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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第二章 三人で帰る

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第50話 運ぶ仕事


 翌朝、食堂へ下りると、俺たちの席の背へ黒い外套が掛けられていた。


「乾いたから縫っといたよ」


 厨房から出てきた女将が、それだけ言って皿を置く。エルザが外套を手に取った。肩口に残っていた裂け目には、裏から革が当てられている。縫い目は細かく、少し離れれば傷んだ場所も目立たない。


「ありがとうございます」


「裁縫代はノワールの宿代に上乗せしておくよ」


「そんな」


 女将は心底呆れた目を向けた。


「……そのくらい『払います』って言いなよ……カッコつける機会をあげたのに」


「次からは先に教えておいてください」


「次はないよ」


「そんな」


 向かいでエルザが外套を肩へ掛けながら、小さく笑っている。


「何です?」


「何でもありません」


 その髪の脇から、白い雫が少し覗いた。


 ちりん。


「『なんでもない』だそうです」


 聞く前に教えてくれた。怪しい。


「絶対違うでしょう」


 白い雫は髪の中へ引っ込んだ。


「今日は、普通の依頼を探しましょうか」


「はい」


 ヴェラが頷く。


「歩くものであれば問題ありません。ただ、途中で一度休憩を取らせてください」


「もちろん」


 昨日、大聖堂で診てもらったからといって、脚そのものが急に変わったわけではない。


 それでも、ヴェラが自分から必要な休憩を言えるなら、それでいい。朝食を済ませ、三人で冒険者ギルドへ向かった。


◆


 掲示板の前には、朝から何人かの冒険者が集まっていた。討伐や採取、見回り、荷物の護送。いつものように依頼票を眺めていると、エルザが一枚を指した。


「これはどうでしょう」


「荷運び?」


 王都の商家から、街道沿いの荷継ぎ所まで生活物資を運ぶ仕事だった。荷車は先方が用意。荷の積み込みも倉庫側で行う。こちらの仕事は、荷を崩さず届け、受領の木札を持ち帰ること。


「魔物が出た時は?」


「危険を感じた場合は荷を置いて退避して構わない、とあります」


 エルザが依頼票を読み上げる。


「荷物より人命優先ですね」


「そのようです」


 ヴェラも票を覗き込んだ。


「道中の休憩も取りやすいと思います」


「では、これにしましょうか」


「はい」


 受付へ持っていくと、ミラが依頼票を受け取った。


「今日は荷運びですか」


「ええ。三人でこれに決めました」


 ミラは依頼票へ目を戻した。


「荷は北門近くの倉庫で受け取ってください。道は難しくありません。ただ、昨日までの雨で轍が深くなっているところがあります。荷車の片輪を落とさないようにしてください」


