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ベストフレンズ  作者: 菊池まりな


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第4話 準備期間

 七月に入ると、学校の空気が少し変わった。


 文化祭まで二ヶ月。早い話だと思うかもしれないが、この学校では七月から準備が始まる。クラスの出し物を決めて、役割を決めて、少しずつ形にしていく。その過程が、この学校の文化祭の半分だった。


 悠真はそういう行事が嫌いではなかった。


 得意でもないけれど、みんなで何かをやっている時間の、あの雑然とした感じが、わりと好きだった。




 ホームルームで出し物の案出しをした。


 黒板に書かれた候補は七つ。お化け屋敷、喫茶店、謎解き脱出ゲーム、縁日、映画上映、展示、ゲームセンター。


 意見が飛び交う中、悠真は後ろの席でノートに落書きをしながら聞いていた。


 前の席の恒一が振り返った。


「悠真はどれがいい?」


「なんでもいい」


「そういう答え、一番困るんだよなー」


「お化け屋敷は毎年どこかがやるから被るだろ」


「じゃあ喫茶店?」


「料理できる人がどれだけいるかによる」


「現実的なこと言うね」


 恒一は前に向き直って、「喫茶店はどうですかー」と挙手した。クラスの反応は悪くなかった。


 紗奈は前から三番目の席で、議論の流れをノートにまとめていた。クラス委員ではないのに、こういう時に自然と記録係になる。昔からそういう人だった。


 玲奈は窓際の席で静かに聞いていた。


 意見は言わない。でも話の流れをちゃんと追っている。その目が、悠真にはなんとなく分かった。




 結局、クラスの出し物は「縁日風喫茶店」になった。


 フランクフルトとジュース類を提供しながら、縁日ゲームのコーナーも設ける、という折衷案だった。誰が言い出したのか分からないが、なぜかクラス全体がそれで納得した。


 放課後、準備の担当決めが始まった。


 調理班、装飾班、ゲーム班、広報班。


 悠真は広報班に入った。ポスターやPOPを作る担当だ。写真部だからという理由で半ば自動的に決まった。


 紗奈は調理班の取りまとめになった。これも自動的に、だった。「紗奈なら任せられる」という空気が自然に生まれる。クラスの中でそういうポジションに収まっていた。


 玲奈は装飾班に入った。


 自分から「こっちにします」と言った。初めて自分から意見を言った瞬間だった。




 最初の広報班のミーティングは、図書室の隅の机でやった。


 メンバーは四人。悠真と、クラスの女子二人と──それから玲奈だった。


「橘さん、広報じゃなかったっけ」と悠真が言うと、


「装飾と兼任することになりました」と玲奈は答えた。「写真素材を使いたいって装飾班が言って、それで」


「なるほど」


 結果的に、悠真と玲奈が一緒に作業する時間が生まれた。


 特に意識したわけではなかった。ただそうなった、という話だった。


 ミーティングでは、ポスターのデザイン案を出し合った。


 玲奈は手元のノートに、さらさらとレイアウトを描いた。


 手慣れていた。


「デザイン、やったことあるんですか」と悠真が聞いた。


「前の学校で似たようなことをやったので」


「センスありますね」


「褒めすぎです」と玲奈は言ったが、否定はしなかった。


 女子二人が玲奈のデザイン案を「かわいい」「これがいい」と盛り上がっている間、悠真は自分のカメラを取り出した。


「素材写真、俺が撮ってもいいですか」


「お願いしたいです」と玲奈が言った。「どんな写真が欲しいか、相談しながら決めましょう」


「じゃあ後で話しましょうか」


「はい」


 自然な流れだった。


 仕事上の話し合い。それだけのことだった。




 ミーティングが終わって、女子二人が先に帰った。


 図書室に悠真と玲奈が残った。


 窓から夕方の光が入っていた。本棚が長い影を作っている。


 悠真はカメラを持ち直して、何気なく窓の方向にレンズを向けた。


 シャッターを切った。


「今のは?」と玲奈が聞いた。


「光がよかったので」


「ポスター用じゃないんですね」


「これは自分用です。ポスター用は別途ちゃんと撮ります」


 玲奈は少し考えてから言った。


「撮ってもらえますか、私を」


 悠真は玲奈を見た。


「いいですけど……なんで急に」


「前の学校でも写真部の人に撮ってもらったことがあって」と玲奈は言った。「その写真が今も好きで。転校する前の自分の記録みたいな感じで」


