第50話 運ぶ仕事
翌朝、食堂へ下りると、俺たちの席の背へ黒い外套が掛けられていた。
「乾いたから縫っといたよ」
厨房から出てきた女将が、それだけ言って皿を置く。エルザが外套を手に取った。肩口に残っていた裂け目には、裏から革が当てられている。縫い目は細かく、少し離れれば傷んだ場所も目立たない。
「ありがとうございます」
「裁縫代はノワールの宿代に上乗せしておくよ」
「そんな」
女将は心底呆れた目を向けた。
「……そのくらい『払います』って言いなよ……カッコつける機会をあげたのに」
「次からは先に教えておいてください」
「次はないよ」
「そんな」
向かいでエルザが外套を肩へ掛けながら、小さく笑っている。
「何です?」
「何でもありません」
その髪の脇から、白い雫が少し覗いた。
ちりん。
「『なんでもない』だそうです」
聞く前に教えてくれた。怪しい。
「絶対違うでしょう」
白い雫は髪の中へ引っ込んだ。
「今日は、普通の依頼を探しましょうか」
「はい」
ヴェラが頷く。
「歩くものであれば問題ありません。ただ、途中で一度休憩を取らせてください」
「もちろん」
昨日、大聖堂で診てもらったからといって、脚そのものが急に変わったわけではない。
それでも、ヴェラが自分から必要な休憩を言えるなら、それでいい。朝食を済ませ、三人で冒険者ギルドへ向かった。
◆
掲示板の前には、朝から何人かの冒険者が集まっていた。討伐や採取、見回り、荷物の護送。いつものように依頼票を眺めていると、エルザが一枚を指した。
「これはどうでしょう」
「荷運び?」
王都の商家から、街道沿いの荷継ぎ所まで生活物資を運ぶ仕事だった。荷車は先方が用意。荷の積み込みも倉庫側で行う。こちらの仕事は、荷を崩さず届け、受領の木札を持ち帰ること。
「魔物が出た時は?」
「危険を感じた場合は荷を置いて退避して構わない、とあります」
エルザが依頼票を読み上げる。
「荷物より人命優先ですね」
「そのようです」
ヴェラも票を覗き込んだ。
「道中の休憩も取りやすいと思います」
「では、これにしましょうか」
「はい」
受付へ持っていくと、ミラが依頼票を受け取った。
「今日は荷運びですか」
「ええ。三人でこれに決めました」
ミラは依頼票へ目を戻した。
「荷は北門近くの倉庫で受け取ってください。道は難しくありません。ただ、昨日までの雨で轍が深くなっているところがあります。荷車の片輪を落とさないようにしてください」
「分かりました」
「あと、油壺が入っています。割ると当然、依頼主が嫌な顔をします」
「それは避けたいですね」
「こちらとしても避けてほしいです」
木札を受け取り、ギルドを出る。
「油壺だそうですよ」
「ノワールさん、お願いします」
エルザが当然のように言った。
「何をです?」
「荷車です」
「俺なんですね」
「私が押しても構いませんけど」
「いえ、俺が押します」
エルザが少しだけ口元を上げた。たぶん、最初からそのつもりだった。
◆
北門近くの倉庫には、すでに荷が並べられていた。穀物や乾燥豆の袋、巻かれた布、細長い木箱、それに縄の束。藁を詰めた木枠の中には、口を布で塞いだ油壺が収まっている。
「これ全部ですか」
「全部だ」
倉庫番の男が荷札を一枚ずつ確認しながら答えた。
「重いのは下。油は真ん中。布は上。向こうで崩れてたら積み方のせいにされるから、出る前に見といてくれ」
「分かりました」
荷車へ積み終わると、エルザが荷札と数を照らし合わせる。ヴェラは反対側へ回り、荷台の横から縄を見る。
「こちらが少し緩く見えます」
「どれです?」
俺が覗き込む。
「下の袋を押さえているものです」
引いてみると、確かに反対側より少し遊びがあった。
「締め直しておきましょう」
縄を引き、結び目を作り直す。エルザが手帳へ何かを書いた。
「それも記録するんですか?」
「出発前に締め直した箇所は書いておいた方がいいかと」
「もし緩んだら、俺の責任が記録に残るわけですね」
「事実が残るだけです」
「エルザさんかヴェラさんが締めてくれませんか?」
「遠慮しておきます」
「ノワール様、代わります」
ヴェラが真に受けてしまった。
「冗談です。責任を持って俺が締めさせていただきます」
倉庫番が鼻で笑った。
「仲いいな、お前ら」
