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人間未満、あるいは未完成  作者: レム睡眠
1章 黛紫苑編
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13/25

追憶、天才への生長

今回得られるべき教訓は、契約する時は契約書を交わせ。ということだろうか。

いや、それができないのなら、疑問点を解消してからやることだろう。


小学生女児にそんなことを言うのは実に酷なことだろうけれど、それをしなかったせいで、大学生になってまで苦しんでいるんだから。

人生を歪められていると言ってもおかしくはない。


ちなみに、あの後土砂降りの中膝をついていたため、私は全身をぐしゃぐしゃにしながら帰路についた。家の扉を開けると、仕事から帰っていた両親が若干パニック気味になりながら、耳に携帯を押し当て、警察に通報しようとしていた。


「紫苑!」

「しーちゃん!」

二人とも、帰ってきてくれた、ということ安堵を覚えただけで、私に対して違和感を覚えるようなことはなかった。

濡れ鼠の状態で家を彷徨くわけにもいかず、私はすぐに風呂に放り込まれた。


ぴちょん。

蛇口が水が滴り落ち、静けさからその音の反響を味わっていると、それは口を開く。


『バレなかったな。えーっと、紫蘭』

「紫苑よ。名前、間違いないで」

『悪い悪い、私にはそんなものはないからさ』


頭の中で反響する化物の声は無視して、僅かに蘇った弟の記憶を反芻する。

能力によって入れられた記憶は鮮明であり、色鮮やかに煌めいてた。脚色やフィルターが入っていることも理解はするが、そんなことは失った事実を鑑みれば、僅かばかりの誤差というものだ。


「おい、お前」

『紫苑さんよ、ちと私にしてだけ語彙が強くないのかね。仲良くやろうぜ?相棒みたいなもんなんだからさ』


「黙れ、お前とは所詮弟の記憶が戻る迄の仲だ。それが終われば、さっさと出ていってもらう」

『君、小学生の割に語彙が豊富だよね………』

「それで、私の記憶はいつ頃戻すのよ」


全てにおいて、それは優先される。

そう、私の命よりも。


『言ったろ、成長させてもらうと。それまでは返してやれないよ。私に旨みがなくなってしまうからね』

「成長って、何すりゃいいのよ」

『うーん、そうだな。試しに、君がやってる勉強をしてみてくれよ』


試しにだとか、勉強だとか、気になることはあったけれど、それは流すことにした。


「わかった」


私は急ぎ風呂から上がり、体をタオルで拭き取ったあと、早足で自分の部屋へと戻る。

数十冊の未だ学習が終えてない本を机に乗せて、ノートを開いて勉強を始める。


『君、まさかと思うけど、この量を1日でってわけじゃあないよね?』

「当たり前でしょ。どうせ引きこもりなんだから、これを3日かけてやる」

『………君、さてはかなりの異常者だな?』


勿忘草がそう結論づけるのは無理からぬ話だ。広げられる本は大学院の専門書であり、紫苑の目を通して見た単語の羅列はどれも専門知識ばかりであり、これを咀嚼し理解できることがどれだけ高等であるかを理解したからだ。


