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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第四章 札がなくても

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第86話 少し高くなります

 翌朝。


 冒険者ギルドの掲示板を見上げながら、俺は昨日より少し増えた共同資金のことを考えていた。


 朝の依頼受け付けはまだ続いている。


 掲示板の前では何人かが札を見比べ、受付からは紙をめくる音や硬貨を数える音が聞こえていた。


 一回で脚具が買えるわけではない。


 それでも、働けば増える。


 当たり前のことではある。


「今日は地上も見ますか?」


 エルザが隣から聞いた。


「そうしましょうか」


「私はどちらでも大丈夫です」


 ヴェラも掲示板を見ている。


 昨日は第一層へ入ったばかりだ。


 無理に続けてダンジョンへ行く理由もない。


「何か条件の良いのがあれば――」


「石ころ」


 聞き覚えのある声がした。


 俺は振り返る。


「おはようございます、フィロスさん」


 営業スマイルで挨拶してやった。


「……相変わらずだな、お前は」


 フィロスが立っていた。


 今日はいつもの三人を連れていない。


 いるのはミレイだけだった。


 フィロスの手には、一枚の紙がある。


「今日は二人なんですね」


「お前に説明する必要はない」


「そうですか」


「そして雑談をしに来たわけでもない」


 フィロスの視線が俺から外れる。


 エルザ。


 ヴェラ。


 それから、また俺へ戻った。


「依頼を探しているようだな」


「今のところは」


「なら、ちょうどいい」


 フィロスが持っていた紙をこちらへ見せる。


「お前たちの組に頼みたい仕事がある」


 俺は紙より先にフィロスを見た。


「俺たちに?」


「勘違いするな。お前個人に用があるわけではない」


「〈コンパス〉への依頼なら、同じことでは?」


「違う」


 即答された。


 何が違うのだろう。


 横を見ると、ミレイが片手で額を押さえていた。


「フィロス様」


「何だ」


「話が進みません」


「分かっている」


 本当に分かっているのだろうか。


 エルザが紙へ目を向けた。


「内容を聞いてもよろしいですか?」


「ああ」


 フィロスは俺を一度見てから、エルザへ向き直った。


 喧嘩売りに来たのかな。


 俺は笑顔を崩さず見守った。


◆


 場所を受付近くの空いている卓へ移した。


 朝から何人も使ったらしく、木の天板には紙を置いた跡や細かな傷が残っている。


 フィロスが依頼書を広げる。


 丸まりかけた端を指で押さえた。


「明日の朝から一日。王都の外へ出る依頼だ」


「護衛ですか?」


 エルザが聞く。


「そうだ。薬草を採る人間を一人、採取場所まで連れていく」


 紙には簡単な経路が描かれていた。


 東門から街道を進み、途中で脇道へ入る。


 線の脇には、合流場所と予定時刻も書かれている。


 ダンジョンではない。


「遠いんですか?」


「徒歩で往復できる距離だ。採取時間を含めても、問題がなければ日暮れ前には戻れる」


「魔物は?」


「出る可能性はある。だから護衛を付ける」


「討伐が目的ではない?」


「採取する人間を無事に連れて帰ることが先だ」


 そこは、俺たちが前に受けた馬車護衛と似ている。


 倒すことより、守ること。


 エルザが紙へ視線を落としたまま聞く。


「フィロスさんたちは同行されないのですか?」


 一瞬だけ間があった。


「……明日は別の仕事がある」


 ミレイが補足した。


「後援先から外せない仕事が入っているんです。予定も前から決まっていて、日数のかかる仕事なんです」


「なるほど」


 フィロスが少し不満そうにミレイを見る。


「そこまで説明する必要があるか?」


「受けてもらう相手には必要です」


「……好きにしろ」


 あの人も大変そうだ。


 近くの受付で椅子が引かれた。


 依頼を決めたらしい冒険者が席を立ち、そのまま出口へ向かう。


「それで、なぜ俺たちなんです?」


 聞いてみる。


 フィロスが口を開くより先に、ミレイが答えた。


「私が候補に挙げました」


「ミレイさんが?」


「はい。最近、地上で商人の護衛を問題なく終えていますし、三人で動けます。盾役もいる。それに、魔物を追わず護衛対象と荷を優先したと聞きました」


「なるほど」


「……あと、同行する方が女性なので、女性が多いパーティーが良いと……フィロス様が」


「俺はお前を選んだわけではない」


 フィロスが横から入る。


「こだわりますね……まだ何も言ってませんけど」


「顔に出ていた」


 こいつにまで顔を読まれるのは嫌だな。


「そうですか」


「そうだ」


 俺個人ではなく、条件に合う三人組。


 それなら話は分かる。


 エルザがフィロスを見る。


「採取する方が、採る薬草や場所を判断するのですね」


「そうだ」


「私たちはその方の安全を確保する」


「それでいい」


「危険なら、採取を中止して戻る判断もできますか?」


「できる」


 フィロスの返事は早かった。


「薬草より人間を優先しろ。それで構わん」


 口は悪い。


 かなり悪い。


