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人間未満、あるいは未完成  作者: レム睡眠
2章 臥竜岡燕編
16/22

燕、静かに嘆く

観察せよ、見える全てを。

観測しろ、見えないものを。

ミステリーサークルにおいて、特徴的な人物は春夏秋冬(ひととせ)先輩にだけに収まることはない。僕が大学2年となった今、彼女はすでに卒業していないわけだが、現在サークル内には最上級生が二人ばかし存在する。二人とも強烈な個性を持っているが、その片割れ、臥竜岡燕(ながおかつばめ)に関して今回語ろうじゃないか。


なぜかって、この人が卒業する前に、方向音痴を治したいとかサークルに正式に依頼しやがったからだ。

この物言いがきついという人はいるだろうけれど、彼女の生態を聞けば嫌でもわかるだろう。


それは、究極の方向音痴だ。


真っ直ぐ進めと言っているのに曲がったりするし、左に曲がれと言われて右に曲がったりする。

彼女に対して方向という概念を知っているんだろうかと常々思う。


だが、本人は左利きを自称していており、それに倣って食事を摂ることができる。右手で茶碗を取り、左手で箸を握れるのだ。

それができればわかると思うが、そうもいかないようだ。


故に、それほどのことは社会に出れば確実に支障をきたすということで、

「お願いするよ!後輩くん!」


元気が有り余ってそうで羨ましい限りだ。


「お願いするよ!なんて言われても、僕にどうしろって言うんですか」

「方向音痴を直してくれ!」

「はぁ、ダメだこりゃ」


五月。ミステリーサークルは無事代替わりを終わらせたのだが、その瞬間トップである二代目は『じゃ、俺は世界の遺跡探究に行くから。後よろしく』とそれだけ言ってどこかに行きやがった。そして、構成員の一人である御厨先輩も、『風と女の子が私を呼んでいる』とか言いながら、今朝方大学の駐車場から猛スピードで出て行った。


大学に残り、燕先輩の無茶な相談を受けるという貧乏くじを引いたのは、僕と僕の後輩である一条紬(いちじょうつむぎ)である。


「燕先輩、それはいくらなんでも無茶ですよ」

「えー!そんなこと言わないでくれよ。頼れる後輩にしか頼めないんだよ」

「いやいや、頼む人がいないの間違いでしょうが」


生来の体質など僕らに治しようがない。

明確な原因があるならもっとやりようがあるが、妖怪変化の類が取り憑いているわけでもあるまい。


「どうする?紬」

「えー、先輩が決めてくださいよ」


ミステリーサークルには依頼を受ける時の絶対的なルールがある。それは、賛成が過半数を超えるということ。この場合は僕ら二人しかいないため、どちらが反対すれば受けないということになる。


「じゃあ、やりません」

「えーーー!」


僕と紬は互いの顔を見合って意見を一致させてそう言ったが、落胆する先輩を見て少し意思がぐらつく。だが、本当にできることがない。


無駄だとわかっていることに対して、無闇矢鱈と手を出すのは探求者ではなく、愚者という。


「わかった、わかったよ。はぁ、後輩達なら受けてくれると思ったのに」


ため息をつきながら立ち上がり、トボトボと出口へと向かったと思ったら、そのまま出て行った。僕と紬は合図もなくすぐさま歩き出し、先輩の背を見ようとする。


だが、そこにあったのは誰もいない廊下だった。


「瞬間移動かよ」

「まるで瞬間移動ですね」


二人して同じ反応をしてしまったが、それは兎も角、僕はこのあと教室に急がなきゃ行けない理由がある。


「はぁ、今から補講かぁ」


一年の頃から根気強く紫苑が教えてくれているが、残念ながら目覚ましい成績を収めましたなんてことはない。首席が教えただけで成績が急上昇するなんてことはフィクションだけの話であり、リアルではこの惨状を晒すのが妥当だろう。


「補講、ですか。先輩も学びがないですね。こんなサークルに所属しないで、勉強に熱をあげればそんなこともないでしょうに」

「五月蝿いぞ」

「五月だからですか」

「違がわい」


生意気な後輩の罵倒を先輩らしく受け流し、バッグを背負ってそのまま出口へと向かう。


「あ、先輩」

「なんだよ」


「最近、雨が多いと思いませんか?」

「雨?」


紬がそう思うのは無理からぬ話だろう。

今は五月中盤。

週間天気予報は全て雨に染まっており、降水確率は全て100%である。


ニュースでは梅雨の早期訪れを言っており、それに倣って梅雨前線が上空を支配しているわけだ。


「梅雨だからだろ?ニュースのキャスターが言ってるじゃないか」

「………ですよね」


「なんだよ今の間。まさか怪異の仕業とでも思ってんのか?そんなんじゃ、この先きついぞ。なんでも怪異のせいにするのがお前の悪い癖だ。人間の予感なんて、結構大したことないんだから」


窓を見ながら呆けている紬を背にして、サークル室から廊下に、補講がある教室へと歩き出す。


ザー、ザー。

大雨でもなく、小雨でもない。

言うなれば中雨(ちゅうう)程が外では降っている。


これは個人的な感情の話になるが、僕は雨がそこまで好きじゃない。むしろ、嫌いだ。

なぜかと問われれば濡れるからだ。


上の攻撃に関しては傘で防ぐことができるが、問題は下だ。そこそこの雨が降っているということは必然的に水溜りができるわけで、場所によってはそこを踏むことを避けられない。


