勿忘草①
「さて、何から話したもんかな」
そんな事を言いながら思考を整理する彼女を前にして、僕はあんぐりと口を開けながら驚いていた。
実は先ほど図書館からお腹が空いたからと食堂に移動して、それぞれ夕食を買おうと散り散りになった。
そう、そこまでは何もなかった。
何も変わっていなかったんだ。
でも、カツ丼を注文して食べずに律儀に待っていると、彼女は森から人間となって座ってきたのだ。
「は?」
僕はすかさずそんな間抜けな声を出してしまったのだが、彼女はそれに気にする事もなく先ほどのセリフを吐いて見せたのだ。
「あれは小学生のーーーー」
「ちょっと待ってくれ」
「止めないでくれよ。せっかく人が醜い過去を赤裸々に話そうと決心を固めたところなのに」
「いや、それはすまないが、僕にも心の準備というものがな」
怪異はそんなびっくり人間みたいなものじゃなかったはずだ。変人が多いってのは情報収集の時に嫌というほど味わったが、怪異を変質させるほどなのか?
「はぁ、まだ慣れないな。いや、開始1ヶ月で慣れるってのが無理な話か」
「………君、私と同じ一年生か」
「あれ、さっき言ったっけ?」
「言ってないよ。というか、振る舞いと言動、あと思考で大体理解できる」
「思考?」
「気にしないでくれ給え、こっちの話だ」
それにしても、端正な顔立ちをしている。
こういうのはギャップと言うのだろうか。
先ほど覆われていた顔の輪郭が見えたことによって、女性らしいはっきりとした顔立ちだ。
「そんなジロジロと顔を見ているのは、自分の中で批評をしていますと白状しているものだよ」
「いいじゃないか、美人の顔は目の保養になる」
「嬉しい言葉だけど、そんなこと言われて嬉しくなるような間柄じゃないね」
なんか変なナンパみたいになったが、まぁそれはどうでもいい。過去も気になるが、一旦それも棚上げでいい。
それよりも聞きたいことがある。
「なぁ、あんたは、黛さんは本が好きなのか?」
「紫苑でいいよ。いや、そもそも本に対して好悪の感情なんて抱いたことないよ」
「あんなに本に囲まれていたのに?」
「そうだよ。私にとって本は栄養素の一つみたいなもんだからね」
「栄養素の一つ?」
「食事と言っても過言ではないよ。文字一つ一つが食材で、ジャンルが調理法で、本が完成品ってわけだよ」
「………想像するだけでも腹一杯になりそうな量だな」
「だろうね。現実的にいうなら、本一冊で満漢全席と同等と言える」
本来であれば三日間かけて食べる量をあんなにか。過剰摂取もいいところだ。
「でもその食事を終えているのに、まだ食べていると」
「まぁね。それは怪異にとっての食事ってだけで、私のものじゃないよ」
そんなことを言いながら、彼女は目の前のそばを啜り始める。
「は?じゃあ、読書は怪異にとっての食事なのかよ」
「そうだよ」
どうりであんなに鬱蒼とした森を展開できたわけだ。
「ちなみに、あれは図書館だからあの規模なだけで、本来であれば富士の樹海ぐらい作れるよ」
「………どうやって内包してるんだよ」
「それに対して、そこそこ頭がいいと自負している自分としては大変業腹であるけど、わからない、と言わざるを得ないね」
わからないと白状するだけで、こんな遠回しな言い方をするとは。ほんと、天才ってめんどくさい生き物だな。
「仕組みはわからないけど、理由はなんとなく察しがつくけどね」
「マジか」
「怪異に対して、この世の物理法則や定義なんてものが当てはまると予測を立てること自体、おそらく御門違いなんだろうね」
怪異の仕組みはわからないのに、仮説を立てて理解をしようとしている。
「………すげぇな」
「何が」
「いや、学ぶことに対しての姿勢が」
「何を言ってるんだい。こんなものは私にとっての日常に過ぎない。つまり、当たり前なんだよ」
当たり前ね。
それを毎日当然のようできる人間が、天才と呼ばれる一部の人間になるんだろう。
「私からも一つ質問していいだろうか」
「なんだよ」
「君、やっぱりミステリーサークルのメンバーじゃないよね?」
「その心は?」
「都市伝説に語られるような変人さを感じないし、何より」
彼女は僕を見ながら自分の頭に向かって指を指し、小さく指で円を作る。
「頭の良さを感じない」
「要するに?」
「君は馬鹿だ」
すごい。真正面から悪口を言い放ちやがった。
「馬鹿だとなんでミステリーサークル会員じゃないことになるんだ」
「いや、単なる予測と逆算だよ。ミステリーサークルと接触するには、公式サイトを通した依頼だけになるから、会員になるためには依頼を出すという大前提が必要なはず。実際に依頼を出したかは知らないけど、依頼を出すとあの人たちは暗号を出してくるんだよ」
「知ってるよ。まぁ結果はお察しの通りだけどな」
「だよね。あの暗号を解けるのは、学校全体で20人ぐらいしかいないんじゃないのかな」
マジか。
春夏秋冬先輩、選り好みしすぎじゃねぇのか。
「君はそれに届いていると思えないし、届こうという意思も感じない。いや、君の場合は興味が薄いと言った方がいいのかな」
天才は見透かしたことを言いながらも、やがて首を捻る。
「だから、わからない。ミステリーサークルじゃなければ、私が依頼人であることは知らないはず。つまり、君は暗号以外の接触を図った事になる」
天才ってのはすごいな。
