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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第二章 三人で帰る

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第47話 半歩下がる


 朝になっても、ヴェラの右脚に新しい痛みは出ていなかった。朝食のあと、俺たちは職人区のはずれにあるドランの稽古場へ向かった。昨日直した丸盾を、動きの中で確かめるためだ。土間へ入ると、ドランは壁際で腕を組んでいた。


「悪化はありません」


 ヴェラはドランに聞かれる前に脚の状態を報告した。ドランは少しヴェラを見た後、俺の方を向く。


「……お前に似てきてないか? やめさせろ」


 どうやら俺は見習ってはいけない存在らしい。しらなかった。ドランは改めてヴェラに声を掛けた。


「盾は」


 ヴェラが左腕を通し、握りを確かめる。


「昨日より滑りません。留め具も当たらなくなりました」


「ならやれ」


 いつも通り、短い。俺は壁際から木剣を取り、仮想敵として吊るされた革袋の前へ立った。


 ヴェラが右側で丸盾を構える。エルザは少し離れた左後ろへ回り、手帳を開いた。その髪にはいつもどおりリンが留まっている。


 エルザが羽ペンを持ち上げた。そのまま紙へ下ろしかけて、手を止める。


「今日は、先に書かないんですか」


「まず動いてからにします」


「珍しいですね」


「昨日、書いた位置から変わりましたから」


 エルザは手帳を開いたまま、俺たちを見る。


「いきます」


「はい」


「正面」


 ヴェラの丸盾が右へ開いた。俺の視界には革袋までの道が残っている。盾の縁を横目に見ながら前へ出て、木剣を振った。バツン、と革袋が鳴る。


 戻る。


「滑りません」


 ヴェラが握りを開いて、もう一度握った。


「こっちからも邪魔にはなっていません」


 俺が言うと、エルザも頷いた。


「今のところ、二人の動きは重なっていません」


 壁際からドランの声が飛ぶ。


「一回で終わるなら稽古はいらねえ」


「ですよね」


 元の位置へ戻る。


「もう一度いきます」


 エルザが俺たちを見た。その前に、ヴェラが口を開いた。


「ノワール様」


「はい」


「半歩下がってください」


「俺がですか?」


「はい」


 ヴェラは丸盾を構えたまま、俺の立っている場所を見る。


「今の位置では、ノワール様が前へ出るたびに、私も盾を届かせるため前へ出る必要があります」


 自分の右脚へ一度目を落とす。


「その分、右脚を踏み替える回数が増えます」


「なるほど」


「半歩後ろであれば、私が追わなくても盾を入れられます。そこから前へ出ていただけますか」


 俺は革袋とヴェラの盾を見比べた。前へ出ることばかり考えていたせいか、自分の立つ場所を後ろへ動かす発想はなかった。


「やってみます」


 半歩下がる。壁際のドランを見ると、腕を組んだまま傍観している。


「いきます」


 エルザの声に合わせて構える。


「正面」


 ヴェラが盾を開く。今度は、丸盾の内側に俺が入っていた。右側を盾に預け、その内側から革袋へ向かう。前へ出ても、ヴェラは追ってこない。


 木剣が革袋を叩いた。


「……こっちの方が楽ですね」


 元の位置へ戻りながら言う。


「私も、右脚を一度動かすだけで届きます」


「では、これで――」


 言いかけて、ヴェラが首を振った。


「もう少し左へ開いてください」


「まだ近いですか」


「はい。今は短槍を出していませんが、柄が重なると思います」


 ヴェラが腰の短槍を少し持ち上げる。俺も木剣を構え直した。


「このくらい?」


「はい。エルザ様も、少し中央へ寄っていただけますか」


「分かりました」


 エルザが場所を変える。三人で構え直したところで、ドランが声を飛ばした。


「そこで覚えるな!」


「え?」


「動いたら変わる。合わせろ!」


 それだけ言って、革袋を手で押した。吊り縄が軋み、重い袋が横へ揺れる。


「続けろ!」


「はい!」


 エルザが手帳を閉じた。


「右から来ます!」


 揺れて戻ってくる革袋に合わせ、ヴェラが盾を開く。


「ノワール様、少し後ろへ!」


「はい!」


 俺が下がる。


「左へ行きます!」


 今度は俺が声を出し、盾の内側から外へ出る。


「エルザ様、中央をお願いします!」


「分かりました!」


 革袋が戻る。止まる。また揺れる。そのたびに三人の位置が少しずつ変わった。


