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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第二章 三人で帰る

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第30話 守られる場所


 翌朝、冒険者ギルドの前へ行くと、エルザは入口の脇で待っていた。耳の上にはリン。


「おはようございます」


「おはようございます、ノワールさん」


 ちりん。


「リンも、おはようございます」


 ちりん。


「まだお腹は空いてます?」


 エルザがリンへ目を向ける。


 ちりん。


「空いているそうです」


「変わりませんか」


「はい」


 ミラからも、まだ精霊に詳しい人は見つかっていないらしい。エルザが鞄から《翠緑の円卓》の書簡を取り出した。


「では、先に円卓へ行きましょう」


「はい」


 俺たちは書簡に書かれた場所へ向かった。


◆


 《翠緑の円卓》の案内所は、大通りから外れた静かな区画にあった。大きな城館を想像していたが、実際は平屋の木造建築だった。軒先には深緑の垂れ布。入口の脇には、小さな石造りの女神像が置かれていた。


 長い衣をまとい、何も持たない両手をゆるく前へ開いている。


 祈りのためのものなのだろう。


 台座には花や木の実がいくつか供えられている。


「綺麗な女神像ですね」


 俺がそう言うと、エルザが像を見た。


「こういうところにもあるんですね」


 お地蔵様みたいだ。軽く祈ろうかと、俺が足を止めた時だった。リンが、ふわりと浮いた。


「リン?」


 エルザが呼ぶ。リンは返事をせず、女神像へ近づいていった。像の肩のあたりまで上がり、その場で止まる。白い身体の輪郭が、いつもより少し明るく見えた。


 女神像の輪郭にも、薄い光が重なったような気がした。


「……何してるんでしょう」


「分かりません」


 エルザも見つめている。しばらくすると、リンの光がゆっくり落ち着いた。


 ちりん。


 エルザが一瞬だけ目を見開いた。


「『おなかいっぱい』と言いました……」


「え?」


 リンは何事もなかったように戻ってきて、エルザの髪へ収まった。俺とエルザは女神像を見る。木の実も花も減っていない。


「……食べたんですかね」


「何をでしょう」


「そこから分かりませんね」


「はい」


 少なくとも、パンではなかった。


「リンは分からないことばかりですね」


「本当に」


 エルザが答えたところで、建物の中から人の声がした。俺たちは女神像をもう一度見てから、案内所へ入った。


◆


 中は思っていたより広かった。窓口の前には、いろいろな人がいる。子どもを連れた女性。片足へ布を巻いた男。


 若い職員に食事札の説明を受けている老人。奥では毛布や衣服を仕分けている人たちもいた。困っている人を集めているというより、必要なところへ必要なものを渡している場所に見えた。その中央で、一人の女性が職員と話していた。


「マルクさんのところは、今週いっぱい軽作業へ回してください。荷降ろしは足が治ってからで構いません。それから、あちらの方には毛布を一枚。……あなたも一度休んでくださいね」


「はい、代表」


 若い職員が頭を下げる。女性は台帳を閉じ、こちらを向いた。無駄のない立ち方。相手の話を聞きながら、何を先にやるかを自然に決めていく様子。


 ――看護師に向いていそうだ。


 女性が近づいてくる。淡い翠色の瞳。整った深緑の上着。隣で、エルザが小さく咳き込んだ。


「お待たせしました。エリカと申します。《翠緑の円卓》で、この案内所を含む保護と支援を預かっています」


 エリカが頭を下げる。その動きで、深緑の上着の胸元が沈んだ。視線がそちらへ引っ張られる。


 ちりん。


 何故このタイミングで鳴いた。


 まずい。


 慌てて視線を顔へ戻した。


 俺はどのくらいの時間囚われていた?


