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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第三章 自分たちの歩幅

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第69話 価値の付け方


 翌朝、俺たちは西の大聖堂へ来ていた。朝の日差しが白い石段へ落ち、上り下りする人の影が短く伸びている。


 ヴェラの手には、昨日武具店でもらった小さな相談札があった。赤い印の横に、装具試用前に治療師へ確認、と書かれている。


「本当に会えるんですかね」


 石段を上りながら言う。


「前に診ていただいていますので、受付で記録を確認してもらえばよいのではないでしょうか」


 ヴェラは落ち着いている。


「とは言え、相手は聖女ですよ」


「はい」


「忙しそうじゃないですか?」


「はい」


「そこは心配じゃないんですね」


「お会いできなければ、別の方へ相談いたします」


 正しい。俺だけ少し気にしすぎているらしい。


 エルザの髪際では、リンが白く揺れていた。


 大聖堂の中へ入る。薬草と香の混じった匂いが漂い、石床は外より少し冷たい。


 朝から待合は埋まり始めていた。包帯を巻いた冒険者、杖をついた老人、幼い子どもを抱いた母親。奥では白衣の治療師たちが忙しそうに行き来し、靴音が高い天井の下へ短く返っている。


 受付でヴェラが名を告げた。


「以前、右脚を診ていただきました。装具を試す前に、確認をお願いしたいのですが」


 受付の女性が帳面をめくる。紙の端を指で追い、途中で手が止まった。


「担当は……リヴィア様ですね」


「はい」


 本当にリヴィアの名前が出た。


「本日は治療が立て込んでおりますので、すぐには難しいかもしれません。再診としてお名前はお通しします」


「お願いいたします」


「別の治療師でもよろしければ、先に診られる場合があります」


 ヴェラが手の中の相談札を一度見た。


「以前の状態をご存じの方へ、可能であればお願いしたいです」


「分かりました」


 受付票を受け取る。


 それから待った。


◆


 思っていたより早く名前を呼ばれた。


「ヴェラさん」


 聞き覚えのある声だった。診察室の入口から、淡い色の髪が覗く。


「あ、本当に会えるんだ」


「何その感想」


 リヴィアが笑った。


「聖女ってもっと会えないものかと思ってました」


「聖女と言っても、ここで働いてる一職員だからね」


「そんなものですか」


「今日も脚かな?」


「はい」


 ヴェラが相談札を渡す。リヴィアは赤い印と文字を読み、裏返して確認した。


「装具か。前にも話したね」


「はい。昨日、見本を見せていただきました」


「前に診た時から、何か変わった?」


 ヴェラが共同任務で起きたことを短く説明する。


 最初は歩けたこと。長く進むうちに右脚の踏み替えが遅れ、盾を持って方向を変える時に前との間隔を保てなくなったこと。休めば戻り、翌日に痛みは残らなかったこと。


 リヴィアは途中で遮らずに聞いていた。


「今は痛みも腫れもなし?」


「はい」


「じゃあ、少し歩いてみて」


 診察室の端を空ける。


 ヴェラがまっすぐ歩いて戻り、続けて右へ身体を向ける。リヴィアは足元を見てから、もう一度同じ動きを頼んだ。