避けられない結果どうなるか、靴が浸水する。

浸水したらどうなるか、足の裏が痒くなる。

だから、嫌いだ。


「はぁー」


補講が終われば家に帰るわけで、家に帰るということはこの雨を……。ため息もつきたくもなる。


「窓に向かってため息を吐くなんて、また随分変なことをしているね」

「……紫苑か」


勿忘草という怪異を乗り越え、大学2年となり、全身を覆うような白衣を着るのをやめた。大学生らしい派手気味な服を着て、アクセサリーも身につけている。髪色は黒のままだが、どうやら少しメイクもしているらしい。


「補講だよ、補講。それを考えると窓に相談もしたくなるだろうが」

「相談か、そりゃ私がしたいね。どれだけ教えても補講し続ける馬鹿につける薬はないもんかとね」

「……すんません」


それを言われると弱るな。

これ以上の話せば頭の悪さを怒られる羽目になる。であればここでやるべきは早急な撤退だ。

そう思い、早歩きで紫苑を横切ると、なぜか僕をぴたりと追跡してくる。


「なんだよ、何しに来たんだよ」

「女性が身体的変化をした時に必ず言えと言ったことがあるよね?今日それを聞いてないと思うけど」


身体的変化?

何を言ってるんだ。

特段何も変わってないだろうが。


「か、カワイクナリマシタネ」

「どこが、どのように、どんな感じに」


うわぁ、めんどくせぇ。


「今、面倒くさいと思ったでしょ?」

「……………」


ば、バレた。

い、いや、ここは落ち着け。


僕は顔に出ると散々指摘を受けているから、真顔で、神妙な面持ちをして、されど急に変わったように見せないように。


「………なんで顔芸してるんだい」


どうやらポーカーフェイスは不向きであるようだ。


「はぁ、だって面倒臭いだろうが」

「…………そんなこと言わなくてもいいじゃないか、褒めて欲しいだけなのに」


「なんて?」


後ろに向かって何やらボソボソと言っているが、何を言っているかわからない。


「もういい、私の用事はすでに終わってるし、帰るとするよ」

「そうか?気をつけろよ」


すでに終わってるって、なんの用事か全くもってわからんかったけど、きっと大したことはないのだろう。


「あっ、紫苑」

「なにさ」


歩いていく背に話しかけると、彼女は少しイラついた様子で振り返る。

僕は気の利いたことは言えないけど、まぁこれはおそらくだ。


「メイク、変えたんだろ?僕はもう少し薄い色のリップの方が好きかな」


そういうと、彼女は目を丸くして驚いていた。

急ぎ脳をフル回転させても極小単位の変化しか気づかなかったが、それだったらしい。


彼女は指で唇をなぞると、舌で少し濡らし、音を鳴らして離す。


「そう、次からは薄くしてくるよ」


そう言ってどこか喜んだ様子で紫苑は廊下の奥へと消えて行った。


「はぁ、僕以外にこんな絡み方してないだろうな」


精神的疲労をどこか感じながら、ダラダラと歩く。行きたくないという意思を全身で表しながら、それでも進学するためには仕方ないと心ではどうにか割り切っているものの、それでも意思は追いつかないため、最後の抵抗として変な体勢になりながら歩く。


「ここか」


最後の抵抗も虚しく、目的地に着いてしまった。そこまでいけば観念しないわけにもいかず、肩を落としながらも扉をゆっくりと開く。大学の講義室らしく机は階段のように高さを一段ずつずらしながら配置されているが、その中央に一枚だけのプリント。どうやら、補講者は一人だけしかおらず、その対象者は僕だ。


「……マジか」


提示された事実を脳内で受け止めながらプリントを静かに見下ろしていると、僕が来た扉からガラリと音を立てて、誰かが来たことを知らせる。


おそらく教授だろうと身構えていたが、そこにいたのは教授でも准教授でもなく、学生だった。


「やぁ」

そこにいたのは、月見里九十九(やまなしつくも)だった。


「なんで」

思った疑問がそのまま口からまろび出てしまった。


「いや、補講を教授から任されたから」

「見りゃわかるけど、それがなんでなんだよ」


「授業をサークル活動だなんだと言ってろくに出席しないから、おそらく顔も覚えていないような教授に習うより、隣の席にいてそれなりに話している私の方が適任じゃないのかって」


成程。

不良生徒の相手はしたくないというわけか。

体よく厄介事を押し付けられたな。


「ほら座って。紫苑さんみたいに教えられないと思うけど、学年10位の私が教授のように教えてあげるよ」


角が立ちそうな話だから言うなと紫苑に言われていたが、噂好きの九十九の前にはそんなチャチな防御壁など突破されるようだ。


諦めて席へと座るが、僕はこの時点でこれがなんの科目の補講なのかそもそも知らない。

それは、次の九十九の一声で知ることとなる。


「量子力学を始めるよ」


バンッ!

すかさず投げたシャーペンの折れた音だけが周囲に虚しく鳴り響いた。

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