第55話 任される盾
翌朝。
昨日決めた通り、朝から冒険者ギルドへ足を運び、依頼票を一枚選んだ。俺たちはそのまま王都外縁へ向かった。今日受けたのは、円卓保護区画から円卓の提携治療所まで、物資と人員を移送する仕事だ。
「あちらですね」
エルザが指した先に、低い木柵で囲まれた一角が見えた。円卓保護区画。木造の簡易宿舎が整然と並び、敷地内には共用の炊事場と物干し場がある。炊事場からは煮込みと木煙の匂いが流れ、乾きかけた洗濯物が風に擦れていた。
壁の掲示板には、配給の時刻や仕事の斡旋表が貼られている。その前では、年老いた男が配給表を黙って目で追っていた。見張りはいるが、威圧するような様子はない。少なくとも、生活に必要なものが用意されていることは見て取れた。
「〈コンパス〉の皆さんですね。お待ちしていました」
案内所の小さな事務所から、一人の女性が出てきた。二十代後半ほどに見える。胸元には円卓の徽章があり、手には書類を挟んだ木板を持っていた。
「実務を担当するレティアです。本日は提携治療所まで移送の補助をお願いします。移送するのはこちらの薬品箱と生活物資、それから保護対象のイオさんです」
事務所の影から、若い男が出てきた。二十代前半ほどに見える。顔色は少し白く、身体の線も細いが、自力で歩くことに問題はなさそうだった。隣には、付き添いとして荷車を押す同年代の男がいる。
イオの首元には、紐を通した小さな木札が下げられていた。表には名前と、円卓の管理番号らしい印が刻まれている。
「〈コンパス〉のノワールです。よろしくお願いします。こちらはエルザさんとヴェラさんです」
俺が挨拶し、エルザとヴェラが頭を下げる。イオも小さく頭を下げた。
「イオです。今日はよろしくお願いします」
「よろしくお願いします。……失礼ですが、顔色が優れませんね。大丈夫ですか?」
「ええ、お気遣いありがとうございます。これでもずいぶん楽になったんです。ここに入ってから、薬を切らさずに済むようになったので」
「移送経路は街道から旧水路沿いです。前夜の雨で、水路脇の柵が一部倒れています。足元に注意してください」
「承知いたしました」
ヴェラが応じ、丸盾の位置を確かめた。手帳に何か書き込んでいるエルザの髪から、ふわりとリンが浮かぶ。
「おお……これが噂の精霊ですか。縁起が良さそうですね。安全な移動になりそうだ」
イオが笑顔を見せる。
残念ながらリンにそんな効果はないと思う。
◆
荷車を間に挟み、一行は旧水路沿いの街道を進んだ。俺が先頭に立ち、荷車の右側、水路寄りにヴェラ。エルザが左後方につき、その後ろをレティアとイオたちが進む。ここ数日で合わせてきた隊列を守りながら進む。
道が狭くなればヴェラが声をかけ、俺が内側へ寄る。エルザも後方の位置を補正する。しばらく進むと、増水した旧水路が見えてきた。
濁った水が音を立てて流れ、水路沿いの木柵が長く外側へ倒れている。飛沫が石畳まで届き、苔の表面を鈍く光らせていた。濡れた石は足裏へわずかに滑り、荷車の右輪も水路へ寄りやすい。
「右側の柵が欠損しています。荷車を左へ寄せてください」
「了解です。荷車を左へ。歩幅を詰めます」
一行で慎重にぬかるみを進む。
その時、水路から何かが這い上がる音がした。ザザッ、と濡れた鱗が石を擦る。続いて、太い爪が石畳をガリ、ガリ、と引っ掻いた。水面から姿を現したのは、大きな蜥蜴に似た小型魔物だった。
鈍い灰色の鱗。太い爪。
「グレイリザードです!」
レティアが声をあげた。続けて、さらに二体が水路から這い上がった。一体は荷車の右輪へ。もう一体は水路沿いを回り込み、右後方のイオたちへ向かう。
残る一体は、正面寄りから回り込もうとしていた。
「右側、二体です! 一体は荷車、一体は後方へ回ります!」