 でも、仕事の条件まで無茶を言っているわけではない。


「私は受けても良いと思います」


 エルザが言った。


 ヴェラも頷く。


「私も問題ありません」


「俺も大丈夫です」


「決まりだな」


 フィロスが紙の端を指で叩いた。


 乾いた音が一度した。


「では――」


「報酬についてですが」


 エルザが遮った。


 フィロスの指が止まる。


「書いてあるだろう」


「見ました」


 エルザは紙をこちらへ少し引き寄せる。


 俺も横から金額を見る。


 数字は依頼内容の下へはっきり書かれている。


 悪くない。


 普通の一日仕事より、少し高い気がする。


「十分では?」


 俺が言う。


「ノワールさん」


「はい」


 また止められた。


 最近よく止められる。


 エルザがフィロスへ紙を返す。


「もう少しお願いします」


「何?」


 フィロスの眉が寄った。


「この額でも、同程度の護衛依頼より高い」


「はい」


「なら問題ないだろう」


「掲示依頼でしたら」


 エルザは淡々と答えた。


「今回は私たちへの直接の指名ですよね?」


 フィロスが黙る。


 周囲では別の依頼の相談が続いている。


 その中で、俺たちの卓だけ少し静かになった。


「明日の朝から一日という指定があります。三人全員への指名です」


「だからと言って――」


「ですので、通常の掲示依頼より少し高くなります」


「すでに高くしている!」


「もう少しです」


 エルザは動かなかった。


 フィロスも動かない。


 依頼書を挟んで、二人で見つめ合っている。


 俺はどうしよう。


「エルザさん」


「はい」


「応援してます」


「そうですか」


 応援することにした。


 フィロスに睨まれた。


 ミレイが紙の金額を見る。


 指先で一度、書かれた額を確かめる。


「私は妥当だと思います」


「ミレイ」


「明日の朝から一日ですよね?」


「ああ」


「しかも、こちらから三人を指定しています」


「だからと言って――」


「日程を指定して、こちらから三人をお願いするんです。少しくらい上乗せしてもおかしくありません」


 フィロスが黙った。


 味方がいなくなったらしい。


 しばらくして、フィロスが紙を引き寄せる。


 筆を取る。


「……これでどうだ」


 元の数字へ線を引き、その横へ書き直した。


 エルザが紙を受け取る。


 新しい金額を確認する。


「はい」


 即答だった。


「これで受けます」


「最初からそれを狙っていたな?」


「条件に合う金額をお願いしただけです」


「……よく言う」


 フィロスが俺を見る。


「お前は何も言わないのか」


「俺ですか?」


「お前の仲間だろう」


「仲間なので応援しました」


「石ころめ……」


 今日二回目の石ころだ。


 なぜか少し懐かしい。


◆


 正式な依頼としてギルドを通す。


 さっきまでフィロスが持っていた紙が、今度は受付の上へ置かれた。


 ミラにも条件を確認してもらい、明朝、東門近くで合流することになった。


「護衛対象のお名前は?」


 ミラが聞く。


 フィロスが答える。


「ノアだ」


 短い名前だった。


「採取をするご本人ですね?」


「ああ」


「分かりました」


 ミラが依頼書へ書き込む。


 筆先が紙を擦る。


 俺は隣でその名前を見る。


 知らない名前だ。


 ただ、フィロスが自分で依頼を持ってきた相手ではある。


「明日の朝ですね」


「絶対に遅れるな」


「気をつけます……フィロスさんは来ないんですよね?」


「行かん」


「随分と気にされていますね?」


「……勘ぐるな……ノアを待たせるなと言っている」


 さっきより少しだけ返事が遅かった。


 ミレイが何も言わずにフィロスを見る。


 フィロスはその視線を無視した。


 ミラが最後の欄を確認し、依頼書をこちら側へ向ける。


 書き直された報酬額も、そのまま正式な数字になっていた。


「では、頼んだぞ」


 フィロスが言って、先に歩き出す。


 ミレイが俺たちへ頭を下げた。


「よろしくお願いします」


「はい」


 彼女もフィロスを追っていった。


 二人がギルドを出る。


 扉が閉まり、外から差していた光が細く消えた。


 姿が見えなくなってから、俺はエルザを見る。


「結構上がりましたね」


「少しです」


「少しですかね?」


「指名依頼ですから」


 同じ答えが返ってきた。


 ヴェラが、書き直された報酬額をもう一度見る。


 指先が数字の近くで止まった。


「これなら、脚具にかなり近づきます」


「そうですね」


 昨日より、ずっと近い。


 俺はフィロスが出ていった扉を見る。


「何か、いいですね」


「何がですか?」


 エルザが聞く。


 答える前に、ヴェラが小さく口を開いた。


「以前、私を道具と言った方のお金が、私の脚具になるのですね」


 俺はヴェラを見る。


 本人は真面目な顔をしていた。


 一拍置いて、エルザの口元が緩む。


「……そうなりますね」


「それは、かなりいいですね」


 受付の向こうで、ミラが次の紙をめくった。


 ヴェラはもう一度、依頼書の金額を見る。


 その口元には、まだ少し笑みが残っていた。


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