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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第三章 自分たちの歩幅

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第84話 地図と同じ道


 第三道標が見えなくなってから、通路の空気が変わったような気がした。


 もちろん、本当に変わったわけではない。


 岩壁も、硬い床も、松明の火も変わらない。前にはヴェラの背中があり、後ろからはエルザの足音が届いている。


 今までと同じだ。


 違うのは、ここを俺が歩いたことがないというだけだった。


「この先、少し左側を見ます」


 ヴェラが声を落とした。


「はい」


 俺も左を見る。


 通路は二人が並べるほどの幅がある。


 ヴェラが中央より少し右を歩いているので、左側の壁と床は俺からも見える。


 エルザの松明が後ろからその辺りを照らした。


「白墨印は、曲がった先でしたね」


「はい」


 エルザが答える。


「地図では、もう少し先です」


 俺は壁を見ながら歩く。


 白いものを探していると、岩の明るい部分まで印に見えてくる。


 少し進んだところで、ヴェラが止まった。


 盾を持った左手はそのまま、右手だけを壁へ向ける。


「あれでしょうか」


 指の先を見る。


 灰色の岩壁に、短い白線が残っていた。


「ああ」


 近づく。


 太い線ではない。少しかすれているが、横向きの二本と、その下に短い縦線が一本残っている。


 俺には意味までは分からない。


「これで合っています?」


 エルザが地図と壁を見比べた。


「はい。この位置です」


「薄くなってますね」


「そうですね」


 ヴェラが荷袋から支給された白墨を出してエルザへ渡す。


「ヴェラさん、ありがとうございます。では、補修します」


「お願いします」


 ヴェラは通路の先を見る。


 俺は後ろを振り返った。


 曲がってきた通路の向こうは、もう第三道標まで見通せない。


 エルザが元の線をなぞる。


 白い粉が少しだけ床へ落ちた。


「これくらいでしょうか」


「前より見やすいです」


 俺が言うと、エルザが壁から一歩離れた。


「元の形を変えないようにしています」


「新しく描くわけじゃないんですね」


「はい。私たちの印ではありませんから」


 なるほど。


 見やすくする。


 でも、勝手に別の意味にはしない。


 エルザが白墨を布で包み直し、ヴェラへ返した。


「位置も地図と一致しています」


「一個目ですね」


「はい」


 今のところ、昨日見た線の通りだ。


 エルザは手帳に印を書き写す。


「書き写すんですか?」


「位置と形を報告する時に使えますから」


「なるほど」


◆


 白墨印を過ぎると、通路は少し狭くなり、ヴェラ、俺、エルザの順に自然と縦へ並んだ。


 頭上は十分に高く、足元にも大きな段差はない。


 それでも、知らない道だと思うと目につくものが増える。


 床の小さな欠けや岩壁の細い筋、松明の火が揺れるたびに動いて見える影まで気になった。


 前を歩くヴェラが少し速度を落とした。


 俺も同じだけ落とす。


「何かあります?」


「床に石があります」


 ヴェラが足を止めた。


 頭より少し大きな石が二つ転がっている。


 周囲の床には凹んだ跡と、小石が散らばっていた。


 上から落ちたようにも見える。


 ヴェラがその場から天井を見上げる。


 エルザも松明を少し高くした。


 俺も上を見る。


 見える範囲に、大きく割れているところはない。


 しばらくそのまま待つ。


 石が落ちる音はしなかった。


「横は通れそうですね」


「はい」


 ヴェラが半歩横へずれ、石との間隔を確かめる。


 触れずに通れるだけの幅はある。


「少し待ってください」


 エルザが言った。


「記録しておきます」


 手帳が出る。


「通れる幅は残っています。ただ、通路の状態として残しておきます」


「石もですか?」


「全部ではありません」


 エルザが二つの石を見る。


「ここから先は確認の間隔が空いていると聞きました。今の状態を残しておけば、次に変わっていた時に比べられます」


