第30話 守られる場所
翌朝、冒険者ギルドの前へ行くと、エルザは入口の脇で待っていた。耳の上にはリン。
「おはようございます」
「おはようございます、ノワールさん」
ちりん。
「リンも、おはようございます」
ちりん。
「まだお腹は空いてます?」
エルザがリンへ目を向ける。
ちりん。
「空いているそうです」
「変わりませんか」
「はい」
ミラからも、まだ精霊に詳しい人は見つかっていないらしい。エルザが鞄から《翠緑の円卓》の書簡を取り出した。
「では、先に円卓へ行きましょう」
「はい」
俺たちは書簡に書かれた場所へ向かった。
◆
《翠緑の円卓》の案内所は、大通りから外れた静かな区画にあった。大きな城館を想像していたが、実際は平屋の木造建築だった。軒先には深緑の垂れ布。入口の脇には、小さな石造りの女神像が置かれていた。
長い衣をまとい、何も持たない両手をゆるく前へ開いている。
祈りのためのものなのだろう。
台座には花や木の実がいくつか供えられている。
「綺麗な女神像ですね」
俺がそう言うと、エルザが像を見た。
「こういうところにもあるんですね」
お地蔵様みたいだ。軽く祈ろうかと、俺が足を止めた時だった。リンが、ふわりと浮いた。
「リン?」
エルザが呼ぶ。リンは返事をせず、女神像へ近づいていった。像の肩のあたりまで上がり、その場で止まる。白い身体の輪郭が、いつもより少し明るく見えた。
女神像の輪郭にも、薄い光が重なったような気がした。
「……何してるんでしょう」
「分かりません」
エルザも見つめている。しばらくすると、リンの光がゆっくり落ち着いた。
ちりん。
エルザが一瞬だけ目を見開いた。
「『おなかいっぱい』と言いました……」
「え?」
リンは何事もなかったように戻ってきて、エルザの髪へ収まった。俺とエルザは女神像を見る。木の実も花も減っていない。
「……食べたんですかね」
「何をでしょう」
「そこから分かりませんね」
「はい」
少なくとも、パンではなかった。
「リンは分からないことばかりですね」
「本当に」
エルザが答えたところで、建物の中から人の声がした。俺たちは女神像をもう一度見てから、案内所へ入った。
◆
中は思っていたより広かった。窓口の前には、いろいろな人がいる。子どもを連れた女性。片足へ布を巻いた男。
若い職員に食事札の説明を受けている老人。奥では毛布や衣服を仕分けている人たちもいた。困っている人を集めているというより、必要なところへ必要なものを渡している場所に見えた。その中央で、一人の女性が職員と話していた。
「マルクさんのところは、今週いっぱい軽作業へ回してください。荷降ろしは足が治ってからで構いません。それから、あちらの方には毛布を一枚。……あなたも一度休んでくださいね」
「はい、代表」
若い職員が頭を下げる。女性は台帳を閉じ、こちらを向いた。無駄のない立ち方。相手の話を聞きながら、何を先にやるかを自然に決めていく様子。
――看護師に向いていそうだ。
女性が近づいてくる。淡い翠色の瞳。整った深緑の上着。隣で、エルザが小さく咳き込んだ。
「お待たせしました。エリカと申します。《翠緑の円卓》で、この案内所を含む保護と支援を預かっています」
エリカが頭を下げる。その動きで、深緑の上着の胸元が沈んだ。視線がそちらへ引っ張られる。
ちりん。
何故このタイミングで鳴いた。
まずい。
慌てて視線を顔へ戻した。
俺はどのくらいの時間囚われていた?
