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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第四章 札がなくても

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第89話 これで足りる


 二つ目の採取場所までは、ノアの言った通り二十分ほどだった。ただし、距離より歩きにくさの方が問題だった。


 木の根が地面から張り出し、ところどころ斜めに石が埋まっている。ヴェラは何度か足を止め、その先を確かめてから進んだ。


「ここ、右側から行きます」


「分かりました」


 左には湿った土が広がっている。ヴェラはそこを避け、右側の固そうな場所を選んだ。


 ノアもヴェラの後ろを外れず、その足跡をなぞるように進んでいた。


「前もここを通ったんですか?」


 俺が聞く。


「たぶん」


「……迷ってませんよね?」


「たぶん」


 たぶんなんだ。


 ノアが振り返る。


「一回来ただけだから」


「そうでしたね」


 なかなか大らかな人だ。急に心配になってきた。


「地図は?」


「あるよ」


「安心しました」


「私の記憶は信用しないんだ」


「地図が大好きなんです」


「変な趣味だね」


 前を歩くヴェラが少しだけ肩を揺らした。


 笑った気がする。


◆


 やがて木の間が少し広がった。最初の場所より乾いていて、大きな石がいくつか地面から出ている。その陰だけ土の色が濃かった。


 ノアが足を止める。


「ここだ」


「あります?」


「見てみるね」


 籠を下ろす前に、ノアは周囲を一度見た。それから石の近くへしゃがむ。


 俺たちは少し離れ、ヴェラが前方、俺が右側、エルザがノアの後ろ寄りに位置を取った。リンはエルザのそばに浮いている。


 ノアが葉を一枚持ち上げた。


「あった」


「良かったですね」


「まだ分からないよ……足りればいいけど」


 何株あるかを確かめているらしい。


 俺には相変わらず、ただの草にしか見えない。邪魔をしないよう、視線を草から周囲へ戻した。


 少しして、ノアが二株目へ移った。


 その時だった。


 右奥。


 木と木の間。


 気になる反復が入った。


「待ってください」


 声を出す。


 ノアの手が止まった。ヴェラがすぐにこちらを見る。


「どちらですか?」


「右奥です。何かいます」


 何なのかまでは分からない。


 動いている。


 距離も正確には分からない。


 ただ、今はそこに反復がある。


「ノアさん、こちらへ」


 エルザが声を落とした。


 ノアは採取用の小刀をしまい、籠を持って立つ。迷わずエルザの方へ下がった。


 ヴェラが丸盾を前へ出す。俺も剣へ手を掛けた。


 草が揺れた。


 一度。


 二度。


 低い音がする。


 枝の間から、茶色い背中が見えた。


「獣ですね」


 ヴェラが言う。


 大きい。俺の腰より高いくらいある。


 鼻先で地面を押しながら、木の根元を掘っている。こちらにはまだ近づいてこない。


「前にもいた?」


 俺が小声で聞く。


「いなかった」


 ノアも声を落とした。


「どうする?」


「待ちます」


 俺は即答した。


「こっちに来るなら戻ります」


「分かった、判断は任せるね」


 エルザとヴェラに目配せする。二人とも頷き、そのまま動かなかった。


 獣が地面を掘る音だけが続く。やがて、俺たちの方へ顔を向けた。


 ヴェラが盾を少し上げる。俺も剣の柄を握る。


 それでも獣は来なかった。


 しばらくこちらを見てから鼻を鳴らし、そのまま木の向こうへ歩いていく。反復も少しずつ遠ざかった。


 完全に見えなくなってからも、俺たちはしばらく待った。


「……行きましたね」


「はい」


 ヴェラは盾を下ろさない。


「もう少し待ちます」


「そうしましょう」


 ノアも採取へ戻ろうとはしなかった。


◆


 それからしばらく待ったが、草も枝も動かなかった。さっき遠ざかった反復も戻ってこない。


「……大丈夫そうです」


 俺の声に、エルザとヴェラが頷く。


「採るね」


 ノアが言った。


「ただ、長くはいないようにするね」


「分かりました」


 ヴェラが前を見張り、俺は右側、エルザは後方へ注意を向ける。ノアだけが石のそばへ戻った。


 今度は迷わず、必要な草だけを切っていく。


 一株。


 二株。


 三株。


 籠の中が少しずつ増えていく。


 途中でノアが手を止め、中を見る。最初の場所で採った分と合わせて、籠の底はほとんど見えなくなっていた。


「足りました?」


 聞く。


 ノアはしばらく数えるように中身を見ていた。


「……もう少し」


「まだですか」


「あと二株くらい」


 かなり具体的になった。


 ノアは近くを探し、石の陰に一株、少し離れたところにもう一株を見つけた。最後の葉を切り、籠へ入れる。


 今度は蓋を閉めた。


「これで足りる」


 短い言葉だった。


 でも、今までで一番安心した声に聞こえた。


「良かったです」


 エルザが言う。


「うん、ありがとう」


 ノアは籠の取っ手を握った。


「帰ろう」


「はい」


 ヴェラがすぐに頷く。


 俺も異論はない。目的は終わった。これ以上ここにいる理由もない。


「その量で、どのくらい持つんです?」


 帰る準備をしながら聞いた。


 ノアが籠を見る。


「しばらくは」


「毎日飲むんですか?」


「うん」


 ノアは籠を持ち直した。


 その「しばらく」が何日なのかも、どんな薬なのかも、まだ分からない。


◆


 帰りは、来た道をそのまま戻った。


 ヴェラを先頭に、その後ろへノア、俺、エルザと続く。来る時と同じ順番だった。


「ノワールさん」


「何ですか?」


「さっきの獣、よく場所がわかったね」


 その質問に少し驚いた。


「フィロス君みたい」


「え?」


「フィロス君もよく先に気配に気づいてた」


 そういえば最初に見たフィロスも、獣の察知が鋭かった。


「でも、フィロス君なら自分で前に出ると思う」


「それは想像できます」


「でしょ」


 そこは意見が合った。


「本当は、フィロス君自身がついてきたかったんだと思う」


 ノアが前を向いたまま言う。


「……今日は、ついてきてくれてありがとうございます」


 ヴェラが振り返らずに答えた。


「無事に帰るところまでが依頼です」


「そうだった」


 ノアの声が少しだけ柔らかくなった。


 ノアの手には、蓋を閉じた籠がある。


 俺たちはそのまま、王都へ続く道を戻っていった。


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