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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第三章 自分たちの歩幅

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第62話 話す範囲


 朝、起き上がろうとして腰が重かった。


「……昨日より来てるな」


 誰に言うでもなく呟いてから、ゆっくり身体を起こす。腰から背中へ、鈍い張りが残っていた。昨日、ハルトの傷を押さえたまま歩き続けたせいだろう。圧迫を切らさないように手を当て、搬送布の高さに合わせて歩いていた。


 痛めたわけではない。ただ、同じ姿勢を続けた分が、朝になって残っている。顔を洗い、服を着替えて一階へ下りる。


 食堂には焼いたパンと温かいスープの匂いが満ちていた。朝の客はまだ少なく、厨房から食器を重ねる乾いた音が聞こえている。ヴェラはもう食堂にいた。椅子の横には丸盾。


 膝の上では、右脚の固定帯を一度外し、留め具を順番に確かめている。


「おはようございます」


「おはようございます。右脚はどうです?」


 ヴェラは固定帯へ指を掛けたまま、右足を一度だけ床へ置き直した。


「痛みは増えておりません。少し張りはありますが、歩くのに支障はありません」


「なら良かったです」


 俺が向かいへ座ると、女将が湯気の立つ皿を置いた。


「今日はたくさん食べな」


「え? どうしてですか?」


「昨日、疲れて帰ってきた人間の顔くらい覚えてるよ」


「なるほど。ありがとうございます」


 女将は俺の返事を聞き流し、そのままヴェラの足元へ目をやった。


「食べ終わったら装備も乾かしときな。地下の湿気は革に残るよ」


「はい。いただきます」


 女将はそれだけ言って厨房へ戻った。スープへパンを浸す。温かいものが腹へ落ちると、身体の張りが少しだけ遠くなった。


「ヴェラさん、朝食は?」


 ヴェラは女将の方をちらりと見たあと、申し訳なさそうに言葉を続けた。


「……ノワール様を待つと言ったのですが、女将様の命令には逆らえず……先にたくさんいただきました」


「そうですか。それは良かった」


 思わず笑顔になる。ヴェラは少しだけ困ったように目を伏せ、固定帯を元の位置へ戻した。パンをちぎったところで、入口の扉が開いた。外の冷たい空気が細く入り込む。


「おはようございます」


 エルザが入ってくる。昨日の黒い外套は乾いていた。裾の泥も落としたらしく、近くで見れば擦れが残っている程度だ。


「早いですね」


「昨日の記録をまとめていたら、あまり寝付けなくて」


「それは早い理由になってます?」


「起きてしまったので、こちらへ来ました」


 エルザは俺たちの卓へ座る。髪の近くでリンが白い雫のように浮かんだ。


 ちりん。


「おはようございます、リン」


 ちりん。


「朝はまだかい?」


 厨房から女将が声を掛けた。


「まだです。お願いします」


「はいよ」


 エルザが鞄へ手を入れる。ヴェラがその手をそっと押さえて、首を振った。エルザが一度瞬きをする。それから厨房を見る。


 女将もこちらを見ていた。エルザの手が鞄から離れる。


「……食後にします」


 女将は何も言わず、エルザの前へスープとパンを置いた。


「ありがとうございます」


 エルザが匙を取る。


「ヴェラさんも覚えてたんですね」


「はい。以前、注意されておりましたので」


 エルザは何も言わず、スープを一口飲んだ。


◆


 皿が下げられ、朝の客も少し増えてきた頃、エルザが改めて手帳を開いた。俺とヴェラも自然と身を寄せる。


「昨日決めた条件は、そのままでいいですよね」


「はい」


 ヴェラも頷く。エルザは書き直すこともなく、昨日の頁へ指を置いた。


「では、今日はセイさんへ話しましょう」


 窓の外を荷車が通り、車輪の音が一度だけ食堂の前を横切った。その音を聞きながら、昨日の感触が手のひらへ戻ってくる。ハルトの身体の中を通っていた流れ。何も触れていない今でも、思い出せる。


 何なのかは、まだ分からない。


 分からないものを、分かったことにしない。それだけは決めている。


◆


 冒険者ギルドは、朝の依頼を探す人で混んでいた。掲示板の前には何人もの冒険者が集まり、依頼票を読む声と、紙を剥がす音が重なっている。受付では木札と依頼票が次々に動き、奥からは誰かの名前を呼ぶ声も飛んでいた。俺たちは列が短くなるのを待ってから、ミラのところへ向かった。