「今、違和感は?」


「ございません」


「分かった」


 リヴィアが相談札の裏へ短く何かを書き始める。


「装具を試すこと自体はいいと思う。ただ、歩くだけで楽でも、盾を持って向きを変えた時に別の場所が痛くなるなら、その装具は合ってない」


「膝や腰でしょうか」


「そこも。反対の脚に変な負担が出ることもある」


 前にも似た話を聞いた。


「合う物を探すために試すんだから、我慢して使わないでね」


「承知いたしました」


「痛み、痺れ、膝や腰の違和感が出たら止める。できれば装具職人にその場で見てもらって」


 リヴィアが札を差し出す。ヴェラが受け取った。


「ありがとうございます」


「あと、試す時は盾も持っていくんでしょ?」


「その予定です」


「なら、普段やる動きを見てもらって。歩けるだけじゃ意味ないから」


「はい」


 話はそれで終わった。


 廊下の向こうから別の治療師が声をかける。リヴィアはそちらへ返事をして、俺たちに手を振るとすぐに奥へ消えていった。


「本当に忙しそうでしたね」


「そうですね」


「でも会えて良かったですね」


 ヴェラが相談札を見下ろす。


「はい」


 その声は少しだけ明るかった。


 相談札には、治療師の確認後は《紅蓮商会》本部の装具窓口へ、と書かれている。


 俺たちは大聖堂を出て、商業区へ向かった。


◆


 《紅蓮商会》本部は、商業区の中央にあった。大きな建物だったが、飾りは少ない。入口の上に赤い印が掲げられている。


 扉を抜けると、大聖堂とは違う種類の忙しさがあった。壁際に窓口が並び、帳簿を抱えた人や紙束を運ぶ人、荷札を確認する人が行き交う。奥からは木箱を置く鈍い音も聞こえてきた。


 荷運びの相談、装備の分割払い、依頼報酬の精算、治療費の立て替え。同じ建物の中で全部扱っているらしい。


「装具の相談です」


 エルザが昨日の札を出した。


 受付の男が確認し、別の札を一枚重ねる。


「治療師の確認は?」


「こちらです」


 ヴェラがリヴィアの書き込みを見せた。


 男が裏面まで確認する。


「確認しました。奥の装具窓口へどうぞ」


 通された先には、革帯や金属板の並ぶ棚があった。革の匂いと、磨かれた金属の光。


 昨日見た物より種類が多い。足首だけを支える物、脛まで覆う物、膝の下まで革帯が伸びている物。どれも似ているようで、帯の位置や板の長さが違う。


 窓口の女性がヴェラの脚と相談札を交互に見る。


「まず既製品で合う形があるか試します」


「お願いします」


「合わなければ調整品です。調整品は採寸と加工が必要になります」


「費用も変わりますか?」


 エルザが聞く。


「変わります」


 即答だった。


 机の下から料金表が出てくる。紙が一枚、卓の中央へ置かれた。


 既製品。


 部分調整。


 個別加工。


 数字が順に大きくなっていた。


 ヴェラは何も言わずに見ている。


「まず試してからですね」


 俺が言う。


「はい」


 女性が一本の脚具を取り出した。足首から脛の半ばまでを革で包み、外側に細い金属板が入っている。


 机へ置くと、金属が木へ軽く当たった。


「これで歩いてみましょう」


◆


 装着には少し時間がかかった。革帯を締めすぎないようにしながら金属板の位置を合わせ、足首を曲げ伸ばしして当たる場所を確認する。女性が一本ずつ指を差し込み、締まり具合を見た。