三人で顔を見合わせた。
「そう見えます?」
「見えるよ」
倉庫番はそれ以上興味を失ったように、次の荷へ向かった。責任を持って締め終えた俺は、荷車の取っ手を握る。
「では、行きましょうか」
「はい」
「お願いします」
車輪が石畳の上で、ごろりと音を立てた。
◆
北門を抜けると、道はすぐに土へ変わった。荷車を押すたび、車輪が浅い轍を拾う。乾いた場所では軽いが、雨水の残ったところへ入ると急に重くなった。
「これは、思ったより腕に来ますね」
「代わりますか?」
エルザが横から言う。
「まだ大丈夫です」
結構辛い。でもまだ無理ではない。
「そう言うと思いました」
「信用されていると捉えていいんでしょうか?」
「信用してますよ。だから、疲れるまで押すと思っています」
「……それは信用なんでしょうか?」
少し前を歩いていたヴェラが振り返る。
「次の木陰で、一度休ませていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんです。是非そうしましょう」
助かった。道の先に、大きく枝を張った木が見えている。そこまで進み、荷車を道端へ寄せた。車輪止め代わりに石を噛ませる。
ヴェラは丸盾を外さず、木陰へ腰を下ろした。
「脚はどうです?」
「痛みはありません。ただ、同じ歩幅が続くと右脚が重くなります」
「分かりました」
エルザが手帳を開きかけて、止まる。
「これは書かないんですか?」
「聞けば済むことまで毎回書く必要はありません」
「なかなか基準が難しいんですね」
「必要なら書きます。ノワールさんの女性の好みなら毎回書きますよ?」
そう言ってエルザがこちらを見る。嫌な記憶が蘇った。
「……もう勘弁してください……」
ヴェラが俺たちを見て、小さく笑った。
「私は、必要でしたら何度でも申し上げます」
「それが一番助かります」
休憩を終え、また荷車を押す。さらにしばらく街道を進み、日が高くなった頃、街道脇に低い建物が見えてきた。
旅人向けの休憩所らしい。
軒先には長椅子と粗い木卓が並び、湯気の上がる鍋が置かれている。
「ここで昼にしましょうか」
「賛成です」
エルザの返事が少し早かった。
「お腹空きました?」
「時間的に妥当だと思っただけです」
そういうことにしておこう。荷車を脇へ寄せる。その時だった。後ろで、木箱が小さく鳴った。
「ん?」
振り返ると、上に積んでいた布の束が僅かに傾いている。下の袋も少し寄っていた。縄へ手を伸ばすより先に、横から別の手が入った。
「そこ引くな」
「え?」
「今そっち締めると、反対へ寄る」
低い声だった。男が荷台へ片手をつき、もう一方で縄の途中を持ち上げる。日に焼けた手は指の節が太く、袖口も擦れて毛羽立っていた。
「一回緩めろ」
言われた通りに手を離すと、男は荷の下へ指を差し込んだ。
「袋がこっちへ寄ってる。先に戻せ」
「こうですか?」
「もう少し」
押し戻す。男は荷の形を横から眺め、縄を引いた。手早く輪を作り、別の位置へ掛け直す。最後に一度だけ強く引いた。
「これでいい」
「ありがとうございます」
「割れ物入ってんだろ」
「分かるんですか?」
「揺れ方でな」
男が手を離す。休憩所の卓から声が飛んだ。
「トッド、他人の荷まで触ってんじゃねえよ」
「落ちたら道塞ぐだろ」
「そこまで崩れねえよ」
「お前の積み方なら崩れる」
卓にいた三人の男が笑った。どうやら知り合いらしい。
「トッドさん、ですか」
「ああ」
「荷運びをしていたんですか?」
トッドは荷台をもう一度だけ見た。
「昔な」
「やっぱりそうでしたか」
「見りゃ分かるだろ」
それだけ言うと、彼は卓へ戻っていった。エルザが荷台へ近づき、結び直された縄を見る。
「早かったですね」
「俺が締めた時より綺麗ですね」
「比較対象がノワールさんで良いのでしょうか」
「ひどい」
ヴェラも縄へ触れる。
「先ほどより、左右の張りが揃っています」
「ヴェラさんまで」
「ノワール様すみません……でも、事実です」
エルザが頷いた。
「事実ですね」
俺は無言で休憩所へ入る。空いている卓を一つ借りた。鍋には豆と刻んだ野菜が煮込まれている。パンと一緒に頼むと、木椀へたっぷり盛られた。
エルザは並んでいた焼き菓子へ一度視線を向けた。
「焼き菓子食べます?」
「見ただけです」