「おはようございます」


「おはようございます。昨日はお疲れさまでした」


 ミラは書類から顔を上げ、俺たち三人を順番に見た。


「身体は大丈夫ですか?」


「はい。私は問題ありません」


「私もです」


「俺は、腰と背中に少し張りがあるくらいです」


 50歳に戻った気分になった。ミラは一度頷くと、机の下へ手を伸ばした。取り出した紙の束から、一枚だけ抜き取る。


「先に、昨日の負傷者のことですが」


 俺たちの視線が集まる。


「夜は越えたそうです」


 周囲のざわめきが、一瞬だけ遠くなった気がした。息を止めていたつもりはなかった。


 それでも、少し楽になる。


「ただ、まだ安心できる状態ではありません。出血が多かったので、治療は続いています」


「意識は?」


「波があるそうです。右脚も、どこまで動くようになるかはまだ分からないと」


「そうですか」


 ミラの持つ紙へ目を落とす。そこに詳しい治療内容までは書かれていないらしい。


「本人が話せる状態になれば、改めて報告が来ると思います」


「ありがとうございます」


 それ以上は聞かなかった。夜を越えた。今は、それで十分だ。ミラが今度は二枚の札を取り出した。


 一枚には、見覚えのある鎖の印が押されている。


「こちらはガイルさんからです」


 エルザが受け取る。


「昨日使った退避所の搬送具について、確認したいそうです。それと、マッドクロー二体が出た場所を地図で再確認したいとのことです」


「あの場所は退避所だったんですね」


 救護用の道具が設置されていた理由が分かった。


「はい。補充が必要になるので、何を使ったか確認したいそうです」


「分かりました」


 内容としては不自然ではない。


 搬送布。木棒。固定用の縄。使えば補充がいる。


「もう一枚は?」


「《鉄鎖の盟約》の管理部からです」


 ミラがこちらへ差し出す。鎖の印は同じだが、紙はさっきより厚かった。


「昨日の救助報告を確認したそうで、後日もう少し話を聞きたいと」


「救助のことを?」


「今のところは、そう聞いています。強制ではありません」


 エルザが札へ目を落とした。視線だけが、こちらへ動く。俺も小さく頷いた。能力のことは、ここで話すことではない。


 ヴェラが連絡札へ目を落とした。


「三人で、でしょうか」


「そう書いてあります」


 ミラが答える。


「日時はまだ決まっていません。管理部から改めて連絡が来るそうです」


「分かりました」


「設備の確認だけなら、今日でもできますよ」


「先に済ませます」


 受付を離れ、ギルドの壁に掛けられた〈灰石の口〉第一層の簡易図へ移る。大きな羊皮紙には、太い線で通路が描かれていた。


 第一道標。曲がり角。二体のマッドクロー。第二道標。血痕を見つけた先。


 退避所そのものの位置は、管理側の小さな印だけで記されている。


「ここです」


 エルザが指す。職員が木炭で印を付けた。


「搬送布一枚、木棒二本、固定縄。松明金具も使いました」


「破損は?」


「見た限りありません」


「了解」


 職員は淡々と記録し、最後に紙をこちらへ向けた。三人で名前を書く。


 それだけだった。


 昨日の処置について詳しく聞かれることもない。俺たちから話す必要もなかった。


◆


 用件を済ませ、地下酒場へ降りる前に、階段脇の空いた卓へ座った。ここは広間より少し静かだった。階段を上り下りする足音と、受付側の声が壁越しにぼんやり届く。エルザが手帳を開く。


「盟約からも話を聞きたいと言われましたので、混ざらないようにしておきましょう」


「話す相手ごとに、ですか?」


「はい。セイさんには、能力について分かったことと、三人で決めた条件まで」


 ヴェラが頷く。


「盟約へは、昨日報告した依頼、戦闘、救助、設備の使用までですね」


「そうしましょう」


 エルザが一行書き加える。


「殺傷に使える可能性については?」


 ヴェラが尋ねる。筆先が一度止まった。階段の上から二人組が降りてきたため、俺たちは少し声を落とした。


「試していないことまで、こちらから広げる必要はないと思います」


「承知いたしました」


 エルザは周囲を確認してから手帳を閉じる。


「では、行きましょう」


◆


 地下酒場は、朝というより昼前の静けさだった。夜ほど人はいない。奥の卓では二人組が木杯を挟み、別の席では男が一人で遅い朝食を食べている。煮込みの匂いに、酒と古い木の匂いが混じっていた。


