デーニャの思い出
祖国とは何か。平和とはどこにあるのか。傷ついた子どもたちが選んだのは、銃ではなくピアノと歌だった。
2003年、初夏。
雲の切れ間から、太陽の線がいくつも伸びた。瀬戸内海が、夕陽を飲み込む瞬間に輝いた。ここ、兵庫県高砂市の生石神社では、太陽そのものは見えない。この街特有の石切り山が遮るためだった。空と海だけが煌めいていた。
スーツ姿の男が、赤く実ったユスラウメを摘みながら、後輩に向かって口を開いた。
「君は日本が初めてだから、これをカリンカだと思うだろう? 食べてごらん」
そう言われて小さな実を口に含んだ後輩は、味気なさに首を傾げた。
「先輩、これのどこが良いんですか?」
壮年の男は目尻に皺を作って笑った。
「僕が小さい頃は、こんなものでも宝物だったんだ。毛虫に気をつけないといけないけどね」
男の名前は、デニースといった。日系ロシア人の四十七歳だった。今は外交員として高砂市に滞在していた。
「そうか……あれから、もう三十年も経つのか」
潮風がふと、遠い日々の匂いを運んできた。父と歩いた坂道、庭のヤマブキ、甘酸っぱいユスラウメ――記憶の中の光景が蘇った
。
※※ ※
デニースは九歳から十二歳までの三年間だけ、ここ兵庫県で過ごした。彼は東洋系とスラヴ系の混ざった顔立ちなので、近所の子どもたちによくからかわれた。しかし自慢の父の存在が、日本人として暮らすことを受け入れさせていた。父は自衛官の幹部だった。よく手を引いてもらいながら、姫路市の駐屯地を訪れた。
「ごらん、デーニャ。多くの大砲、馬たち。特攻隊の飛行場の跡地。何よりも、働く隊員たち。この部隊の色はヤマブキの花。ほら、うちの庭に咲いているあの花だよ。
山の上に『播磨国風土記』にも出てくる神様のやしろがあって、あそこのヤマブキをお婆ちゃんが接ぎ木したんだよ。全て我が家の誇りだ」
散歩コースの中でも、大正天皇御幸の碑がある生石神社が、父にとって大のお気に入りの場所だった。そして、ユスラウメとその採り方を教えてもらった。日本で生まれた子どもたちを抱っこしながら、国を護ることへ誇りを持っていた父。しかしソ連の共産党にも所属し続けた父。ソ連と日本は、対立する国家だった。その矛盾がデニースには理解できなかった。
父は忙しく、めったに会うことができなかった。しかしモスクワから突然見知らぬ土地へ引っ越したデニースにとって、父だけが心の拠り所だった。
ところが、父はある冬、姫路駅の高架で亡くなった。結核を患っていて、その日の朝も調子が悪いと言っていた。荷物の中には、子どもたちへあげるお菓子が沢山入っていた。
「おとうちゃん…!」
父は棺桶の中で、肌が真っ白になって眠っていた。デニースは一瞬で、その目は決して開くことが無いのだと悟った。
「デーニャ、弟と妹たちと一緒に、お外にいなさい」
母は悲嘆にくれながら言った。ハンカチで顔を覆っていたので、声の調子しか覚えていない。
幼い妹のリーリヤが、無邪気にアカマンマで兄をつっつきながら問いかけた。
「にーたん、おとーたん、なんでめぇさまさんの?」
「そんなん、おれがききたいわ」
なぜソ連の共産党に? というデニースの疑問は宙ぶらりんになった。
父の死からまもない夏の夕べのことだった。母は独りぼっちになった上に、外国人へ向けられる視線に耐えかねたのだろう、家出しかけた。
その時デニースは母を捕まえようとした。場所は今見えている播州大橋だった。大きな鉄塔と、電線があった。川が海に混ざってゆく緩やかな流れが黄金色に染まっていた。デニースは母の乗ったバスを、追いつけるはずがないのに必死で追いかけた。
「まって! まっておかあちゃん!」
きつい勾配の坂を登り切ると、意外な声が後ろから聞こえた。
「おにいたーん、おにいたーん」
弟と妹たちだった。一所懸命、坂をよちよち這っていた。
「なんでついてきたんや! おまえらおったら足手まといやねん! おかあちゃん、ちゃんと連れて帰るから、うちで待っとれ!」
一歳の有咲と二歳の友理を、おんぶと更に抱っこしたリーリヤが言った。
「でも……だれもおらんから、みんな、ないてまうねん」
生きた年数より日本の方が長いので、すっかり弟妹は播州弁で話した。デニースもそれに合わせた。
「にいちゃん、なんでにいちゃんもいくん? ひとりにせんといてえな?」
リーリヤが泣きべそをかいた。
デニースは長男だからと、気丈にふるまうよう教え込まれていた。
「おかあちゃん絶対どっかでバス降りるわ。あの人いっつもそうや。勢いだけで突っ走る人やねん。ほら、うちにおかあちゃんの大事なかぶりもん置いたままやろ? せやから、絶対戻ってくるわ。もう暗なるから、みんな連れて帰りぃや。危ないで」
デニースの説得にもかかわらず、リーリヤは捨てられた子猫のように追いすがった。
「にいちゃんいかんとってぇ」
デニースは走り始めた。
「おかあちゃん説得しに行くんや、まっとれよ!」
「にいちゃーん」
赤ん坊たちまで泣き始めて、後ろ髪を引っ張られる思いがしたが、デニースはみんなを置いて駆けた。足の速さは自慢だった。兄として行動しなければと思った。
母は結局、播州大橋を渡りきった先にある商店街で、腰を下ろしていた。途方に暮れている様子だった。
