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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第三章 自分たちの歩幅

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第80話 昨日までの地図

 朝食を食べ終えても、今日の予定は決まっていなかった。昨日まで二日間の護衛だったし、依頼を終えたばかりで急いで次を受ける必要もない。


 それでも、何もしないつもりではなかった。


 〈鈍色亭〉の食堂には、朝の客がまだ何人か残っている。厨房から食器を重ねる音が聞こえ、開いた窓から入る風が卓の端に置かれた布を少し揺らした。


「今日はどうしますか?」


 エルザが空になった皿を少し前へ寄せる。


 ヴェラもこちらを見た。


「ギルドには行きますか?」


「行こうとは思ってるんですけど」


 俺は残っていた茶を飲んだ。


 少し冷めている。


「依頼を見る前に、ちょっと考えませんか?」


「何をですか?」


「次に、どこへ行きたいかです」


 二人の視線が俺へ集まった。


 ちりん。


 エルザの髪際でリンも鳴る。


「依頼じゃなくて、場所ですか?」


 ヴェラが聞いた。


「はい」


 今までなら、掲示された札を見て、その中から出来そうなものを探した。ダンジョンへ行く時も、第三道標までという目標が先にあった。


 でも、その第三道標にはもう三人で着いている。


「第三道標の先って、どうなってるのか気になってるんです」


 俺が言うと、エルザが少し考えてから頷いた。


「地図を見てみましょうか」


「見られるんですか?」


「ギルドに確認すれば、第一層の公開されている範囲なら見せてもらえると思います」


「じゃあ、まず地図を見に行くということで良いですか?」


 エルザに続きヴェラも頷く。


「私も見たいです」


 決まった。


 今日は依頼札より先に、地図を見る。


◆


 冒険者ギルドへ着いても、俺たちは掲示板へ向かわなかった。


 朝の混雑はまだ残っている。掲示板の前には何人かが並び、受付からは紙をめくる音や硬貨を数える音が聞こえていた。


 その脇を抜けて受付へ行くと、ミラが手元の紙から顔を上げた。


「おはようございます」


「おはようございます。昨日はありがとうございました」


「今日は依頼ですか?」


「その前に、聞きたいことがあるんですけど」


「はい」


「第三道標の先の地図って見られますか?」


 ミラが俺たち三人を順に見た。


「第一層ですね?」


「はい」


「少々お待ちください」


 席を立ち、奥へ入っていく。


 待っている間にも、隣の受付では依頼票が一枚渡されていた。男が紙を折って腰袋へ入れ、そのまま入口へ向かう。


 しばらくして、ミラが何枚かの紙を両手で抱えて戻ってきた。


「こちらへどうぞ」


 受付の端にある机へ案内された。使い込まれた木の天板には、細かな傷が何本も残っている。


 ミラが紙の束から一枚抜き、机の上へ広げた。紙の端が少し丸まり、手を離すと戻ろうとする。ミラが片側を指で押さえた。


 見覚えのある線があった。


 入口から伸びる通路。第一道標、第二道標。何度か歩いた分岐。そして第三道標。


「あ、ここですね」


 俺が指を置く。


「はい。皆さんが前回到達したのがここです」


 その先にも線が続いていた。少し曲がり、枝分かれし、また先へ伸びている。


 第三道標までしか意識していなかったせいか、その先が紙に描かれているだけで妙な感じがした。


「普通に続いてるんですね」


 口から出た。


 ミラが俺を見て小さく笑う。


「もちろん続いていますよ」


「なんというか、第三道標までが一区切りだったので、その先はもっと別の場所みたいな気がしてました」


「道標は目安ですから」


「ですよね」


 ゲームなら、何かを越えれば次の区画へ切り替わる。そんな感覚が少し残っていたのかもしれない。


 エルザは地図の端を見ていた。指先で紙へ触れず、その少し上を追っている。


「ここに書かれているのは、確認日ですか?」


「そうです」


 俺もそちらを見る。


 地図の隅に、小さな文字がいくつか並んでいた。一番新しいものだけではない。少し色の薄い文字と濃い文字があり、消されている線の横には別の線が書き足されていた。


 上から塗り潰したわけではなく、元の形も分かるように残されている。


「地図って、更新するんですか?」


「します」


 ミラが当たり前のことのように答えた。


「ダンジョン内部は変わることがありますから」


 俺は地図から顔を上げた。


「変わる?」


「はい」


「道がですか?」


