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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第四章 札がなくても

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第98話 振れない場所

 翌朝。左腕を曲げ伸ばしする。傷の場所にはまだ細い赤みが残っているが、痛みはもう気にならない。強く握っても問題なかった。


「よし」


 補修した上着へ腕を通す。前腕のところだけ少し濃い色になった袖が目に入った。昨日直してもらったばかりなのに、もう見慣れ始めている。


 剣帯を取ったところで、一度手を止めた。今日は依頼を探す前に、行っておきたい場所がある。


◆


 宿を出て職人区へ向かう途中、大通りの端に見覚えのある灰銀の髪が見えた。セイだった。朝の人波の中を、こちらへ歩いてくる。


「……セイさん、酒場から出られるんですね」


 セイの足が止まった。


「坊や。朝からずいぶん失礼だね」


「いつも酒場で会うので」


「だからって住んでるわけじゃないよ」


「そうでしたね」


「今気づいたみたいに言うんじゃない」


 セイの視線が俺の腰の剣へ落ちた。


「坊やはどこへ行くんだい」


「ドランさんのところです」


「朝から物好きだね」


「一緒に行きます?」


「やめとくよ」


「すぐそこですよ」


「知ってるよ」


「じゃあ、たまには」


 セイは少しだけ黙った。


「……今さら行って、何を話すんだい」


「昔話とか?」


「それこそ御免だね」


 そう言って、セイは片手を上げた。そのまま人の流れへ戻っていく。


 嫌っているわけではなさそうだった。会う理由があれば会うのだろうか。

 

