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六話 結末

森に埋められていた11の遺体。凄惨な真実を暴いた若き教師たちは、それぞれの「戦場」へと旅立っていく。

 これはテープに複製された音源だ。

 私がそれを、ソ連崩壊直後の混乱で勲章だろうとКГБの階級章であろうと、何でも売り捌いている市場から入手した。探し当てるには大変な苦労が必要だった。音声内の出来事から数十年も後になって、私はあの時、突然言い渡された調査中止の理由を知った。


 カチッと再生のノイズが入った。ボソボソという音がした。私は音量を上げた。懐かしい義理の兄、イズマイールの声がはっきりと聞こえた。

「この録音を聞いている諸君には、まず事実をありのままに述べていることを告げておこう。

 1978年の平穏なオムスクの郊外で、恐ろしい事件が起こった。ロストフ・ド・ナヌーの事件とは別だ。犯行のやり方が全く違うから。どちらかと言えば公的な、半世紀前の『祖父たちの内戦』の様子を思い出して欲しい。あるいは、カティンの森事件を。

 違いは、犠牲になったのが、罪をでっちあげられた一般市民で、十一人という少なさだ。それと、若い女性が含まれていた点だ。民警の書類には、反社会的な性生活を送っていた、宿無しの家出少女と同性愛者たちとあった。でも、それが射殺の理由になるだろうか。

 いっぺんに話してしまったけれど、僕が見つけたのは、森の奥に遺体を発見したということだ。深い森の中で、縦に細く埋められた十一人を発見できたのは、その殺害に関わった人々による証言の賜物だった。

 金のちぎれた腕時計が落ちているのを見つけた。夕陽によく光っていたが、バンドが焼け焦げていた。その近くの土は、草こそ生えていたが、根ごと掘られ、元に戻されたという感触があった。穴は十一人分あった。この隠蔽工作は軍人が行うものだ。埋められていた人々は揃って地下何メートルも下に体育座りをしていた。一人ではとてもできない作業だ。さすがに僕も、後輩と二人では厳しいので、民警の手を借りて、何日も掘り返さなければならなかった。

 よく想像してみてほしい。あなたの暮らす街の、何でもない雑木林に、書類上は病死であるはずの親戚が、実は殺されて眠っていたということを。

 遺体は皆、酷い有様だった。背中から自動小銃で撃たれたのだろう、複数の銃槍が生々しく残っていた。火傷の跡と角度からして近距離だ。即死だったに違いない。それが分かるほど、遺体は腐敗が進んでいなかった。身元の特定は、パスポートを誰も所持していないので分からなかった。しかし1977年、5月に逮捕された内、十一人がオムスクへ移送されたという記録を見つけた。逮捕された場所は、皆ウラジカフカス周辺だった。

 ロストフ・ド・ナヌーでちょうど、聞いているゴシップ好きの諸君らもご存知だろうが、連続殺人事件があった。初め、犯人はコーカサスの者ではないかという容疑がかけられていたので、ウラジカフカスにも捜査網が敷かれていた。例のごとく、コーカサス地方の人間は野蛮だという、トルストイの時代から変わらない偏見だったのだけれど。幸か不幸か、記録が整理されていて見つけやすかった。

 その十一人の犠牲者たちは、僕の所属するオムスクのКГБ養成学校にも名前があった。全員がこの学校の子どもたちの元親か親族だった。この、今僕が手に持っている金の腕時計は、僕が担任をつとめている学童の母親のものだった。写真は白黒なのだけど、特徴的なオセチアの民族模様が写っていたから、分かった。

 僕の学校には十一人の子どもたちが、精神不安定な状態にある。そのうちの一人が、臨床心理士に打ち明けてくれた。自分たちが学校長に命じられて殺したのだと。名前は伏せておくが、その子は自分の親ではないと言った。しかし、実の親だと気付いた子もいた。その子は十一人の中で特に重度の神経衰弱を患っていて、今年の春に自殺しかけた。これが、僕の調査の結果だ。

 もう一度繰り返すが、これは事実だ。でも、子どもたちの話と、遺体だけでは誰も学校長の罪を問うことができない。自白しかソ連は認めないから!

