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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第三章 自分たちの歩幅

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第61話 名前のない手応え


 石段を上がるにつれて、白い光が広がっていった。最後の段を越える。昼の風が頬へ当たった。地下の湿った空気が、まだ服に残っている。


 前を行く担架は止まらない。


「こっちだ!」


 入口脇で待っていた男が手を上げた。その向こうには、屋根だけを張った簡素な救護場所がある。長椅子と水桶、包帯や布を置いた棚。奥には荷車が一台、横付けされていた。


 救助員たちがハルトの担架を運び込む。俺たちは邪魔にならないところで足を止めた。中から治癒師らしい女性が出てきた。


「圧迫は継続してる?」


「継続中。右の大腿、深い裂傷。意識はあるが反応は鈍い」


 救助員が答える。


「出血は?」


「完全には止まってない」


「分かった。そのまま」


 女性は担架の横へ入り、布を剥がさず周囲を確認した。すぐに別の者へ声を飛ばす。


「西へ回す。馬車を出して」


「はい」


 ここで終わりではない。でも、俺の手を離れた。治療を続けられる人間へ引き継げた。ミックは担架のそばを離れなかった。


 邪魔にならないよう何度か位置を変えながら、それでもハルトの顔が見えるところにいる。治癒師が俺たちの方を見た。


「最初に押さえていたのは?」


「俺です」


「布を重ねた?」


「はい。元の布は剥がしてません」


「ほかに処置は?」


「一番出血が強いと思った場所へ、ヴェラさんが治癒魔法を使っています。その後も出血が残ったので、圧迫は続けました」


 女性の目がヴェラへ向く。


「どの辺り?」


 ヴェラが俺を見る。俺が右大腿の位置を示した。


「この辺りです」


「分かった。圧迫していた時間は?」


 地下での時間を思い返す。


「正確には分かりません。発見してから、救助班へ交代するまでずっとです」


「止血帯は?」


「使ってません。途中から血の染み出しは遅くなりましたが、圧迫は外してません」


「分かった」


 それ以上は聞かれなかった。身体の中の流れを感じたことまでは言わない。今必要なのは、外から確認できた経過だ。担架が荷車へ移される。


 ミックも一緒に乗り込んだ。


「ハルト!」


 呼ばれて、ハルトのまぶたがわずかに動いた。それを見てから、ミックが俺たちへ頭を下げる。


「本当に、ありがとうございました」


「いえ」


 俺は首を振った。


「白墨の印と書き置きがなかったら、見つけるのにもっと時間がかかってました」


 ミックは一度だけ目を閉じた。


「……あれに気づいてくれたんですね」


「はい」


 少なくとも、俺たちはあれで辿り着けた。荷車が動き出す。車輪が土を噛み、門の外へ向かっていった。


 西の大聖堂の治療所へ運ぶらしい。


 姿が小さくなるまで見送っていると、横からガイルの声がした。


「三人とも、札」


「あ、はい」


 エルザが先に木札を出した。ヴェラも続く。俺も荷袋から取り出す。ガイルは三枚を順番に受け取り、入口脇の台帳を開いた。


「第二道標までだな」


「はい」


「第三道標には行ってません」


 エルザが答える。


「灰苔も未採取です」


「分かってる」


 ガイルは札の二つの打刻を見て、台帳へ何か書き込んだ。


「救助で中断。依頼は未完了扱いだ」


「はい」


「罰則はなし。第三道標以降は別の組へ回す」


 淡々とした声だった。


「第二道標の白墨も直せていません。途中でマッドクロー二体と遭遇しています」


「場所は?」


 エルザが手帳を開く。


「第一道標から第二道標へ向かう途中の曲がり角です。一体は低い位置から、もう一体は壁の高いところから来ました」


 ガイルが地図を広げ、指で道を辿る。


「ここら辺だな。死体は?」


「二体ともその場です」


「あとで回収する」


 ガイルが記録する。


「ほかは」


「第二道標の先で血痕を見つけて、その先でハルトさんを発見しました」


「よし」


 筆が止まる。


「今日は終わりだ。装備を見てから帰れ」


「ありがとうございます」


 木札は返ってこなかった。入口の箱へまとめて入れられた。初めてのダンジョンは、第三道標まで届かなかった。灰苔も持って帰っていない。


 代わりに、剣の汚れと盾の傷、それからエルザの手帳の記録が増えていた。救護場所の水桶を借り、手についた血を洗い流した。


◆


 入口から少し離れた休憩場所で、俺たちは装備を下ろした。丸太を削っただけの長椅子が二つある。屋根はあるが壁はなく、風が抜けるたび地下で湿った服が冷えた。エルザは最初に外套を外した。


