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明日も、ダンジョンへ。  作者: 為書結依
第二章 三人で帰る

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第29話 水を硬くする


 フィロスたちと別れ、そのまま冒険者ギルドへ戻った。配達の完了報告を済ませてから、窓際の卓へ座る。道具袋から《翠緑の円卓》の書簡を取り出してエルザへ渡す。エルザが書簡を開く間、リンは耳の上で白と薄緑の光を小さく畳んでいた。


「書簡、どうでした?」


「ミラさんから聞いた内容と同じです。新人向けの相談と支援制度の案内。面談は任意です」


「なら、明日行ってみますか」


「はい。私も一度、話を聞いてみたいです」


 エルザは書簡を畳み、鞄へしまった。


「このあと、どうしますか?」


「試したいことがあります」


「何でしょう」


 今朝の稽古の話をした。届かない相手を追って、前へ出て、あっさり止められたこと。エルザは聞き終えると、少し考えた。


「ノワールさんだけではありません」


「と言うと?」


「私も遠い相手には、あまりできることがありません」


 腰の短剣へ手を置く。


「投げることはできますが、普段の短剣を失う可能性があります。外した場合の回収も必要です」


「弓は?」


「使ったことがありません」


「俺もです」


 二人で少し黙った。俺は自分の手を見る。剣以外で、今使えるもの。一つしか思いつかなかった。


「水なら、飛ばせますかね」


「水魔法ですか?」


「はい。攻撃になるかは分かりませんけど」


 エルザはすぐには答えず、俺の手と窓の外を見た。


「ここで試すのはやめた方がいいと思います」


「それは俺もそう思います」


「川辺へ行きましょう」


「賛成です」


◆


 ギルドを出たあと、途中で簡単に昼食を済ませ、王都の南側を流れる川まで歩いた。人の少ない浅瀬を選び、荷物を少し離れた場所へ置く。リンがエルザの肩の近くを漂い、時々川面へ降りていく。


