第79話 戻るまでが仕事
それから馬車は、何度か街道の脇へ止まった。休憩だけではない。荷台の縄を確かめ、箱が動いていないか押してみる。
御者は馬の脚を見て、マルセルは積荷を見る。エルザも後ろへ回るたび、ゴブリンが手を掛けた辺りの縄を引いていた。
「大丈夫です」
「他は?」
「今のところ緩んでいません」
「よし」
俺も左側から荷台を覗く。村を出た時と同じように、袋と箱が詰まっている。目につくのは、側板に残った石の跡くらいだった。
ヴェラが盾を持ったまま道の右側を見る。俺も周囲を見回した。
あれからゴブリンは出てこない。何かが藪の中で動くたびに少し気にはなったが、鳥だったり、風だったりした。
「行くぞ」
御者が声を掛ける。
また同じ位置へ戻る。俺は左前。ヴェラは右後ろ。エルザは後方。マルセルは荷台の右脇だ。
馬車が動き出す。
重い車輪が街道の土を踏んだ。
◆
昼を過ぎた頃には、遠くに王都の外壁が見えてきた。
「あ」
声が出た。
「見えましたね」
エルザも前を見る。
まだ小さい。それでも、昨日の朝に抜けた外壁だ。
「帰ってきた感じがします」
ヴェラが言った。
「一泊だけなんですけどね」
「でも、昨日とは違います」
「それは分かります」
村の朝は、家畜の声と何かを運ぶ音から始まった。今は王都へ近づくほど、街道を行き交う人や荷車が増えている。
向こうから来た荷車を避けるため、御者が馬を少し端へ寄せた。俺も馬車の横へ詰める。
すれ違った御者が軽く手を上げた。こちらの御者も同じように返す。
それだけだった。
「こういう道だったんですね」
俺が言う。
「昨日も通りましたよ?」
エルザが言った。
「昨日は馬車に乗れる方が気になってました」
「知っています」
「乗った後は、ずっと揺れを気にしていました」
「それは仕方ないでしょう」
板張りの荷台から尻へ伝わってきた衝撃を思い出す。期待していたのとは、だいぶ違った。
前から門へ並ぶ人の列が見えてきた。御者が馬の速度を落とす。
「ここから混むぞ」
「はい」
俺たちは馬車のそばへ寄り、そのまま列へ入った。歩く速度はさらに遅くなる。
王都へ入る人、出ていく人、荷車、徒歩の商人。大きな籠を背負った人までいる。
門の近くは、村とは比べものにならないくらい音が多かった。少し前まで、畑と家ばかりの道を歩いていたのが妙な感じがする。
順番が来た。
門番がマルセルと御者へ声を掛け、荷台を確認する。
「仕入れ帰りか」
「ああ」
「何かあったか?」
「途中でゴブリンに襲われた。四体いた」
門番の目が俺たちへ向いた。
「場所は?」
マルセルが街道の辺りを説明する。
門番は短く頷いた。
「ギルドにも上げといてくれ」
「そのつもりだ」
それで終わった。
馬車が門を抜ける。外壁の内側へ入った瞬間、急に家が増えた。
「帰ってきましたね」
ヴェラが言う。
「帰ってきました」
俺も答えた。
ちりん。
エルザの髪際でリンが鳴った。
◆
門を入ってからも、まだ仕事は終わらなかった。
マルセルの荷物を下ろす場所まで馬車についていく。途中で人通りの多い道を避け、少し広い裏道へ入った。
やがて馬車が一軒の建物の前で止まる。
「着いたぞ」
マルセルが荷台を叩いた。
奥から人が二人出てきた。
「お帰り。随分積んできたな」
「向こうの出来がよかったんだよ。先に箱から頼む」
「分かった」
荷下ろしが始まる。俺たちもそこに近づいた。
「もう手伝わなくていいぞ」
マルセルが言う。
「いいんですか?」
「ここまで運んでもらうのが仕事だ。下ろすのまで護衛にやらせたら、俺たちが楽をしすぎる」
「わかりました」
大きな袋が一つ下ろされ、次に箱が運ばれる。藁を外し、中を確かめる。
「割れてないな」
「こっちも大丈夫だ」
別の男が答える。
マルセルは荷台の側面へ回り、石が当たった白い跡を指で触った。
「こっちも大したことない」
それから俺たちを見る。
「荷も馬も全て無事だ」
「依頼はこれで終わりですか?」
「ああ。これをギルドに渡してくれ。あとで俺からも無事に戻ったって伝えておく」
「分かりました」
差し出された木札を受け取る。
御者が馬の具を確認している。
「そちらも大丈夫ですか?」
ヴェラが尋ねた。
「ああ。ちょっと驚いたくらいだ」
御者が馬の首を撫でる。
「こいつもよく歩いた」
馬は何も答えず、鼻を鳴らした。
リンがエルザの髪から離れて馬に近づく。
ちりん。
馬はリンに鼻先を向けて、もう一度鼻を鳴らした。
「二日間ありがとうございました」
エルザが頭を下げる。
「こっちの台詞だ、ありがとう」
マルセルが手を振った。
「また都合が合ったら頼むかもしれん。その時はよろしくな」
「こちらこそ、その時はよろしくお願いします」
俺たちは馬車から離れた。
昨日の朝は、あれに乗れるだけで少し嬉しかった。
今見ると、側板に石の跡がついた、荷物でいっぱいの普通の馬車だった。
◆
冒険者ギルドへ入る。