ヴェラの声が飛ぶ。
「荷車を止めてください!」
後ろで車輪の音が止まった。右側の二体は、ヴェラに任せられる。俺が正面を止めれば、エルザはイオたちを守れる。
「右側は、ヴェラさんに任せます! 俺は正面を止めます! エルザさんはイオさんたちを中央へ!」
ヴェラの表情が一瞬固まった。
「……承知いたしました。右側を引き受けます!」
「荷車は、そのまま動かさないでください!」
ヴェラが後方へ声を飛ばす。
「皆さん、こちらへ。荷車から離れてください!」
エルザがイオたち三人を中央へ誘導する。右側の空間が開いた。ヴェラは軽量中型丸盾を斜めに構え、荷車へ飛びかかった一体の鼻先を盾の縁で打った。
ガン、と硬い音が響く。
突進の軌道が逸れ、グレイリザードが水路の縁へ押し戻された。右後方へ回ろうとする二体目には、短槍を低く横へ出し、進路を塞ぐ。俺は正面から寄ってきた三体目へ剣を向けた。斬り込まず、剣先と足運びで進路を切る。
グレイリザードは一度身体を低くしたが、こちらへ踏み込めず、エルザがイオたちを中央へ寄せる間もその場に留まった。エルザはイオたち三人の前に立ち、短剣を構えたまま警戒を続けていた。俺がさらに一歩詰めると、三体目は向きを変えて水路へ滑り落ちた。右側では、二体目が荷車の下へ潜り込もうとしていた。
ヴェラは丸盾の縁で個体の胴を押し出し、短槍の柄で水路側へ払った。ドブン、と濁った水が跳ねる。先に押し戻された一体も、防衛線を越えられないまま水路へ戻った。
「右側、安全を確認しました!」
ヴェラの声が、水音の中を通った。
◆
追撃はしない。その場で周囲を警戒し、全員の状態を確認する。
「怪我はありませんか」
「問題ありません。荷車と物資にも損傷はありません」
エルザが答えた。イオはヴェラの丸盾の後ろで息を整え、頭を下げる。
「助かりました。ありがとうございます」
「いえ。任されたことをしただけです」
ヴェラは丸盾を下ろした。
「右脚や腕に無理はありませんか」
「痛みの増加はありません。皆様にも負傷はなく、荷車にも損傷はありません」
レティアは周囲を確認し、報告書へ書き込んだ。
◆
昼過ぎ、俺たちは円卓の提携治療所へ到着した。薬品箱と生活物資を引き渡し、イオたちの到着も確認してもらう。イオの様子に大きな変化は見受けられない。治療所の職員へ、移送中に小型魔物の接近があったことと、負傷がなかったことを伝えた。
引き渡しが終わると、イオが俺たちへ向き直った。
「ありがとうございました。おかげで無事に到着することができました」
そう言ってから、首の木札へ触れる。
「……一人で来られたら、もっと楽なんですけどね」
レティアが報告書をまとめながら言った。
「今日のようなこともありますから、今の状態では付き添いなしの移動は認められていません」
イオは無言で頷き、木札の紐を指で弄った。朝には、保護区へ入ってから薬を切らさずに済むようになったと言っていた。レティアはそれ以上言わず、報告書へ目を戻した。
◆
夕前、依頼完了の報告を済ませ、俺たちは〈鈍色亭〉へ戻った。一階の食堂で、エルザが手帳を開く。
移送経路。倒れた柵。グレイリザード。
そして、今日の連携。
「右側を任された時は、迷いませんでしたか」
俺が尋ねると、ヴェラは覗き込んでいた手帳から顔を上げた。
「……守る範囲が決まっていましたので、迷いませんでした」
「右側だけだったからですか」
「はい。右側から荷車の内側へ越えさせなければいいと分かっていました」
エルザが羽ペンを走らせる。紙面には、短く記録が残った。右側防衛をヴェラへ委任。追加指示なし。
ヴェラはその一行を読んだ。エルザが手帳を閉じる。食堂の奥から、鍋の蓋が触れ合う音がした。




