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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第二章 三人で帰る

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第31話 命令を待つ人


 翌朝。


 朝稽古が終わったあと、壁際に転がっていた短い鉄棒を一本借りた。


「おい。今度は何だ」


 木剣を片づけていたドランが眉を寄せる。


「一昨日の氷です。氷だけだと形を保つのが難しかったので、中に芯があればどうかなと」


「……好きにしろ。片づけてから帰れ」


 許可なのか面倒になっただけなのか分からない。


 掌へ少量の水を出し、鉄棒の中央へ薄くまとわせる。一昨日より水は少ない。流れを静め、鉄に沿わせたまま中心から冷たさを広げる。白く濁った膜ができた。


「お」


 握る場所を変えた。ぱきっ。氷がそのまま剥がれて、地面へ落ちた。


「……駄目ですね」


「その鉄棒、つるつるだろ」


 ドランが言う。


「はい」


「引っかかるもんがねえなら、剥がれやすいだろ」


「言われればそうですね」


 鉄を見下ろす。芯があれば形は作りやすそうだった。ただ、くっつかなければ意味がない。


「次は、引っかかる形ですかね」


「俺に聞くな」


「相談くらいいいじゃないですか」


 門が開いた。


「おはようございます、ノワールさん。ドランさん」


 エルザだった。耳の上にはリンもいる。


 ちりん。


「おはようございます」


 エルザが俺の手元を見る。


「それは、一昨日の氷ですか?」


「ええ。鉄を芯にしてみたんですけど、剥がれました」


 地面の氷片を指す。エルザはしゃがまず、その場から眺めた。


「鉄には付きにくいのでしょうか」


「たぶん。もう少し考えてみます」


「もう鉄棒を投げた方が……いえ。何でもないです」


 エルザの言葉が刺さる。


「違いない」


 その傷をドランの言葉が抉る。心の傷を負った俺はそれ以上試すことはせず、鉄棒を元の場所へ戻した。ドランへ礼を言い、エルザと稽古場を出る。リンがエルザの耳の上で羽を畳んだ。


 職人区の路地へ出たところで、昨日の円卓での話を思い出す。


「エルザさん」


「はい」


「俺たち、二人のままでいいと思います?」


 エルザがこちらを見た。


「人数の話ですか」


「ええ。昨日、どちらかが動けなくなった時の話がありましたよね」


「ありました」


「一人増えれば、助かる場面もあるのかなと」


 エルザはすぐには答えなかった。


「増えれば安全になる、とは限らないと思います」


「まあ……それはそうですね」


「ですが、できることが増える可能性はあります」


「まず、どうやって探すのか聞いてみますか」


「はい。それが良いと思います」


 決めるのは、そのあとでいい。


◆


 冒険者ギルドへ入り、ミラの窓口へ向かった。


「おはようございます、ノワールさん、エルザさん。今日は依頼ですか?」


「いえ、相談です」


「何でしょうか? どうぞ」


「固定パーティーへ、もう一人入れるとしたら、どう探すんでしょう」


 ミラが少し目を丸くした。


「三人目を考えているんですか?」


「まだ、考え始めただけです」


「そうですね……それなら、まずは掲示板で臨時同行者を募る方法があります。依頼を一つ一緒に受けて、相性を見る形ですね」


「なるほど」


「他の固定パーティーと合同で動く方もいます。長く同じ人を雇いたいなら、自由契約の従士を探す方もいます」


 ミラはそこで一度言葉を止めた。


「ただ、ノワールさんはまだこちらへ来て日が浅いので、募集しても相手が慎重になることはあると思います」


「落人だからですか?」


「はい。悪意があるというより……こちらの常識に慣れていない方が多いので。昔は、無茶をする方も多かったそうです」


 なるほど。命を預ける相手が、この世界の危険をまだ分かっていないと思われれば、不安になるのは分かる。しかし困った。ミラは少し考えたあと、小声で言葉を続けた。


「……もっと強い契約で、身元と行動が決められている人を選ぶ方もいます」


「強い契約?」


「戦闘奴隷です」


 奴隷。ゲームの知識としては知っていた。この世界では、債務や刑罰、戦争などを理由に奴隷契約へ入る者がいる。知ってはいたが、自分が買い手になる可能性までは考えたことがなかった。


「王都にもいるんですね」


「西の外れに、契約を扱う商館があります」


 ミラは俺たちを見比べる。


「ただ、買えば終わりではありません。食事、寝床、装備、治療。契約した側が用意するものもあります。長く一緒に動く人を探しているからといって、私は最初から勧めません」


