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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第三章 自分たちの歩幅

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第63話 決定の責任


 朝食を終える頃には、窓から差し込む光が食堂の奥まで伸びていた。昨日まで残っていた腰から背中の張りも、だいぶ薄れている。卓の向かいでは、ヴェラが右脚の固定帯を確かめ終えたところだった。エルザはその隣で、小さな紙を一枚だけ広げている。


 リンはいつものように、エルザの髪際でふわりと揺れていた。


「今日の面談ですが、昨日決めた範囲で話します」


 エルザが声を落とす。


「〈灰石の口〉で受けた依頼、マッドクローとの戦闘、ハルトさんの救助、退避所の設備使用。能力のことはこちらから話しません」


「はい」


「聞かれたことには、必要な範囲で事実を答える」


 ヴェラも頷いた。


「それでお願いします」


 エルザは紙を畳み、そのまま鞄へしまった。


「では、行きましょうか」


「はい」


 今日は手帳を開いたまま歩き始めなかった。少し珍しい。


◆


 《鉄鎖の盟約》本部は、王都の西側にあった。商業区を抜けると、通りから露店が減っていく。代わりに目につくようになったのは、大きな荷車と石造りの倉庫だった。


 木材が高く積まれ、鉄杭が縄でまとめられている。壁際には滑車や太い鎖が並び、何度も荷車が通った跡が石畳へ黒く残っていた。


「ずいぶん雰囲気が違いますね」


「人を呼ぶ場所ではなさそうですね」


 エルザが周囲を見ながら答えた。


「物を運んだり、人を出したりするための場所に見えます」


 確かに、立ち止まって眺めるようなものはほとんどない。二人組が長い木箱を担ぎ、その横を革鎧の男が紙束を抱えて抜けていく。少し先では、荷車の前で三人が何かを確認していた。


「第三倉庫へ二箱。こっちは北門だ」


「北門は昼便じゃないのか?」


「変更。札を見ろ」


「ああ、悪い」


 それだけで話が終わり、荷車が別方向へ動き出す。ヴェラがそちらを見ていた。その視線が、荷車から壁際の掲示板へ移る。俺も見る。


 文字までは読めないが、いくつもの札が縦横に並び、人の名前らしきものが書き込まれていた。


「当番表でしょうか」


 エルザが言った。


「たぶん」


 その隣には、破損した盾が一枚ぶら下げられている。下の紙には何か細かく書かれていた。円卓の案内所とは、ずいぶん違う。あちらには椅子があり、相談用の机があり、人がしばらく留まるための場所があった。


 ここは、人と物を動かし続けるための場所らしい。


「こちらですね」


 エルザが足を止めた。正面に、大きな石造りの建物が立っている。入口の上には、輪を連ねた鎖の印。扉の脇には二人の男が立っていた。


「〈コンパス〉です。本日、面談の予定があります」


 エルザが昨日届いた札を差し出す。一人が受け取り、もう一人が俺たちを見る。


「三名だな」


「はい」


「武器は抜くな。中で指示があった場合だけ抜け」


 預けるのではないらしい。


 俺の剣、エルザの短剣、ヴェラの短槍を順番に確認したあと、それぞれの留め具へ細い赤紐が結ばれた。エルザの髪際にいるリンへも一度視線が向いたが、何も言われなかった。


「切れていたら帰りに確認する。二階、奥から二番目だ」


「ありがとうございます」


 中へ入る。廊下は広く、人がすれ違っても肩が触れないほど余裕がある。壁には、外よりさらに多くの紙が貼られていた。警備配置や物資の搬出予定らしき表に混じって、金額が並んだ紙がある。


「補償表ですね」


 エルザが足を緩めた。


「わかるんですか?」


「見出しだけです。負傷、休業、装備破損……」


「ずいぶん細かいですね」


「そうですね」


 ヴェラは何も言わなかった。ただ、俺たちより少し長くその紙を見てから、階段へ向き直った。


◆


 二階の扉を叩く。


「入れ」


 低い声が返ってきた。


「失礼します」


 扉を開ける。広い部屋の奥に大きな机があり、その後ろの壁には地図が掛けられていた。束ねられた報告書がいくつも積まれ、窓際には使い込まれた長剣が一本立て掛けられている。机の向こうにいた男が顔を上げた。