「なるほど」


 エルザは短く書いて手帳を閉じた。


 頭より少し大きな石が二つあって、横を通れる幅はある。たぶん、その程度だろう。


 ヴェラが先に石の横を通る。


 俺も続いた。


 少し進んだところで、ヴェラが右手を上げた。


 止まる。


 俺も足を止めた。


「分かれています」


 ヴェラの肩越しに先を見る。


 通路が左右へ割れていた。


「もう着いたんですか?」


「地図を確認します」


 エルザが前へ来る。


 ヴェラは盾を構えたまま、少し左へ寄った。


 俺も場所を空ける。


 三人で地図を見る。


 一本だった線が、その先で二本になる。


 今、目の前にある形と同じだった。


「左が少し狭いですね」


 俺が言う。


「地図もそうなっています」


 エルザが指を置く。


「右はこのままの幅。左は少し細くなっています」


「印は?」


 ヴェラが聞いた。


 三人で壁を見る。


 右。


 左。


 分岐の中央。


「あ」


 俺が先に見つけた。


 右側の壁。


 肩より少し低い位置に、白い線がある。


「ありました」


 近づきすぎないところで止まる。


 今度の印は、最初のものより濃かった。


 エルザが地図を見る。


「位置も合っています」


「補修は?」


「これは必要なさそうです」


 そう言いながら手帳に印を書き写す。


 ヴェラが左右の通路を順に見る。


「ここまでですね」


「はい」


 エルザが答えた。


 俺も地図を見る。


 依頼の範囲は、この分岐まで。


 右にも道が続いている。


 左にも続いている。


 どちらも松明の光の先で暗くなる。


「この先が気になりますか?」


 エルザが聞いた。


「……まあ」


「どちらがです?」


「両方です」


 エルザの口元が少し緩んだ。


「そうですよね」


 ヴェラもこちらを見る。


「でも、今日はここまでです」


「分かってますよ」


 返事はすぐに出た。


 行けないわけではない。


 少なくとも、目の前の道は塞がっていない。


 でも、今日確認するのはここまでだ。


 それで十分だった。


「一応、左右から何か来ていないか確認してから戻りましょう」


「はい」


 ヴェラが右を見る。


 俺は左へ視線を向けた。


 物音はしない。


 エルザが後方を見る。


 少し待っても、何も出てこなかった。


「戻れそうですね」


「はい」


 エルザが手帳を開いた。


「最初の白墨印は補修。途中に頭より少し大きな落石が二つ、横を通れる幅はありました。分岐と二つ目の印は地図通り」


「それで全部?」


「今のところは」


 手帳を閉じる。


 ヴェラが盾を持ち直した。


「帰りましょう」


「はい」


 俺はもう一度だけ分岐を見る。


 右。


 左。


 どちらにも道がある。


 次に来た時、どちらへ行くかはまだ決まっていない。


 俺たちは来た道へ向き直った。


◆


 帰りは、さっき見たものを逆から通る。


 二つの石と、補修した白墨印を順に通り過ぎる。行きに右へ曲がった道は、帰りには左へ曲がる。


 それだけなのに、行きとは少し違って見えた。


「印、見えますね」


 俺が言う。


「補修しておいた甲斐がありますね」


 エルザが後ろから答える。


 少し進むと、岩室の向こうに石柱が見えた。


 第三道標だ。


「戻りましたね」


 ヴェラの声が少しだけ柔らかくなった。


「はい」


 石柱のところまで戻る。


「少し休みましょうか」


「賛成です」


 俺たちは第三道標の脇へ移動し、荷物を壁際へ下ろした。


 水筒を出す。


 エルザも腰を下ろす。


 ヴェラは盾を壁へ立てかけた。


 リンがエルザの肩口から少し離れ、石柱の周りを一度だけ回った。


 ちりん。


「リンも休憩ですか?」


 白い光は答えず、エルザの髪際へ戻った。


 俺は水を飲む。


 依頼はまだ終わっていない。


 ここから入口まで帰って、ギルドへ報告するまでが仕事だ。


 何かを持ち帰る依頼ではなかった。


 それでも、エルザの手帳には文字と印が増えていた。


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