昼を過ぎた時間だからか、中にはそれなりに人がいた。依頼札を見ている人や受付へ並ぶ人、壁際で何か話している冒険者がいる。
見慣れた光景だった。
俺たちは受付へ向かう。
ミラがこちらに気づいた。
「お帰りなさい」
「戻りました」
「三人とも無事ですね」
ミラの視線が俺、エルザ、ヴェラを順に見て、それからリンへ移った。
「依頼の報告をお願いします」
マルセルから受け取った木札を受付に置いた。
ミラがそれを手に取り、表と裏を確認する。
「はい」
俺たちは順番に話した。
村へ予定通り到着したこと。村で一泊し、翌朝に荷を積んで出発したこと。復路の街道でゴブリン四体に遭遇したこと。
「……ゴブリンですか」
ミラは手を止めて、俺たち三人をもう一度見た。
「四体ですね」
「はい。左から棍棒を持ったのが二体来ました。右前には、石を投げてくる一体がいました」
ミラが書き留める。
「右側からは、刃物を持った一体が来ました」
ヴェラが続けた。
「私が受けたあと、荷台の後ろへ回っています」
「その一体が、荷台へ手を掛けました」
今度はエルザが言う。
「縄が一本、少し擦れましたが、切れてはいません」
「投石は途中からマルセルさんの方へ飛びました」
俺も付け加える。
ミラがもう一度書く。
「被害は?」
「側板に石の跡と、後ろの縄が少し擦れたくらいです」
「人と馬は?」
「怪我はありません」
ヴェラが答えた。
「積荷も無事です」
「分かりました」
ミラが顔を上げる。
「ゴブリンは?」
「左から来た一体は倒しました。ほかは逃げました」
俺が答える。
「追撃は?」
「してません」
「馬車は動ける状態だったんですね」
「はい」
「なら、それで大丈夫です」
ミラはそのまま記録へ視線を戻した。
「遭遇場所は門でも聞かれました」
「こちらからも共有します。街道の巡回記録と合わせますね」
「お願いします」
「他に何か気づいたことは?」
三人で顔を見合わせる。
「……馬車が思ったより揺れました」
俺が言った。
ミラが手を止めた。
「それは依頼報告に必要ですか?」
「必要ないと思います……でも気づいたことを聞かれたから」
「では書きません」
「はい」
エルザもヴェラも俯いていて表情が見えない。
ミラが小さく息を吐いた。
「報告は以上でよろしいですか?」
「はい」
「では、依頼完了です。マルセルさんからの報告と相違があった時は、また確認させていただきます」
ようやくその言葉が出た。
「はい、わかりました」
報酬を受け取る。
近場で半日働いた時より、明らかに多い。
「二日分ですから多いですね」
ヴェラも硬貨を見る。
「選ばれずに残っていた依頼でしたが、良い仕事だったと思います」
エルザが返す。
「そうですね、結果的には良かったです」
ヴェラが言った。
俺も頷いた。
「そうですね」
◆
ギルドを出た頃には、少し腹が減っていた。
「鈍色亭へ戻りますか?」
エルザが聞く。
「戻りたいです」
「私もです」
ヴェラも同意した。
二日しか離れていないのに、鈍色亭へ向かう道が妙に馴染んで見える。
宿へ入る。
「お、お帰り」
女将が厨房の方から顔を出した。
「ただいま」
「飯は?」
「お願いします」
「荷物置いたら降りてきな」
「はい」
いつものやり取りだった。
井戸で手や顔を洗ったあとに部屋へ上がり、荷物を下ろす。剣も外すと、肩が軽くなった。
下へ戻ると、三人分の食事が用意されていた。
椅子へ座る。
「やっぱり落ち着きますね」
ヴェラが言う。
「昨日の家も良かったですけどね」
「はい。ご飯も美味しかったです」
エルザが頷く。
「あの子、あやとり忘れないでしょうか」
俺が言う。
「一日であれだけ覚えたので、大丈夫だと思います」
「次に行ったら、また教えるんですか?」
「約束しましたから」
「じゃあ俺も教えてもらおうかな」
「ノワールさんに教え込むのは大変そうですね」
「まだやってもいないのに……」
「子供より簡単なところから始めましょう」
「一番簡単なところからお願いします」
ヴェラが笑った。
食事を始める。
しばらくして、ふと思い出した。
「馬車ってもっと快適なものだと思ってました」
エルザが匙を止める。
「帰りは一度も乗りたいと言いませんでしたね」
「帰りは荷物で乗る場所がなかったのもありますが……」
「場所があったら乗りましたか?」
ヴェラが聞く。
俺は少し考えた。
板張りの荷台。
轍を踏むたびに跳ねる車輪。
尻へ直接来る衝撃。
「……しばらくは乗らなくていいですね」
エルザが笑った。
「確かに。私も遠慮したいですね」
「色々と学びの多い依頼でした」
ヴェラが食べながら質問する。
「何が一番の学びでしたか?」
「馬車は尻が痛くなる」
ヴェラが吹き出した。
エルザも顔を伏せる。
「……それが一番の学びですか?」
「身体を守る学びは大事ですよ」
ちりん。
リンまで鳴いた。
「リンもそう思います?」
返事はない。
もう一度だけ、ちりんと音がした。
俺はパンをちぎった。