「分かりました」


「あと、油壺が入っています。割ると当然、依頼主が嫌な顔をします」


「それは避けたいですね」


「こちらとしても避けてほしいです」


 木札を受け取り、ギルドを出る。


「油壺だそうですよ」


「ノワールさん、お願いします」


 エルザが当然のように言った。


「何をです?」


「荷車です」


「俺なんですね」


「私が押しても構いませんけど」


「いえ、俺が押します」


 エルザが少しだけ口元を上げた。たぶん、最初からそのつもりだった。


◆


 北門近くの倉庫には、すでに荷が並べられていた。穀物や乾燥豆の袋、巻かれた布、細長い木箱、それに縄の束。藁を詰めた木枠の中には、口を布で塞いだ油壺が収まっている。


「これ全部ですか」


「全部だ」


 倉庫番の男が荷札を一枚ずつ確認しながら答えた。


「重いのは下。油は真ん中。布は上。向こうで崩れてたら積み方のせいにされるから、出る前に見といてくれ」


「分かりました」


 荷車へ積み終わると、エルザが荷札と数を照らし合わせる。ヴェラは反対側へ回り、荷台の横から縄を見る。


「こちらが少し緩く見えます」


「どれです?」


 俺が覗き込む。


「下の袋を押さえているものです」


 引いてみると、確かに反対側より少し遊びがあった。


「締め直しておきましょう」


 縄を引き、結び目を作り直す。エルザが手帳へ何かを書いた。


「それも記録するんですか?」


「出発前に締め直した箇所は書いておいた方がいいかと」


「もし緩んだら、俺の責任が記録に残るわけですね」


「事実が残るだけです」


「エルザさんかヴェラさんが締めてくれませんか?」


「遠慮しておきます」


「ノワール様、代わります」


 ヴェラが真に受けてしまった。


「冗談です。責任を持って俺が締めさせていただきます」


 倉庫番が鼻で笑った。


「仲いいな、お前ら」


 三人で顔を見合わせた。


「そう見えます?」


「見えるよ」


 倉庫番はそれ以上興味を失ったように、次の荷へ向かった。責任を持って締め終えた俺は、荷車の取っ手を握る。


「では、行きましょうか」


「はい」


「お願いします」


 車輪が石畳の上で、ごろりと音を立てた。


◆


 北門を抜けると、道はすぐに土へ変わった。荷車を押すたび、車輪が浅い轍を拾う。乾いた場所では軽いが、雨水の残ったところへ入ると急に重くなった。


「これは、思ったより腕に来ますね」


「代わりますか?」


 エルザが横から言う。


「まだ大丈夫です」


 結構辛い。でもまだ無理ではない。


「そう言うと思いました」


「信用されていると捉えていいんでしょうか?」


「信用してますよ。だから、疲れるまで押すと思っています」


「……それは信用なんでしょうか?」


 少し前を歩いていたヴェラが振り返る。


「次の木陰で、一度休ませていただいてもよろしいでしょうか」


「もちろんです。是非そうしましょう」


 助かった。道の先に、大きく枝を張った木が見えている。そこまで進み、荷車を道端へ寄せた。車輪止め代わりに石を噛ませる。


 ヴェラは丸盾を外さず、木陰へ腰を下ろした。


「脚はどうです?」


「痛みはありません。ただ、同じ歩幅が続くと右脚が重くなります」


「分かりました」


 エルザが手帳を開きかけて、止まる。


「これは書かないんですか?」


「聞けば済むことまで毎回書く必要はありません」


「なかなか基準が難しいんですね」


「必要なら書きます。ノワールさんの女性の好みなら毎回書きますよ?」


 そう言ってエルザがこちらを見る。嫌な記憶が蘇った。


「……もう勘弁してください……」


 ヴェラが俺たちを見て、小さく笑った。


「私は、必要でしたら何度でも申し上げます」


「それが一番助かります」


 休憩を終え、また荷車を押す。さらにしばらく街道を進み、日が高くなった頃、街道脇に低い建物が見えてきた。


 旅人向けの休憩所らしい。


 軒先には長椅子と粗い木卓が並び、湯気の上がる鍋が置かれている。


「ここで昼にしましょうか」


「賛成です」


 エルザの返事が少し早かった。


「お腹空きました?」


「時間的に妥当だと思っただけです」


 そういうことにしておこう。荷車を脇へ寄せる。その時だった。後ろで、木箱が小さく鳴った。


「ん?」


 振り返ると、上に積んでいた布の束が僅かに傾いている。下の袋も少し寄っていた。縄へ手を伸ばすより先に、横から別の手が入った。


「そこ引くな」


「え?」


「今そっち締めると、反対へ寄る」


 低い声だった。男が荷台へ片手をつき、もう一方で縄の途中を持ち上げる。日に焼けた手は指の節が太く、袖口も擦れて毛羽立っていた。


「一回緩めろ」


 言われた通りに手を離すと、男は荷の下へ指を差し込んだ。


「袋がこっちへ寄ってる。先に戻せ」


「こうですか?」


「もう少し」


 押し戻す。男は荷の形を横から眺め、縄を引いた。手早く輪を作り、別の位置へ掛け直す。最後に一度だけ強く引いた。


「これでいい」


「ありがとうございます」


「割れ物入ってんだろ」


「分かるんですか?」


「揺れ方でな」


 男が手を離す。休憩所の卓から声が飛んだ。


「トッド、他人の荷まで触ってんじゃねえよ」


「落ちたら道塞ぐだろ」


「そこまで崩れねえよ」


「お前の積み方なら崩れる」


 卓にいた三人の男が笑った。どうやら知り合いらしい。


「トッドさん、ですか」


「ああ」


「荷運びをしていたんですか?」