 何度か木剣の柄が盾へ近づき、そのたびにヴェラか俺が声を出す。決めた場所へ戻るより、その場で邪魔にならない位置を探す方が忙しい。


「止めろ!」


 ドランの声で動きを止めた。呼吸を整えながら、木剣を下ろす。ドランは土間に散った俺たちの足跡を一度見た。


「今のを形だと思うな。道が変わりゃ、また変えろ」


「はい」


「今日は終わりだ」


「ありがとうございました」


 木剣を壁へ戻した。ヴェラも丸盾を外し、握り革を指で押す。


「滑りはありません」


「昨日直した留め具のところは?」


「こちらも問題ありません」


「よかったです」


 エルザが、そこで初めて手帳へ羽ペンを下ろした。


◆


 稽古場を出ると、職人区の通りには朝の槌音が重なっていた。


「俺が下がる方は考えてませんでした」


 歩きながら言うと、ヴェラがこちらを見る。


「前へ出ていただく方が攻撃はしやすいと思います」


「でも、そのたびにヴェラさんが追っていたんですよね」


「はい。右側を庇うには、その必要がありました」


「それなら、俺が少し下がった方がいいですね」


 ヴェラは小さく頷いた。


「場所によると思います」


「ドランさんと同じ答えですね」


「そうでしたか?」


 隣からエルザが口を挟む。


「『道が変わりゃ、また変えろ』です」


「しっかり覚えてますね」


「大事なところでしたから」


 エルザの髪で、リンが小さく揺れた。


◆


 今日は新しい依頼を受けず、昼前には〈鈍色亭〉へ戻った。ヴェラの脚が野外へ戻れるところまで回復したとはいえ、連日負荷を増やす必要はない。昼食のあと、俺たちは宿の裏手へ回った。井戸の脇には建物の影が落ちている。


 荷袋から、短い鉄棒を取り出した。


「またやるんですか」


 エルザが言った。


「まだ使えるところまで行ってませんからね」


「今日は稽古のあとです」


「短くします」


 エルザがこちらを見る。


「短く、ですね」


「はい」


 釘を刺された。鉄棒を右手に持つ。左手から水を出し、表面へ薄くまとわせた。そのまま冷やす。


 透明な膜が鉄へ張りつき、白く曇る。


 軽く振る。端から細かな亀裂が走った。もう一度やる。


 今度は少し厚くする。振った瞬間、まとまった氷がずれて、片側から剥がれた。


「やっぱり、全部くっつけようとすると駄目ですね」


 布で鉄棒を拭う。ヴェラが、手にした丸盾の握りを見た。


「この盾も、全部をきつくしたわけではありません」


「昨日の調整ですか」


「はい。掌が滑る場所だけ毛皮を当てました。固定帯も、締め切らずに留め具の位置だけ変えています」


 丸盾を少し開き、手首を返す。


「ここが動けば、盾の向きを変えられます」


「必要なところだけ止める……」


 鉄棒へ目を戻した。全面へ水をまとわせ、両端と中央だけを細く凍らせる。その間は水のまま残した。鉄棒を振る。


 一度目は剥がれなかった。


「残りましたね」


 エルザが鉄棒を見る。


「もう少し強く振ります」


「周りには向けないでください」


「分かってます」


 身体の横で、少し強く振る。中央の氷が滑った。端の氷も傾き、その間の水が片側へ寄る。


「……駄目ですね」


「剥がれはしませんでした」


「でも、ずれました」


 ヴェラも鉄棒を見る。


「動かした時に残る形には、まだなっていませんね」


「そうですね」


 俺は水を落とし、鉄棒を布で拭った。エルザが手帳を開く。


「両端と中央だけ凍結。全面より剥がれにくい。中央が滑り、位置は保てない」


「……正しい記録ですね」


「確認できたのは、ここまでです」


 これ以上続ける前に、鉄棒を荷袋へ戻した。


「今日はここまでにします」


「はい」


 エルザの返事が、少し早かった。


◆


 夕方、食堂で野菜の煮込みが出てきた。器を持つと、昼間に冷えた指先に熱が戻る。


「温かいものがありがたいですね」


「水でも触ったのかい?」


 女将が空いた皿を回収しながら言った。


「氷をいじってました」


「遊ぶのもほどほどにした方が良いよ」


「はい」


 向かいでエルザが煮込みを口へ運ぶ。食後、エルザが手帳を開いた。朝の稽古で動いた三人の位置が、簡単な印で残っている。ヴェラがそのページを覗き込んだ。


「ノワール様は、ここです」


 俺を示す印へ指を置くと、少し後ろへ動かし、丸盾の内側へ入る位置で止めた。エルザが、その場所へ小さく印を付けた。


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