 以降の記録は、僕の仕掛けた盗聴器を吹き込んだものになる。ちょっと聞き取りづらいけれど我慢してくれ。このテープを、上の人間に突き出す証拠にしたい。

 後輩は僕へ、これ以上の調査は中止するべきだと言った。でも、無残な遺体まで見て、子どもたちの様子も知っているならそんなことができる人間はいない。彼も頷いてくれた」

 カチッと一旦テープをオフにする音。またカチッとオンにする音。

 ざーという空気の流れ。

 録音の上部で別の男の声が聞こえた。

「二十六番、今日の放課後、二〇八教室へ来なさい」

 しばらく経ってから、またイズマイールの声がした。

「盗聴器の場所を移す」

 カチッ オフ

 カチッ オン

 ざーざーというノイズに耳を澄ますと、あらい男の息遣いが聞こえた。

 遠くからイズマイールの叫びが割って入った。

「だめだ、もうやめろ! 大の大人が! もう耐えられない、信じられない!」

 ガタンと扉を開け放つ音。バタン、バタバタと物音がして、静まった。

 全く何事も起こらなかったように、ゆっくりとした大きな足音が遠のいていった。

「二十六番、大丈夫か? 医務官……ああまったく! 内線の番号なんだっけ。デーニャ!」

 せわしなくうろつく靴音と、悲鳴に似たイズマイールの声が響いた。

「ごめん、お前の番号しか分からなった。頼む、誰でもいいから女性を呼んでくれ。

 二〇八教室に。信じてくれ。ヴァイナフの名誉にかけて僕は指一本触れていないと!

 学校長は悪魔シャイターンだ!」

 しばらく重い靴音が苛立ったように回った。イズマイールは部屋をうろうろとしているようだった。駆けつける足音に気が付いたのか、子犬が主人を見つけた時そのままの調子で走り寄った。

「ガリーナ先生! 良かった! デーニャ、ありがとう。短いジャケットしか手元に無くて……。すみませんが、この子をそのまま、医務室へ抱えていってあげて下さい。僕には手を差し伸べられない。人払いはします」

 ただならない状況だとすぐに分かる光景だったのだろう、「二十六番だね」と、強い年配の女性の声が聞こえた。

「もう大丈夫だから、あんたは騒がずに、他の学童たちを宥めておいで」

「は、はい!」とまるで新兵のような声色で、イズマイールの離れる足音が響いた。

 もう一人、ガリーナ先生のものであろう、甲高いハイヒールの音が近づき、遠ざかった。

 三十分ほど経ってから、何者かの手によりテープはカチッとオフにされた。

 再びカチッとオンになる音。場所は先程までと違うらしく、とても静かだった。

「デニース・ハヤトヴィチだね。今日ここへ呼んだのは、賢い君には察しがつくだろう」

「いえ、なんのことだか」と平然ととぼけるデニースの声が聞こえた。

 最初の声のイズマイールではないより、ずいぶんと遠くにいるようだ。

「指紋は残っていなかった。だが、密告者を私は信じる。君は先輩もろともウラン鉱山へ送られたくなければ、調査書を全て処分しなければならない」

 はぁ、と長い溜息が聞こえた。

「民警を使ったことは失敗だったな。私は騒ぎを収めたい。この学校の生徒たちの間で起こっている陰湿ないじめも、やめさせたい。私の愛する息子が全身、酷いやけどをした。それを昨日、手当してあげていたんだ。

 この学校の裏には、憐れなロストフの殺人鬼による犠牲者がまとめて埋められていた。その続きの調査は、アラムとその後輩にやってもらう。君は自分の仕事に専念するだけでいい。

 狐の遺伝に関する研究も支援してあげよう。先輩の身の安全も補償しよう。君は彼よりも話の分かる人間だから、呼び出したんだよ。この盗聴器も、見なかったことにしよう。渡せないがね」

 カチッ オフ

 カチッ オン

「悔しい。とても悔しいことがあったんだ。その内容は、この盗聴器の中に全て収められていた通りだ。僕はデーニャに調査打ち切りを持ち出され、内容を聞いて絶望的な気持ちになった。このままだと僕に関わったあらゆる人間を、苦役に投じちまう。ここまで知りながら!

