第43話 もう一度
女将が卓へ朝食を置いたところで、エルザが手帳を開きかけた。
「今日の予定ですが――」
「食べてからにしな」
間髪入れずに声が飛ぶ。エルザの指が止まった。
「……はい」
素直に手帳を閉じる。俺の前には麦粥と、干し肉と野菜の炒め物。ヴェラも匙を手に取り、湯気の立つ器へ視線を落とした。
「女将さん、最近エルザさんの扱いに慣れてきましたね」
「朝飯の前に話を始める奴は、だいたい冷ますんだよ」
「合理的です」
エルザが真面目な顔で頷いた。危なく笑いそうになった。
そこは反省するところではないらしい。
朝食を食べ終える頃には、表の通りから荷車の軋む音が聞こえ始めていた。空になった器を女将が下げるのを待って、エルザが改めて手帳を開く。
「では、今日の予定を決めましょう」
「昨日は遠出をしませんでしたし、今日は近場で軽い仕事を探してみますか」
「賛成です」
俺はヴェラを見る。
「ヴェラさんはどうです?」
「はい。私も問題ありません」
「では、ギルドで探してみましょう」
三人で席を立った。
◆
朝の大通りは人が多かった。店先へ荷を下ろす荷車を避け、行き交う人の間を抜けて冒険者ギルドへ向かう。木扉を押し開けると、受付ではミラが依頼簿を整理していた。こちらに気づき、顔を上げる。
「今日は依頼をお探しですか?」
「はい。近場で、あまり重くない仕事があれば」
「それでしたら、ちょうど二件あります」
ミラが依頼簿を繰り、二枚の羊皮紙をカウンターへ並べた。一枚は、商業区裏手にある共同倉庫での照合作業。納品札と木箱の印、それから数を確認する仕事らしい。報酬は銅貨十五枚。
もう一枚は、職人区の修繕工房へギルド備品を届ける仕事。荷は軽いが、何度か往復する必要がある。報酬は銅貨十二枚。
「倉庫の方が早く終わりそうですね」
俺が言うと、エルザが二枚を見比べた。
「三人で分担できますし、こちらが良いと思います」
ヴェラも依頼票へ目を落とす。
「私も、照合作業で問題ありません」
「では、これにしましょう」
依頼票を差し出す。ポン、と乾いた受諾印の音がした。
「倉庫内では箱を勝手に動かさないでください。札と数が合わない場合は、その場で倉庫係へ確認をお願いします」
「分かりました」
◆
共同倉庫は、商業区の裏手にある石造りの建物だった。重い木扉をくぐると、外の喧騒が少し遠のく。高窓から差し込む光の中に、細かな木粉が舞っていた。
「ギルドから派遣された〈コンパス〉です。照合作業の件で来ました」
奥の帳場にいた男が顔を上げ、積み上げられた木箱を指した。
「助かったよ。あそこに積んであるやつを頼む。札に書いてある品名と数を見て、箱と合ってるか確認してくれればいい」
「分かりました」
指された先には、思っていたより多くの木箱が並んでいた。
「……結構ありますね」
「三人です。分けましょう」
エルザが納品札を持ち、俺とヴェラで木箱の印と数を確認することになった。
「一列目、十八箱です」
「こちらも十八です。一致しています」
二列目も問題なし。三列目へ移ったところで、俺は箱の側面に押された印を見比べる。
「これ、似ていますけど違いません?」
エルザが隣へ来て、札と箱を交互に見た。
「……違いますね。こちらは葉が三枚で、札は四枚です」
「危なかった」
「倉庫係へ確認しましょう」
呼ばれた男が印を見るなり、頭を掻いた。
「ああ、それ隣の列だ。昨日、置く場所を間違えたな」
箱を動かすのは男に任せ、俺たちは照合を続ける。
◆
最後の列を終えたところで、エルザが手帳へ最後の印をつけた。
「これで全部です」
「思ったより早かったですね」
「三人ですから」
一人なら、まだ半分ほど残っていたかもしれない。ヴェラが壁際の腰掛けへ目を向けた。
「戻る前に、少し休んでからにしたいです」
「分かりました。そうしましょう」
エルザも頷き、水筒を差し出した。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
ヴェラが腰を下ろす。俺も隣の木箱へ背を預けようとして、倉庫係と目が合った。
「それ、商品だぞ」
「あ……すみません」
仕方なく立ったまま水筒へ口をつける。エルザが少しだけ笑っていた。
◆
昼過ぎ、俺たちは冒険者ギルドへ戻った。ミラは報告書へ目を通し、受領印を押す。
「数の違いも確認していただいたんですね」
「箱の場所が違っていただけでした」
「しっかり確認していただけて助かります。お疲れさまでした」
報酬の銅貨十五枚を受け取る。
ギルドを出ると、陽はまだ高かった。朝より人通りも落ち着き、道の端には荷を下ろし終えた荷車が何台か停まっている。
「今日は早く終わりましたね」
俺が言うと、エルザが手帳を鞄へしまった。
「このまま宿へ戻りますか。それとも、どこか寄りましょうか?」
「どこか寄りたい気はしますね」
けれど、俺にも行き先までは浮かばない。ヴェラは少し黙ってから、露店の並ぶ方角へ視線を向けた。
「……希望があります」
「はい」
「一昨日の露店へ、もう一度寄りたいです」
「もし、ほかに予定がなければ」
「ありませんよ。行きましょう」
ヴェラがこちらを見る。
「はい」
エルザも頷いた。
「私も、一昨日の焼き菓子をもう一度確認したいと思っていました」
「確認なんですね」
「位置と品質の再確認です」
「食べたいとは絶対言わないんですね」
ちりん。
リンが鳴いた。エルザは返事をしなかった。
◆
午後の商業区には、朝とは違う匂いが満ちていた。焼き台から白い煙が上がり、果物を切る甘い香りが風に混じる。店先では露天商たちが客を呼びながら、隣の店とも軽口を交わしていた。ヴェラは大通りを進み、曲がり角でも足を止めなかった。
やがて、城壁近くの露店が見えてくる。
「おや、この前の三人組じゃないか」
店主が俺たちに気づいた。
「また来てくれたのかい」
ヴェラは露台に並ぶ品を眺め、その中の一つを指す。
「この前と同じ薄パンを、一つお願いいたします」
「はいよ。ちょうど焼き上がったところだ」
紙に包まれた薄パンが渡される。エルザは迷うことなく蜂蜜焼き菓子を選んだ。
「再確認ですか?」
「はい」
俺は冷たい果実水を買った。三人で城壁の下にある木製のベンチへ並んで腰を下ろす。大きな影が午後の日差しを遮り、吹き抜ける風が少し冷たい。ヴェラが薄パンの端を一口かじった。
ゆっくり噛み、飲み込む。
「前に食べた時より、温かくて美味しいです」
「焼きたてみたいですからね」
もう一口。今度はさっきより少し大きくかじった。隣では、エルザが蜂蜜焼き菓子を黙々と食べている。
「品質の確認はどうです?」
「問題ありません」
「それは何よりです」
ちりん。
リンが焼き菓子に近づくが、エルザの指に押し戻されていた。ヴェラが薄パンへ目を落とした。
「……また食べたいと思いました」
「ええ」
俺は頷く。
「また誘ってください」
ヴェラは少し考えてから、もう一度薄パンをかじった。
「……はい。そうします」
城壁沿いを抜けた風が、焼きたての香ばしい匂いを運んでいった。