 大きい。座っていても肩幅の広さが分かり、身につけた革鎧には細かな擦り傷が残っている。短く切った髪と、険しい顔立ち。装飾らしいものは、左肩についた鎖の留め具くらいだった。


「〈コンパス〉だな」


「はい。ノワールです。こちらがエルザさんとヴェラさんです」


「リベルトだ。座れ」


「失礼します」


 三人で椅子へ腰掛ける。《鉄鎖の盟約》代表、リベルト。〈鎖の王〉。


 名前だけなら何度か聞いていた。リベルトは机の上の紙を一枚持ち上げた。


「ガイルから報告は受けている。昨日、お前たちに位置と備品の再確認もさせた」


「はい」


「書いてあることを、もう一度聞くつもりはない」


 そこは助かる。


「確認したいのは、紙に残っていない部分だ」


 リベルトが報告書の一か所を指で押さえた。


「負傷者を見つけたあと、お前たちは救援をその場で待たず、入口方向への搬送を始めた。誰が決めた」


「最終的には俺です」


「何を見て決めた」


 俺は少しだけ言葉を選んだ。


「かなり出血していました。同行者の方が、すでに入口へ助けを呼びに戻っていたのも分かっていました」


「それだけか」


「いえ。三人で運べることと、動きながらでも周囲を警戒できることを確認しました。その上で、入口方向へ動いた方が救助の人たちと早く合流できると判断しました」


 リベルトの視線がエルザへ移る。


「異論は」


「ありませんでした。搬送を始める前に、周囲の状況も確認しています」


 次にヴェラを見る。


「お前は」


「私も、搬送可能と判断いたしました」


 リベルトは短く頷き、報告書の脇へ何かを書き込んだ。


「分かった」


 それだけだった。


 どうやら、救助したことを褒めるための面談ではないらしい。


 誰が何を見て、どう決めたのか。


 確認したいのはそちらなのだろう。


 ただ、最初からこちらを自分の指揮下にいる人間のように扱う話し方は、少し気になった。冒険者ギルドの規則に従うのなら、そうは思わない。自分の意志で登録して、その仕組みを使っているのだから。


 けれど、今の俺たちはまだ《鉄鎖の盟約》の外にいる。


「救助についての確認は以上だ」


「そうですか」


 隣で何かが動いた。エルザがこちらを見た気配がしたが、顔は向けなかった。その髪際で、リンが小さく揺れた。リベルトは机上の地図をこちらへ寄せた。


「ここからは、別の確認をする」


「はい」


「盟約の班と一緒に動く場合、お前たちが現場でどう判断するかを知っておきたい」


 指先が、狭い通路の一か所を叩く。


「昨日の搬送中だったとする。担架を運んでいる。曲がり角から魔物が出た。一人は担架から手を離せない。残る二人だけで止められるかは分からん。その場でどうする」


 ドランの稽古での質問に似ていた。


「状況によります」


「だから聞いている」


「状況が足りないので、今の条件だけでは決められません」


 リベルトの眉がわずかに動いた。


「なら、何を見る」


「魔物の数と位置。ヴェラさんが止められるか。エルザさんが動ける場所があるか。担架を一度置ける場所があるか。負傷者の状態も見ます」


「その相談をしている間に一体が飛び込んできたら」


「その時は、相談している暇がないですね」


「誰が決める」


「その場で決めるしかないでしょう」


「遅い」


 一言で返された。俺は口を閉じた。


「現場で誰が決めるかを探すな。戦う前に決めておけ」


「そうですか」


 エルザが今度ははっきりこちらを見た。ヴェラの視線も感じる。俺は普段なら、もう少し相手の言葉を受ける。なるほど、とか。分かりました、とか。理解できる部分を拾って返す。今は、そこまでしようとは思わなかった。


