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人間未満、あるいは未完成  作者: レム睡眠
1章 黛紫苑編
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12/25

追憶、契約へと

あの悲劇から一年、私は未だ部屋の外にすら出られなかった。焼け焦げていく草花の匂いと、ガソリン特有の匂いが鼻腔の奥深くにこびりついており、車のエンジン音を聞くだけで震える毎日だった。


耳を塞ぎ、布団で全身を覆って、怯え続ける。

私は後どれぐらい繰り返すのか、そんな絶望を抱えているのに、私の目から涙がこぼれ落ちることは決してなかった。


「………うぅ」


悲しい、悲しいはずなのに、悲しいと思っているはずなのに、その証明とも言える涙が一つも流れない。

私は、悲しいと思っていないのか。


弟が死んだと言うのに、目の前で焼け焦げたというのに!

どうして!なんで!

私は人間をやめてしまったのか!

この人でなしがッ!


存分に責めた。

私を、愚かな私を、どうしようもない私を。

感情を理解して、合理じゃないと切り捨て、それで苦しんでいる私を。


そんな私を、両親は責めない。

どれだけ引き篭もろうとも、外に出ろなんて言わない。

それがどれだけ無謀であるかをわかっているからだ。だから、それが苦しい。


親不孝ものであると、弟を殺しておいてのうのうと生きていると、そう言ってくれたほうが、私がどれだけ楽になれるか。

そう言ってくれる、酷い両親なら私も迷わず弟の元へといけただろう。


だが、そうしない、してくれない。

だから、私は両親のために頑張ろうとしてしまう。なのに。


ブルルン。


「ひぃっ!」


こんなエンジン音ひとつで、私は体を縮こませてしまう。もう、こんなの嫌だ。

絶望感と共に、膝を抱えていると、ギシギシと廊下から音が聞こえてきて、やがて私の扉の前で止まる。


コンコン。

「しーちゃん、大丈夫?」

ママの優しい声。

ママは車が通るたびに、私にそうやって確認してくれる。


「あ………っ」


恐怖のあまり言葉に詰まる私。

返事をできないことを理解したのか、ママは静かに扉をあけて、布団の塊になった私を外から静かに抱きしめる。


「ごめん、御免なさい。私が、私が貴方をこんな酷い状態に」


違うんだよ、ママ。

ママのせいなんかじゃないの。

私が頑張れないだけなの。


御免なさい。

弟を殺すような人間で、家族を悲しませるような人間で。

御免なさい。


最早、私には謝ることしかできない。

だが、今の私は謝罪を口にすることもできない。なら、お前は何ができるというのだ。

何もできないのなら、生きる意味なんてない。

いっそ死ねばいいのに。


そう何度も思う。

それができれば、どれだけ楽だろうか。

そんな自己糾弾をしていると、恐怖によって引き起こされた震えは止まり、やがて私も声が出せるようになった。


「だ、大丈夫、だよ。ママ」

「そう、よかった」


布団からわずかに覗く私の顔を見て、ママは少し安心したかのような表情を浮かべる。


「しーちゃん、ずっとお布団にいるから暇だよね。ママ、こんなの持ってきたんだけど」


ママが持っていたのは絵本だった。

それこそ竜ちゃんの年齢が見るような、平坦な日常が広がるだけのもの。

だけど、今のボロボロの私にはやっと見れるぐらいの文章量だろう。


「ありがとう、ママ」


声をなんとか絞り出し、弱々しいか細い腕で絵本を受け取る。


「うん、後で晩御飯持ってくるから。その絵本でも見て、ゆっくりしててね」


ママは若干涙目になりながら私の部屋の扉を閉めた。すると、ドタン音がしたかと思えば、啜り泣く声が聞こえ始めた。


「よかった、よかった」


ママは私の痛々しさに思わずというわけではなく、感動をしていたのだ。約1年ぶりの親子の会話を交わしたから。


「…………」


だが、それを察したとしても、ママに駆け寄るような精神状態でもないため、受け取った絵本を見ることにした。

そこに広がっていのは、予想通りなんてことのない物語だった。主人公は友達一人できるだけで一喜一憂し、周りもそれに当てられて百面相しながら、日常を送る。


この時の私の思想は実に暴力的だった。