僕みたいな馬鹿じゃなくて、目の前のような人間が追求を始めれば、ミステリーサークルは都市伝説にならないだろうに。
「なぁ、なんでミステリーサークルを解明しようとしないんだ?」
「うん?あぁ、どうでもいいからだよ。私を含めて多くの天才もそうだと思うけど、そんなことを気にする前に、学問を極めることが遥かに重要だからね」
「………そうか」
「今度は私の番だ。君はミステリーサークルの会員ではないが、関係者ではあるんだよね?」
口が軽いわけでもなさそうだし、何よりまだ会員じゃない以上隠す必要もないのか。
何より、解決しろとは言われたが、公言するなとは言われてない。
「そうだ。全く、天才様の頭の良さには驚くばかりだな」
僕の答えに対して、天才は数回頷いた後、静かに口を開く。
「褒められるほどのことじゃないけどね」
ピピピッ。
彼女の腕時計が19時を知らせると、急いでそばを飲み干し、瞬時に立ち上がる。
「すまない、今から教授の研究を手伝わなきゃいけないんだ。連絡先はこれになるから、君から連絡してくれ給え」
紫苑は雑に書かれたメモ用紙を僕に押し付けて、丁寧に返却口へと丼を置いた後、食堂を走ってそのまま突っ切って行った。
「よほど重要な研究なんだな」
携帯を取り出して、とりあえず渡されたメモと同じ内容を電話帳へと記録する。
電話帳の件数は3件から4件へと増える。
こうして見ると自分の交流の狭さをひしひしと感じる。
「まぁ、こんなもんで十分だよな」
どうせ連絡帳に10件や100件とか登録されていたところで、実際に話すのは3件や4件ぐらいなもんだ。
「どうやら会話はできたようだね」
「……ッ!?」
携帯から視界を即座に外し、向かいの席へと目を向ける。夜の食堂には先ほどまで僕だけだったはずだ。それは確認する必要もない事だったはず。なのに、さも当然かのように春夏秋冬先輩はそこにいた。
「ふふふ、驚いてくれるねぇ。嬉しい限りだよ」
「あなたは忍者かなんかですか。声をかけられるまで、気配なんて微塵も感じませんでしたよ」
「そんなことないよ。現に、私は君の隣を歩いてきて、ここに座ったんだから」
ニヤニヤと笑う彼女に対して、僕は思う。
白々しい。
タネも仕掛けもあるだろうことは予想できるのに、それが全くわからない。
まるで、手品だ。
いや、この人の場合は存在そのものが手品か。
「んで、何の用ですか。僕はそろそろカツ丼を食いたいんですけど」
買った当初は湯気が立っていたはずなのに、食べずとも冷え切っているのがわかる。
「それは好きなだけ食べていいよ。私の用は食事の妨害じゃなくて、頭の整理を手伝ってあげようかなって。まぁ、老婆心という奴だよ」
「若いのにですか」
「比喩だよ」
「わかってますよ」
やっとの思いで箸に手を伸ばし、真ん中のカツを口の中へと放り込む。うん、冷たい。
「彼女との会話で、何か気になることはあったかな?」
その質問に対して、僕は2枚目のカツを放り込む前に、口の中のコメを飲み込んで答える。
「気になることだらけ、ですかね。具体的にどこがどうだというのは少し難しいですが」
「うんうん、まぁ君にしては上出来なんじゃないかな」
君にしては……って、まだ知り合って数時間ですよね。
僕の回答に対して、春夏秋冬先輩は数回頷いた後、人差し指を立てて横に振る。
「でも、そのままじゃあ加入は無理だね。不可能と断言してもいいくらいだよ」
「それほどですか」
「うん。紫苑さんとの会話を聞く限り、核心に至る要素はいくつもあったけど、君は見逃していたからね」
核心に至る要素。
いや、振り返ってみてもそんなものは浮かびはしなーーー。
「怪異の食事」
僕の思考を遮る様に、春夏秋冬先輩は口を開く。
「あんまり言いすぎるのはこれからのためにはならないからね。だから、ヒントをあげるとしてもこれぐらいだね。まぁこれだけでも、理解できる人間はいるはずだけどね」
怪異の食事?それが何だと言うんだ。
くそ、天才であればこれぐらいは理解できるんだろうか。
「ふふふ、ヒントを出されている時点で、探偵役としては不出来だけどね。まぁ、これほどの大ヒントを与えたのに、解決できなかったら、私が君を怪異に行き合わせるかもね」
嫌らしく笑う人だ。
全く冗談だと思えない。
「そこまで焚き付けなくとも解決はしますよ」
「お、威勢がいいね」
「と言うか、何でヒントなんか出すんですか」
「何でかって、そんなの当たり前じゃないか」
春夏秋冬先輩は椅子からテーブルへと腰を移動させ、僕に向かってビシッと勢いよく指を指す。
「君に入って欲しいからだ」
「………何でですか」
「君は例外だからね、我がサークルとの化学反応を見てみたい」
「つまり、実験動物ってわけですか」
「ご明答っ!」
春夏秋冬先輩はテーブルから立ち上がり、そのまま廊下へとゆっくり歩いていく。
「勧誘もしたし、ヒントも出したし、満足したから私は帰るよ」
「あ、ちょっとまーー」
そう言いかけながら立ち上がって手を伸ばしたが、瞬きをした瞬間に、先輩は目の前から消えた。
「はぁ、まじか」
僕は肩を落としながら椅子に座り直し、食いかけのカツ丼と対する。
数秒の沈黙の後、僕は箸からスプーンへと持ち替えて、勢いよくどんぶりへと突っ込み、カツとコメをないまぜにしながら口の中に乱雑に放り込む。
やがてスプーンがどんぶりの底に当たり、食い切ったことを確認した後、目の前のおぼんへと丼を勢いよく置く。
「燃えてきた」