 ヴェラが立つ。


「どうです?」


「……右脚が、少し出しやすいです」


 数歩歩き、戻る。もう一度歩くたび、革が小さく擦れる音を立てた。


 見ている限り、右足を置く時の遅れは小さくなっている。


「平地なら悪くなさそうですね」


 窓口の女性が言った。


「盾を持って試せますか」


「もちろんです」


 ヴェラが丸盾を受け取り、店の奥にある狭い試用場所へ移った。床には何度も靴で踏まれた跡が残っている。


 前へ三歩。止まる。右へ向き、戻る。


 今度は少し速く。


 二度目の切り返しで、ヴェラの動きが止まった。


「どうしました?」


「右膝の内側に、少し引かれる感じがします」


「痛み?」


「まだ、痛みではありません」


「止めましょう」


 女性がすぐに言った。ヴェラも逆らわない。


 椅子へ座り、脚具を外す。締めていた革帯が一つずつ緩んでいく。


「歩く時には助けになっています。でも、盾を持って向きを変える動きには、この形だと合っていません」


 金属板を見ながら女性が言う。


「既製品を無理に合わせるより、調整した方がいいです」


「どのくらいかかりますか」


 エルザが料金表を見る。


 女性が別の欄を指した。


 数字を見て、俺も黙った。


 高い。


 ヴェラの個人分だけでは届かない。〈コンパス〉の共同資金まで使えば払えなくはないが、かなり減る。


 紙の上の数字は、見ていても小さくならない。


「分割もできます」


 女性が別の紙を出し、料金表の横へ並べた。


 依頼報酬からの定額控除。返済中は商会指定の仕事を優先して紹介。完済までは脚具の所有権を商会側に残す。定期点検を受けること。故意の破損は別途負担。


「これは全部つくんですか?」


 俺が聞く。


「分割方法によります。報酬控除だけの契約もありますし、頭金を減らす場合は指定仕事の条件が増えます」


「総額は?」


「こちらです」


 指先が一番下の数字で止まる。


 隠してはいない。現金一括より、分割の方が少し高い。理由も手数料として書いてある。


 ヴェラが紙を最後まで読んだ。


「装具は必要だと思います」


 そう言ってから、一度紙を置く。


「ですが、この条件で購入するかは、まだ決めません」


「分かりました」


 女性の表情は変わらなかった。


「見積もりは三日有効です。調整内容はその間に変えても構いません」


「ありがとうございます」


 女性はヴェラの相談札を受け取り、裏へ何かを書き足した。


「調整品まで進める場合は、この札を職人区の提携工房へ持っていってください」


「職人区ですか?」


「はい。ここで試した結果も書いておきます。向こうでは採寸をして、実際にどう使うのかを見ながら調整することになります」


 ヴェラが返された札を見る。赤い印の下に、工房の名前と場所、それから今日の試着結果が書き足されていた。


「盾も持っていった方がよろしいでしょうか」


「その方がいいですね。今日みたいに、普段する動きを見てもらってください」


「分かりました」


 エルザが見積もりを受け取り、折らずにそのまま鞄へ入れた。


 手帳は開かなかった。


 リンが髪際から少しだけ出てきて鳴く。


 ちりん。


 エルザは何も言わなかった。俺も聞かなかった。


◆


 装具窓口を出たところで、見覚えのある背中があった。


「ミックさん?」


 振り返る。


「あ……ノワールさん」


 昨日より少しだけ顔色が悪い。手には何枚かの紙を、端が少し曲がるくらい強く持っていた。


「契約の相談ですか?」


「はい。もう一度来ました」


 昨日言っていた立て替えの話だ。


 ミックの視線が、ヴェラの持つ相談札へ移る。


「そちらも?」


「脚具の見積もりです」


「ああ、高いですよね」


「分かります?」


「ここに来ると、お金の話ばっかり聞こえてしまうので」


 笑おうとして、うまく笑えなかった。


 奥の扉が開く。


「ミックさん。お待たせしました」


 低い声がした。


 黒に近い赤の上着を着た男が立っている。四十代くらいだろうか。派手な装飾はないが、胸元の留め具に《紅蓮商会》と同じ赤い印が入っていた。


「ヴァレル代表」


 受付の人がそう呼んだ。


 《紅蓮商会》の代表。


 代表が普通に窓口の奥にいるのは意外だった。


 ミックが紙を持ち直す。


「行ってきます」


 そう言ってから、足が止まった。


「……あの」


「はい?」


「一緒に聞いてもらってもいいですか」


 俺たち三人を見る。


「俺、一人だと、聞き落としそうで」


 エルザとヴェラが俺を見る。俺が決めろということか。


 少し考えたが、断る理由が思いつかなかった。


「ミックさんがいいなら」


「お願いします」


 ヴァレルへ確認すると、俺たちも同席して構わないと言われた。


 四人で小さな部屋へ入る。


◆


 部屋には机が一つあり、向かい合うように椅子が置かれていた。壁際の小窓から入る光が、机の端と積まれた紙の半分だけを照らしている。外の窓口より静かで、扉が閉まると人の声も意味の分からないざわめきまで遠のいた。


