会話、休む暇などあるはずもなく
「…………くっ」
目の前には湯気立つカツ丼があるというのに、僕はそれに口をつける事ができない。なぜなら、食卓は人と囲む場合は、その人たちと同じタイミングで食べる。
これが人間の常識として存在するため、それに倣わないわけにはいかず、こうして口端に涎を垂らしながら歯噛みするしかない。
「しかし、遅いな」
現在、図書館での初邂逅を経た所であり、その場で依頼内容を聞こうとしたのだが、彼女のお腹が唐突に鳴ったため、食事をしながらという話になった。あと十ページで本が読み終わるという事で先に食堂へと来たのだが、それは全くの失敗だったと反省せざるを得ない。
食べられない悔しさ、その場の判断の猛省、それらは先ほどまで頭の中を支配していたが、数分と経った今では別のことに頭は切り替えられている。
「見られている」
そう、見られている。
それも一人二人という矮小な人数ではなく、少なからず両手で数えられない人数が、この食堂で僕の一挙手一投足を観察している。
ただじっとしているだけなのに、それが正解のはずなのに、何かしらの行動を起こさないといけない気持ちになれば、何かしらの奇行をして興味を惹かねばならない気持ちにもなる。
だから、何もしないことを肯定するために思考を働かせて、何もしないように手と足の筋肉を強張らせて固定をし続ける。
そうでもしなければ、使命感に駆られて踊り狂いでもしそうだ。
「辛そうだね、探求者君」
「…………っ!?」
誰もいなかったはずなのに、待ち侘び続けた向かいの空席に、春夏秋冬先輩が出現した。
「な、何しに来たんですか」
「いやね、初接触がやっと終わったようだからね、感想でも聞こうかなってね」
「感想……ですか」
そんなこと言われても、森が広がっていたこととそれが怪異現象によって引き起こされたんだろうなとしか思わなかった。
状況としてもそれぐらいなもので、それが当然の情報把握だと思う。
「だから、君はダメなんだよ」
「なんですか、人を唐突に貶したりして」
「それだけだから、君はダメなんだよ」
「先輩、心を読みました?」
「大方、ね」
バケモンだろ、この人。
「化物ぐらいじゃないと、ここのトップを張ることはできないよ」
もう読んでいるのも隠す気ないな。
「それで、ダメな僕にヒントでも出そうって所ですか?」
「いや、そんなつもりはないよ」
「え!なんでですか」
「サークル内の解決依頼ならまだしも、君はテスト中だからね。というか、サークルのみんなは私がヒントを許さないと思うけどね」
「なんでです?」
「面白くないからさ」
つくづく考えが合わない連中だ。僕はなぜこんなサークルに入ろうと思うのか。
「それで、なんでそう思うんですか」
「簡単な話さ。探求者君、君は我らミステリーサークルの基本理念を知ってる?」
「いや、知らないです」
元々依頼を出すことしか情報を出されてないのに、それ以上知っているわけないじゃないか。
そんな僕の心を読んだのか、くすりと笑いながら春夏秋冬先輩は告げる。
「未知の体験、だよ」
「未知の体験、ですか」
「そうだよ。例えば何かしらの数式の答えをサークル内の誰かしらが求めようとする。私はそれを見ればすぐわかるだろうから、解くための公式を教えようとするだろう。でも、それはみんなにとって侮辱でしかない。そういうことなのさ」
ぶ、侮辱?
ヒントを与える事が?どうして?