 誰のことも救えずに終わるしかないのか。学校長をのさばらせるしかないのか。

 でも……今なぜ録音できているのか。気になるだろう。そう、盗聴器が手元に戻ってきた。

 秋のことだった。渡されたんだ、学校長の副官に。その老人は傷痍軍人で、片足を引きずっていた。息子のように思っていた人間が……学校長が自殺をして、遺品を整理していたら、出てきたんだそうだ。

 この老人が何も知らなかったとは思えない。ただ悲しげに、我が子は呪われたと言った。その人は最後に会話した内容を聞かせてくれた。学校長はこう言ったそうだ。

 ああ、これで肩の荷が下りた。晴れ晴れとした気分だ。もう、妻になるはずだった彼女とその子どもへ執着しなくて済むんだ。後はあの、正義感に燃えた若者たちが勝手に厄介払いをしてくれるだろう。なあ、別荘ダーチャで暮らさないか……と、校長室の椅子にもたれて、瞳を輝かせて言ったそうだ。それなのに、その日の朝には、古いフルシチョーバの一室で、首を吊っているのが発見されたんだ」

「イーラ少佐、お茶っす、烏龍茶っすよ」と、のどかなデニースの声が割り込んだ。

「ありがとう、そこに置いといて」とイズマイールの振り返る気配がした。

「また録音してるんっすか。もう役に立たないっすよ」

「いや、これはけじめなんだ。せめて、誰かに話を聞いてもらいたくてさ。なんか、聞く人のいないラジオのパーソナリティみたいだな、ははは」という乾いた笑い声がした。

「1979年の新年から、校長は推薦でガリーナ先生になった。僕は、まだ二十六番たちの担任を続けている。でも、次の手に取りかかろうと思う。子どもたちのその後について、サミズダートの諸君には話すことはできない。ただ、安全圏へ行ったということだけ。こんな、未消化極まりない終わり方をしたことを、ソ連という国の負の遺産として、テープに焼き付けておこう。

 ちなみに、アラムから焼き増しのためにもらった空の肋骨レコードはデーニャが学校長へ渡したっきり、行方不明だ。最初に渡すべきだったサミズダートの相手も、夏の間に検挙されてしまった。だから、もう音源は盗聴器とこのテープしかないんだよな。

 死人の恥を晒したいわけじゃない。それに、僕らのとった行動がお上に知れると、学校長を自殺に追い込んだ不穏分子として、КГБの資格を剥奪されるかもしれない。それは困るんだ。まだ、僕らの子どもたちとの闘いは終わったわけじゃない。これからのために、このテープはしばらく機密だ……。学校長は、どうして自分で盗聴器に録音したんだろうな」


 テープは焼き増しされた風ではなかった。КГБの極秘文書が数多く出回っていた中で、私が見た覚えのある筆致はこれだけだった。擦り切れた様子もなく、昔のままだった。

 イズマイールとデニースの活動は、子どもたちを転校させることに切り替わった。教員たちの親戚や、理解ある里親をつのった。その方が、子どもたちにとって良いに違いない。孤児院よりもうんと環境がよく、この学校より辛い訓練など受けずに、銃を持たない日々を過ごすことができると考えた。

 イワンだけはそれを拒否した。子どもの感情を大事に考えてはいたものの、これには困った。イズマイールの目にはイワンもまた、他の十人の子どもたちと同じく憔悴しているように見えたからだった。危険な子ほど転校させたかった。しかし、その先で問題をおこしては元も子もない。イワンを説得することは、半年後の1979年の夏まで時間を要した。イワンはイズマイールの恩師で、カレル大学の教授に引き取られた。

 二十六番は目が離せなかったので、もっと遅れた。1979年の12月1日だった。イズマイールは彼自身の経験から、最大のコネである義理の父、モロゾフ将軍を頼った。

 私、イリーナ・セミョーノヴナはというと、義理の兄を放ってオムスクと科学アカデミーを離れた。なんの力にもなれなかったКГБ養成学校は、私にとって第二の苦く、忌まわしい記憶として残った。やりきれなさを振り払いたくてアメリカへ留学した。そして国境なき医師団へ志望した。