 飾りらしいものはない。机の角には細かな傷が残り、乾いた紙とインクの匂いに、外の倉庫から流れてくる革や木の匂いが薄く混じっていた。


 机の上には、すでにミックの申請書が置かれている。


 ヴァレルが椅子へ座った。


「昨日の申請を見直しました」


「はい」


「結論から申し上げると、希望額までは出せません」


 ミックの指が紙の端を握る。紙が少し曲がった。


「やっぱり、ですか」


「はい」


「理由を、もう一度聞いてもいいですか」


「もちろんです」


 ヴァレルは別の紙を一枚出し、申請書の横へ並べた。


「ハルトさんの治療宿代、薬代、食費。このうち、治療を続けるために最低限必要と確認できた分は立て替えます」


 指が下へ移る。


「ただし、今の宿のまま長期で続ける計算にはしていません。状態が落ち着いた後は、回復期用の安い部屋へ移す前提です」


「はい」


「ミックさん自身の宿代と食費、それから仕事を休んだ分の損失。そこまでは今回の立て替えには入れられません」


 ミックが顔を上げる。


「俺が倒れたら、ハルトの世話もできません」


「それは分かっています」


 返事はすぐだった。


「そのため、補給仕事をご用意できます」


 ヴァレルが別の紙を滑らせる。仕事内容と報酬額が並んでいた。


「荷の確認、倉庫整理、治療宿への配送です。ダンジョンへ入らない仕事で、今の冒険者依頼より報酬は落ちますが、毎日あります」


 ミックが紙を見る。


「これを受ければ?」


「ミックさん自身の生活費はそこから出せます。立て替え分の返済も、その報酬から一定額だけ差し引きます」


「残る額は?」


「こちらです」


 数字が書いてある。


 ミックが黙って読む。ヴァレルは急かさない。


 外で何かを載せた荷車が軋み、車輪の音が壁の向こうを横切っていった。音が遠ざかると、紙をめくる小さな音だけが部屋に残る。


 机の上には何枚もの紙が並んでいる。必要な額。出せる額。仕事の報酬。返済額。全部数字になっていた。


 しばらくして、ミックが口を開く。


「……それでも足りないです」


 ヴァレルがゆっくり頷く。


「ええ、分かっています」


「分かってて、この額なんですか」


「はい」


 声は変わらなかった。


「希望額をすべて出せば、今より大きな返済を背負うことになります。ハルトさんがすぐ戻れなければ、その返済をミックさん一人で続けることになります」


「でも、今必要なんです」


「それも分かっています……ですが」


 そこで初めて、ヴァレルが少し身を乗り出した。


「必要な額と、貸せる額は同じではありません」


 きつい言い方ではなかった。


 ミックは目を伏せた。


 小窓から差す光の中で、申請書の端だけが白く浮いている。ミックの指は、その端をまだ押さえたままだった。


 机の上には、希望額と認可額が並んでいる。差は、見ても縮まらない。


 俺は聞いてみることにした。


「認可額との差は、他に埋める方法があるんですか?」


 ヴァレルは先にミックを見た。


「個人間の援助や、別の制度を利用することは妨げません」


 それから申請書へ視線を戻す。


「ただ、《紅蓮商会》から契約として出せるのは、今お示ししている範囲までです」


「なるほど」


 俺はもう一度、希望額と認可額を見た。


 ヴァレルは次の紙を手前へ寄せた。


「選べる方法は三つあります」


 ヴァレルが一枚ずつ紙を置く。三枚が机の上に少しずつずれて並び、どれも下の方にある赤い印の欄だけが空いていた。


「一つ目は、今の認可額で契約する方法です。ハルトさんは状態が落ち着き次第、回復期用の部屋へ移り、ミックさんには補給仕事をご案内します」


 二つ目の紙。


「二つ目は、契約額をさらに下げる方法です。その分、返済期間は短くなりますが、当面の手元は厳しくなります」


 三つ目。


「三つ目は、今日は契約しないことです。他で不足分を用意してから、必要であれば改めて申請できます」


 ミックが一枚ずつ見る。指先が紙の端を移っていく。


「全部、今より楽にはならないですね」


「なりません」


 ヴァレルは否定しなかった。


「もっと楽になる案があれば、こちらからも出しています」


 エルザがそこで口を開いた。


「契約した場合、返す総額はどれですか?」


「こちらです」


 ヴァレルが数字を示す。


「途中で多く返した場合は?」


「残っている元金にかかる手数料は減ります」


「補給仕事を断ったら?」