 エルザに気づかれただろうか。


 いや、一瞬の出来事だ。きっと大丈夫だ。


 エリカは気づいたのか気づいていないのか、何事もなかったように姿勢を戻す。


「〈コンパス〉のノワールさんと、エルザさんですね」


「はい。ノワールです。本日はありがとうございます」


「エルザです。よろしくお願いいたします」


 エリカがリンを見る。


「その子が、噂の精霊ですか?」


「リンです」


 ちりん。


「契約はしていません。自分でついてきています」


 聞かれる前にエルザが答える。


「そうでしたか」


 エリカは一度頷き、それ以上は聞かなかった。


「こちらへどうぞ」


 俺たちは奥の応接卓へ案内された。


◆


 薄い茶が三つ置かれた。エリカは資料を広げる。


「今回お呼びしたのは、固定パーティーを組まれたばかりのお二人へ、活動状況を伺うことと、利用できる支援をご説明するためです」


「お願いします」


「まず、円卓へ所属しなくても使えるものがあります」


 意外だった。


「相談窓口、食事や一時宿泊についての案内、提携している治療院や装備補修先の紹介です。ただし、費用の補助や優先枠は、円卓と協力関係にある方が中心になります」


「所属しないと、何も使えないわけではないんですね」


「はい。困っている人へ、所属していないから帰ってくださいとは言いたくありませんので」


 エリカは普通に言った。窓口で見た光景とも一致している。


「もう一段深い支援として、協力パーティー登録があります。円卓の依頼を優先的にご案内したり、負傷時の費用補助、問題が起きた時の仲裁などを行います」


「その代わり、こちらにも協力が必要になる」


「そうですね」


 エリカは頷いた。


「防衛や大規模な救護など、人手が必要な時にはお願いすることがあります」


「断れますか?」


「事情は聞きます。正当な理由があるのに無理をさせるつもりはありません」


 少し考える。


「正当な理由がない場合は?」


 エリカは困ったように笑った。


「協力する約束をしていただいた以上、お願いはしますよ」


「ですよね」


 そこを曖昧にしないのは好感が持てた。


「正式な所属まで進むと、さらに支援は厚くなります。ただ、その分、円卓の方針に沿って動いていただく場面も増えます」


「選べるんですね」


「選んでいただくための面談ですから」


 エリカが資料をこちらへ向ける。


「お二人とも、まだ登録から日が浅いですよね。旧採石場では怪我なく戻っていますが、二人だけで動く以上、どちらか一人が動けなくなった時に困ることは多いと思います」


 昨日の川辺を思い出した。遠い相手への手段すら、まだ試し始めたばかりだ。


「それは、その通りです」


「だから所属してください、とは言いません」


 エリカは茶へ手を伸ばした。


「ただ、助けを借りられる場所があることは覚えておいてください。助ける側の人ほど、自分が頼る先を作らないことがありますから」


 少し耳が痛かった。セイにも似たようなところを突かれている。


「俺、そう見えます?」


「ギルドの記録だけでは、そこまでは」


 エリカが微笑む。


「今のお話を聞いて、少しだけ」


「気をつけます」


 隣でエルザが無言で頷いた。圧力のようなものを感じる。気のせいだと思いたい。俺は資料を見る。


 支援自体はありがたい。円卓が実際に人を助けていることも、ここへ来れば分かる。だからこそ、聞いておきたいことがあった。


「協力パーティーになった場合、受ける依頼を円卓側で決められることはありますか?」


「相談はします。優先してほしい案件をお願いすることもあります」


「最終的には?」


「通常時なら、お二人で決定していただきます」


 答えは早かった。


「非常時は別です。街の防衛や、多数の負傷者が出ている時に『今日は別の依頼へ行きます』と言われれば、止めることはあると思います」


「なるほど」


 筋は通っている。それが悪いとも思わない。ただ、自分がそこまで預けたいかは別だった。


「エルザさんは、どう思います?」


 俺は隣を見る。エルザは帳面ではなく、俺を見た。


「そうですね……確かに支援には利点があります」


 それからエリカへ向き直る。


「ですが、今すぐ協力登録や所属をする必要はないと思います」


「理由を伺っても?」


「私は、ノワールさんと相談して決めたいからです」