「道もです」


 ミラが地図の一か所を指した。


 途中で線が途切れ、その横へ別の線が足されている。


「新しい分岐が見つかることもありますし、以前使えていた通路が塞がることもあります。繋がっていた先が変わっていた、という報告もあります」


「……それ、結構大事な話じゃないですか?」


「大事ですよ。ただ、毎回変わるわけではありません。長く変わらない場所の方が多いです」


「今までは確認の取れている主要経路を中心に歩いていましたからね」


 確かに、第一道標から第三道標までは何度も人が通る。俺たちも、地図と道標を頼りにそこまで歩いた。


 少し離れた受付で椅子が引かれ、床を擦る音がして、またすぐ話し声へ紛れる。


「それでも、変わらないとは思わないでください」


 エルザが、書き直された線を指先で追う。


 変化が見つかれば報告が上がる。必要に応じて確認依頼が出て、確認が取れたところで地図が直される。


 隅に並んだ日付は、その積み重ねだった。


「変わるところを実際に見た人もいるんですか?」


 ヴェラが聞いた。


「私は、その記録を見たことはありません。普通は、前に通った時と違っていたことで気づき、報告が上がります」


 俺はもう一度、地図を見る。


 道が変わる。


 紙の上では、消された線と書き足された線が並んでいるだけだ。けれど、その一本ずつが、前に歩いた人と次に歩いた人の違いということになる。


 聞いてしまえば、そういうダンジョンなのだと受け入れるしかない。


「じゃあ、これも絶対じゃないんですね」


 第三道標の先を指す。


「はい。これは今確認されている地図です」


「今の地図……」


「だから、実際に入った時は自分でも見てください。帰り道も含めて」


 それは今までと同じだった。


 地図があっても、足元を見なくていいわけじゃない。ただ、その理由が一つ増えた。


「深いところも同じなんですか?」


「同じです。むしろ確認する人が少なくなる分、古い情報も増えます」


 ミラが別の紙を一枚ずらした。


 下に見えていた線が少しだけ覗く。


「そういえば、一層って浅層なんですよね。どこまで浅層なんですか?」


「だいたい第二層までですね。正式な区分ではありませんけど」


「三層からは?」


「三層から五層くらいまでを中層、六層から先を深層と呼ぶ人が多いです」


「六層……」


 俺たちはまだ一層だ。


 しかも、その一層の途中にいる。


 一層、二層、三層と数字で並べるだけなら、近く見えるのに。


「攻略組は、今どこまで行ってるんですか?」


 前から気になっていたことを聞いた。


 ミラの指が地図から離れる。


「確認されている最深到達は、第九層です」


「九」


 思わず繰り返した。


 ヴェラも瞬きをした。


 エルザは少しだけ首を傾ける。


「質問です。第九層まで安定して探索できる、という意味ではありませんよね?」


「はい」


 ミラが頷く。


「第八層までは何度も往復した記録があります。第九層へ到達した人たちもいますが、攻略組の中でも一部です」


「攻略組なら、みんな九層まで行けるわけじゃないんですね」


「そもそも攻略組というのは、資格や一つの組織の名前ではありませんから。深い場所の攻略を続けている人たちを、まとめてそう呼んでいるだけです」


「じゃあ、普段は別の組織にいる人もいるんですか?」


「いますよ」


 ミラが頷いた。


「三大勢力に所属したまま、攻略に参加している人もいます。もちろん、どこにも所属せずに活動している人たちもいます」


「三大勢力とは別の組織ってわけじゃないんですね」


「そうです。攻略を続けている人たちへの呼び方だと思ってください」


「なるほど」


 それなら少し分かりやすい。


 ミラが地図の端へ手を置いたまま、こちらを待っている。


 急かされている感じはない。


 聞けるうちに聞いておく。


「じゃあ、十層は?」


「到達したという確認はありません」


「九層が一番下なんですか?」


「それも分かっていません」


 短い答えだった。


「何層まであるかも?」


「分かっていません」


「……九層まで行って、それでも分からないんですね」


 ミラは頷いた。


 俺は地図へ視線を戻した。


 第一層。その途中にある第三道標。


 俺たちとしてはだいぶ進んだ気がしていた。


 紙の上では、入口から伸びた線の途中に小さく印があるだけだ。


 俺たちのいる場所は、思っていたよりずっと入口に近いらしい。


「遠いですね」


 俺が言う。


「九層がですか?」


「はい」


「ノワールさん、九層へ行くつもりなんですか?」


 エルザが少し目を見開いた。


「いや、今からそこを目指すって意味じゃなくて」


「少し安心しました」


