↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第三章 自分たちの歩幅

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

72/150

第72話 三度目の道標


 〈鈍色亭〉の一階食堂には、いつもより少し早く朝食が並んでいた。昨夜、女将が言っていた通りだ。


 粥を食べ終えてから、最後に装備を確認する。剣を抜くほどのことはしない。柄を握り、鞘と剣帯を見る。


「俺は問題ありません」


 向かいでは、ヴェラが椅子から立った。右脚へ一度目を落とし、右足で床を軽く二度踏む。


「痛みも張りもございません。昨日から変わった感覚もありません」


「分かりました」


「私は出発できます」


 ヴェラが自分から言った。


 エルザも手帳を閉じる。


「私も問題ありません。灯りと火口箱も確認しました」


「では、行きますか」


「はい」


「はい」


 昨日決めた予定が、そのまま今日の予定になった。


◆


 冒険者ギルドへ着くと、ミラが昨日の木札を棚から出した。


「おはようございます。今日は受けるんですね」


「はい」


 依頼内容をもう一度見る。


 〈灰石の口〉第一層、浅層巡回路の確認。


 道標の白墨印補修。


 灰苔の少量採取。


 異常痕跡の記録。


 変わっていない。


「第三道標手前ですが、昨夜から新しい報告はありません」


 ミラが別の紙を確認する。


「新しい崩落や通行止めもなし。以前からの狭い区間はそのままです」


「分かりました」


「すぐに向かいますか?」


「はい、三人とも出発できます」


 俺が答えると、ミラは頷いた。


「分かりました。では、無理はしないでくださいね」


「はい」


 受諾の手続きを終え、受諾票を受け取る。ギルドを出た。


 二度届かなかった第三道標へ、もう一度向かう。


 今日はそこまで行けるかもしれない。


 行けないかもしれない。


 そのくらいにしておこう。


◆


 〈灰石の口〉の入口脇では、ガイルが台帳を広げていた。


 俺たちを見ると、差し出した受諾票へ目を落とす。


「また第一層巡回か」


「はい」


「三人」


 俺たちを順に見る。ヴェラの右脚で視線が一度止まったが、何も言わなかった。


 灯りと荷物も簡単に確認される。ガイルは台帳へ何か書き、木製の札を三枚出した。


「戻ったら返せ」


 受け取って腰へ結ぶ。番号と入口の印。前と同じだ。


 エルザが入口で松明へ火を移した。炎が立つ。


 髪際にいたリンが、その光へ少し寄った。


「熱いですから近寄らないで」


 エルザが手をかざしてリンを制止する。


 ちりん。


「覚えているなら、なおさら近づかないでください」


 エルザに怒られて、リンが少しだけ離れる。


「リン、わざとやってませんか?」


「誰かみたいです」


 誰のことだろう。


 ガイルがこちらを見る。


「……遊ぶなら他でやれ」


「すみません」


 なぜかヴェラが真っ先に謝った。申し訳ない。


 地下へ入った。


◆


 第一道標までは、前より足が止まらなかった。


 角ではヴェラが先を見る。俺はその後ろ。エルザが灯りを持って最後尾につく。道幅が狭くなれば縦に戻り、広くなれば互いの位置を少しずらす。


 第一道標の鉄杭が見えた。脇には、前と同じ打刻具がある。


「先に札ですね」


 腰から木札を外して差し込み、取っ手を押す。


 かちん。


 一つ目の印が増えた。エルザ、ヴェラも続く。


 白墨印は残っている。


「ここは補修しなくてもよさそうですね」


 エルザが近くから確認する。


「そうですね」


 先へ進んだ。


◆


 第二道標でも、三人とも札へ打刻した。


 二つ目。


 前に削れていた白墨印も、まだ読める。その先へ向かう。


 少し進んだところで、通路の形が見覚えのあるものへ変わった。右側には崩れた岩壁があり、天井は低い。床には砕石が散らばっている。


 共同任務で、マッドクローが頭上の岩から飛び降りてきた場所だ。


「ここから、少しゆっくり行きましょう」


「はい」


 ヴェラが歩調を落とす。俺も足元を見る。


 その時、上から細かな粉が落ちてきた。


 ぱら、と肩の少し前へ散る。


「止まりましょう」


 三人とも止まった。


 エルザが松明を上げる。天井の細い亀裂が光の中へ浮かんだ。


「石粉ですね」


「今落ちたことは分かります」


 俺は上を見る。


「前より増えたかは分かりません」


「音はございません」


 ヴェラが言った。


 俺たちはしばらくその場で待った。水滴の音が遠くから聞こえる。


 また少し石粉が落ちた。


 それきりだった。


「右側の方が、床の石は少ないですね」


 エルザが灯りを向ける。中央より右壁際の方が、見える範囲では歩きやすそうだった。


「一人ずつ行きます?」


「そうしましょう」


 ヴェラが先に抜け、向こう側へ着く。


「こちら、足元は問題ございません」


 次に俺。最後にエルザが通る。