疑問が頭に点となって浮かび上がるが、それが線となって結び合うことはない。
「どうしてかと言うと、それは解法すらわからないという未知を、公式を求めるための旅を、私が邪魔をしたということだからさ」
………とどのつまり、ネタバレが嫌いだから、"無窮の時間"をかけて、ノーヒントで問題に挑む変態集団というわけだ。
「頭おかしい」
「うん、それが正しい反応だ」
「………先輩は、御厨先輩みたいに喜ばないんですね」
「喜ばないよそんなことで。だって、私はすでに極まっているから」
自身ではなく、事実だろう。
それがたとえ錯覚だろうと、そう思わせるほどの材料を提示してもらっているし、それほどの能力を有していると思う。
「閑話だね、余計な話をしてしまった。兎も角、君は我がサークルの基準に則って、テスト中だということも踏まえて、ヒントは与えない。それは、私達の誰であろうとも。無窮の時間とは言えないけど、それなりに時間はある」
「それなりに、ですか」
「そうだよ、時間はどうしたって有限だ。それに、私は足手まといを待ち続けるほど、優しい人間じゃない」
微笑みながら放たれる言葉たちが、まるで無数の槍のように感じる。発射口で待機充填されているであろうそれらは、いつでも殺せるという隠喩だ。
僕は、彼女の手のひらの上で踊り狂うしかないというわけだ。
「上等ですよ。言っときますが、僕もネタバレは嫌いな方なんですよ」
強がりから出た言葉だが、その言葉に彼女は微笑みを浮かべたまま、小さく笑う。
「そうかい、であるなら私も期待して待とう。君が我がサークルの門戸に立てることを」
そう言うと、僕が瞬きをしてる間に、目の前から姿を消した。
まるで、最初からそこに空虚しかなかったように、彼女の存在自体が虚構であるかのように。
「はぁ、疲れる」
多大な疲労感を抱えながら、机に肘をつきながら項垂れる。
肉体的疲労はないのに、フルマラソンを走ったような感覚に襲われる。そこまでの錯覚を引き起こせるのは、大学の頂点としての全能感か、それともミステリーサークルのトップとしての威圧感か。
たった2回だが、これはどうしたってわかる。
僕は、春夏秋冬先輩が苦手だ。
「遅れたね、ってなんで頭を抱えてる」
「あぁ、紫苑さんか。遅かった……っ!?」
もう、勘弁してほしい。
僕は目の前の光景に驚愕するあまり、反射的にそう思った。
と言うのも、かけられた声の主を見ようと顔を上げた瞬間、そこには屍山血河が広がってましたというわけじゃない。というか、そんなものが広がっていれば、情報量に辟易なんぞしてる場合じゃない。
真相は、彼女が、黛紫苑が、森ではなく人としての姿で目の前にいたわけだ。
「あ、か、え?」
僕はそんな間抜けな声を出すしかなかった。
だってそうだろ?
今の彼女は、怪異に行き合っている事実を感じさせないほど、無数に生えていた蔦が髪の毛一本すらないのだから。
「はぁーーー」
「どうしたの、そんな深いため息を吐いて」
「いや、もうなんというか」
もうそろそろ受け入れるべきだろう。
ここは魔窟であると。
「さてと、じゃあ依頼の説明をしようか」
彼女はそんなことを言いながら、おぼんを机の上に乗せて椅子に座る。
「いや、ちょっと待て。いや、待ってください。今、脳が新しい情報を拒んでいるんだ」
「そう、待ち時間の間に自分の研究を進めていたなんて、補欠合格者らしくない。じゃ、私は先に食事をさせてもらうよ」
ツッコミをしたい所だが、下手なことを言うと新事実が次々と出てきそうな気もする。そうなれば、オーバーヒートをしている僕の頭は、爆発を引き起こすだろう。
そうなるわけにはいかないため、一度思考に冷や水をかけるために、一度現実逃避をしよう。
それにしても、端正な顔立ちをしている。女神と評される春夏秋冬先輩と比べればやや劣るが、それでも世間一般からすれば美人と言われるだろう。
つまり、普通に綺麗だ。
最初は半身が植物で覆われていたし、図書館ではほぼ全身が覆われていたから、その差分、要するにギャップであるかもしれないが、それでも充分そう形容してもいいはずだ。
「さっきから黙って私をジロジロと見ているけど、それは容姿の批評をしていますよと言ってるのと同じだよ」
「いや、美人だと思ってね」
「そう、その言葉はありがたいけど、それで嬉しくなるほど、君とはまだ仲を深めてはないからね。嬉しくもなんともないね」
一言余計だよね。
最後、要らなかったよね。
まぁいい、変なナンパみたいになっちまったが、それよりも聞かなきゃいけない事がある。
「そろそろ、依頼内容を聞かせてくれよ」
「やっとか。遅すぎて、食べ終わったよ」
そういうと、彼女は自分のどんぶりを見せて、汁一滴もないことをアピールする。
「すまないな、遅くて。それで、どんな内容なんだよ」
「君は、怪異というのもを知っているか?」
「まぁ、色々と」
「私は、それに寄生されているんだよ」
「寄生……か、そりゃ珍しいことだな。怪異ってのは、本来一つで完結する生物のはずだからな」
「そう、でもその珍しい怪異というのが私の身に巣食っているのさ」
「それで、そいつの名前は?」
「うん、勿忘草だ」
ワスレナグサって、たしか生物の属名だとか科名だった気がする。
「それは、なんかこう寄生している植物の枠名とかじゃなくて?」
「勿忘草っていう名前の怪異よ」
成程、それだけじゃわからん。
「まさかと思うが、というかそれしか思いつかないが、寄生されているからそれを引き剥がせなんて言わないよな?」
「そう言うに決まっているじゃない。そう言う特殊なことに長けているんでしょ?ミステリーサークルは」
いや、長けているかもしれないけど、僕はそうじゃない。というか、そんなことはどうでもいい。
引き剥がすなんて、倒すより厄介だぞ。
そんなこと、あの人は僕にできることだと思っているのか?