『成程』


天才少女という称号は本来10倍ほどの競争率を誇るが、それでも世界的に見ればありふれているもの。

だが、紫苑はどれだけ低めに見積もったとしても、そんなもので語られるほどの矮小な才能ではない。

つまり、評価は上方修正しなくてはならず、素体としてはこれ以上ないものだと言わざるを得ない。

怪異と並ぶ、人の形をした知の怪物だと言える。


『君と契約してよかったよ』

「五月蝿い、勉強中に話しかけてくるんじゃない」


新しい知識を脳内に入れて、問題を解いて抜け漏れがないかの確認作業を行う。

無論、点数は満点である。

なんてことのない、日常風景。


「はぁ、こんなことで何がわかるのよ」


数冊の問題を解き終わり、休憩がてら雑談を交える。


『わかるってのはないけど、こういうことができるようになったかな』

その声と共に指先から蔦が20本程生え、積まれている本へと伸ばされる。

「何を」

「こうするのさ」


本に蔦が絡みついた瞬間、膨大な知識が滝となって、脳内に流れ込んでいく。


「………ぐっ」


紫苑はわずかに呻き声を上げるが、脳内に入れ込まれた知識はすでに処理を終えて、自身の知識として還元させることに成功する。


「なんてこと、するの」


紫苑は恨み言を吐くが、それを聞いていた時、勿忘草は静かに驚愕していた。


『これは………、ここまで適性があるとは』


寄生によって、脳は共有されている状況であるが、彼女ははったりではなく、一切の後遺症を負うことなく、情報攻撃といってもおかしくないものを耐えて見せたのだ。


「頭痛ったい……って、ちょっと待ちなさい」


入ってきた情報を確認するように、紫苑は本の山の下敷きにしていた応用問題集を引き出して、テキトーなページを開く。


「何よ、これ」


紫苑は驚嘆の声を上げながら、思案する時間も発生させず、解答欄にペンを勢いよく走らせる。そして、それは一言一句間違いなく合っていた。


「これ、あなたの仕業よね。私、まだこれを知らないはず。でも、さっきでわかるようになった。いや、解答ごと教えてもらったからというのが正しいけど」

『………あぁ、それは私の仕業だ。私の情報吸収能力を、君の脳に活かしてあげたんだ。情報は君の知識

にもなるけど、私の養分にもなるからね、そういう使い方ができるんだよ』


なんか、声が震えている気がするけど、まぁ良い。弟のためだったとはいえ、これはとんだ拾い物をしたかもしれない。


『紫苑、この程度の知識量で満足するのか?』

「なんの話よ」


確認作業が終わり、深夜となってベッドに横になった時、静かに話しかける。


『君と私であれば、ありとあらゆる知識を得られることができる。君は全分野の天才となり、私はより早く成長することができる。それこそ、万能の天才と言われた、レオナルドダヴィンチなんて目じゃない。

研究者として、一人の天才として、それは目指すべき到達点だろ?』


半ば興奮気味に提案する勿忘草だが、紫苑はそれに対してにべもなく答える。


「私は別に天才になるために勉強したわけじゃないけど、なんなら勉強する理由すらないけど」

『そんなつれないことを言うなよ。……そうだ、図書館ってのはさっきみたいな本がたくさんあるんだよな?』

「場所によるんじゃない?行ったことないからわかんないけど」

『じゃあ、行く場所によって置いてある本も、詳しい分野も変わってくるんだよな?』

「まぁ、おそらく」


『だったら、図書館一つにつき、弟の記憶を返すってのはどうだ?』

「……ッ!?」

『いや、これだと強制させているみたいだな。でも、君も私の寄生を失くしておきたいだろ?』

「………それは、概算だといつまでかかるのよ」


『そうだね、10年ってところじゃないのかな』

「10年!?そんな、長い時間を」

『僕は所詮植物だからね。それに、君の才能込みでそれぐらいの時間で済んでるんだから。本来100年でも足りないよ』

「そう、そうなのね」


とんでもないものと契約してしまった。その事実は受け入れ難いが、過去はすでに過ぎ去ってしまって、その決断をしたのは私。

でも良い、弟のためなら10年如き、瞬きに等しい。


「わかった、いくらでも時間はある。明日からでもそれをやろう」


私は弟の記憶欲しさにそう言ってしまった。

これが、どれほどの罪禍を生み出すかを知らずに。





翌日、私は家を出た。

朝食を食べながら両親には事前に話をしており、父さんは外に出られることに嬉しそうにしていたのだが、母さんは複雑そうな顔をしていた。

私が立ち直りにあたり、急激な行動変化の連鎖を見ているのに、それを止められないからだ。


御免なさい。


そう心で呟きながら、私は最寄りの図書館へと入り、その中央で周囲を見上げる。

四方八方を数千冊の本が並んでおり、これを今から読む羽目になると思うと、少し辟易する。


「やるか」


紫苑は短く呟き、近く本棚から手当たり次第に本を取り、机に座って本を開く。

1日、2日、3日。

本の小山を積み重ねながら、読み耽る日々が続く。そうして始まった図書館攻略。開始から五日目、それは起こった。


「………っ?」


読んでいる本に対して、入っている情報に差異が生じた。いや、見ている本と見ていない本の情報が頭の中に入っていくのだと気づいた。

周囲を見渡せば、案の定私の体から蔦が生えており、最寄りの本棚へと絡みついていた。


『驚いたかい?この方が効率がいいと思ってね』

「そう、あまり邪魔しないでよ」


図書館に行った後、勉強をする。

そうした日々、情報攻撃を受ける日々を繰り返して、紫苑の脳は、もはや一冊ずつ本を読む器官ではなく、並列で情報を咀嚼する装置へと変質していた。故に、最早数十冊ほどの情報など、脳の半分だけで処理が可能となる。