 まさか、アフガニスタンで二十六番と会うことになるなど、誰が予測できただろうか。


 その後の1980年代、冷戦末期のイズマイールたちの動向を記しておこうと思う。

 КГБ養成学校は、ペレストロイカという社会の混乱にも関わらず、だからこそ、強固に存続し続けた。

 なかなか触れることができなかったが、ナージャもイズマイールたちの活動を積極的に支持していた。校長となったガリーナ先生もまた、強力な後ろ盾となっていた。バレエが上手な子どもはバレエ学校へ編入させ、体操が得意な子どもはその家系に預かってもらう、というように。

 教員たちはなんだかんだで、校内のいじめに対して共に取り組んだ。十一人の不幸な子どもたち以外の、大多数のКГБの卵たちへも、分け隔てなく心配りをしなければならないのは教官のつとめだった。それぞれは良い相談相手であり続けた。

 イズマイールはしばらく教員としてオムスクで過ごしたが、85年にはチェチェンの担当となった。花壇を泣きながらデニースに引き継ぎ、ナージャに珍しく突き放されず励まされた。別れを惜しみ、三人でカズベキ山にトレッキングへ行く日をその場で決めた。

 やがて、ナージャは故郷のルーマニアの情勢が危ういことを知り、里帰りして音信不通となった。彼女の父は、独裁者チャウシェスク政権の幹部だった。

 次第にイズマイールはКГБ職員としてチェチェン国内で働く一方、独立運動の派閥に担ぎ上げられた。そしてチェチェン・イチケリア共和国、初代大統領の側近へと召し上げられた。彼は第一次チェチェン紛争の担い手となり、さらには過激派武装勢力の頭目と繋がった。そして1995年12月、チェチェンの首都グローズヌイで、ロシア軍の将校となった二十六番と再会することになった。

 アルメニア人のアラムと、アゼリー人のドゥルナはさらに血塗られた道を行った。アルメニアとアゼルバイジャンの間では、ナゴルノカラバフ地方を巡って終わりのない紛争が始まった。なぜこうもコーカサス地方では、虐殺が頻発するのだろう。

 そんな人々と相反して、デニースはФСБ(エフエスベー)へ入り、戦火とは無縁のまま極東の諜報を担当した。すっかり便りの途切れた友人たちへ思いを巡らす日々を送った。

 あの花壇に咲いていたフジとライラックの甘い芳香。今もまだ残されているのだろうか? ハナズオウ、八重桜、アーモンド、リンゴ、コブシ。灌木たちは大きくなったのだろうか? 壁に張り付いていたクレマチス。シレネの赤い群生地。地面を覆っていたカモミール。

 イズマイールの笑顔は、眩しい夏のヒマワリや、大きな赤いアマリリスと重なった。二十六番はいつも、石鹸がその成分を含んでいたためなのか、悲しいユーカリの匂いがしていた。イワンの赤みがかった金髪は、キングサリと色が似ていた。

 あの1978年から数年間の、嘘みたいな日々が、ローズマリーの芳ばしい匂いと共に思い出された。皆去っていって、庭の整備を行う人間がデニース一人しかいなくなった。ユリはいつの間にか消えてしまって、アネモネも年々小さくなり、ついに芽を出さなくなった。

 ナスタチウムと百日草だけが、歳の離れた多民族の友人たちが本当に存在したこと、そして、ソ連という時代が実際にあったことを証明するかのように、こぼれ種で咲き続けた。


 2004年、春の初め。デニースは兵庫県の高砂市にいた。父に連れられて、初めてそこを訪れた時、ユスラウメの食べ方を教わった。毛虫がいるから、気を付けなければならないと。樹は遙か昔そのままの高さだった。懐かしくて頻繁に通っていた。

 夕闇の迫るその時、デニースの業務用の通信機インマルサットに、知らない番号から電話がかかってきた。足元のフキノトウがさっと風に吹かれて揺れた。

 この後の出来事は、また日を改めて話そう。


ここまでご覧くださり、誠にありがとうございました。

イズマイールの物語はこのあと、漫画でホームページに掲載しております。

そしてそのあとの物語、『デーニャの思い出』があります。

どうぞ最後まで読んでいただけますと幸いです。

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