「……また汚しました」


 黒い布の裾に、ハルトを運んだ時についた泥が残っている。


「でも、おかげでハルトさんの身体を冷やさずに済みました」


「……そうですね。汚した甲斐がありました」


 エルザが布を広げて確認する。リンが髪の近くから浮かび、外套の端へ降りた。


 ちりん。


「『よごれた』だそうです」


「リンが綺麗にしてくれますか?」


 ちりん。


「『できない』」


「でしょうね」


 俺が返答した直後から、リンが俺の周りを飛び回り、ちりんちりんと鳴り続ける。うるさい。無視だ。エルザが俯き、肩を震わせながら外套を軽く払った。


 少し離れたところで、ヴェラは不思議そうにこちらを見ながら、盾の縁を指でなぞっている。マッドクローの爪が掛かったところに、細い傷が残っていた。


「ヴェラさん、肩と右脚はどうですか?」


「どちらも問題ありません」


 ヴェラは一度、自分の右手を見た。


「魔力はかなり使いましたが、歩くのに問題はありません。帰る前に脚具も締め直します」


「分かりました。無理があったら言ってください」


「はい」


 俺も剣を抜かずに鞘の外側を確認した。血はついていない。柄頭には、マッドクローを殴った時の汚れが残っている。あとで落としておこう。


「ノワールさんは?」


 エルザが言った。


「俺?」


「はい」


 手帳を膝へ置く。


「具合は悪くないですか?」


 言われて、自分の身体を確認する。


「はい。特には」


「魔力を使いすぎた感じは?」


 ああ。そういうことか。息苦しさはない。頭痛もない。


 手の震えもない。


「それもないですね」


 操作した血液量は少ない。そのせいか、川で何度も水を動かした時のような消耗感はなかった。


 それでも、血の染み出しが遅くなったのは確かだ。俺にも、流れが弱くなった感触があった。


「記録します」


 エルザが手帳へ書き込む。


「本人の自覚症状なし。強い魔力消耗感もなし」


「そんなに細かく書くんですか?」


「分からないからです」


 即答だった。


「曖昧なことを残すより、起きたことを残した方がいいです」


「確かにその方が良いですね」


 エルザは一行書いてから、顔を上げた。


「さっきのことも、書いていいですか?」


 俺は周囲を見る。近くにいるのは俺たちだけだ。少し離れた入口では、ガイルたちが次の組と話している。


「手帳を誰かに見られることは?」


「そのまま人に見せることはありません。必要なら、その部分だけ別にします」


「じゃあ、お願いします」


 エルザが頷いた。


「見えたことだけにします」


 筆先が紙へ触れる。


「ヴェラさんが治癒魔法を使ったあとにも出血が残っていたこと。そのあと、ノワールさんが何かしたと話したこと。血の染み出しがさらに遅くなったこと」


「それでお願いします」


 エルザが数行を書き足した。少しして、筆が止まる。


「……本当に、水魔法なんでしょうか」


「疑ってます?」


「少しだけです」


「俺は水魔法だと思ってます」


「分かりました。そこはノワールさんの認識として書きます」


 エルザがもう一行だけ書き足した。


「それにしても」


「はい?」


「血の流れには触れられるのに、氷はまだ上手く作れないんですね」


「……そこ比べます?」


「同じ水魔法なのでしょう?」


「そうですけど」


「なら、不思議だなと思っただけです」


 エルザは何事もなかったように手帳へ視線を戻した。なんとなく話を逸らされた気もするが、氷が上手く扱えていないのは事実だった。


「そういえば、ヴェラさんにはちゃんと話してませんでした」


 ヴェラが盾から顔を上げる。


「何でしょうか」


「魔獣がいるのを感じたり、身体の中の流れを感じたりする方は、《授かり》かもしれないと思ってます」


 ヴェラの目が少し大きくなる。


「《授かり》……ですか?」


「まだ確定じゃないですけど」


「本当にあるのですね……」


 ヴェラは小さく呟いた。確定じゃないんだってば。エルザは手帳を見たまま、少し間を置いてから口を開く。


「そういえば、セイさんが言っていた、私に話していないことって、この感覚のことですか?」


「ああ、はい。これです」


「そうでしたか」


 エルザはそれ以上尋ねなかった。ヴェラが俺とエルザを見比べる。


「セイさんという方は、以前お話に出ていた方ですね」


「はい。俺と同じ落人です。前に、この感覚について相談しました」


 ヴェラは頷いた。


「では、感じる方と、先ほど弱めた方は別なのですね」


「今は、そう考えてます」


「分かりました」


 ヴェラは盾を脇へ置いた。


「一つ、決めておいた方がよろしいことがあります」


「何でしょう」


「次に同じことが起きた場合です」


 ヴェラは俺の手を見る。