 厨房では包丁が一定の間隔でまな板を叩いている。セイはいつもの辺りにいた。灰銀の髪。木杯。


 卓の端には、小さな皿に木の実がいくつか残っている。俺たちを見つけると、片方の眉が上がった。俺とエルザを見たあと、その視線が隣のヴェラで止まる。


「そっちがヴェラかい?」


 ヴェラが背筋を伸ばした。


「はい。ヴェラと申します。初めまして」


「セイだ。坊やから名前は聞いてるよ」


「そうでしたか……坊や?」


 ヴェラが俺を見る。なんですかヴェラさん。セイの目が、ヴェラの右脚へ一度だけ落ち、すぐに戻った。


「で、今日は何の用だい」


「少し相談がありまして」


「その顔で言われると、ろくな話じゃなさそうだ」


 セイは空いた椅子を顎で示した。


「座りな」


 俺たちは卓を囲む。椅子を引く音が、静かな酒場では思ったより大きく響いた。エルザは手帳を出したが、まだ開かない。ヴェラも黙っている。


 セイが三人を順番に見る。


「また誰か死んだのかい」


「いえ。昨日、ダンジョンで大怪我をした人を見つけました。夜は越えたそうですが、まだ安心できる状態ではないそうです」


 俺は答えた。セイの指が木杯の縁で止まる。顔から軽い調子が消えた。


「それで?」


「その人を止血している時に、前に話した身体の中の流れが、かなりはっきり分かりました」


 セイの視線がエルザ、ヴェラを巡り、俺へ戻る。


「触ってた?」


「はい。右脚を直接圧迫していました」


「続けな」


 俺は一度、手のひらを見る。昨日は血で汚れていた手だ。今は何も残っていない。


「最初に、血を吸った布の上から新しい布を重ねて圧迫しました」


「うん」


「その時、一番強く血が流れている場所が分かったんです」


 セイの目が少し細くなる。木杯から上がっていた酒の匂いが、ふっとこちらへ流れてきた。


「場所まで?」


「たぶん、です。傷そのものが見えていたわけじゃありません。ただ、ほかより明らかに強い流れが一か所ありました」


「それで?」


「俺が位置を示して、ヴェラさんにそこへ治癒魔法を集中してもらいました」


 セイがヴェラを見る。ヴェラの両手は膝の上で静かに重なっていた。


「治ったのかい」


「すべては無理でした」


 ヴェラが答える。


「ノワール様が示した範囲へ集中し、一番強かった出血は抑えられたように見えました。ただ、その時点で私の魔力にも余裕がありませんでした」


「なるほどね」


 セイが木杯を卓へ置く。乾いた音が一つ鳴った。


「そのあとも、ほかの場所から出血が残っていました」


 圧迫していた時の感触を思い返す。布の向こうから押し返してきた流れ。


「それで……残っている流れが少し弱くなれば、と思いました」


 口にすると、昨日より妙に重く聞こえた。


「そうしたら、手の下で感じていた流れが弱くなりました」


「感じただけ?」


「外から見ても変わりました」


 エルザがそこで口を開く。手帳はまだ閉じたままだ。


「ヴェラさんが治癒魔法を使ったあとにも出血は残っていました。そのあと、ノワールさんが何かしたと話して、血の染み出しがさらに遅くなったことは私も確認しています」


 セイがエルザを見る。


「嬢ちゃんもその場にいたんだね」


「はい」


「ヴェラも?」


「はい」


 ヴェラが答える。近くの卓で木杯が置かれた。誰かの笑い声が一度だけ上がり、すぐに小さくなる。セイはそちらへ目を向けることもなく、声を少し落とした。


「他には誰が見てた?」


「負傷者本人は意識が弱く、何を見ていたかは分かりません。能力のことは救助班には話していません」


「治療する側には?」


「ヴェラさんが治癒魔法を使った場所と、圧迫を続けていたこと、途中から出血量が減ったことは伝えました」


 一度言葉を切る。


「身体の中の流れを感じたことや、俺が動かしたことは話してません」


「ギルドや、円卓、盟約、商会には?」


「話してません」


 セイはそこで木杯へ口を付けた。すぐには次を聞かなかった。


「じゃあ、今のところ中身を知ってるのは?」


「俺たち三人と、セイさんです」


「分かった」


 能力の名前も、どこまで動かせたのかも、セイはまだ聞かなかった。


 誰が知っているのか。


 まずそこだった。セイが木杯を置くのを待ってから、話を続ける。


「前に、身体の中の流れが分かるのは《授かり》かもしれないって話をしましたよね」


「ああ」


「今回も、感じる方は《授かり》かもしれないと思っています。ただ、水魔法と関係がないとも言い切れません」


「分からないんだね」


