揺らぐ、陽炎の最中
「後輩くん、突っ立ってないで入ってきなよ。そこにいられると、クーラーの効き目が弱くなる」
「あ、はい」
約束、守る気はあるんだよな。
僕は心の中でそう思いながら、ドッペルゲンガーを睨みつける。しかし、当の本人は有利な盤面に気を抜いているのか、僕の方をチラリとも見ない。
煽られている。いや、巫山戯ているのか。
「先輩、らしくない顔してますけど、疲れてんですか?」
くっそ、此処で二人に気取られるのはダメだ。
「そりゃそうだろう。散歩の気分で出かけたら、風景の邪魔だと言われるわ、仕事に付き合えと拉致られるわと散々な目にあったんだ。それなのに、やった本人は燕先輩に抱きついてるもんだから、そりゃ恨めしそうな顔をするだろうさ」
言い逃れの説明をするように、自己正当をするように話してしまった。
これでは何かが起こっていると、暗に言ってるようなものだ。下手くそか、僕は。
「…………なんだか、状況説明みたいですね。そこまで聞いたつもりはありませんでしたけど」
「そこまでわかった方が理解が早いだろ?何、説明口調なのは僕が話すのが苦手だからだ」
フゥー。
短く深呼吸。
不利な状況だからって、心を波立たせても余計に悪化を招くだけだ。なら、表面は取り繕わなければ。
散々感情を顔に出してきたが、今だけはそれを奥にしまいこめ。できなきゃ、僕以外も死ぬ。
「いつまでそこで突っ立っている気だい。そこに座りなよ、後輩くん」
こーくんではない。と聞くのは野暮か。
覚悟で沈めた心を抱えながら、ゆっくりとサークル室を歩き、ソファに腰を落ち着ける。
燕先輩が僕を見て少し頷くと、抱きつくドッペルゲンガーに目を落とす。
「くーちゃん、そろそろ退きなよ。クーラーが効いてるとはいえ、流石に暑い」
「はーい」
ドッペルゲンガーは燕先輩に促されるまま、僕の目の前へと座る。そして、紬も立っているのをやめ、僕の隣へと腰を下ろした。
「「「……………」」」
ミーンミンミンミンミンミーン。
話題を探そうと脳内探索を行った数分間、誰一人として会話を始めなかった。
窓から貫通する蝉の鳴き声が響き渡り、気まずさを強調させる。
「後輩くん喋らないのかい?いつも暇だの暑いだの言ってるのに。二人は淑女なんだ。紳士から話かけるのは当然の義務だよ」
二人はいつ淑女になって、僕がいつ紳士になったのか知らないけれど、確かに沈黙が続くのはおかしいか。おかしい………のか?
「話題に困っているのなら、私が提供してあげよう。さっきトイレで他の人が話してたんだけどさ、白い霧の人が見えるって噂が立ってるらしいよ」
「白い霧の人ってなんですか。霧か人なのかはっきりしてくださいよ」
「私も見たわけじゃないんだから責めないでよ。白い霧で、人なんじゃないの?」
星以外はテキトーだよなこの人。
いや、興味がないことはどうでもいいのか。
この人もサークルに則しているわけだ。
「ないでしょうけど、調べるなんてやめてくださいよ。それが怪異だったら、今度は角膜以外も取り憑かれますよ」
「まぁないけど、そうなったら後輩くんが助けてくれるんでしょ」
「…………………」
いや、助けるけど。
それを自信満々に言えるわけもない。
「人を間にしてイチャイチャと。後輩君は私より、燕先輩が大事なの?」
なんで、テメェが乗ってくるんだよ!?
「私は、先輩私はどうですか」
紬、お前そんなにノリがよかったか?