依頼の面倒くさと、これからやらなきゃいけない手順の多さに頭を抱えていると、それを見ていた紫苑が口を開く。
「君、もしかしてミステリーサークルの人間じゃない?」
「え?」
「状況からだけど、というか確実にそうだと思うけど、ミステリーサークルの会員ではないけど、関係者ではある。そんな感じだよね?」
ば、バレた。
取り繕うか?いや、彼女は『確実にそう』とわざわざ付け加えた。誤魔化すことや逃げる事はためにならないと事前に忠告してくれたわけだ。となると、僕にできる事は。
「そうだよ、僕はミステリーサークルの会員じゃない」
わかりきった事実を裏付けるための白状しかない。
「そうよね、だったらなんで私が依頼人だと知っているの?」
当然の疑問、当たり前の帰結だな。
さて、どうやって言い訳をしようか。
「言い訳もしていいけど、下手な誤魔化しは論理の破綻を招く。そうなれば、待っているのは一方的な信頼の破綻だけど、それはわかっているんだよね?」
………うぐ。
ここの人間は、逃げ道を一々防がないと気が済まないのか。人間関係において、嘘をつくというのは悪い意味だけに留まらないはずだろ。
「はぁー、わかった。わかったよ」
僕は諦めて、全てを白状した。個人名の一切を伏せることを了承してもらって。
「成程、理解はしたけど、あなたは私の依頼を解決できるの?話を聞く限り、それぐらいの能力であれば備わっているはずという、依頼を振った人間の考えが透けるけど、どうなの?私としても、重要なのは結局そこだから」
彼女は鋭い指摘をしながら、刺すような視線を向ける。僕はそれに対してら嘆息をしながらこう答える。
「できるよ、多少の無理をすれば」
彼女を見据えて、事実を告げる。
すると、彼女は満足気に笑みを浮かべる。
「そう、だったらいいわ」
ピピピッ。
彼女の腕時計からそんな電子音がなると、彼女はすぐさまその音を消す。
「時間ね、そろそろ研究室に行かないと」
「研究室?一年はゼミとかないはずだけど」
「私は特待生だから、ゼミにはすでに席を置いているのよ」
「………さいですか」
彼女は立ち上がると、なぜか僕の方まで歩いてきて、ポケットからスマホを取り出す。
「ほら、連絡先の交換。しないと、君も困るでしょ」
「あ、あぁ」
促されるまま、電話帳へと彼女の電話番号が追加される。
電話帳の件数は3件から4件へと増える。
こうして見ると自分の交流の狭さをひしひしと感じる。
「それじゃあ、私はこれで」
彼女はおぼんを机から取り上げて返却口へと運んだ後、急ぎ足で食堂の外へと消えていった。
「はぁ」
2回目のため息。
無理もない、今日だけで2回の情報の爆弾が爆ぜたのだから。
呆然とする僕、そして目の前には冷え切った手付かずのカツ丼。
どうするかなんて決まっている。
数秒の沈黙の後、僕は箸からスプーンへと持ち替えて、勢いよくどんぶりへと突っ込み、カツとコメをないまぜにしながら口の中に乱雑に放り込む。
やがてスプーンがどんぶりの底に当たり、食い切ったことを確認した後、目の前のおぼんへと丼を勢いよく叩きつける。
「燃えてきた」