「はい」


「出血を弱めた方は?」


「水魔法です」


 セイの眉がわずかに動いた。


「そこは言い切るんだね」


「はい」


「根拠は」


「自分の血流を動かした時と同じように、場所が分かった血へ触れられたからです」


「水は出た?」


「外には出してません」


「魔法を使った時の手応えは?」


「強く消耗した感じはありませんでした。自分の血流を動かした時も、そこは同じです」


 セイはしばらく俺を見る。厨房から肉を焼く匂いが流れてきた。場違いなくらい腹の減る匂いだった。


「なるほどね」


「どう思いますか?」


「あたしが何でも知ってると思ってないかい?」


「そこまでは」


「あんたのことは、あんたにしか分からないよ。あたしのことだって、あたしにしか分からない」


 セイが木杯を卓へ置いた。


「名前が欲しいなら、熱心に聞いているそこのお嬢ちゃんにでもつけてもらったらどうだい?」


 セイがエルザを見る。それは勘弁してほしい。


「それに、それがどんな名前の力だろうが、今できることが変わるわけじゃないだろ?」


「……まあ、そうですね」


「なら、名前を当てることより先に考えることがあると思うよ」


 セイが俺を見る。


「それとも何か、どうしても正体を知りたい理由でもあるのかい?」


 エルザの指が、閉じた手帳の端で止まった。そう言われてしまえば、返せる理由はなかった。


「……いえ」


 俺が答える。少し遅れて、エルザも口を開いた。


「今は、ありません」


「なら、それでいいさ」


 セイの目が俺の手へ落ちる。


「読むだけじゃなく、流れへ触ったっていうなら、前より話は重い」


 エルザが手帳へ手を置いた。まだ開かない。


「危険だからですか?」


「危険にもできるだろうね。でも、それだけじゃない」


 セイは木の実を一つ指先で摘んだ。口へ入れず、卓の上で転がす。


「忘れたのかい? 止血に使えるって分かったら、次も頼まれる」


 短い言葉だった。木の実が小さく転がり、木杯の脇で止まる。


「一人助けた。次も同じような怪我人が来た。断ったらどうなると思う?」


「……前はやっただろう、と言われるかもしれません」


「そういうこと」


 セイは肩をすくめる。


「軍なら、戦場に連れて行きたいと思う奴もいる。治療所なら、いてほしいと思う奴もいる。悪気がなくてもね」


「助ける役目になる」


 エルザが言った。


「役目にされる、だね」


 セイが言い直す。エルザの視線が少し下がった。


「自分で選んでやるのと、できるんだからやれって言われるのは違う」


 以前聞いた話より、今の方が分かる。あの時は、自分の中だけにある変な感覚だった。今は実際に一人の出血へ使った。それだけで、使い道は増える。


「……俺たちで、使う条件は決めました」


「ほう? 聞こうか」


 セイが背もたれへ少し身体を預けた。


「他人へ使うのは、救命が必要な時だけです。圧迫や治癒を先にして、それでも危ない時だけにします」


「うん」


「確認のために人へ試さない。人を傷つける方向にも試さない」


「うん」


「使った時は、できれば二人にも対象と俺の様子を見てもらいます」


 セイが今度はエルザとヴェラを見る。


「二人とも、それでいいのかい」


「はい」


 エルザが答える。


「私も同意しております」


 ヴェラが続く。


「悪くない」


 セイはそう言ってから、木杯を指で回した。底に残っていた酒が薄く揺れる。


「ただ、決めた通りにならない時は来るよ」


 ドランの不愛想な顔を思い出した。一歩避けたところで止まれば、次が来る。稽古で何度も叩き込まれたことだった。


「救命なのか、戦闘なのか、考えてる暇がない時。そいつを助けるために、お前さんたちの誰かが危なくなる時」


 セイがヴェラへ視線を向ける。


「そういう時、三人で相談できるかい」


 ヴェラはすぐには答えなかった。視線を卓へ落とし、指先を一度重ね直す。


「できない場合も、あると思います」


「だろうね」


「その場合は、決めた条件から外れていることを声に出します」


「その後は?」


 ヴェラが俺を見る。答えを渡されたわけではない。俺は卓の上で、自分の手を開いた。昨日は、この手の下に他人の血の流れがあった。


 二人には、外から見えたことを教えてもらう。


 けれど、実際に手を出すのは俺だ。


「最終的に使うかどうかは、俺が決めます」


 セイは黙っている。


「ただ、二人が危ないのに、誰か一人を助けるためだけに使うとは決めません。その時の状況を見ます」