「はいはい、やりますよ。互いに面倒見るなんてやらないでしょうし、どうせ出番が回るならいの一番に相談してください。解決は………、まぁできるとは思いますけど」
「解決できるって言うんですね。まぁ、先輩は解決率100%ですからね」
「持て囃すな。そこだけをピックアップするな。僕が解決できているのは、僕だけじゃないからだ」
「だけじゃない?何言ってるんですか、先輩が根本的な解決をしてるんでしょ?なら、それは先輩の功績じゃないですか」
はぁ。
不思議そうな顔をする紬を見て、僕は思わずため息を吐いてしまった。
「なぁ、紬。これは大前提の話だけど、功績はメインで働いた奴が評価されるものかもしれない。でも、人は一人で何もかもを為せるわけじゃない。客観的に見れば僕が評価されるべきかもだけど、僕にとってそれは気分のいいものじゃない」
まるで説教だ。
でも、僕はそれを否定しなきゃいけない。
「協力した人間が蔑ろにされるなんて、僕の信条に反する」
キッパリとした物言いに、紬は目を見開いていた。まるで驚愕の事実を突き出されたように、既存の価値観が揺らいでしまったかのように。
「そう……、ですか。先輩は優しいんですね」
「優しいんじゃない。臆病者なだけだ」
臆病者………か。
はっ、上手く言ったものだな。
「そんなことより後輩君。この後は暇かな?暇だよね、暇に決まっているよね?」
分かりきった答えを聞くために、ドッペルゲンガーは僕に対して聞く。
「暇……ですけど」
わからない。
こいつがわからない。
いくら御厨先輩の振りであっても、何を考えて何を持って行動しているのか、理解ができない。
「なんだいなんだい、どこかに行くのかい?私も行こうか?」
「御厨先輩、私もついて行ってーー」
「いいや、二人とも。今日は後輩君を振り回すと決めている。だからここは譲ってください」
ドッペルゲンガーはすぐさま立ち上がり、ポンと僕の肩に手を置く。
「行くよ、後輩君。昼食がてらファミレスに行こうじゃないか。行き先はそこで伝えるとするよ」
汗がぽたりと落ちる。
ここで拒絶するのは悪手か。
「分かりましたよ、行きます行きますから」
大人しく立ち上がり、ドッペルゲンガーの後ろをついていく。
やがて二人ともサークル室から廊下に出て、スタスタと無言で研究棟を去って行った。
⬛︎
「さて………と、どういうつもりか知らないけれど、去ってくれたか。まぁ、後輩くんへの脅しってのが妥当かな。人質がいるってのを際立たせるための」
燕はスタスタと歩き、ドッペルゲンガーが座っていた場所へと全体重を預ける。
「何を、言っているんですか」
紬は動揺していた。
いや、御厨は動揺した。
その物言いは、まるで先ほどの御厨が怪異であることを、ドッペルゲンガーであることを理解しているようだ。
「つーちゃん、いやここは敢えてくーちゃん………、紛らわしいな。久遠ちゃんと言おうか。そうだよね、そうだとしか説明がつかないんだけど」
「な、なんで」
驚きのあまり溢れる質問に対し、燕は御厨の隣を指差す。
「さっきね、久遠ちゃんの様子がおかしかったからさ、サークルメンバーに電話をかけたんだよ。友達が少ないというツッコミは無しにして欲しいんだけど、もちろん紬ちゃんにも話は聞いているんだ」
そういえば、燕先輩が騒ぎ立ててるって、紬ちゃんは言っていた。
「心当たりがあるようだね。そこで、紬ちゃんは実家にいることは知っていたからね、大学にいないことは理解している。だから、紬ちゃんがいること自体が不自然ってことさ」
だとしても、そうだったからって、私が御厨だと思うのは無理筋では。
「自明の理さ。入りたての後輩くんはおかしかったし、発言もおかしかった。表情も曇っていたし、悟られないように気を遣っていた。これは、今までしてなかったこと、だからね」
つらつらと、先ほど広がっていた不自然を口にする。
「よく、見ていますね」
「見ているよ。君たちのことはいつでも。せっかく見えるようになったし、見えないふりをするのはやめることにしたんだ」
そして、燕先輩は持っていたペンを回転させながら天井を仰ぎ見る。