「別の収入があれば構いません。ただし、返済が止まれば再相談になります」


 少し沈黙が流れる。扉の向こうから帳簿を閉じる鈍い音がして、誰かの足音が廊下を通り過ぎた。


「ハルトさんが仕事へ戻れたら?」


「返済方法は変更できます」


 エルザが契約書をもう一度見直し、行を上から下へ追う。指先が紙の途中で一度止まり、また動いた。


「ここまでは、私にもそう読めます」


「ありがとうございます」


 ミックが小さく息を吐いた。


 エルザの髪際で、リンが静かに揺れている。


 ミックはしばらく契約書を読んでいた。補給仕事の報酬、毎月の返済額、手元に残る金額。何度か数字を見直し、紙を一枚戻ってはまた次へ進む。


「この仕事、ハルトの見舞いへ行く時間は取れますか」


「配送先には治療宿もあります。勤務時間も固定です」


「休みは?」


「七日に一日です。治療師から呼び出しがあった場合は相談してください」


「分かりました」


 まだ読む。


 羽ペンは机の端に置かれたままだ。小窓から入る光は、さっきより少しだけ机の奥へ移っている。誰も急かさない。


「これでお願いします」


 最後にミックが言った。


 ヴァレルが確認する。


「認可額は希望より少ないままです。補給仕事も受ける。その条件で契約する、ということでよろしいですね」


「はい」


「返済総額はこちら。毎月の最低返済額はこちらです。補給仕事を辞めても契約自体は残ります」


「はい」


「分からないところはありませんか」


「ありません」


「では、内容に問題がなければ署名をお願いします」


 ミックが羽ペンを取る。ペン先をインクへ浸し、余分な一滴を瓶の縁で落としてから、紙の上へ名前を書いた。


 最後の線を引いて、手を止める。


 ヴァレルが書面を確認し、脇に置かれていた印を取った。


 赤い印が紙へ押される。


 乾いた音が一度した。


 昨日、大聖堂前で見たものと同じ印だった。


 ヴァレルが一部をミックへ渡す。


「治療宿の変更は、ハルトさんの担当治療師が移動可能と判断してからです。それまでは動かさないでください」


「分かりました」


「補給仕事は明後日からです。明日はハルトさんの手続きに使ってください」


「ありがとうございます」


 ミックが頭を下げ、契約書を両手で抱え直した。


 ヴァレルは頷いただけだった。


 俺たちも部屋を出る。


◆


 廊下へ出ると、窓口側の話し声がまた近くなった。さっきまで遠くに聞こえていた荷物を動かす音も、ここではすぐ隣にある。


 ミックが契約書を抱え直す。


「何か……すみません」


「何で謝るんです?」


「付き合わせてしまって」


「いえ、俺たちも勉強になりました」


「……そうですか」


「はい」


 エルザが横から言う。


「分からない条件は、少なくともありませんでした」


「……そうなんですよね」


 ミックが契約書を見る。赤い印が紙の端に見えている。


「嫌なところも、全部書いてあるんですよね」


 それで安心できるかと言われると、別の話だろう。


「ハルトさんに会ったら、よろしく伝えてください」


「はい」


 ミックは大聖堂へ戻ると言って、先に商会を出た。扉が閉まり、人の流れへ姿が消える。


 俺たちは残った。


 ヴェラの脚具の見積もりが、まだある。


「どうします?」


 エルザが聞く。


 ヴェラは鞄から紙を出した。


 現金一括。分割。調整費。定期点検。


 一つずつ目で追う。


 さっきミックが見ていた契約書より枚数は少ない。それでも、紙の上に並んでいるのは同じように金額と条件だった。


「必要だとは思います」


「はい」


「ですが、今日は決めません」


 昨日と同じ答えだった。


「共同資金を使う場合も、分割にする場合も、私だけの話ではありませんので」


「そうですね」


 俺も頷く。


「宿で一度並べましょう」


「お願いします」


 エルザが見積もりを受け取り、今度は手帳も取り出した。


「何を書くんです?」


「契約で確認することです。何を受け取るか、いくら返すか。それから、返している間の条件」


「昨日書いたのとは別なんですね」


「はい。これは契約用です」


「また項目、増えません?」


「三つだけです」


「なら安心しました」


「何を心配してるんですか」


 答えずに歩く。商会の出口から、外の明るさが見えていた。


 後ろで、ちりん、と鳴った。

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