 言っていることは分かる。


 むしろ筋は通っている。


 それでも、まだ預けてもいない決定権まで、先に取られたような気がした。


「盟約の共同任務では、現場の最終判断を隊長へ集める。進む、止まる、戦う、退く。隊長が決める」


「そういう規則なんですね」


「規則というより必要だ。全員で好きに決めれば全員死ぬ」


「そうですね」


 リベルトが俺を見る。


「何か不満か」


「いいえ?」


 同じ意見なのに、何故そう受け取るのか。


 少し考えてから付け足した。


「盟約の中では、合理的な仕組みだと思います」


 嘘ではない。


 盟約に所属する人間が、その条件を承知して動くなら問題はない。


「ただし、黙って従えという意味ではない」


 リベルトが続ける。


「足が動かないなら言え。盾が割れたなら言え。見えない敵がいるなら言え。命令を実行できないなら、それも言え」


 ヴェラが顔を上げた。


「一つ、よろしいでしょうか」


「言え」


「隊員が、自身では遂行できないと報告した場合についてです」


 リベルトがヴェラを見る。


「それでも、隊長が続行を命じることはありますか」


「ある」


 返答は早かった。


「状況次第だ。本人には無理だと思えても、隊長から見れば必要な場合はある」


「……その結果、失敗した場合は」


「何を報告したかによる」


 リベルトは机の上の紙を一枚引き寄せた。


「負傷しているのに隠した。装備が壊れているのに使えると答えた。そういう場合まで指揮官の責任にはできない」


「はい」


「だが、必要なことを正確に報告した。その上で俺が続けろと命じたなら、結果は俺が引き受ける」


 ヴェラが瞬きをした。


「命令を受けた者ではなく、ですか」


「命令したのは俺だ」


 リベルトは当たり前のことを言うように答えた。


「決める権限だけ上に集めて、失敗した時だけ下の人間へ返すなら、そんなものは指揮じゃない」


 そこは、少しだけ意外だった。俺はリベルトを見る。話し方は強い。こちらを部下か何かのように扱うところも、やはり気になる。


 けれど、決める権限だけ欲しいわけではないらしい。


「隊長が判断を誤った場合も、でしょうか」


 ヴェラがもう一度聞いた。


「その判断をしたのが隊長ならな」


「……承知いたしました」


 ヴェラの膝の上にあった手が、ゆっくり開いた。その横で、エルザが一度ヴェラを見た。俺も気づいたが、何も言わなかった。リベルトの視線が俺へ戻る。


「お前たちは三人で動いているそうだな」


「はい」


「今は誰が決めている」


「依頼を受けるかどうかや、次に何をするかは三人で決めています」


「現場では」


「見えている人が必要なことを言います。ヴェラさんが前で見えていることはヴェラさんに任せますし、エルザさんの方が分かることもあります」


「それで最後に意見が割れたら」


 少し考えた。


「今のところ、そこまで割れたことはありません」


「なら、起きる前に決めておけ」


「考えてみます」


 リベルトの目が少し細くなった。隣で、エルザがまたこちらを見る。今度は俺も気づかないふりをしなかった。視線だけ向ける。


 エルザは目を瞬かせ、前へ戻した。何ですか。声には出さなかった。


「そこでだ」


 リベルトが別の紙を取り出した。


「お前たちに一件、共同任務を回す」


 回す。


 依頼、ではないらしい。


「〈灰石の口〉第一層だ。定期警備と設備確認。前回の事故を受けて、退避所の備品と巡回路を一度まとめて確認する。盟約から一班を出す」


「俺たちは何を?」


「同行しろ。前回実際に巡回した三人の目も使う」


「案内役ということですか?」


 エルザが尋ねる。


「それだけならガイルで足りる。通常の警戒と対応もしてもらう。共同任務中は盟約側の隊長が指揮を取る」


 さっきの質問は、そのためだったらしい。


 内容自体には意味がある。前回事故が起きた場所を、管理側が確認する。そこへ実際に歩いた俺たちを入れる。おかしな話ではない。


 ただ、受けることを前提に話されると、話は別だ。


「報酬は?」


 エルザが聞いた。リベルトが別紙を差し出す。