「今回のように、誰かの身体の流れへ触れることを、どこまで行うのか」


 返事をする前に、ハルトの脚を思い出した。


 布へ広がっていく赤。手の下にあった流れ。少し弱く、と考えた時の感触。流れは変わった。外から見ても、出血は減った。


 だからといって、次もやっていいとは言えない。


「人で試すのは、やめておきます」


 エルザが手帳から目を上げる。


「確認のためでもですか?」


「はい、危険です」


「自分で試すのは?」


 少し考える。


「自分になら、今まで通り無理のない範囲で。ただ、他人には試したくないです」


 水桶で洗った手を見る。確かめるためだけに、別の誰かの身体へ触れる気にはなれなかった。一呼吸置いて言葉を続ける。


「そもそも使えるからといって、積極的に使う気もありません。今は剣術と氷を作るので精一杯です」


 エルザの筆が一瞬止まった。


「……氷は頑張ってください」


「さっきからそこだけ厳しくないですか?」


「事実ですよね?」


「はい」


 ヴェラが小さく笑った。そのあとで、ヴェラが頷く。


「では、他者へ行うのは救命が必要な場合だけ、というのはいかがでしょうか」


「それがいいと思います」


 俺も頷く。


「普通の処置で間に合うなら、そっちを先にします。今日みたいに圧迫や治癒をして、それでも危ない時だけ」


 エルザの筆が動く。


「救命が必要な時だけ。他人での検証はしない」


「はい」


「人と戦う時には?」


 今度はすぐに答えられた。


「使いません」


 ヴェラがこちらを見る。


「危険な相手でも?」


「少なくとも、今は――」


 人の血の流れが分かる。少し弱められる。もし逆に強くできたら。もし止められたら。


 考え方次第で、救命とは反対のこともできる。そこまで試す気はなかった。


「人を傷つけるためには使わないです」


「承知いたしました」


 ヴェラはそれだけ答えた。エルザの筆が紙を走る。


「救命が必要な時だけ。他人での検証はしない。人を傷つける目的では使わない」


「あと」


 俺はエルザの手帳を見る。


「もし使うことがあったら、俺だけで判断しない方がいいかもしれません」


 俺には、流れが変わった感触があった。


 でも、それだけなら俺の感覚だけだ。


 実際に外から見て血の染み出しが減ったと教えてくれたのは、エルザだった。


「使った時は、二人にも外から見てほしいです。相手と、俺の両方を」


「分かりました」


 エルザが新しい行を足す。


「同行者が対象とノワールさん、両方を確認」


 ヴェラも頷いた。


「なんだか規則が増えてきましたね」


「増やした方がいいものだと思います」


 エルザが言った。リンが手帳の端へ移った。


 ちりん。


 エルザが耳を傾ける。


「『なに?』って聞いてます」


「説明が難しいですね」


「私もまだ分かってません」


 エルザはリンへそう答えてから、手帳を閉じかけた手を途中で止める。


「あと一つ。このことは誰まで話しますか?」


 ヴェラが先に俺を見た。外へ広げないことは、戻る途中で決めた。でも、誰にも話さないままにするのも違う。


「前に話したセイさんには伝えたいです」


 俺は答えた。


「血の流れを感じることについて相談した相手ですし、《授かり》の可能性を教えてくれたのもその人です」


 ヴェラが頷く。


「その方以外には?」


「今は二人と、その人までで」


「承知いたしました」


「私もそれでいいと思います」


 エルザが答える。


「ただ、セイさんへ話す時も、分かったことと分からないことは分けましょう」


「はい」


 俺は自分の手を見る。血はもう洗い流してある。何も残っていない。


 それでも、ハルトの身体の中を通っていたあの流れは思い出せた。


「これ、何て書いておきます?」


 エルザがもう一度手帳を開いた。


「血流操作?」


「それだと、できることが決まったみたいじゃないですか」


「確かに」


「水魔法の応用?」


「エルザさん、さっき疑ってましたよね」


「ちょっと現実的ではない気がして」


 今更何を言っているんだ。少し笑ってしまった。


「じゃあ、まだ名前はいらないんじゃないですか」


 エルザはしばらく紙を見ていた。それから、見出しを書こうとしていた場所を一行だけ空けた。その下へ、今日起きたことを短く書き足していく。俺は濡れた鞘を布で拭いた。


 ヴェラは固定帯の留め具を締め直す。入口では、次の冒険者たちへガイルが木札を配っていた。少しして、エルザが手帳を閉じた。


「帰りましょうか」


「そうですね」


「承知いたしました」


 俺たちは装備を持ち上げた。


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