その他の危険があれば記録して帰還。討伐は目的に含まれない。


「普通ですね」


「普通が一番です」


 エルザが言った。


「この前が普通ではありませんでしたから」


「確かに」


 ヴェラも札を見る。


「距離も前回より短そうですね」


「聞いてみましょうか」


 三人で受付へ向かった。


◆


 ミラは札を見ると、地図を出した。


「左側ですね」


「はい」


 第一分岐から左へ伸びる線は、右側ほど長くない。一度緩く曲がり、その先で線が止まっている。


「今回はこちらまでです」


 指先が、線の終わりへ置かれた。


「この先は?」


 ミラが少し間を置いた。


「まだ確認中のことなので、詳しくはお伝えできません。ただ、今は進まないことをおすすめします」


「危険ですか?」


「そこまでは言えません。ただ、依頼の範囲を越えて確認する必要はありません」


「分かりました」


「では、白墨と通路の確認ですね」


「そうなります」


 ヴェラが地図を見る。


「受けられると思います」


「私も」


「俺も大丈夫です」


 受諾票へ三人の名前を書き、ミラから白墨と依頼票を受け取った。


◆


 〈灰石の口〉の入口で、ガイルへ依頼票を渡す。


「今度は左か」


「はい」


「右はしばらく行かなくていいだろ」


「俺もそう思います」


 ガイルが三枚の木札を出した。


「帰ったら返せ」


「はい」


 受け取って装備を確認する。リンはエルザの髪際にいる。


「行きましょう」


 ヴェラが先へ向く。


 三人で階段を下りた。


◆


 第一道標、第二道標、第三道標と、木札へ印を増やしながら進む。前に何度も歩いた道だ。崩れた場所では足元を見て、曲がり角では先へ灯りを通し、狭くなれば縦に並ぶ。特に変わったところはない。


 第三道標を過ぎたところで、リンがエルザの髪際から離れ、少しだけ前へ出た。


 ちりん。


 エルザが顔を上げた。


「どうしました?」


 リンは戻らず、そのまま俺たちより少し前を漂った。


「珍しいですね」


 俺が言う。


「何がですか?」


「今日は前に行くんだなと思って」


「そうですね」


 いつもなら肩口か髪際で、離れてもすぐ近くにいることが多い。今日は松明の光の中をゆっくり左右へ動き、壁際へ寄ったかと思えば通路の中央へ出る。少し高く上がり、また下りてくる。