「そうですよね」


 便利な方法、とは思えなかった。ただ、仕組みも知らないまま、言葉だけで決めつけるのも違う気がした。エルザに意見を求める。


「どう思いますか?」


 エルザは顎に手を当てる。少し考えたあと、ミラに質問した。


「話を聞きに行くだけでも大丈夫ですか?」


「もちろんです。紹介状を書きましょうか」


「お願いします」


 ミラが短い紹介状を作ってくれた。


 ギルドを出ると、エルザが尋ねる。


「このまま向かいますか?」


「ええ。今日は仕組みを聞くだけにしましょう」


「分かりました」


 リンがちりんと鳴った。


「リンは?」


「何も言っていません」


「そうですか」


 エルザの耳の上では、白い光がいつも通り揺れていた。


◆


 王都の西へ進む。職人区を抜ける頃には商店が減り、壁の厚い建物や倉庫が増えてきた。やがて、大きな石造りの建物が見えた。重い木の看板に、


 〈鎖の館〉と刻まれている。中へ入ると、石床は磨かれていた。壁際には書類棚が並び、受付では何人もの職員が帳簿を確認している。


 思っていたより静かな場所だった。紹介状を見せると、奥の応対室へ案内された。身なりの整った男が一人、記録帳を開いて待っている。


「固定パーティー〈コンパス〉のお二人ですね」


「はい。今日は契約の仕組みを聞きに来ました」


「承知しております」


 男は羊皮紙を数枚、卓へ置いた。廊下の向こうから、紙をめくる音と誰かの靴音が聞こえる。


「当館では、契約者の技能、身体状態、職歴、契約上の制限を記録し、買い手へ開示しています。契約後は、食事、寝床、必要な装備などを買い手側で用意していただきます」


 エルザが資料を見る。


「戦闘命令は、拒否できますか?」


「契約の範囲内であれば、原則として拒めません」


 男の答えは早かった。


「ただし、買い手側にも維持義務があります。明らかに使い潰すことを目的とした命令や、食事や治療を故意に与えない行為については、市の契約監督所へ申し立てることができます」


 完全に好き放題できる制度ではない。だからといって、命令を拒めないという部分が軽くなるわけでもなかった。


「ご希望される条件はお決まりですか?」


 エルザを見る。既に帳面を開いていた。


「今の〈コンパス〉で必要なのは盾役だと思っています。盾に敵を抑え込んでもらい、私たちは遊撃として動く構成が良いかと」


 俺はエルザの意見に頷く。


「俺もそう思います」


 男に尋ねる。


「本人と話すことはできますか?」


「はい」


「前衛で、盾を使える方がいれば会わせてください」


「こちらへどうぞ」


◆


 奥の広間には、何人もの男女が座っていた。服はどれも質素だったが、汚れたまま放置されている者はいない。買い手らしい人間が近づくと、座っていた者は立ち上がり、決められた姿勢を取った。案内役の男が何人かについて説明する。


 元傭兵。元従士。大剣を使う者。盾を使う者。


 得意なことだけでなく、古傷や維持費の話も一緒に出てくる。列の端に、小柄な女性がいた。灰色の簡素な服。茶色がかった髪は肩に触れるほどで、脇の一部を細く編んでまとめている。


 傍らには、先端に厚手の布を被せた棒と、大きな革張りの盾。


 棒は長さからして、訓練用の短槍だろう。


 膝の上に置いた手には、硬いたこがある。左手首には、小さな黒い紋様のような印があった。それより気になったのは脚だった。左右で、ふくらはぎの太さが違って見える。


 座った姿勢でも、右足だけ置き方が少し違った。


「こちらの方は?」


 俺が聞く。男が帳簿をめくる。


「ヴェラです。元貴族家に仕えていた騎士家の娘で、短槍と盾、それに簡単な治癒術の訓練を受けています」


「右脚は?」


「古傷があります。足先の感覚が鈍く、筋肉も落ちています。日常の歩行はできますが、長く踏ん張ることや、急な切り返しには向きません」


 そういうことか。見た目だけでは、どこまで動けるのかは分からない。


「価格も、その分低く設定しています」


 右脚の具合が、そのまま値段の話へ繋がった。その言い方には、まだ慣れなかった。男は特に気にした様子もなく、ヴェラへ声をかけた。


「ヴェラ。お客様だ。立ちなさい」


「はい」


 ヴェラはすぐに立った。先に左足へ体重を乗せ、右足を添える。それから背筋を伸ばした。灰色の目が、俺の胸元あたりへ向く。


 リンはエルザの髪に収まったまま、静かだった。


◆


「ヴェラさん、とおっしゃるんですね」


「はい。ヴェラと申します」


「いくつか聞いてもいいですか?」


「はい。ご命令を」


 質問のつもりだったのだが。一度だけエルザを見る。エルザも何も言わず、帳面を開いた。


「短槍と盾は、どういう使い方が得意ですか?」


「敵との距離を保ちます。盾で進路を狭め、後ろの者が動く時間を作ります」


「倒すより、止める方ですか?」


「はい」


「治癒術も使えると聞きました」


「はい。浅い傷や、軽い出血であれば」


 俺たちにはありがたい役割かもしれない。ただ、本当に一緒に動けるかは、実際に見なければ分からない。エルザが尋ねる。


「右脚について教えてください。どんな動きが難しいですか?」


「平地をまっすぐ下がることはできます」


 ヴェラは間を置かず答える。


「右へ続けて方向を変える場合、二度目が遅れます。足場が悪い場所では、何度も切り返すと右脚がついてきません」


「痛みはありますか?」


「あります」


「いつもですか?」


「長く使った時に増えます」


「その右脚にも、治癒術は使ったことがありますか?」


「はい。何度か」


「変わりましたか?」


「いいえ」


 エルザが書き留める。


「実際に動くところも見た方が良さそうですね」


「はい」


 ヴェラの返事は、そこまで一度も止まらなかった。何ができる。何ができない。どう動く。


 聞けばすぐに返ってくる。だから、もう一つ聞いてみた。


「……ヴェラさん」


「はい」


「あなたは、ここを出たいですか?」


 ヴェラの返事が止まった。さっきまで同じ高さにあった視線が、わずかに下がる。唇が動いた。声は出なかった。


 しばらくして、


「……ご命令いただければ、出ます」


 と答えた。横で、エルザのペンが止まる。開いた帳面に、次の文字は増えなかった。


「命令ではなくて」


 俺は言った。


「ヴェラさん自身は、どうしたいですか?」


 また沈黙した。案内役の男が口を開きかける。


「ヴェラ、お客様が――」


「すみません」


 俺は男を止めた。


「本人から聞きたいです」


 ヴェラは俺を見た。何かを考えているようには見えた。


 けれど、その先の言葉は出てこない。やがて口が開く。


「……ご命令を」


 それ以上は続かなかった。俺も、次の質問を出せなかった。


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