情報の吸収が増えれば増えるほど、体から生えていく蔦は増えていく。数百本ともなれば隠し切れるものではないが、それは普通の人には認識することができないのか、私が植物人間として有名を馳せることはなかった。


そして気づけば、図書館に根を張っていた。


途中であるが、ここで振り返ろう。

勿忘草の能力の一つとして、情報吸収能力があるが、それは一体何だっただろうか。

そう、本を真っ白にするものだ。


では問題と行こう。

本が余白だらけの図書館が、どうなってしまうだろうか?

言わずとも、閉館である。

私は弟の記憶欲しさに、最寄りの図書館を潰したのだ。

それに気づいたのは、閉館になる一カ月前だろう。


ある日、テキトーに本を漁っていた時、勿忘草が吸収した本を目撃したんだ。

無論そこにはまっさらな本があるだけで、ページをめくっても文字ひとつない。

誰がやったなどとはわざわざ言及しなくても明瞭だったが、問題なのは誰がやったのではなく、誰がやらかしたのかわからないと言うことだ。


私は知っている。

でも、他者は知らない。


故に、責任が方向性を持たず、最後には管理不足として施設側が問題視された。

そして、まもなく閉館となったのだ。 

私はそれを知らず足を運んだところ、図書館は閉まっており、その入り口には紙が貼られていた。


『施設の管理不足により、数千冊の蔵書がまっさらとなってしまった為、図書館としての運営が厳しく、閉館と相成りました。30年のご愛玩を賜りまして、本当にありがとうございました』


私は、その紙を見てやっと自分のやらかしたことを自覚した。

自分の罪を、これから犯していくだろう罪を。


『そうか、閉館か。まぁ図書館一つを全て読み終えたとも言えるな。約束通り、弟の記憶を返すとしよう』


その言葉と共に、弟との記憶が半年分蘇ってきた。嬉しさもあり、悲しさもある。

記憶が戻ったことを踊り狂いならが喜びたいところだが、それよりも私は。


「行こう、次に」

この地獄以外、どこにもいけないことを悟った。


そんな破壊行為はおよそ数年間続いた。

図書館は、数で言えば10棟は閉館に追い込んでいるはず。いや、もっとだろうか。


そこまでいくと、読んでいる本の大概はダブりが生じ始め、既視感が続く。

そうなると、どうなるか。


勿忘草の成長も止まる為、頭打ちとなってしまうのだ。

気づけば高校3年、私はついにその決断をする。


『紫苑、次の図書館は心海大学なんてのはどう?』

「心海大学って、あぁ、あの有名な。でも国内の大学よりも、世界の大学に行ったほうがいいと思うけどね。問題なく行けるんだし」


『それがな、国内最高峰の専門書を揃えた最強の図書館らしいんだ。心海大学が何で有名か知ってるだろ?全分野の研究に力を入れてるからね、我々の目的を達するにはちょうどいいじゃないか』

「…………そうね」


ここまでいけばこいつとおさらばできるのだろうか。だが、ここまでこいつが興奮するのならば、そうなのかもしれない。

そう思って、行く大学などどうでも良かったため、私は勿忘草の言う通り、心海大学へと進学を果たした。両親はなぜそこだと疑問符を浮かべていたが、今更わざわざ海外の大学にも行かなくていいかと納得した。