「記録」


「はい。今ここにいた、っていう証明みたいな」


 悠真はカメラを構えた。


 ファインダー越しに玲奈を見た。


 玲奈は窓の方を向いていた。カメラを意識していない顔。夕方の光が横から当たっていた。


 悠真はシャッターを切った。


 一枚。


 それから玲奈がこちらを向いた。


「撮れましたか」


「撮れました」


「見せてもらえますか」


 悠真は液晶を向けた。


 玲奈は自分の写真を見て、少しの間黙っていた。


「どうですか」と悠真が聞いた。


「……きれいに撮ってもらいましたね」と玲奈は言った。「でも」


「でも?」


「なんか、遠い感じがします。ちゃんと写ってるのに、遠い」


 悠真は自分が撮った写真をもう一度見た。


 確かにそうかもしれなかった。技術的には悪くない。光もいい。でも何か、距離がある。


「俺、人物撮るの苦手で」と悠真は言った。「近づけないんですよね、被写体に」


「なんで」


「踏み込む感じがして」


 玲奈は少し考えてから言った。


「写真は踏み込まないと、伝わらないこともあると思います」


「そうなんでしょうね」


「朝比奈くんって、写真以外でも、そういうところありますか」


 悠真は答えなかった。


 答えられなかった、という方が正確だった。


 玲奈はそれ以上追わなかった。


「ごめんなさい、また変なこと聞いて」


「いや」と悠真は言った。「否定できないので」


 玲奈はわずかに笑った。


「正直ですね、やっぱり」


「そこだけは」




 帰り際、廊下で紗奈に会った。


 調理班のミーティングが長引いたらしく、紗奈は少し疲れた顔をしていた。


「終わった?」と悠真が聞いた。


「やっと。メニューでもめて」


「何がもめたの」


「フランクフルトの種類。誰かがチーズ入りにしたいって言い出して」


「どうなったの」


「両方やることになった。面倒くさい」


 そう言いながらも、紗奈の口元は少し緩んでいた。文句を言いながら楽しんでいる。そういう顔だった。


 玲奈が横にいることに、紗奈が気づいた。


「橘さんも広報だったんですね」


「兼任で」と玲奈は答えた。


「大変じゃないですか」


「大丈夫です。やることが決まってる方が楽なので」


 紗奈は少し意外そうな顔をした。


「そういうタイプなんですね」


「そうみたいです」


 短い会話だった。


 でも悠真は、その短い会話の中で、二人がちゃんとお互いを見ていることに気づいた。


 値踏みとか、警戒とか、そういうものじゃない。ただ──確認している感じ。


 どういう人なのか、を。




 三人で昇降口まで歩いた。


 校門のところで、玲奈は「こっちなので」と言って別の方向へ歩いていった。


 悠真と紗奈が並んで歩き始める。


 少し経って、紗奈が言った。


「橘さんって、大人っぽいね」


「そう思う?」


「うん。なんか、ちゃんと考えてから話す感じがして」


「転校が多いらしいから」


「そっか」


 紗奈はしばらく黙った。


 信号待ちの間、空を見上げた。七月の夜前の空は、まだ明るさが残っていた。


「悠真って、橘さんと話しやすい?」


「話しやすいと思う。なんか、変に気を使わなくていい感じがして」


「ふうん」


 また、「ふうん」だった。


 悠真はその「ふうん」の意味を考えた。


 聞こうとして、やめた。


 聞いたら、何かが動く気がした。


 信号が青になった。


 二人は並んで渡った。


 悠真の二歩分くらい先に、夕方の自分たちの影が伸びていた。




 その夜、悠真はさっき撮った写真を見返した。


 玲奈の写真。光がきれいで、でも遠い写真。


 それから、過去の写真フォルダを遡った。


 気づいたら、紗奈が写っている写真を探していた。


 たくさんあった。意識して撮ったものより、何かの拍子に画面の端に入っていたものの方が多かった。


 笑っている顔。本を読んでいる横顔。コンビニのレジの前で財布を探している後ろ姿。


 全部、本人には撮ったと言っていない写真だった。


 (踏み込む感じがして)


 玲奈に言った言葉が、頭の中で繰り返された。


 被写体に近づけない。


 写真の話だった。


 でも、それだけの話ではないのかもしれない。


 悠真はスマホを伏せた。


 天井を見た。


 いつもの白い天井。いつもの染み。


 答えのない問いを抱えたまま、今夜も眠れなくなりそうだと思った。




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