一年経過して、回復傾向にあったPTSDだったが、それは表面的な話であって、根本的な話ではない。

それを裏付けるようにして、私はその絵本に思ったことがある。


『平和だけの世界なんて、この世のどこにもあるはずがない。あるのは、暴力に裏打ちされた偽物の平和であると』


弟が死んだくらいでそこまでかと思うが、事件直前に広島に社会勉強に行っていた私は強くそう思った。

絵本に広がる世界は幻想であり、欺瞞である。

この世の理不尽に晒されたせいもあり、私の思想は先ほどの罪悪感から打って変わって、怒りへと支配される。


後から思う。

私の精神は完全に壊れていた。

気分が急激に変化し続けているため、制御することができなかったのだ。

いや、それにすら気づかないのだろう。

だって、そういう気分になることの理由を見つけようとするのだから。


怒りに支配された私は世の理不尽を正しくしたいと思い、部屋の扉を勢いよく開く。

すると、泣き終わり階段を下ろうとしていたママが、その光景に呆気に取られていた。


「し、しー、ちゃん」


図らずも、部屋から一歩出るという歴史的瞬間を達していた。


「へ、部屋から!し、しーちゃん!よ、よかった!よかったねぇ!」


ママは感動しながら私を強く抱きしめる。


「ママ、私、勉強がしたい」


私はそんなママの感情を無視して、冷たく言い放つ。


「そ、そんな、急がなくてもいいのよ!しーちゃんのペースで頑張ればいいんだから」

「ううん、取り戻したいとかじゃないんだ。単純に、勉強したいだけなんだよ」

「そ、そう」


恐らくこの時点で、ママも私の異様さを感じ取ったのだろう。先ほどまで呂律が怪しかったのに、ベラベラと喋っているのだから。


「そうね、うーん何がいいかな。ママとパパは難しい本しか読んでないし……」

「それでいいよ」


私は即答した。


「それでいい、わからなくてもいいから、なんでもいいから、とりあえず知りたい」


狂気だ。猟奇的とも言える。

だけど、ママは母親として子供の願いに応えなきゃいけない。それがどんなに歪なものでも、元気になってくれさえすれば嬉しいのだから。


「わかった、ママの部屋にいっぱい本があるから、それなら読んでいいよ。パパには、後でママが聞いておくよ。とりあえず晩御飯作ってくるから、できたら声をかけるね」

「うん、ありがとうママ」


ママが階段を降りるのを見届け、早足でママの部屋へと向かう。すぐさま扉を開け放ち、目の前にあった本を本棚から無理やり引き剥がす。

数十冊ほど付近に重ねて、その場に座ってすぐさま本を読み始める。


子供の吸収力はスポンジ並みと言われているが、そこに狂気が入るとブーストがかかる。

内容はおろか、文字の意味すら理解不能。

だが、その度に数冊の辞書を開き、数冊の教科書を開いて、未知に対して殺到する。


驚異的な姿に父も心を打たれたのか、自分の学術本を貸してくれた。本来門外不出の超がつくほどの貴重な資料も見せてくれた。

そんな協力を得たおかげが、私はいつの間にか研究室の大学生レベルの知識を、齢12歳で獲得していた。


精神科医も愕然とするような、いろんな意味で驚異的な回復だったそうな。

家の外には出られないが、学校に行く必要もない知識を蓄えた。そんな私をどうやら両親は事故を乗り越え、天才児になってくれたと自慢しているようだ。


そんな誇らしく成長した私。

でも、それは姉として失格だと気づいた。


ある日、いつもの様に学術本を小脇に抱えて部屋で読もうかと持って帰ろうとしていた時、私の部屋の隣、竜ちゃ、弟の部屋が目に止まった。

なんてことはなかったが気分が向いたため、弟の部屋へと入ることにしたのだ。


その部屋はあの日から時間が止まったかの様に何も変わらずにあった。見渡すと埃が一切なかったため、ママが懸命に掃除を行なっていることがわかる。


机の上には書きかけの宿題が置かれており、ランドセルはピカピカの状態。

見渡す部屋はどれも懐かしく思うものばかりだが、ある一枚の写真が目に入る。

それは、水族館であろう場所で、私と弟が笑顔で写っている写真。


「これ、いつの時だっけ………っ!?」


気づけば、私はそれを口にしていた。

そう、私は脳のリソースを勉強に傾けた結果、弟との思い出をそれらが圧迫したのだ。

私は前に進むために、知性を獲得するために、弟を蔑ろにしたのだ。


「………っ!」


そんなわけない!

