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勿忘草②

翌日、僕は授業をサボることにした。

大学の授業についていけるかという分水嶺であることは重々承知であるが、そんなものは未来の僕がきっとどうにかしてくれるだろう。

責任転嫁ができてない様な気がしないでならないが、そんなことは頭の片隅に押しのけ、図書館へと急ぐことにした。

「やっぱりか」

図書館では昨日のように、領域が展開されていた。つまり、紫苑もサボり仲間というわけだ。

だが、僕はこの光景を確認したわけではなく、中にある本に用がある。

大股で根を跨ぎながら、慎重に前へ前へと進む。汗だくになりながら進む僕とは反対に、他の人は根に関心も興味がないせいか、その足取りは根に阻まれていないようだ。

「くっ、どうなってんだよ」

そんな愚痴をこぼしながら、目的のコーナーへと辿り着く。そのコーナーには、あらゆる歴史や伝承の類が記されたものがずらりと並んでいた。

「えーっと、これか?」

怪異というのは、妖怪やそれに類する奇怪な存在及び、怪奇現象を指し示す。

何でここにきたのかと言われれば、お察しの通り前例を探しにきたというわけだ。

十冊以上の本を抱え、近くの机へと運ぼうとする。

「あっ………」

腕の中から本がこぼれ落ちると、ドスンという鈍器を机に振り下ろしたような音がしたが、周囲を見渡してもこちらを迷惑そうに見ている人間はいない。

「ふぅ………、さて」

安堵と共に本を開き始める。

眉唾物の伝承から、今でも漏れなく語られる大妖怪まで、ページの端から端まで目をスライドさせながら本を流し見する。

そんなことを続けることおよそ2時間が経った頃、僕は何とか持ってきた本を読み切った。

目の疲れから両目の目頭を抑え、この2時間に結論を出す。

「載ってない…………」

どの本にも、近しいものや推測の足がかりになりそうな要素も、その悉くがなかった。

なかった、というのは表現として正しくはないのか。白紙になっていた、というのがわかりがいいか。

「白紙になっていた…………」

頭の整理をしていた時、自分の中で思い浮かんだ言葉を反芻する。

「ちょっと、待てよ」

周りを見渡し、僕は図書館の中央を目指す。

紫苑の下にある本の山から、根が絡みついている本を無理やり引き剥がし、推測の確認のために即座に開く。

本の背表紙からページを表紙に向かって急いで捲り続ける。

「………そういうことか」

その開いたページは奇妙だった。

左側のページにはびっしりと文字が書かれていたが、右側にはインクがページの端によっていくように集められていた。

無論、その端には根の断片が僅かに残っていた。

「食事ってこういうことかよ」

これで、食事の意味はわかった。

推測の領域から出ないが、

おそらく"情報の吸収"と言ったところだろう。

そして、歴史書や伝承本の都合の悪い情報を削除しているところを考えるとーーーー。

「こいつ、意思があるのか」

看破してしまったことが口から漏れ出る。すると、根が網目のように瞬時に広がり、勢いよく襲いかかってくる。

「………ッ!」

反射的にすぐさま飛び退き、根の攻撃範囲から逃れる。根は本棚を崩しながらそのまま覆い被さり、その中身に向かって瞬時に根を伸ばす。

数秒後、本棚からポトリと本が落ち、衝撃で中身が開かれるが、それは真っ白になっていた。

「目撃者の排除か。ミステリー本の犯人役か!」

チッ、どうする。

周囲の人間を逃すか?