 あの二人の会話を聞いてみたかったのに。残念。


 俺も職人区へ向かう。


 職人区へ入る頃、早い鐘が鳴った。金物屋の軒先にはまだ板戸が半分残り、通りを歩く人も少ない。


 いつもの板垣を抜けると、乾いた土の稽古場が広がっていた。壁際には木剣が並び、その前でドランが一本を布で拭いている。


「おはようございます」


 顔だけがこちらを向く。


「久しぶりだな」


「はい。依頼が続いてまして」


「そうか」


 説明が終わった。もう少し何か言われると思っていた。


 俺は平石の上へ銅貨を三枚置く。ドランはそれを見てから、俺の左袖へ視線を落とした。前腕のところだけ、当て布の色が少し濃い。


「それ、どうした」


「一昨日、少し切りまして」


「腕か」


「はい」


「今は」


「もう大丈夫です」


「持て」


 木剣の束を顎で示された。


「はい」


 一本取る。両手で握る。構える。


 ドランが正面へ立った。


「来い」


 踏み込む。


 木剣を振る。


 受けられる。


 返ってきた一撃を払う。


 もう一度。


 木剣同士が二度、三度と鳴った。左腕は普通に動く。


 次の一撃を受けようとしたところで、ドランの木剣が俺の肩へ触れた。


「余所見すんな」


「すみません」


 腕を確認していたつもりはなかった。


 たぶん、していた。


 構え直す。


◆


 何度か打ち合ったあと、ドランが木剣を下ろした。


「何しに来た」


「稽古を受けに」


「それだけなら黙って振れ」


「……相談もあります」


「先に言え」


 言われてしまった。俺も木剣を下ろす。


「一昨日、ダンジョンの細い足場で魔物に襲われました」


「どのくらい細い」


「一人が通れるくらいです。右が岩壁で、左が崖でした」


「魔物は」


「左下から上がってきました。クリフクローです」


「それでそこか」


 ドランが俺の左腕を見る。


「はい。最初の一撃は、左腕で顔を守りました」


「剣は」


「その時は抜いてませんでした。右手を壁についていたので」


「その後は」


「右肩と背中を壁へ預けて、剣を抜きました。横には振れなかったので、短く落として爪を外しました」


「できてんじゃねえか」


「爪を外す方は、です。剣を抜いた後に攻撃を受けたら、どうすればいいのか分かりません」


 ドランが木剣を肩へ担いだ。


「最初の一発は別だな」


「はい」


「なら、剣を抜いた後をやる」


「お願いします」


「受けろ」


「ここでですか?」


「場所作る」


 ドランが稽古場の端へ歩く。地面へ落ちていた細い木片を拾い、板垣の内側、壁から少し離れたところへ置いた。


 壁と木片の間は、一人が立てる程度しかない。


「入れ」


「ここですか」


「崖だと思え。踏むな」


 木片を指す。


「壁はこっちですか」


「見りゃ分かる」


「はい」


 壁を右にして立つ。一昨日と同じだ。ただし、下を見ても崖はない。少し安心する。


「落ちた回数で次の稽古の内容を決める」


 少し安心じゃなくなった。


 ドランが俺の左前へ立った。


「構えろ」


 木剣を身体の前へ置く。


 ドランが踏み込んできた。


 左から木剣が伸びる。


 いつも通り払おうとする。


 木剣を横へ振りかけて、右の壁が視界に入った。


 止める。


 その一瞬で、ドランの剣先が胸へ触れた。


「死んだな」


「壁が邪魔です」


「知ってる」


「ですよね」


 木剣を戻す。


 もう一度。


 今度は壁へ当てないよう、小さく払う。


 ドランの木剣へ触れた。


 押し返そうとした瞬間、身体が左へ流れた。


 木片を踏む。


「落ちた」


「……はい」


 崖なら終わっている。


「狭いんですよ」


「狭いからやってんだ」


 その通りだった。


「もう一回」


 構える。


 ドランが来る。


 今度は振り幅を抑える。


 壁には当たらない。


 だが、木剣を押され、そのまま胸へ入られた。


「止めようとすんな」


「じゃあ、どうすれば」


「通せ」


「どこへです?」


「知らん」


「知らないんですか」


「細かく言うと、余計なことするだろ」


 反論できない。ドランの指導は頭を使ってなさそうなのに、こちらは頭を使ってしまう。不公平だ。


「相手に聞け」


 聞けるわけがない。


 でも、ドランはもう構えている。


 やるしかない。


◆


 次。


 左から来る。


 木剣を合わせる。


 止めようとせず、少しだけ角度を変えた。


 ドランの木剣が俺の剣の腹を滑る。


 そのまま肩の横を抜けた。


「お」


 声が出た。


 次の瞬間、柄頭で胸を押された。


「喜ぶな」


「はい」


 でも、今のは通った。


 もう一度。


 今度は正面から突き。


 横へ払わず、剣を身体の前へ残す。


 当たる直前に、木剣の向きだけを少し変えた。


 ドランの木剣が外へずれた。


 俺はその場に残っている。


 壁にも当たっていない。


 木片も踏んでいない。


 ドランが一歩下がった。


「今のだ」


「……振ってませんね」


「振る必要がねえからな」


 木剣を見る。大きく動かしたつもりはない。手元は身体の前に残ったまま、相手の剣だけが横へ抜けていった。


「剣で止めるんじゃなくて、通る場所を少しずらす感じですか」


「そう思うなら、それでやれ」


「また自分で決めるんですか」


「できたなら、それでいい」


 説明してくれる気はないらしい。


 けれど、さっきよりは分かる。止めようとすると、こっちも力を受ける。大きく払えば、壁か崖にぶつかる。少しだけ外へ通せば、身体も剣も大きく動かさなくて済む。


「もう一度お願いします」


 ドランが木剣を上げた。


◆


 何度か繰り返す。


 うまくいく時もある。


 木片を踏む時もある。


 小さく受けようとして、逆に身体を固めすぎる時もあった。


「肩」


「はい」


 力を抜く。


「足、残せ」


「はい」


 踏み出しかけた左足を戻す。


「剣追うな」


「はい」


 抜けていった木剣を目で追いそうになり、正面へ戻す。


 一度に全部はできない。でも、一昨日より選べることは増えている。


 クリフクローが上がってきた時は、顔を守るため左腕を出した。あれが間違いだったとは思わない。あの時は、それしか間に合わなかった。


 でも、剣を抜いた後にもう一度爪が来ていたら、あの場で受ける方法はなかった。


 次は、今のやり方を使えるかもしれない。


 ドランの木剣が左から来る。


 身体の前で受ける。


 少しだけ向きを変える。


 木剣が外へ抜ける。


 足は残る。


 壁にも触れない。


 今度は声を出さなかった。


「それでいい」


 ドランの木剣が下がった。俺も構えを解く。


 腕が少し重い。ただの稽古の疲れだ。傷は痛まなかった。


「今日はここまでだ」


「ありがとうございました」


 木剣を戻す。銅貨はもう平石から消えていた。


「また来ます」


 ドランは腰掛けへ戻りながら言った。


「来るなら朝にしろ」


「はい」


 それ以上は何も言わなかった。俺も板垣を出る。


◆


 朝の職人区は、来た時より人が増えていた。店の板戸が開き、道の端を荷車が通る。


 腰の実剣へ手を置く。


 それより。


 剣を持っているのに、振らない。


 そっちの方が、しばらく難しそうだった。

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