第81話 何に合わせるか
職人区へ入ると、通りの音が少し変わった。金属を叩く音や木を削る音があちこちから聞こえ、開いた店先からは革と油の匂いが漂ってくる。
職人区へは前にも何度か来ているが、今日は目的の店が決まっている。
ヴェラが先を歩きながら、小さな札を取り出した。
「まだ持ってたんですね」
「はい」
赤い印の入った相談札だった。前に《紅蓮商会》本部で脚具を試したあと、提携工房の名前と場所を書き足してもらったものだ。
「大事な物ですから」
「俺なら大事にしまって、そのまま忘れそうです」
「ノワール様は、もう少し物を管理してください」
「善処します」
「それは、しない時に使う言葉ではありませんか?」
最近、返しが早い。そして鋭い。
隣を歩いていたエルザがこちらを見た。
「覚えてきましたね」
「はい」
「何をです?」
二人とも答えなかった。
ちりん。
「リンまでそっちなんですか」
「リンはいつもこっちです」
白い光がエルザの髪際へ戻っていった。
◆
店の奥には、《紅蓮商会》本部で見たものと似た脚具が並んでいた。革帯や薄い金属板が組み合わされ、足首まで覆うものもあれば、膝下まで支えるものもある。
見ただけでは、どれが何に向いているのか俺には分からない。
ヴェラが相談札を出すと、店員は一度奥へ引っ込んだ。
代わりに出てきたのは、革の前掛けをつけた男だった。手にした札へ目を通しながら、俺たちの前まで来る。
「《紅蓮商会》本部からか」
「はい」
ヴェラが頭を下げる。
男は札を裏返し、書き足された文字へ目を落とした。
「右脚。平地は楽になった。盾を持って右へ向くと、膝の内側が引かれた」
「はい」
「その後は?」
「購入は見送っていました」
「それは札に書いてある」
男が顔を上げる。
「脚の方だ」
「あ」
ヴェラは少しだけ姿勢を直した。
「普段の歩行には問題ありません。痛みもございません」
「盾を持った時は?」
「右へ踏み替える時に、遅れることがあります」
「前より悪くなったか?」
「いいえ」
ヴェラが少し考える。
「悪くなったというより……遅れることに気づくようになりました」
男の眉がわずかに上がった。
「感覚的なことか? ……難しいな、どういう意味だ」
「前は、右へ動けない時に止まることが多かったです」
「動けなくなる前段階で気づけるようになったわけか?」
ヴェラが自分の右脚を見る。
「はい。今は、遅れる時に仲間へ伝えるようにしています」
「伝える?」
「『右、遅れます』と」
男は俺とエルザを見る。
「その報告で、お前らは動きを変えるわけか?」
「はい」
「なるほどな」
相談札を裏返し、何かを書き足した。
「じゃあ、こっちでは使い方から聞く」
「はい」
「お前は、この脚具で何をしたい」
ヴェラが瞬きをした。
「歩くため、ではなくてですか?」
「歩くだけなら、本部で試したやつでも楽にはなっただろ」
「はい」
「でも買わなかった」
男が棚の方を顎で示す。
「あれは足首を支える。真っすぐ歩くには悪くない。だが、お前は盾を持って身体を回す。その動きには合わなかった」
ヴェラが頷く。
「だったら、脚具を何の助けにしたいのか決めないと作りようがない」
少しの間、返事はなかった。
俺も口を挟まない。エルザも黙っている。
ヴェラは店の壁に立てかけられた丸盾を見た。
「……盾を持っている時です」
「何をどうしたい」
「右へ動く時に、遅れにくくしたいです」
「速く動きたいのか?」
ヴェラはすぐには頷かなかった。代わりに少し頭を傾げる。
「速く、というより」
言葉を探している。
「動こうとした時に、右脚がついてきてほしいです」
職人がヴェラを見る。
「他に何かあるか?」
「止まりたい時には、止まりたいです」
「意外と欲張りだな」
「申し訳ありません」
「謝るところじゃない」
職人が少し笑った。
「道具を作るなら、欲しいことは全部言え。出来るかどうかを決めるのは、そのあとだ」
「はい」
「他には?」
ヴェラが今度は俺たちを見た。
「仲間の前へ入る時に、間に合いたいです」
今度は迷わなかった。
「そうか」
職人が短く頷く。
「なら、歩行用だけで考えるのはやめよう」
◆
奥から低い椅子と、何本かの革帯が運ばれてきた。
「最初に言っておくが、今日は作らないぞ」
「はい」
「まず、本部で合わなかった理由をこっちでも見る」
ヴェラが椅子へ座る。
靴を脱ぎ、右脚の裾を少し上げた。
職人が足首と脛を確かめる。
押したり、曲げたりするたびに尋ねる。
「ここは?」
「問題ございません」
「こっちは?」
「少し引かれます」
「痛いか?」
「いいえ」
返答を聞きながら、革帯の位置が変わっていく。
本部で試したような完成した脚具ではない。金属板を当てたり外したりして、どこを支えるかだけを試しているようだった。
「立てるか」
「はい」
ヴェラが立つ。
「普通に歩け」
店の奥から入口近くまで歩く。
戻る。
「どうだ」
「何も付けていない時と、あまり変わりません」
「わかった、今はそれでいい」