「後輩くんの警戒の先、それはわかりやすくくーちゃんだった。ということは、くーちゃんが危険ということだけど、それはわかりきったことだから、それ以上のことがある。つまり、紬ちゃんがここにいることに関わっていると推測した」
指に絡ませながら回転させたペンは離れ、空中を旋回しながら空を舞う。
「紬ちゃんがこの世に二人存在している。だけれど、それはくーちゃんだけを警戒する理由にはならない。後輩くんが警戒をむき出しにするのは、怪異絡みでしかない」
そう言いながら、乱回転したペンを正確に受け取る。
「だから、飛躍させた。紬ちゃんは別人、くーちゃんも別人。警戒している人物が怪異、成り代わる怪異で有名どころはドッペルゲンガー。そして、それに巻き込まれているなら久遠ちゃんが紬ちゃんに変わっているんだろうと、ね」
天才らしく、燕はその頭脳を発揮した。
研究分野で発揮されていた頭脳は、先ほどの状況を十二分に把握していた。
「なんでそうなっているかはわかんなかったけど、即座に指摘しなくてよかった。下手に看破なんてしようものなら、後輩くんの努力を水の泡にするところだったよ」
御厨はあんぐりと口を開くしかなく、驚きのあまりその変身は解けていた。
「ははは、驚きすぎだよ。取り繕えてないじゃないか」
「いや、だって、驚くに決まっているでしょ」
「よかったよ。その反応を見るに、どうやら答え合わせは済んだようだ」
笑顔から一転、燕は手を重ね合わせて、ポキポキと骨を鳴らす。
「そろそろ大学を出たかな?だったら、私らも動こうか。ね、久遠ちゃん」
「何をするつもりですか」
「つもりも何も、対処方法を調べるんだよ。相手は有名どころだからね、類似例なんてありふれているだろうさ。何、時間稼ぎは後輩くんが担ってくれるから、ある程度は猶予があるはずだよ」
御厨は燕の手を握り、その場でふらつきながらも立ち上がる。
「先輩……、私は」
「悩むのは後だ。今は動くよ」
燕は御厨の背を叩き、無理矢理にでも前へ進ませる。その勢いを借りて、御厨はサークル室の外へと出る。燕も一緒に廊下に出て、二人はその場を後にする。
そして、サークル室には誰もいなくなった。
締め切られた部屋の中には、クーラーの冷気と蝉の鳴き声が響き渡った。
⬛︎
「どういうつもりだっ!」
大学の駐車場まで出て、僕はやっとその背に向かって叫んだ。
「どういうつもり?おいおい、せっかくまた二人きりになってあげたのに、随分なセリフじゃないか」
ドッペルゲンガーは悪びれもせず、そんなことを言う。
「それだよそれ。二人きりになったのは、お前にとって不利な場面の方だろ。だから、やる意味が理解できないと言っているんだ」
苛立ちと共に放たれた言葉に、ドッペルゲンガーは真顔になった後、腹を抱えて笑い始める。
「はは、ははは、はははは。理解できない?理解したくないが正しいんじゃないかい?どう考えても、君を助けてあげた以外の理由があると思うのかい?」
「助けて………、あげた?」
「君の、君らの命運は私が握っている。であるなら、生殺与奪は私の娯楽。怪異らしく、命を弄んであげ
ているんだよ」
笑いながら、そんなことを言うドッペルゲンガーを見て、僕は思う。
やはり、決定的に考え方が違う。
ここか、これが僕との違いか。
「言っただろ?自分探しに付き合ってもらうって。君がボロを出して殺さなきゃいけない状況になるのは、今の私に都合が悪い。だから、やった。以上、納得したまえ」
説明を終えたと言わんばかりに、ドッペルゲンガーはバイクに跨る。そして、足で後方を叩く。
「乗れ、それ以外に選択肢はない」
ゴクリ。
どこに連れて行かれるのか、そんな疑問が浮かび上がるが、無駄か。
今は、殺されるのは都合が悪いと言うのを信じるしかない。くそ、まるで奴隷じゃねぇか。
「乗る、乗ればいいんだろ」
僕は席に座り、ドッペルゲンガーの腰へと手を回す。
「いい子だ。それでいい」
ブルンブルン!
エンジン音を吹かしながら、バイクは発進する。二人の事情を理解することなく、大学の外に向かって。
炎天下、夏の熱線を浴びながら、陽炎の向こうへと消えた。