 短い答えだった。


「今のところ、二人で対応できない問題が起きているわけでもありません。必要になった時に、改めて相談したいです」


 俺は頷いた。エリカは少し考えてから頷いた。


「分かりました」


「では今日は、資料だけお持ち帰りください。相談窓口はいつでも使えます」


「ありがとうございます」


「それと――話は変わりますが」


 エリカの目がリンへ向いた。


「先ほど外で、女神像の近くにいましたよね」


「はい」


 エルザが答える。


「リンはお腹が空いていたらしいのですが、女神像のところへ行ったあと、『おなかいっぱい』と言いました」


 エリカの指が、資料の端で止まった。ほんの一瞬。リンを見て、それからエルザへ視線を移す。


「……そうですか」


「精霊には、よくあることなんでしょうか」


 俺が聞く。エリカは少し考えてから首を横に振った。


「少なくとも、私は聞いたことがありません。一般的に契約した精霊は契約者の魔力を求めるそうです」


「やっぱり珍しいんですね」


「ええ。私も少し興味があります」


 それだけ言って、エリカはまた穏やかに笑った。


「もしリンさんが嫌がらなければ、また来た時に様子を見せてもらってもいいですか?」


 エルザがリンを見る。


 ちりん。


「何て?」


「『いいよ』だそうです」


「気に入ったみたいです」


「それなら良かったです」


 微笑むエリカの返事は普通だった。


 その時、若い職員が奥から駆けてきた。


「代表、西区画の負傷者について確認をお願いします」


「分かりました」


 エリカはすぐに立ち上がる。


「申し訳ありません。今日はここまででもよろしいでしょうか」


「もちろんです」


「資料を読んで、分からないことがあればまた来てください」


 エリカは頭を下げ、職員と一緒に奥へ向かった。今度は視線を逸らせた。鈴の音は鳴らなかった。エリカはすぐに別の冒険者の話を聞き始める。


 ここへ来る前は、大きな組織からの勧誘という言葉ばかり気にしていた。でも、窓口の向こうには、実際に助けられている人がいる。


 それは見れば分かった。


 俺たちは案内所を出た。


◆


 外へ出ると、リンがまた女神像へ寄っていった。今度は少し近づいただけで、すぐに戻ってくる。


 ちりん。


「また食べるんですか?」


「『もういい』」


「満腹なんですね」


「そうみたいです」


 ようやく一つ解決した。何を食べたのかは、まったく分からないけれど。エルザが女神像を見上げる。


「ここへ来れば、またリンの空腹を満たせるかもしれません」


「それなら、時々来る理由ができましたね」


「はい」


 リンがちりんちりんと鳴った。


「『ここ』『またくる』」


「本人もその気ですね」


◆


 大通りへ戻る。エルザは受け取った資料を鞄へしまった。


「悪い話ではありませんでしたね」


「はい」


「所属しない人まで追い返すわけでもないですし」


「実際に助けられている方もいました」


「だから、必要になったら頼りましょう」


 エルザが頷く。


「はい。必要になった時は、二人で相談します」


 それで十分だった。


 しばらく歩いたところで、エルザが口を開く。


「……ノワールさん」


「はい」


「エリカさんの顔、気になりましたか」


 思いがけない質問だった。


「いいえ。綺麗な人だとは思いましたけど」


 エルザの歩く速度が上がった。


「……胸が大きな女性がお好みですか?」


 来た。嫌な方向から来た。


「いや、そういう話では――」


 エルザは返事を待たず、帳面を取り出した。


「エルザさん」


「はい」


「何を書いてます?」


「ノワールさんは胸の大きな女性が好み、と」


「待って……待ってください。話し合いましょう」


「記録ですので」


「いや……それ記録する必要あります?」


「パートナーの好みは重要かもしれません」


「何に使うんですか、その情報!」


 エルザは答えない。ただ、口元だけは笑っていた。リンがちりんと鳴る。


「……リンまで何か言ってません?」


 エルザが帳面を閉じた。


「訳しません」


「余計に気になるんですけど」


 俺たちはそのまま、石畳を歩いていった。


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