「そんな無茶なこと言いませんよ」


 ヴェラが何も言わず俺を見る。


「ヴェラさん?」


「いえ」


「今、何か言いたそうでしたよね?」


「何もございません」


 絶対に何かあった。


 ちりん、とリンが鳴いた。


「俺は臆病者なので、心配しないでください」


 また一度鳴った。


 エルザが目元を和らげた。


 机の上では、第三道標より先の線がまだ広がっている。


◆


 ミラが第三道標の向こうへ指を置く。


「皆さんは、この先へ行くつもりですか?」


 俺は指の先を見る。


 そこからも線が続いている。


「俺は、行ってみたいです」


「第三道標の先へ?」


「はい。次の依頼ですぐじゃなくてもいいですけど」


 その先の線を見る。


「何があるのか、見てみたいです」


 口にすると、思っていたよりすんなり出た。


 九層へ行きたいわけじゃない。


 まずは、今まで目標にしていた場所の向こう側だ。


「私は、先へ行くことには賛成です」


 エルザが地図へ手を伸ばす。


 第三道標の先。線が一度曲がり、その先で二つに分かれている。


 紙の上なら、指先を少し動かすだけの距離だった。


「ただ、ここからは今までより帰る時間を多く見ないといけません」


「距離が伸びますからね」


「それと」


 エルザの指が、地図の隅にある確認日の方へ動いた。


「実際に行った時、この通りとは限らないことも覚えておきましょう」


「はい」


「私も行ってみたいです」


 ヴェラが言った。


 それから、自分の右脚へ一度視線を落とす。


「ただ、その前に脚具のことをもう一度確認しておきたいです」


「ああ」


 前に試した時、普通に歩く分には悪くなかった。


 でも盾を持って方向を変えた時に、合わないところが出た。それで調整品の話は保留になっている。


「先へ行くなら、あった方が良いのか聞いておきたいです。買うかどうかは、そのあと決めます」


「それも先に確認した方が良さそうですね」


 エルザが頷く。


「次に第三道標まで行く機会があれば、その時に先の様子を見るくらいからでもいいですね」


 俺が言う。


「その時の目的にもよります」


「そうですね」


 そこまで話したところで、ミラが地図を少し引いた。


 紙の端が机の上を擦る。


「今日、第一層の依頼も見ますか?」


 三人で顔を見合わせる。


 今朝なら、そこで掲示板へ行っていたと思う。


 でも今日は違った。


「今日は見なくていいです」


 俺が言った。


 エルザとヴェラも頷く。


「分かりました」


 ミラは地図を畳み始めた。


 一度折る。


 向きを変える。


 書き足された線も、消された線も、紙の内側へ隠れていく。


「行く時に、また最新のものを確認してください」


「はい」


「今見ているものが、その時も同じとは限りませんから」


 畳まれていく地図を見る。


「……地図なのに、昨日までなんですね」


 ミラの手が一瞬止まった。


「そう考えておく方が安全ですね」


 最後の折り目が重なった。


 地図が閉じる。


◆


 ギルドを出る。


 扉を抜けると、外の明るさが一気に戻った。石畳には朝の光が広がり、通りでは荷車が一台ゆっくり曲がっている。


 依頼は受けなかった。


 まだ昼にもなっていない。


「じゃあ、今日は脚具を見てもらいに行きますか?」


 俺が聞く。


 ヴェラが頷いた。


「お願いしてもいいですか?」


「もちろん」


「私も見たいです」


 エルザも答える。


「ありがとうございます」


 ヴェラが鞄から小さな相談札を取り出した。


 前に《紅蓮商会》本部で脚具を試したあと、職人区の提携工房の名前と場所を書き足してもらった札だ。


「ここですね」


「はい」


 三人で職人区へ向かって歩き出す。


 通りを進むにつれて、店先から金属を叩く音が少しずつ増えてきた。まだ職人区までは距離がある。


 しばらくして、エルザが鞄から手帳を取り出した。


 歩きながらではなく、道の端へ寄って一度止まる。


「何を書いてるんですか?」


「忘れないうちに」


 見せてもらう。


 一番上に、


『第三道標の先』


 その下に、


『地図の確認』


『帰路と時間』


『脚具』


 と並んでいた。


「依頼は?」


「まだ決めていませんから」


「確かに」


 エルザが手帳を閉じる。


 紙の端が揃い、鞄へ戻される。


「先に脚具ですね」


「はい」


 ヴェラが頷く。


 ちりん。


 リンが鳴る。


 今度は誰も足を止めなかった。


 三人で職人区の方へ歩き始めた。


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