エルザに気づかれただろうか。
いや、一瞬の出来事だ。きっと大丈夫だ。
エリカは気づいたのか気づいていないのか、何事もなかったように姿勢を戻す。
「〈コンパス〉のノワールさんと、エルザさんですね」
「はい。ノワールです。本日はありがとうございます」
「エルザです。よろしくお願いいたします」
エリカがリンを見る。
「その子が、噂の精霊ですか?」
「リンです」
ちりん。
「契約はしていません。自分でついてきています」
聞かれる前にエルザが答える。
「そうでしたか」
エリカは一度頷き、それ以上は聞かなかった。
「こちらへどうぞ」
俺たちは奥の応接卓へ案内された。
◆
薄い茶が三つ置かれた。エリカは資料を広げる。
「今回お呼びしたのは、固定パーティーを組まれたばかりのお二人へ、活動状況を伺うことと、利用できる支援をご説明するためです」
「お願いします」
「まず、円卓へ所属しなくても使えるものがあります」
意外だった。
「相談窓口、食事や一時宿泊についての案内、提携している治療院や装備補修先の紹介です。ただし、費用の補助や優先枠は、円卓と協力関係にある方が中心になります」
「所属しないと、何も使えないわけではないんですね」
「はい。困っている人へ、所属していないから帰ってくださいとは言いたくありませんので」
エリカは普通に言った。窓口で見た光景とも一致している。
「もう一段深い支援として、協力パーティー登録があります。円卓の依頼を優先的にご案内したり、負傷時の費用補助、問題が起きた時の仲裁などを行います」
「その代わり、こちらにも協力が必要になる」
「そうですね」
エリカは頷いた。
「防衛や大規模な救護など、人手が必要な時にはお願いすることがあります」
「断れますか?」
「事情は聞きます。正当な理由があるのに無理をさせるつもりはありません」
少し考える。
「正当な理由がない場合は?」
エリカは困ったように笑った。
「協力する約束をしていただいた以上、お願いはしますよ」
「ですよね」
そこを曖昧にしないのは好感が持てた。
「正式な所属まで進むと、さらに支援は厚くなります。ただ、その分、円卓の方針に沿って動いていただく場面も増えます」
「選べるんですね」
「選んでいただくための面談ですから」
エリカが資料をこちらへ向ける。
「お二人とも、まだ登録から日が浅いですよね。旧採石場では怪我なく戻っていますが、二人だけで動く以上、どちらか一人が動けなくなった時に困ることは多いと思います」
昨日の川辺を思い出した。遠い相手への手段すら、まだ試し始めたばかりだ。
「それは、その通りです」
「だから所属してください、とは言いません」
エリカは茶へ手を伸ばした。
「ただ、助けを借りられる場所があることは覚えておいてください。助ける側の人ほど、自分が頼る先を作らないことがありますから」
少し耳が痛かった。セイにも似たようなところを突かれている。
「俺、そう見えます?」
「ギルドの記録だけでは、そこまでは」
エリカが微笑む。
「今のお話を聞いて、少しだけ」
「気をつけます」
隣でエルザが無言で頷いた。圧力のようなものを感じる。気のせいだと思いたい。俺は資料を見る。
支援自体はありがたい。円卓が実際に人を助けていることも、ここへ来れば分かる。だからこそ、聞いておきたいことがあった。
「協力パーティーになった場合、受ける依頼を円卓側で決められることはありますか?」
「相談はします。優先してほしい案件をお願いすることもあります」
「最終的には?」
「通常時なら、お二人で決定していただきます」
答えは早かった。
「非常時は別です。街の防衛や、多数の負傷者が出ている時に『今日は別の依頼へ行きます』と言われれば、止めることはあると思います」
「なるほど」
筋は通っている。それが悪いとも思わない。ただ、自分がそこまで預けたいかは別だった。
「エルザさんは、どう思います?」
俺は隣を見る。エルザは帳面ではなく、俺を見た。
「そうですね……確かに支援には利点があります」
それからエリカへ向き直る。
「ですが、今すぐ協力登録や所属をする必要はないと思います」
「理由を伺っても?」