「今日はよく動きますね」


 ヴェラもリンを見る。


「リン?」


 エルザが呼んだ。


 ちりん。


 それでも戻ってはこない。エルザが首を傾げた。


「今のも、鈴の音だけですか?」


「はい。こういうこと自体は前にもあります。ただ、話しかければ大体答えてくれるのですが……」


 エルザはそれ以上は呼ばず、俺たちも歩き続けた。


◆


 最初の分岐へ着く。右側の白墨は、この前見たまま残っている。今度は左へ灯りを向けた。


 入口は前に見た通り、右側より少し狭い。ただ、少し先では通路が広がっている。崖もなく、天井も十分高い。


「こっちは普通ですね」


「そういうことを言うと、何か起きそうです」


 エルザが言う。


「じゃあ取り消します」


「遅いです。何か起きたらノワールさんのせいです」


「そんな決まりあります?」


 ヴェラが先頭へ出る。


「足元を確認します」


「お願いします」


 左へ入る。リンも一緒に曲がったが、エルザのそばには戻らない。


 松明より少し先。


 壁際へ寄る。


 中央へ戻る。


 俺たちの横を通り過ぎ、今度は後ろへ回った。


 振り返ると、すぐにまた前へ出てくる。


「本当に今日はよく動きますね」


「そうですね」


 エルザも少し不思議そうに目で追っている。


 けれど、リンは何かを伝えるでもなく、またふわりと先へ流れていった。


◆


 一つ目の白墨印は、分岐からそれほど遠くなかった。壁の低い位置に短い横線が残っている。


「残っています」


 エルザが手帳と見比べる。


「少し薄いですね」


「補修しますか?」


「元の線が分かるので、上からなぞるだけで大丈夫だと思います」


 白墨を重ねる。形も長さも変えず、元の線をなぞるだけだ。


 ヴェラは周囲を見ている。俺も通路の前後へ意識を向ける。今のところ、近くに気になる反復はない。


 白墨を引き終えたエルザが立ち上がると、その頭上をリンがふわりと横切った。


「危ないですよ」


 エルザが少し身を引く。


 リンはそのまま俺の方へ流れてきた。


「お、来ましたね」


 手を出してみる。


 リンは俺の指先より少し高いところを通り過ぎた。


「素通りですか。いつも通りで安心しました」


 ちりん。


 エルザが口元を緩める。


「今のは分かります?」


「分かりません。今のも鈴の音だけです」


「またですか」


 リンはもう先へ行っていた。追う必要もないので、俺たちも歩き出した。


◆


 左側の通路は緩く下っていて、足元には細かな石が増えていた。


「少し滑ります」


 ヴェラが言う。


「右側へ寄りますか?」


「こちらの方が平らです」


 壁際へ少し寄る。ヴェラが足場を選び、その後ろを俺、エルザの順で進む。


 リンは前にいたかと思えば、俺とヴェラの間を横切った。


 足元近くまで下りる。


 また上がる。


 時々、後ろへも回る。


 いつもより動く範囲が広い。


「元気ですね」


 俺が言う。


「今日はずっとですね」


 エルザが答えた。


「疲れないんでしょうか」


 ヴェラがリンを見る。


「どうなんでしょう」


 三人で少しだけ見上げる。リンは俺たちを気にした様子もなく、ふわりと通路の端へ流れていった。結局、分からないままだった。


◆


 二つ目の白墨印も残っていた。こちらは補修する必要がない。通路の壁、天井、床を順に見る。大きな崩れや漏水はなく、足場にも目立った変化はない。


 その先で通路が左へ曲がっている。依頼の終点だ。


「ここまでですね」


 エルザが地図を見る。


「曲がり角まで確認」


「はい」


 ヴェラが角の手前から先へ灯りを向ける。覗き込まず、依頼範囲を越えて進むこともしない。


「見える範囲では、通路は続いています」


「では、ここで戻りましょう」


「はい」


 俺も頷いた。歩き出そうとして、リンが少し離れたところにいることへ気づく。曲がり角の手前、俺たちより二、三歩ほど先で、白い光がゆっくり揺れていた。


「リン、帰りますよ」


 エルザが呼ぶ。


 すぐには戻らない。


 ふわりと横へ動き、少しだけ高く上がった。


「リン?」


 もう一度呼ばれて、ようやくこちらへ向かってくる。


 エルザの周りを半周し、そのまま髪際へ収まった。


 ちりん。


「今のは何て?」


 俺が聞く。


 エルザは少し微笑みながら答える。


「『かえる』ですって」


「お、ちゃんと答えたんですね」


「はい」


 エルザは髪際へ戻ったリンを少し見ていた。


「……言葉として聞こえました」


 エルザがリンを指先で軽く撫でる。リンはそこから動かなかった。


「では、戻りましょう」


 ヴェラが来た道へ向き直る。


「はい」


 俺たちも後へ続いた。


◆


 帰り道では、リンはほとんどエルザの髪際にいた。一つ目の白墨印、分岐、第三道標、第二道標、第一道標と、来た時と同じ道を戻る。


「帰りは静かですね」


 俺が言うと、エルザが横目でリンを見た。


「疲れたのでしょうか」


「さっきヴェラさんも言ってましたけど、リンって疲れるんですか?」


「分かりません」


「そこもですか」


「ノワールさんは、私がリンのことなら何でも分かると思っていませんか?」


「少しだけ」


「少しではない気がします」


 ちりん。


「今のは?」


「『うるさい』です」


「それでこそリンです」


「はい」


 ヴェラが小さく笑った。いつもの距離に戻ったリンを連れて、そのまま地上へ向かった。


◆


 冒険者ギルドへ戻り、ミラへ報告する。


「左側通路、曲がり角まで確認しました」


「異常はありましたか?」


「一つ目の白墨が少し薄くなっていたので補修しました。二つ目は問題ありません」


 エルザが手帳を開く。


「大きな崩落、著しい漏水、足場の変化は確認していません。魔物との遭遇もありませんでした」


「分かりました」


 ミラが記録を確認し、依頼票へ印を押した。


「依頼達成です。お疲れ様でした」


「ありがとうございます」


 報酬を受け取り、ギルドを出る。朝より高くなった日差しが通りへ落ちていた。


「お腹空きましたね」


 俺が言う。


「ノワールさん、稽古のあとそのまま来ましたからね」


「今日は鈍色亭へ戻りますか?」


 ヴェラが聞く。


「そうしましょう。普通に仕事も終わりましたし、普通に昼にしましょう」


「朝にも似たようなことを言っていませんでしたか?」


 エルザが笑う。


「今度はもう終わった後なので大丈夫です」


 その髪際で、リンが白く揺れた。


 今度は、いつもの場所だった。


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