 トッドは荷台をもう一度だけ見た。


「昔な」


「やっぱりそうでしたか」


「見りゃ分かるだろ」


 それだけ言うと、彼は卓へ戻っていった。エルザが荷台へ近づき、結び直された縄を見る。


「早かったですね」


「俺が締めた時より綺麗ですね」


「比較対象がノワールさんで良いのでしょうか」


「ひどい」


 ヴェラも縄へ触れる。


「先ほどより、左右の張りが揃っています」


「ヴェラさんまで」


「ノワール様すみません……でも、事実です」


 エルザが頷いた。


「事実ですね」


 俺は無言で休憩所へ入る。空いている卓を一つ借りた。鍋には豆と刻んだ野菜が煮込まれている。パンと一緒に頼むと、木椀へたっぷり盛られた。


 エルザは並んでいた焼き菓子へ一度視線を向けた。


「焼き菓子食べます?」


「見ただけです」


「一つ頼みましょうか」


「ノワールさんが食べたいのでしたら」


「では二つ」


「一つで十分です」


 すぐ返ってきた。


「俺と半分にします?」


「……それなら」


「ヴェラさんはどうしますか?」


「食べたいです」


「では、やっぱり二つですね」


 注文を追加する。髪の近くでリンが、ちりんと鳴った。


「リンも欲しいですか?」


 エルザが聞く。


 ちりん。


 少し間が空く。


「『いらない』だそうです」


「昨日は女神像を食べてましたからね」


 ヴェラが真面目な顔で言う。俺とエルザが同時に彼女を見る。


「どうされました?」


「いえ」


「何でもありません」


 向こうの卓では、トッドたちが食事をしていた。


「それ、お前が払えよ」


「なんでだ」


「昨日俺が出しただろ」


「酒の分まで入れてるからだろうが」


「飲んだのはお前もだろ」


「一杯しか飲んでねえ」


 声は大きく、品が良いとも言い難い。だが、店の主人は気にする様子もなく、別の客へ鍋を運んでいる。トッドが懐から小さな革袋を取り出した。中の銅貨を卓へ並べる。


「豆煮四つとパン。これで足りるだろ」


「肉は?」


「食いたきゃ自分で払え」


「けち」


「金ねえ奴に言われたくねえ」


 一人が笑いながら銅貨を追加した。その間に、トッドの目がこちらへ向いた。俺たちではなく、荷車の方だった。荷台の側面に吊るした荷札へ目が止まる。


 すぐに卓へ戻った。荷運びをしていたなら、他人の荷でも気になるのかもしれない。


「ノワールさん」


「はい?」


 エルザが焼き菓子を半分に割っていた。


「大きい方、どうぞ」


「いいんですか?」


「はい」


 見ると、差し出された方が明らかに小さい。


「……エルザさん」


「何でしょう」


「逆では?」


「気のせいです」


「そうですか。目の錯覚ですかね」


「そうです」


 俺は小さい方を受け取った。ヴェラは焼き菓子を美味しそうに食べていた。向こうで、また男たちの笑い声が上がった。


◆


 休憩所を出る前に、荷をもう一度確認した。トッドが締め直した縄は動いていない。


「これなら大丈夫そうですね」


「はい」


「では行きましょう」


 荷車を道へ戻す。休憩所の前を通る時、トッドたちはまだ卓にいた。


「さっきはありがとうございました」


 声を掛けると、トッドが片手だけ上げた。


「落とさないように運べよ」


「次からあの縛り方を真似しますね」


「勝手に真似しろ、わざわざ言わなくていい」


「ありがとうございます」


 隣の男が笑った。


「トッド、お前にも真似されるようなとこあったんだな」


「うるせえ」


 それ以上は話さず、俺たちは街道を進んだ。


◆


 午後になると、道は少しずつ平らになった。荷継ぎ所は、街道が二つに分かれる手前に建っていた。大きな屋根の下に何台もの荷車が並び、人が忙しそうに荷を積み替えている。


「冒険者ギルドからです」


 受領担当の男へ木札を渡す。


「倉庫からの荷だな。こっちへ寄せてくれ」


 指定された場所へ荷車を入れた。エルザが荷札を読み上げ、男が一つずつ確認していく。


「豆、二袋」


「ある」


「布、三束」


「ある」


「油壺」


 木枠を開く。中の壺は割れていなかった。


「無事ですね」


 思わず声が出た。


「一番心配してましたからね」


 エルザが言う。


「ミラさんに嫌な顔をされたくないので」


「依頼主ではなく?」


「もちろんそちらもです」


 最後に縄の束と金具を確認し、受領済みの木札を受け取る。


「全部揃ってる。ご苦労さん」


「ありがとうございます」


 荷を下ろし終えると、荷車が急に軽く見えた。俺は残っていた縄を外していく。朝、自分で締め直したところは少し緩んでいた。別の箇所も、荷を下ろす前には僅かに遊びが出ている。


 最後の一本へ手を掛ける。昼にトッドが結び直した縄だった。結び目は、最後まで動いていなかった。指を入れ、少し力を掛ける。


 固い。


「ほどけません?」


 エルザが横から覗いた。


「いや、ほどけます」


 縄を緩め、結び目を解く。丸めて荷台へ置いた。ヴェラが空になった荷車の脇へ立つ。


「帰りは軽そうですね」


「行きよりは楽ですね」


「では、途中の休憩は一度で大丈夫だと思います」


「分かりました」


 エルザが受領の木札を手帳へ挟む。


「これで全部ですね」


「ええ」


 荷車の取っ手を握った。


「帰りましょう」


 空の車輪が、乾いた土の上で軽く回り始めた。


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