「通常の同行警備分。危険手当は区域指定に従う。装備破損と負傷時の補償条件もそこにある」


 エルザが受け取った。さっき廊下で見た補償表を思い出す。


 負傷。休業。装備破損。


 人を動かす代わりに、失ったものをどう扱うかまで決めている。


「隊長は誰ですか?」


 俺が聞く。


「予定者はいるが、まだ確定ではない」


「確定してから返事をしても?」


 リベルトの眉が動く。


「受けるかどうかを、隊長で決めるのか」


「条件の一つですから」


「盟約の隊長なら、誰でも同じ規則で動く」


「規則が同じでも、人は同じではありませんよね」


 部屋が静かになった。エルザの手が、紙の上で止まった。ヴェラも俺を見ている。リベルトは数秒、こちらを見たままだった。


「……なるほど」


「共同任務そのものを否定しているわけではありません」


 俺は続けた。


「必要性も分かります。条件も悪くないと思います。ただ、俺たちは盟約の所属ではありません。誰の指揮でも同じように預けるつもりはないです」


「ずいぶん慎重だな」


「そうですね」


「いつまでに返事をすればいいですか」


「明日の夕方までだ」


「では、三人で相談して返事をします」


 リベルトは何も言わず、椅子へ深く座り直した。


「好きにしろ」


「そうします」


 返した瞬間、エルザが小さく息を呑んだ。


 あ。今のは少し出たかもしれない。とはいえ、訂正するほどでもない。


「話は以上だ」


「分かりました」


 三人で立ち上がる。


「失礼します」


 リベルトはすでに次の報告書へ手を伸ばしていた。


◆


 部屋を出て、階段を下りる。しばらく誰も何も言わなかった。入口で赤紐を外してもらい、外へ出る。午後の風が通りを抜けていた。


「……ノワールさん」


 エルザが呼んだ。


「はい」


「怒ってます?」


「怒ってはいませんよ」


 すぐに答える。


 嘘ではない。


 腹を立てて声を荒らげるほどではない。


「では、その……」


 エルザが言葉を探している。珍しい。


「機嫌が悪い、でしょうか」


「さっきよりも近いですかね」


 答えると、エルザが目を丸くした。ヴェラまでこちらを見た。


「そんなに意外ですか?」


「いえ」


 エルザが言ってから、少し間を置く。


「……はい」


「どっちです?」


「意外でした」


 素直ですね。ヴェラは何も言わない。ただ、こちらを見ている。


「リベルトさんの言っていることが間違っているとは思ってませんよ」


 俺は歩きながら言った。


「でも、俺たちはまだ盟約の部下でも、指揮を預けた相手でもないので」


 エルザが黙る。


「必要なところだけ答えていただけですよ」


 言ってから、少しだけ笑った。


「俺、そんなに人ができてるように見えてました?」


「……はい」


「そうですか」


「少しだけです」


「……そんなに細かく訂正しなくても良いんですよ?」


 ようやく、エルザの口元も少し緩んだ。ヴェラはまだ何か考えるようにこちらを見ている。


「ヴェラさん?」


「いえ」


 首を振る。


「ノワール様にも、そのようなことがあるのだと」


「ありますよ」


「そう、なのですね」


「俺も一応、色々考えてますからね」


 ヴェラがまた俺を見る。ヴェラさんちょっと失礼ですよ。


「それで、共同任務はどうします?」


 エルザが鞄へ手を添えた。


「内容は悪くないと思います」


 俺は答えた。


「俺たちにも経験になりますし、〈灰石の口〉の確認なら前回歩いた分も無駄にならない。盟約の指揮が実際にどういうものかを見る機会にもなります」


「では、受ける方向で?」


「隊長と条件を確認してからですけどね」


 エルザが頷いた。


「私も、それでいいと思います」


 二人でヴェラを見る。ヴェラは少し考えてから、頷いた。


「私も、受けたいと思います」


「では、その方向で返事をしましょう」


「はい」


「承知いたしました」


 共同任務の条件を書いた紙は、エルザの鞄の中にある。俺たちは並んで、宿へ向かった。


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