「私は、ノワールさんと相談して決めたいからです」
短い答えだった。
「今のところ、二人で対応できない問題が起きているわけでもありません。必要になった時に、改めて相談したいです」
俺は頷いた。エリカは少し考えてから頷いた。
「分かりました」
「では今日は、資料だけお持ち帰りください。相談窓口はいつでも使えます」
「ありがとうございます」
「それと――話は変わりますが」
エリカの目がリンへ向いた。
「先ほど外で、女神像の近くにいましたよね」
「はい」
エルザが答える。
「リンはお腹が空いていたらしいのですが、女神像のところへ行ったあと、『おなかいっぱい』と言いました」
エリカの指が、資料の端で止まった。ほんの一瞬。リンを見て、それからエルザへ視線を移す。
「……そうですか」
「精霊には、よくあることなんでしょうか」
俺が聞く。エリカは少し考えてから首を横に振った。
「少なくとも、私は聞いたことがありません。一般的に契約した精霊は契約者の魔力を求めるそうです」
「やっぱり珍しいんですね」
「ええ。私も少し興味があります」
それだけ言って、エリカはまた穏やかに笑った。
「もしリンさんが嫌がらなければ、また来た時に様子を見せてもらってもいいですか?」
エルザがリンを見る。
ちりん。
「何て?」
「『いいよ』だそうです」
「気に入ったみたいです」
「それなら良かったです」
微笑むエリカの返事は普通だった。
その時、若い職員が奥から駆けてきた。
「代表、西区画の負傷者について確認をお願いします」
「分かりました」
エリカはすぐに立ち上がる。
「申し訳ありません。今日はここまででもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
「資料を読んで、分からないことがあればまた来てください」
エリカは頭を下げ、職員と一緒に奥へ向かった。今度は視線を逸らせた。鈴の音は鳴らなかった。エリカはすぐに別の冒険者の話を聞き始める。
ここへ来る前は、大きな組織からの勧誘という言葉ばかり気にしていた。でも、窓口の向こうには、実際に助けられている人がいる。
それは見れば分かった。
俺たちは案内所を出た。
◆
外へ出ると、リンがまた女神像へ寄っていった。今度は少し近づいただけで、すぐに戻ってくる。
ちりん。
「また食べるんですか?」
「『もういい』」
「満腹なんですね」
「そうみたいです」
ようやく一つ解決した。何を食べたのかは、まったく分からないけれど。エルザが女神像を見上げる。
「ここへ来れば、またリンの空腹を満たせるかもしれません」
「それなら、時々来る理由ができましたね」
「はい」
リンがちりんちりんと鳴った。
「『ここ』『またくる』」
「本人もその気ですね」
◆
大通りへ戻る。エルザは受け取った資料を鞄へしまった。
「悪い話ではありませんでしたね」
「はい」
「所属しない人まで追い返すわけでもないですし」
「実際に助けられている方もいました」
「だから、必要になったら頼りましょう」
エルザが頷く。
「はい。必要になった時は、二人で相談します」
それで十分だった。
しばらく歩いたところで、エルザが口を開く。
「……ノワールさん」
「はい」
「エリカさんの顔、気になりましたか」
思いがけない質問だった。
「いいえ。綺麗な人だとは思いましたけど」
エルザの歩く速度が上がった。
「……胸が大きな女性がお好みですか?」
来た。嫌な方向から来た。
「いや、そういう話では――」
エルザは返事を待たず、帳面を取り出した。
「エルザさん」
「はい」
「何を書いてます?」
「ノワールさんは胸の大きな女性が好み、と」
「待って……待ってください。話し合いましょう」
「記録ですので」
「いや……それ記録する必要あります?」
「パートナーの好みは重要かもしれません」
「何に使うんですか、その情報!」
エルザは答えない。ただ、口元だけは笑っていた。リンがちりんと鳴る。
「……リンまで何か言ってません?」
エルザが帳面を閉じた。
「訳しません」
「余計に気になるんですけど」
俺たちはそのまま、石畳を歩いていった。