「一つ頼みましょうか」
「ノワールさんが食べたいのでしたら」
「では二つ」
「一つで十分です」
すぐ返ってきた。
「俺と半分にします?」
「……それなら」
「ヴェラさんはどうしますか?」
「食べたいです」
「では、やっぱり二つですね」
注文を追加する。髪の近くでリンが、ちりんと鳴った。
「リンも欲しいですか?」
エルザが聞く。
ちりん。
少し間が空く。
「『いらない』だそうです」
「昨日は女神像を食べてましたからね」
ヴェラが真面目な顔で言う。俺とエルザが同時に彼女を見る。
「どうされました?」
「いえ」
「何でもありません」
向こうの卓では、トッドたちが食事をしていた。
「それ、お前が払えよ」
「なんでだ」
「昨日俺が出しただろ」
「酒の分まで入れてるからだろうが」
「飲んだのはお前もだろ」
「一杯しか飲んでねえ」
声は大きく、品が良いとも言い難い。だが、店の主人は気にする様子もなく、別の客へ鍋を運んでいる。トッドが懐から小さな革袋を取り出した。中の銅貨を卓へ並べる。
「豆煮四つとパン。これで足りるだろ」
「肉は?」
「食いたきゃ自分で払え」
「けち」
「金ねえ奴に言われたくねえ」
一人が笑いながら銅貨を追加した。その間に、トッドの目がこちらへ向いた。俺たちではなく、荷車の方だった。荷台の側面に吊るした荷札へ目が止まる。
すぐに卓へ戻った。荷運びをしていたなら、他人の荷でも気になるのかもしれない。
「ノワールさん」
「はい?」
エルザが焼き菓子を半分に割っていた。
「大きい方、どうぞ」
「いいんですか?」
「はい」
見ると、差し出された方が明らかに小さい。
「……エルザさん」
「何でしょう」
「逆では?」
「気のせいです」
「そうですか。目の錯覚ですかね」
「そうです」
俺は小さい方を受け取った。ヴェラは焼き菓子を美味しそうに食べていた。向こうで、また男たちの笑い声が上がった。
◆
休憩所を出る前に、荷をもう一度確認した。トッドが締め直した縄は動いていない。
「これなら大丈夫そうですね」
「はい」
「では行きましょう」
荷車を道へ戻す。休憩所の前を通る時、トッドたちはまだ卓にいた。
「さっきはありがとうございました」
声を掛けると、トッドが片手だけ上げた。
「落とさないように運べよ」
「次からあの縛り方を真似しますね」
「勝手に真似しろ、わざわざ言わなくていい」
「ありがとうございます」
隣の男が笑った。
「トッド、お前にも真似されるようなとこあったんだな」
「うるせえ」
それ以上は話さず、俺たちは街道を進んだ。
◆
午後になると、道は少しずつ平らになった。荷継ぎ所は、街道が二つに分かれる手前に建っていた。大きな屋根の下に何台もの荷車が並び、人が忙しそうに荷を積み替えている。
「冒険者ギルドからです」
受領担当の男へ木札を渡す。
「倉庫からの荷だな。こっちへ寄せてくれ」
指定された場所へ荷車を入れた。エルザが荷札を読み上げ、男が一つずつ確認していく。
「豆、二袋」
「ある」
「布、三束」
「ある」
「油壺」
木枠を開く。中の壺は割れていなかった。
「無事ですね」
思わず声が出た。
「一番心配してましたからね」
エルザが言う。
「ミラさんに嫌な顔をされたくないので」
「依頼主ではなく?」
「もちろんそちらもです」
最後に縄の束と金具を確認し、受領済みの木札を受け取る。
「全部揃ってる。ご苦労さん」
「ありがとうございます」
荷を下ろし終えると、荷車が急に軽く見えた。俺は残っていた縄を外していく。朝、自分で締め直したところは少し緩んでいた。別の箇所も、荷を下ろす前には僅かに遊びが出ている。
最後の一本へ手を掛ける。昼にトッドが結び直した縄だった。結び目は、最後まで動いていなかった。指を入れ、少し力を掛ける。
固い。
「ほどけません?」
エルザが横から覗いた。
「いや、ほどけます」
縄を緩め、結び目を解く。丸めて荷台へ置いた。ヴェラが空になった荷車の脇へ立つ。
「帰りは軽そうですね」
「行きよりは楽ですね」
「では、途中の休憩は一度で大丈夫だと思います」
「分かりました」
エルザが受領の木札を手帳へ挟む。
「これで全部ですね」
「ええ」
荷車の取っ手を握った。
「帰りましょう」
空の車輪が、乾いた土の上で軽く回り始めた。