そうして、入学式から終わってすぐ、私は侵略を開始した。

根を張ってわかったことは、入ってくる知識はどれもが新鮮なものが多く、興味をそそられるものが沢山あった。


専門分野である植物は両親の専門書で知り尽くしていたが、それ以外の分野ではありとあらゆる点で知らない知識があった。

私は久しぶりに知る楽しさをそこそこ感じていたが、同時に不穏さを感じていた。


なぜなら、日増しに体内の勿忘草の存在感が強まっていき、奴の言う"成長"がもう間も無くであると感じ取っていたからだ。

そうしてそんな日々を過ごした二週間後に、奴は言う。


「もういい」


そんな言葉を吐いた。

誰が。

いや、私が。

私が私の口からそう言ったのだ。


「もう十分だ。いや、十分だと言うのは正確じゃないんだろうけど、もう君である必要は無くなった」

「急に何を」

「寄生するのをやめると言っているんだ。何せ、"成長は終わった"からね」


成長は終わった、だって。

いや、そんな疑問点を抱くよりも、私は今のこの状況に対して、明確な絶望を味わっていた。

何せ、口以外の体の自由が効かないんだから。


「やっと、やっとだ。人間の体は複雑だし、意識なんて概念が挟まると、支配なんて上手くやることはできない。でもやっと、この体を手に入れるほどの力を得られた」

「何を、する気、なのよ」

「当然君の体を使って、君の情報処理能力を使って、完全な生物へと至るためさ」


「話が違うじゃない。寄生を終わらせるんじゃ」

「いいや合ってるさ。この体の支配権は今や私が握っている。そう言えばわかるか?」

「何を」

「君が私に寄生してるって、言ってるんだよ。今、その証拠を見せてあげるよ」


その声と共に紫苑の全身には葉脈のようなものが浮き出て、全身を強張らせる。

そして、紫苑の口から、紫色の本が射出される。


「さて、これで完全にこの体は私のものだ」


私が見える!?

なんで、どうして!


「文字だけで驚くなんて器用な真似するね。まぁいい、君はもう用済みだからね、長年のよしみで殺さないであげるけど目障りではあるから、どこかに行ってしまうといい」

そう言って勿忘草は紫苑そのものである本を窓枠に向かって放り投げて……。



『そして、春夏秋冬先輩に拾われて今に至ると』

「何でそんなに軽いんだよ」


どう言う精神性をしてるんだ。

過去を一通り読ませてもらったが、そんな明るく振る舞えるような出来事なんて、これっぽっちもなかった。所謂幸せとも言われるようなものは最初だけしかなく、それも無惨に破壊されている。

普通なら現実とのギャップで発狂したっておかしくないはずなのに、一体この人はどうしてそこまで平然とできる。


『私のこと変人だと思っているね。顔に出てるどころか、文字が浮かび上がるようだよ』


そうやって淡々と本の中に文字が浮かび上がる。そして、わずかばかりの空白を置いて、文字は綴られる。


『悲劇ってのは、感覚を麻痺させるんだ。痛みを感じているはずなのに、それに対して強く鈍くさせてしまう。私はそうやって悲劇に慣れて加害して、そして不幸せになった。これは誰かのせいが発端でも、自分の責任があることも事実。だから、涙を流して悲しむだけなんてできないのさ』

「………そうか」


僕にはわからない。

それは勿忘草に強制されれば、全てやれることだったんじゃないだろうか。選択肢を絞られてしまっただけで、もっと多くの選択肢があることに気づければ、そんなことをしなかったのではないかと思う。

そこを踏まえれば、紫苑が決断してしまったと言うにはいささか疑問が残る。が。

それでも彼女は自分のせいだと言うのだろう。


「紫苑」

『何さ』


「俺、必死になるよ」

『そうか、ありがとう』


本をまじまじと見る時間は終わり、やがて図書館の前へと至る。


『いよいよだね』


扉の隙間からは緑色がのぞいており、勿忘草が本拠地にしていることがわかる。


『決戦。いや、決着かな。折り合いをつけるんだから』

「あぁ、そうだなそうさせてもらうさ」


僕はその場で作戦の第一段階の準備を終わらせて、ナイフをポケットから取り出して、刃を外へと露出させる。


「さて」


図書館の扉を蹴り抜き、その全貌を目撃する。

中央にはやはり本の山が築かれており、勿忘草はそこには鎮座している。

扉を蹴り放つ珍客を見下しながら、肘で頬をつきながら勿忘草は口を開く。


「驚いたね、食べ残しがわざわざ食卓に足を運んでくれるなんて」


嫌らしい笑みを浮かべながらこちらに蔦を向けてくる化物に一言、僕は指を指しながら宣誓する。


「忘れるなよ、お前は今から負けるんだからな」

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