「まず、水を前へ出してみます」


 右手を上げる。掌の上へ水を作り、そのまま前へ押す。ばしゃっ。


 水は一応飛んだ。ただ、少し先の石へ当たり、きれいに弾けただけだった。リンが飛沫を避けて上へ逃げる。


 ちりん。


「『みず』」


「水を知ってるんですか、えらいですね」


 ちりん。


「何て?」


「もう言いません」


 エルザが目を逸らした。たぶん、ろくなことではない。


 もう一度やる。今度は少し速く。さっきより遠くへ飛んだが、結果は同じだった。石が濡れる。それだけだ。


「これでは止まりませんね」


「ですよね」


「目に入ればちょっと嫌かもしれません」


「攻撃手段としては弱すぎません?」


「はい」


 即答だった。俺は濡れた石を見る。水は当たった瞬間に広がってしまう。広がらず、そのままぶつかればもう少しましなのだろうか。


「……硬ければいいんですかね」


「水を?」


「自分で言っておいて変ですけど」


 水を硬くする。握って固めるような感覚では、うまくいく気がしない。しばらく水面を見ていて、ようやく当たり前のことを思い出した。


「凍らせれば硬くなりますね」


 エルザが瞬きをした。


「できるんですか?」


「それは分かりません」


 そこが問題だった。水魔法で水を出すことはできる。動かすこともできる。でも、冷やしたことはない。


「とりあえず、やってみます」


 掌へ小さな水の塊を作る。


 冬の朝を思い出す。冷たい水。製氷機の氷。氷嚢。指先へ残る、氷の硬さ。水が氷になることは知っている。知っているが、それを魔法でどうやるのかは分からない。


 とにかく、冷たくなるように意識した。しばらく待つ。何も起きない。


「……変わりませんね」


「はい」


「もう少し冷たく……」


 力を込める。水球が揺れた。形を保とうとすると、今度は冷たくする方へ意識が向かない。冷たさを考えると、水が崩れる。


 ばしゃり。全部落ちた。


「難しいですね」


「……大きすぎるのではないでしょうか」


 エルザが言った。


「大きい?」


「今、一度に全体を凍らせようとしていましたか?」


「そうですね」


「もっと小さければ、やりやすいかもしれません」


 確かに。言われるまで思いつかなかった。


「試しにやってみます」


 次は水をほんの少しだけ出した。指先の上に浮かべる。今度は形を作るより、冷たくする方へ意識を寄せた。


 水の表面が白く曇った。


「……お?」


 すぐに崩れた。指先を冷たい水が伝う。


「今、少し変わりました」


「ええ。私にも白く見えました」


 もう一度。さらに小さく。冷たく。動かさない。


 水の表面へ薄い白さが広がる。ぴしっ。


 小さな音がした。触れてみる。硬い。


「できた」


 その瞬間、薄い氷が割れた。中の水がこぼれる。


「……終わりました」


「でも、今は硬かったですよね」


「はい」


 割れた欠片を見る。表面は固まっていたのに、中の水はそのままだった。


「今度は、中の水を動かさないようにしてみます」


「水をですか?」


「はい。できるだけ静かにして……真ん中から冷たくしてみます」


 リンが近づいてくる。割れた氷の欠片の上を一度回り、すぐに離れた。


 ちりん。


「『つめたい』」


「リンにも分かるんですね」


 俺はもう一度、水を作る。今度は最初から小さな塊にした。揺れないように保ち、中心へ意識を寄せる。


 そこから冷たさを広げようとする。一度失敗。二度目も途中で崩れた。


 三度目。掌の上に、歪んだ氷の欠片が残った。


 透明ではない。中に白い筋が入り、形もいびつだ。それでも水ではなかった。指で触れても、すぐには崩れない。


「氷です」


「氷ですね」


 二人で同じことを言った。なんだか少しおかしくなった。


◆


 問題は、そこからだった。


「これを飛ばせれば、一応は遠くへ届きますよね」


「当たれば、ですが」


「まず飛ぶかどうかですね」


 川辺の平たい岩へ向ける。掌の氷へ、さっき水を飛ばした時と同じ感覚で力を乗せた。ぽとっ。足元へ落ちた。


「……飛びませんね」


「はい」


 二回目。今度は押し出す方へ強く意識を向ける。氷は前へ飛んだ。狙った岩とは全然違うところへ。水辺へ落ちて、砕けた。


「飛びました」


「飛びましたね」


「当たりませんでしたけど」


「はい」


 喜んでいいのか分からない。


 もう一度。次はもう少し前へ。その次は、もう少し狙って。氷が岩の手前まで届いた時には、次は当てられる気がしていた。


◆


「――さん」


 もう一度、掌に水を作る。


「ノワールさん!」


 名前を呼ばれて顔を上げた。


「はい?」


「そろそろ、日が傾いています」


 言われて空を見た。木の影が、来た時よりずいぶん長い。少し試すだけのつもりだった。


「……何回やってました?」


「数えていません。十回は超えていたと思います」


 覚えているのは五回目くらいまでだ。そこから先は、次の一回のことしか考えていない。


 昔からこれだった。始める前に終わりを決めておかないと危ない。決めておいても、気がつくと過ぎている時もある。


 それでも、もう一度だけ作ろうとして、頭が重くなっていることに気づいた。


 水を作る。小さく保つ。冷たくする。固める。飛ばす。


 一つずつなら大したことがないように思えるのに、続けると急に面倒になる。


「ちょっと休みます」


「そうしてください」


 俺が岩に腰かけると、目線の先にエルザが立ってこちらを見ていた。それを見て気づく。敵だけ見て撃ったら、エルザが動いた先へ飛ぶこともある。


「……これ、二人で使うには射線も考えないと駄目ですね」


「そうですね。私も動きますから」


 エルザが短剣の柄へ触れる。


「ノワールさんが撃つ時に、私が前へ入らないようにする必要がありますね」


「逆に、エルザさんがどう動くか確認するまで撃たない方がいいですね」


「それが安全だと思います」


「合図も決めます?」


「はい」


 話してみると、試す前より面倒が増えた。


「実戦で使えるのは、だいぶ先ですね」


「まだ使える段階ではありませんからね」


「そんなにはっきり言わなくても」


「でも、当たりませんよね?」


「まあ……それはそうですけど」


 手厳しい。リンがちりんと鳴いた。エルザはリンに向けて頷いた。


 なんだったのか。


◆


 河原の石へ腰を下ろした。水筒の水を飲み、手を握ったり開いたりする。疲れているのは腕ではない。頭の方だった。


 指先が、わずかに震えていた。握り直すと止まる。開くとまた戻ってくる。腹の方も、昼は食べたはずなのに空いていた。


 覚えのある感じだった。夜勤明けに、食べそびれたまま記録を書いている時の手だ。血糖が下がった患者の、震える指先も見てきた。


 ただ、同じだと決めるのは早い。血糖が下がる心当たりはない。減ったとすれば、魔力の方だ。似ているというだけで、同じ物とは限らない。


「ノワールさん」


 エルザが鞄を開けていた。


「甘い物はお持ちですか」


「持ってないです」


 布包みが差し出された。中には干した果実が並んでいる。皺の寄った小さな塊で、表面に薄く粉を吹いていた。


「魔力を使った日は、甘い物を食べて休むと戻りが早いです」


「そういうものなんですか」


「そういうものなんです」


 それ以上説明する気はないらしい。誰かに教わった話というより、自分でも試したことがありそうな言い方だった。エルザも、色々と試しているうちに無茶をしたことがあるのかもしれない。そう思うと、少し意外で、少し納得もした。


 一つ摘まんで口へ入れる。噛むと、見た目より濃い甘さがきた。リンが布包みを一度だけ覗きにきて、すぐエルザの髪へ戻った。果実を食べようとはしなかった。


 しばらくして、指の震えは目立たなくなった。腹も落ち着いている。ただ、頭の重さの方は残ったままだった。


「戻りましたか」


「震えは止まりました。ただ、もう一回氷にしろと言われたら、たぶん無理です」


「それは休んでからにしてください」


 エルザは布包みを閉じ、俺の側へ置いたままにした。


「今日は、氷にできたところまでですね」


 エルザが帳面へ書きながら言った。


「飛ばすのは一応できましたよ」


「狙った場所には届いていません」


「厳しいですね」


 昨日まで、水は水のままだった。今日は、少しだけ氷になった。それ以上はまだできない。でも、何を練習すればいいのかは分かった気がした。


 立ち上がって荷物を持つ。


◆


 夕方、王都へ戻った。門を抜けたところで、エルザが鞄から円卓の書簡を取り出す。


「明日は、この場所へ行けば良いみたいです」


 書簡の端に書かれた案内を指す。


「分かりました。朝、ギルドで待ち合わせますか」


「はい」


 ちりん。


 リンが耳の上から浮いた。


「今度は?」


 エルザが少し困った顔をした。


「『おなかすいた』」


「まだ解決してませんでしたね」


「はい」


 リンは俺たちの間を一度回って、またエルザの髪へ戻った。明日は《翠緑の円卓》。その前に、ミラから何か聞ければいいのだけれど。俺たちは書簡の場所をもう一度確かめてから、それぞれの宿へ戻った。


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