そう思って、家の思い出フォルダを漁る。

どこかで笑う弟、何かの風景を背する弟、何かに乗って興奮する弟、何かを美味しそうにほう張る弟。


「そんな、そんな馬鹿な。この私が、そんなことを」


何を、どこで、何をして。

その全てが写真に収められているはずなのに、それが一欠片も思い浮かばない。

無駄な知識は思いつくのに、

弟の思い出がごっそりと、

空白に......。


「そんな………」


膝から崩れ落ちた。

魂が抜けるとは、まさしくこの事だろう。

だが、相応しいエンディングとも言える。

ただ、これで終わらない。

エピローグがあるのだから。


「いかなきゃ、謝りに」


うわ言を呟きながら、玄関へと向かい、靴を履いて外へと飛び出して、目的に向かって走る。


「あぁ!はぁはぁ!ああっ!」


嗚咽混じりに息切れしながら、声にならない悲鳴を周囲に垂れ流す。

いろんな人に見られる。

でも、そんなことは。

今はどうでもいい。

私は、いかなきゃ。

謝らなきゃいけない。

弟を、竜ちゃんを、

忘れてしまったことを。


泣き喚く様に声を上げながらも、私はなんとか竜ちゃんの墓の前に立つことができる。


やることなんか決まっている。

私は無言で膝を折って、そして頭を下げる。


「許して、許してください。こんな私が、愚かな私が、お姉ちゃんでごめんなさい。死んでいる竜ちゃんを、2度も殺す様な真似を、私は」


耐え難い事実で、変えられない事実。

わかっている。

記憶というのは一度失ってしまえば、同じ知識を取り入れない限り、蘇ることなど万に一つもない。それは、人間の構造上仕方のないことだと理解できる。


でも願わずにはいられない。

それが変えられる事を。

私が深い絶望に染まる最中、天気は曇天へと変わり、やがてポツポツと雨を降らす。

それは数分後に激しくなり、ゴロゴロと雷を鳴らす。


「お困りの様だね、人間」


ドンッ!


何かが口を開いた瞬間、雷が近くの木を燃やす。暴力的な光が収まると、墓石の近くに、拳よりも小さい植物の種の様なものがそこにはあった。


「なんなのよ、お前。いきなり出てきて偉そうに。そこは弟の墓なのよ!どきなさいよ!」

「それを忘れたんだろ?大事そうにしてるみたいだけど、随分と可哀想な仕打ちをしているじゃないか」

「な、なんで」

「わかるさ。無意識だったのか?大声で叫び散らしてたよ」

「あ、あんたには関係ないでしょ!」

「うーん、それを決めるのは君じゃないのかな」


種はコロコロと転がり、私の膝へとぶつかる。


「記憶を取り戻したいんだろ?それ、私の能力で取り戻すことはできるよ」

「はぁ?何を馬鹿な事を」

「はぁ、君さ、種が喋っている時点で不思議に思えよ。私は人間じゃないんだぜ?」

「じゃあなんだっていうんだよ」

「怪異ってやつさ、知ってるだろ?天才少女」


驚きはない。むしろ、見た直後から思っていた事だ。


「それで、あなたは私に何を望むの」

「そうだね、私が成長しきるまで、その体を貸してもらいたい」

「貸す。つまりは共生関係ってわけでいいのよね」

「細かいな。それでいいよ」


種は若干嫌になり始めたのか、それも隠そうとせずに左右へとコロコロと転がる。


「本当に、弟の記憶が戻るのよね」

「信用ならないって?」

「当たり前でしょ」

「はぁ、しょうがない。契約前サービスと行こうかね」


種からぬるりと二つの蔦が現れて私の頭へとぴたりとくっつけられる。


「いくぞ」


短い言葉共に、怪異は能力を発動する。


「ぐっがっ」


薄らぼんやりとあった思い出。それらがどんどんと管のような何がで吸い込まれていく様に消えていく。


「何を」


反撃しようと拳を握った次の瞬間、脳内に大量の思い出が蘇った。それこそ、先ほどまで見ていた写真の過程の全てを。


「なっ、どうやって」

「簡単さ、君の奥深くに眠る記憶を一度スキャンして、もう一度インストールさせたのさ」


疑惑は残るが、それでも事実は事実。

これでは、断る意味がなくなった。


「わかった、満足するまで貸してやるわ。その代わり、弟の記憶は即座に戻しなさい」

「いいね、契約と行こう」


そうして、私は怪異、勿忘草と契約した。

それが悪魔の契約であろうことは百も承知で。

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