「それ以上は今決められません」


 エルザが言った。


「そうですね」


 俺も頷く。セイが木杯を持ち上げた。


「なら、今はそこまででいいんじゃないかい」


 正解だとは言わなかった。足りないとも言わなかった。そのまま一口飲む。


「一つ聞いてもいいですか」


「何だい」


「この話を、セイさんから誰かへ伝える必要はありますか」


「ないね」


 即答だった。


「あたしの頭の中にしか残らない」


「ありがとうございます」


「ただし」


 セイが木杯を少し持ち上げる。


「絶対安全だ、とは思うんじゃないよ」


「セイさんが喋るという意味ですか?」


「違う。あたしだって口を割らされない保証はないってことさ」


「その時は遠慮なく話してください。そこまで預けたつもりはありません」


 セイの口が笑みを作る。


「ならいい」


 張っていた空気が、少しだけ緩んだ。


「信用されてないねえ」


「信用してるから話しています」


「どんどん口が上手くなっていくね。口より剣の方を頑張りな」


 セイが鼻で笑った。エルザも手帳を開かないまま、少しだけ肩の力を抜いた。ヴェラも息を吐く。


◆


「もう一つ、昨日のことで」


 俺はギルドでもらった札を卓へ置いた。鎖の印が木目の上へ乗る。セイが見る。


「盟約か」


「救助設備を使った確認と、マッドクローが出た場所の再確認は済ませました」


「そうかい」


「管理部から、後日話を聞きたいとも言われています」


「三人に?」


「はい」


 セイは札を裏返し、表へ戻す。指先が札の端を軽く叩いた。


「能力のことは報告してないんだろ」


「はい」


「なら、今のところ結びつける理由はないね」


「俺もそう思っています」


「昨日みたいな管理ダンジョンじゃ、誰が入って、どこまで行って、何が起きたか残る。救助で途中から戻ってきた三人組なら、そりゃ名前も残るさ」


 怖がるような話ではない。同時に、何も考えなくていい話でもない。


「《鉄鎖の盟約》って、こういう管理をしているんですね」


「入口だけじゃないよ。危ない場所で、人を好き勝手に動かさないための仕組みを作るのが好きな連中だ」


「好き、なんですか」


「言い方だよ」


 セイが木杯を置く。


「助かる時もある。窮屈な時もある。それだけ覚えときな。あと、あたしは組織の奴らが好きじゃないってこともね」


「はい」


「面談に行くなら、昨日報告した範囲で話せばいい。聞かれてない秘密まで差し出す必要はない」


 エルザがそこで手帳を開く。今度は筆を持った。


「依頼、戦闘、救助、設備の使用。そこまでですね」


「いいんじゃないかな」


 ヴェラが尋ねる。


「三人で呼ばれた場合、三人で伺って問題ないでしょうか」


「向こうが三人を呼んでるなら、三人で行けばいいさ」


「承知いたしました」


「断ることもできるって書いてあるんだろ?」


「はい」


「なら、札を見てから決めるといいさ」


 それ以上、《鉄鎖の盟約》については聞かなかった。俺たちは卓を立った。椅子を戻すと、脚が石床を短く擦る。


「ありがとうございました」


「礼はいいよ」


 エルザの髪の近くからリンが浮かび出た。白い光が卓を横切り、そのままセイの持つ木杯へ近づく。


「飲むかい?」


 ちりん。


 リンはひと鳴きしたあと、ふわりとエルザの髪の近くへ戻った。セイが木杯を見て、少し笑った。階段へ向かう。地上から差し込む光が、一段ずつ足元へ近づいてくる。


 後ろでセイが木杯を置く音がした。


◆


 地上へ戻ると、朝より人が増えていた。受付前には新しく戻ってきた冒険者が並び、土や革の匂いが広間へ持ち込まれている。俺たちも人の流れを避けて出口へ向かう。その途中で、ミラに呼び止められた。


「ノワールさん」


「はい?」


「ちょうど良かったです。さっき、追加の連絡が届きました」


 ミラが差し出したのは、乾いた厚紙の札だった。端に鎖の印。エルザとヴェラも横から覗く。周りでは依頼票を読み上げる声や硬貨を数える音が続いているのに、目の前の札だけが妙に静かに見えた。


 内容は短い。《鉄鎖の盟約》管理部より、〈コンパス〉三名へ面談を求めること。日時。場所。


 応じるかどうかは任意であること。


「明日ですね」


 エルザが言った。


「はい」


 ヴェラが最後の行を見る。


「担当者名があります」


 俺も目を落とした。面談担当。リベルト。《鉄鎖の盟約》代表の名だった。


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