いや、攻撃規模を考えるとそんな悠長なことをしている時間はない。

なら、やることは一つだ。

「紫苑!!」

図書館の暗黙の了解であるところの、沈黙を完全に無視して、大声で呼びかける。

だが、彼女は聞こえた素振りも見せない。

「紫苑!」

返事はない。

「おい!聞こえてんだろ!」

それでも、反応はない。

「黛紫苑!」

最後の呼びかけ。

だが、彼女がそれに応じることはなかった。

「チッ!どうなってやがる」

僕は焦燥していることも臆面もなく吐き捨てる。それに対して、紫苑の顔が僅かに歪んだ気がした。

「フフフフ………」

そして、今度は本の山でゆっくり立ち上がりながら、静かに笑う。

「………ッ!?」

僕が動揺するのも無理からな話だった。

なぜなら、半身だけに収まっていた植物の姿が、完全に全身を覆っていたのだから。

「やっと、やっとですよ。やっとこの子の意識を乗っ取ることに成功しました」

慈悲を向けるような優しげな声とは裏腹に、そんな言葉をそいつは呟く。

「おいおい、本当にこれがサークルの加入条件なのかよ」

外界に影響を及ぼしながら、人格を侵食するような怪異。紛れもなく化物と言っても差し支えない存在。

それに、本気を出せば樹海すら出せるから、大学ごと潰せるはずだ。

これを加入条件にするってことは、これが基準点ってことだ。

「とんだイカれ集団だな」

厄ネタという判断は間違いじゃなかった。

「あれ、まだ君を食べきれてなかったのか。ふむ、食事は最後まで完食しないといけないからね。ここは、人間の流儀で行こう」

怪異の周囲に無数の根が伸び、こちらに向かって狙いが定められる。

「ありがたく思ってくれていい。怪異である私に、人間という情報を与えられる存在になれるんだから」

「や、やばーーー」

勢いよく迫り来る根に対して、僕は思わず目を瞑り、こないことを必死に祈る。

祈る。祈れる。祈れている。

おかしい、なぜまだ僕は生きていられる。

恐る恐る目を開けると、怪異は頭を抑えていた。

「くっ!なぜだ!なぜまだ抵抗する!なぜまだ抗う!この前まで抜け殻のように本を読んでいたやつが、何でこの男を気にする!」

怪異が頭を抑えていると、半身から植物が抜け落ち、その目に僅かな人の光が宿る。

「るっさい。お前が本を読むだけならいい。私を宿主にして、()を成して他人に寄生する。これもまだいい。だが」

ハァハァと息切れをしながらも、彼女は口を開く。

「私の口を、私の体を、誰かを殺す道具にすることは許さない」

紫苑の睨めつけるような眼差しと、ドスの効いた声に怪異は怯えたのか、襲っていたはずの根は少しずつ本の山へと収まっていく。

「紫苑!」

「会って間もない君に、こんな不様を晒すことになろうとはね」

「くだらねぇこと言ってんじゃねぇ!お前死ぬかとしれないんだよ」

「そうだね、そうなんだが」

彼女は屈めていた体まっすぐに伸ばして、僕を見据える。

「だけど、いいんだそれは」

「何を」

「がっ………」

彼女は再び苦しみ始める。今度は葉脈のようなものが半身をじわじわと侵食していく。

「紫苑!」

「いいから!さっさと逃げて」

「だけど!」

「うわああああッ!」

彼女は苦悶の叫びを上げる。

すると口の中から、赤い表紙に金色の文字が書かれた本が飛び出る。そこには、《黛紫苑》と書いてあった。

「フフフ!我ながら上手くいった。人格情報を本にして、それを不要物として外界へと押し出す!今度こそ!今度こそ、乗っ取ることに成功した!」

怪異は喜びに浸る。

それを背にしながら、僕は音を立てずに、一冊の本と共に図書館を後にする。

「ハァハァ………」

逃げた。逃げられた。逃げてしまった。

それでいいのか、それでいいわけない。

背には化物がおり、目の前には何も知らない大学生が沢山。

ここまでくれば、解決しなければならない。

そして、それは今求められる。

だが、凡夫である僕に、それはできない。

「詰み………か」

敗北。挫折。

僕にとっては馴染み深いもの。

重要な局面以外は、何度もしても許されるはずのもの。

「だけど、今はそれだろ」

思考を巡らせるために体を強張らせる。

すると、手には一冊の天才がいたことを思い出す。

人格情報を本にして。

怪異はさっきそう言っていたはずだ。

僕はそんな縋るような思いで本を開く。

「……………くっ」

そこには、文字列だけがあった。

いや、本には思考能力も発声能力もないことは明瞭だ。なのに、何を期待しているんだ、僕は。

「くそ!ここまでか!」

床を叩き、無力を感じながら天井を仰ぐ。

申し訳なさと諦念を感じていると、視界には図書館の文字が入る。

「…………そっか、そうだ」

今日僕は、この怪異の類似例を調べに来たはずだ。

急いで再び本を開き、文字列を冷静にされど速く読み進める。

「やっぱり!」

そこには、消されたはずのものが残っていた。

黛紫苑の過去。

そして、勿忘草という怪異の正体が。

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