職人が右足首の外側へ細い支えを足した。
「もう一度」
ヴェラが歩く。
戻ってくる。
「少し、右へ流れにくいです」
「盾を持ってみろ」
壁にあった丸盾を職人が指す。
ヴェラがそれを持った。自分の物より軽そうだが、形は近い。
「強く動くな。今日はどこで引っ掛かるかを見るだけだ」
「承知いたしました」
盾を前へ置く。
身体を右へ向ける。
すぐにヴェラが止まった。
「ここです」
右膝の内側へ触れる。
「本部で出たのと同じか?」
「近いです。ただ、前より弱いです」
「……足首を支えすぎだな」
職人がしゃがみ込み、革帯を一つ外した。
代わりに、脛の外側へ別の板を当てる。
「もう一度」
ヴェラが盾を構えた。
右へ向く。
さっきより動きが小さく見えた。いや、違う。余計に身体が傾かなかったのか。
「今のは?」
職人が聞く。
「……楽です」
「膝は?」
「引かれません」
「もう一回やるなよ」
「はい」
先に止められた。
ヴェラも素直に盾を下ろした。
「一度で分かったことを、何度も試す必要はない」
「今の支え方なら作れそうなんですか?」
俺が尋ねる。
「形には出来る」
職人が立ち上がった。
「ただし、これで遅れが消えるわけじゃないのはわかるな?」
「はい」
ヴェラが答える。
「怪我がなかったことになる道具でもない」
「分かっています」
「足首を固めすぎず、横へ崩れる分を支える。踏み替えを邪魔しない位置で留める。そこまでは狙える」
相談札へ線が増えていく。
「作るなら採寸し直す。仮に組んで、歩いて、盾を持って確認する。それで当たる場所を直す」
「前に聞いた調整品より、違うものになるんですか?」
エルザが聞いた。
「本部の見積もりは、歩行補助を基準にしてる」
職人がヴェラを見る。
「今回は盾を使う動きも最初から入れる。手間は増える」
「ということは」
「少し高くなる」
ヴェラの動きが止まった。
「……そうですよね」
◆
新しい見積もりを出してもらった。
以前の紙も一緒に卓へ並べる。
数字は確かに増えていた。
「結構しますね」
「しますね」
エルザも否定しない。
ヴェラは二枚を見比べていた。
前の時は、個人の取り分では届かなかった。共同資金を使えば払えた。分割なら、代わりに受ける仕事へ条件が付く。
その辺りは今も変わらないらしい。
「分割の条件も前と同じですか?」
エルザが聞く。
「大体はな。選ぶ契約によるが、報酬から引くか、指定された仕事を優先するか。完済までは商会の物扱いになるものもある」
「分かりました」
エルザはそれ以上聞かなかった。
ヴェラも紙を見ている。
「今日は決めなくていいぞ」
職人が言った。
「はい」
「作るならまた持ってこい。作らなくても、別に困らん」
「困らないんですか?」
俺が聞く。
「俺が困るのは、合わない物を無理に付けて戻ってくる客だ」
「それは確かに困りますね」
「だろ? だから今回も良く考えて決めろ」
ヴェラが見積もりを丁寧に重ねた。
「ありがとうございます」
◆
店を出る。
職人区の通りは、来た時より人が増えていた。荷車を避けながら歩く。
ヴェラは見積もりを鞄へ入れず、手に持ったままだ。
「どうします?」
俺が聞いた。
「……まだ買うとは決めません」
「はい」
「ですが」
ヴェラは紙を見る。
「前よりは、欲しいと思っています」
お。
「理由が分かったからですか?」
エルザが尋ねる。
「はい」
ヴェラが頷く。
「前は、歩きやすくなるなら良いと思っていました」
少し歩く。
「でも今は、何を助けてほしいのか分かります」
「右へ動く時?」
「それもあります」
ヴェラがこちらを見る。
「盾を持って、二人の前へ行く時です」
「なるほど」
それなら、俺にも分かる。
「分割にすると、仕事を選びにくくなるかもしれませんね」
エルザが言った。
「はい」
ヴェラはすぐに答えた。
「今は、それを少し気にしています」
朝、三人で第三道標の先を見たばかりだ。次にどこへ行くかを、自分たちで考え始めた。
そこで別の契約に行く先を決められるのは、確かに少し違う気がする。
「じゃあ、そこも含めて考えますか」
「はい」
「もちろん共同のお金を使うことも含めて」
ヴェラはすぐには答えなかった。
「それは、私だけでは決められません……ただ」
ヴェラがこちらを見る。
「前より相談はしやすいです」
「理由を聞いても良いですか?」
「三人で動くために使うものだと思えるようになったからです」
俺は頷く。
盾を持って二人の前へ行く。
さっき本人がそう言ったばかりだ。
「そうですね」
俺が答える。
「帰ってから三人で考えましょう」
「はい」
エルザも頷く。
「その前に、少し寄ってもいいですか?」
「どこへ?」
エルザが通りの向こうを指した。
小さな店の軒先に、色の違う紐や布飾りが並んでいる。
「見たいものがあります」
「もちろん」
ヴェラもすぐに答えた。
二人が先にそちらへ向かう。
俺も後を追った。
脚具の見積もりは、まだヴェラの手の中にある。