 通り抜けたあと、エルザが手帳を開いた。


「石粉の落下。場所だけ書いておきます」


 それ以上は調べなかった。


◆


 崩落箇所を抜けて少し進んだ時だった。


 意識の端へ、弱い反復が触れた。


 右前。


 一度。


 少し間を空けて、また返ってくる。


 俺たち三人のものとは違う。


 ただ、それだけだった。


「右前に、何かいるような気がします」


 ヴェラが丸盾を少し上げる。


「位置は分かりますか」


「だいたいです。動くかどうかまでは分かりません」


 前に、分かったつもりで外した。


 変化したからといって、次の動きまで同じとは限らない。


「まだ近づいてはきてません」


「承知いたしました」


 進まずに見る。


 がりっ。


 石を爪で削るような音がした。


 反復が一度強く縮む。


 位置は低い。


「近づいてきます」


 松明の光の端へ、灰褐色の影が滑り出した。


 マッドクロー。


 一体。


 こちらへ真っ直ぐ来ない。


 低い身体が俺たちの前を横切り、そのまま左の岩壁へ飛んだ。


「左!」


 ヴェラが丸盾を向け、左へ踏み出す。


 マッドクローの前脚が壁へ張りついた。


 爪が石を削る。


 がりっ。


 身体が返った。


 次の瞬間、灰褐色の影が右へ飛ぶ。


「右へ返ります!」


 エルザの声が飛んだ。


 ヴェラが左へ向けていた盾を戻す。左足で床を踏み、右へ動こうとした。


 右足だけが遅れた。


「右、遅れます!」


 俺は前へ出しかけた足を止める。


 マッドクローは右の岩壁へ着地すると、そのまま低く走った。


「右奥です!」


 エルザが松明を動かす。


 だが、岩の張り出しに光が遮られた。


 マッドクローの姿が消える。


「見えない。左へずれます」


 俺が左へ動く。


 右へ移りきれなかったヴェラが、まだそこにいた。


「っ」


 近い。


 盾の縁が俺の肩のすぐ前にある。


 その向こうから、マッドクローが飛び込んできた。


 逃げるより先に剣を抜く。


 剣を斜めに差し入れた。


 がん、と硬い衝撃が右腕へ返る。


 真正面から止めず、押される力を横へ逃がす。


 マッドクローの身体が逸れた。


 右手の指が柄の上で一度ずれた。


「ノワールさん、下がってください!」


「はい!」


 追わずに離れる。


 右前腕の奥がじんと痺れていた。


 握れる。


 ただ、同じ受け方はしたくない。


「右腕が痺れました! 握れます! 次は受けられません!」


「右脚、痛みはございません! 前後には動けます!」


 ヴェラが丸盾を正面へ戻す。


「灯り! 戻します!」


 エルザが張り出しを避ける位置へ松明をずらした。


 リンはエルザの髪際から、肩の後ろへ隠れるように寄っている。


 マッドクローがこちらを向き直った。


 今度はヴェラが無理に右へ回らない。


 正面を空けずに待つ。


 マッドクローが低く走る。


 盾へ爪が当たる。


 ヴェラが押し返さず、盾を傾けた。


 前脚が外へ流れる。


 俺は剣先だけを前へ出した。


 こちらへ抜けさせない。


 身体を捻ったマッドクローの脇へ、エルザが入る。


 短剣が前脚の内側を浅く切った。


 すぐ離れる。


 姿勢が崩れたところへ、ヴェラの短槍が伸びた。


 穂先が首元へ入る。


 マッドクローが石床へ落ちた。


 動かない。


「周囲」


 俺が言う。


「後方、動きありません」


「前方も、見える範囲に異常ございません」


 俺も意識を広げる。


 近くに、さっきと同じ反復は感じない。


「近くに同じ気配は感じません」


「分かりました」


 右手を開く。


 握る。


 痺れはまだ残っていた。


 このまま、また戦闘になれば危険だ。


 痺れが残るなら、ここで戻る。


「……手が少し痺れてるので、休んでも良いですか?」


「そうしましょう」


 壁際へ移り、水を飲んだ。


 右手を開いて閉じながら、痺れ具合を確かめる。


 ヴェラも右脚を伸ばす。


「痛みは?」


「ございません。ただ、さきほど右へ切り返した時には遅れました」


「分かりました」


 エルザは手帳を開きかけ、一度閉じた。


「後で書きます」


 しばらく休んでいるうちに、手の痺れは薄れていった。


 右手を開く。


 握る。


 さっきのような痺れはない。


「痺れは良くなりました。俺は行けます。二人は?」


「私も大丈夫です」


「私も問題ございません」


 三人で立ち上がった。


◆


 その先で通路が広がった。中央に、風化した石柱が立っている。


 第三道標。


 三人とも足を止めた。


 最初に来た時は、その手前でハルトを見つけて戻った。共同任務でも、ここまでは来られなかった。


 今日は石柱が目の前にある。


「まず周囲を見ましょう」


 ヴェラが丸盾を外側へ向ける。


 俺も岩室の奥を見る。動くものは見えない。


「俺の方は、近くに気配は感じません」


「見える範囲にも動くものはございません」


「後方も大丈夫です」


 エルザが答える。


 石柱の脇には打刻具が残っていた。


「先に、これですね」


 腰の木札を外して差し込み、取っ手を押した。


 かちん。


 札を抜く。


 三つ目の小さな印が増えていた。


 思わず少し眺める。


「入りました?」


 エルザが横から覗く。


「入りました」


「では、私も」


 かちん。


 続いてヴェラ。


 かちん。


 三人分の札に、三つ目の印が並んだ。


 ヴェラが自分の札を見る。


「届きましたね」


「ええ」


「届きました」


 エルザが小さく息を吐いた。


 それだけだった。


 まだ仕事は残っている。


「白墨を」


「はい」


 ヴェラが荷袋の上側から、新しい白墨を出して俺へ渡す。


「お願いします」


「任されました」


 石柱に残っている古い矢印を見る。消えている部分へ白墨を押し当てると、ざらざらとした感触が指へ返った。


 薄かった線が白く戻っていく。


「補修、終わりました」


「記録しました」


 エルザが答える。


 石柱の根元には、薄緑色の灰苔が生えていた。


 採取用の小刀を取り出し、必要な分だけ削いで採取袋へ収める。袋の口を縛った。


「こちらも終わりです」


 ヴェラが奥の通路を見た。


「この先は?」


「依頼はここまでですよね」


「はい」


 エルザが答える。


「では、戻りましょう」


「そうしましょう」


 第三道標の先へは行かなかった。


◆


 帰りは、来た時より少し遅くなった。


 第二道標を過ぎたところで、ヴェラが自分から口を開いた。


「右脚が少し重くなってきました」


「痛みは?」


「ございません」


「次の退避所で休みます?」


「はい。そうしたいです」


 第一退避所へ入り、荷物を下ろす。ヴェラが右脚を伸ばす。


 俺も剣を置き、右手を休ませた。痺れは再発していない。


「エルザさんは?」


「私は大丈夫です」


 少し休んでから立つ。


 歩ける。


 ヴェラも立てる。


 急ぐ理由はなかった。


 入口まで、そのまま歩調を落として戻った。


◆


 地上の光が見えた。


 石段を上がると、入口小屋の前にいたガイルがこちらを見る。


「戻ったか」


「はい」


「札」


 三人で木札を外して渡す。


 ガイルは一枚ずつ確認した。三つ目の印で手が止まる。


「第三まで行ったな」


「はい」


「三人ともです」


 エルザが答える。


「異常は」


「第三道標手前の崩落箇所で、天井から石粉が落ちました。原因は分かっていません」


「他は」


「その先でマッドクロー一体と交戦しました」


「死体は」


「討伐しましたが、そのままです」


「場所をそこの地図に残しておけ」


 ガイルは卓の上にある地図を指さす。


「怪我は」


「三人とも傷はありません。俺は、剣で突進を逸らした時の衝撃で右腕が痺れましたが、今は改善しています」


「今は動くんだな」


「はい」


 ガイルがヴェラを見る。


「右脚に重さが出ています。痛みはございません」


「分かった」


 台帳へ記録する。木札は入口脇の箱へ入れられた。


「ギルドにも石粉のことは上げろ」


「分かりました」


 エルザが地図に印をつけてから、ギルドへ向かった。


◆


 冒険者ギルドへ戻り、ミラへ報告した。


 第三道標の白墨補修。


 灰苔の採取。


 崩落箇所での石粉。


 マッドクロー一体との交戦。


 俺の右腕の痺れの発生と改善。ヴェラの右脚の重さ。


 エルザが手帳を見ながら、見たことと分からないことを分けて伝える。


「石粉は、その場で少し待ったあとは落ちませんでした。ただ、原因は確認できていません」


「分かりました。巡回記録へ残します」


 ミラが記録する。


「マッドクローの死体は現地に残しています。入口で場所を地図に記しました」


「分かりました。死体の回収も作業班へ回します」


「第三道標までは?」


「三人とも到達しました」


「では、依頼達成です」


 受諾票へ印が押された。


 報酬の小袋を受け取る。


◆


 〈鈍色亭〉へ戻る。


 土間へ入るなり、女将が俺たちの靴を見た。


「そこで止まりな」


「はい」


「井戸」


「はい」


 三人で素直に裏へ回った。


 靴の泥を落とし、手についた白墨も洗う。


 食堂へ戻ると、湯気の立つスープと黒パンが用意されていた。


 椅子へ座る。ヴェラは右脚を少し前へ出し、俺も右手を卓へ置く。


 エルザが手帳へ伸ばした手を止めた。


「……先に食べます」


「素晴らしい判断です」


「冷めますよ」


 エルザが反応してくれなくなった。つまらない。


 髪際でリンが小さく鳴った。


 ちりん。


「リンは相手してくれるんですか。優しいですね」


「……何故私が悪くなってるんですか」


 エルザが不満を漏らした。ヴェラが笑っている。


 スープを口へ運ぶ。


 第三道標まで行った日の夕食も、いつもの味がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。