デニースはそんな母が腹立たしかった。子どもでいさせてくれない母が、責任を放ったらかす母が、いきなり亡くなった父が、腹立たしかった。デニースが近づくとちょっと他人の空似のように見えたが、母だと再認識して声をかけた。
「おかあちゃん、帰ろう?」
「デーニャ」
母は振り向かずに背中で答えた。
「みんな、まっとるで。腹減らして泣いとるで。今日ばあちゃんおらんねん」
「そうだね……。帰ろうか」
日本にいる間、母はロシア語で話し続けた。頑ななまでに日本語を覚えようとしなかった。
「おかあちゃん、ロシア語話したら、周りの人から変な目ぇで見られるで?」
「いいんだよ、お前たちのほかとは、誰とも話をしないから……」
「でも、ロシアおったんは小さい頃やから、僕以外誰もロシア語分からへんで」
播州大橋の長い道では、太陽が山に隠れてゆくほうが早かった。空は暗くなり、川も黒くなった。デニースにはこの重苦しい時間が永遠に続く気がした。
「おかあちゃん、おかあちゃん辞めたいんか」
「そうだね……。一人で北に帰れたら、どんなにいいかな」
デニースにはどう答えることが正解か分からなかった。
「未熟なお母さんでごめんね」
「ええよ、別に……」
「晩ごはん、作らなくてごめんね」
「僕が作ればええんやろ」
なんも手伝わんかったら怒るくせに、という言葉は腹の中にしまっておいた。
「ごめんね」
「謝らんでええって言ってるやろ!」
母がすすり泣きだして、ますます腹がたった。
子どもは親を絶対だと思っている。しかし、デニースの母親は弱く、情緒不安定で、家に帰ってからもボンヤリとしていた。
デニースは母に共感できる年齢でもなかったので、弟妹の世話を母の代わりにして、家事もアルバイトもして、朝昼晩のごはんも作っているのにと、ただ常に怒っていることしかできなかった。
そしてまた唐突に、モスクワへ戻ることになった。友理と有咲は、祖母の元で日本に住み続けることになった。祖母がロシアへ連れて行くことを反対して、母もそれを受け入れたからだった。
妹リーリヤは面食らって、泣いて弟妹に別れを言った。そして、ロシア語を今から覚えようとした。リーリヤにとってロシアはよく分からない異国だった。
発つときに、デニースと一番仲の良かった友達が挨拶に来てくれた。
「またあおうな、デーニャ。むこうなら、いじめられんですむな」
「せやろか……。むこうでも変ちゃうか」
友達は肩を叩いて励ましてくれた。
「しっとるで、むこうにはな、そういう人がいっぱい一緒に暮らしとるんや。デーニャのおとんが言うとったで。みんな平等の夢の国なんやてな。海ないけどな」
最後の一言が冗談めかした風だったので、デニースもやっと笑顔を作ることができた。
「せや、海ないんか! ああ、海で泳ぎたなるやろなぁ。お米と、イカナゴのくぎ煮と、長田のキムチ食いたくなるやろぉなぁ。みんなで砂浜行ったなぁ。また会おうな」
名残惜しそうに、友達と何度も声を交わした。
「手紙出すで」
「ほなな」
「またな」
「うん」
名前も顔も忘れてしまった友達との、かすかな思い出だった。
潮騒の音が消え、ふと現実の静けさに引き戻される。
※ ※ ※
今、高砂の海は埋め立てられ、汚染が進み、遊泳禁止となっていた。播州大橋と加古川の流れだけが変わらなかった。
デニースはユスラウメを摘みながら考えた。
(それっきり、三十年。日本へ行く機会がなくて、播州弁もほとんど覚えていない。その友達も、最初こそ手紙をやりとりしていたけれど、次第にお互いが忙しくなって、すっかり音沙汰なくなった。まさか、四十代後半になって故郷を訪れる日が来るなんて)
デニースにとって日本は、悲しい思い出の場所だった。海とユスラウメという、楽しかった記憶を胸に、彼は北の大地へ渡った。
※ ※ ※
北の大地にはやはり海がなかった。そして自由もなかった。ソ連という国を好きになれないまま、モスクワ大学を卒業した。そして、父のつてで秘密警察КГБ(カーゲーベー)に入った。КГБはソ連の自衛隊だと、生前の父が言っていたから推薦を受け入れた。母は複雑な顔で送り出してくれた。めでたいことなのに、どうしてそんな顔をするのだろう。一人でも狭い集合住宅なのだから、出るに越したことはないだろう。養うのは大変だったろう。国は母へ勲章をあげるべきだ。
デニースは母の影響で、人の世話を焼くことが気性になってしまった。
КГБに入り、しばらく研修を受けたあと、КГБ養成学校の教員として三千キロも離れたシベリアまで派遣された。寒いそこで出会った先輩は、温かく宴会を催してくれた。そしてデニースのことを東洋系の顔立ちだと言った。
「僕はイズマイール・イリイチ・ベーザム。本物の日本人に会えて嬉しいよ! 僕、日本の浮世絵が大好きなんだ! ホクサイとか」
幼馴染のように話しかけてくる相手に、デニースは面食らった。
「ホクサイ? よく知らねえっす」
デニースのロシア語は日本語訛で、やや横柄に聞こえるらしかった。
「ええーっ。日本人なのにホクサイを知らないの?」
そして、民俗学が好きだったのだろう、民謡をしきりに知りたがった。
デニースはまったく興味がなかったので、『荒城の月』しか答えることができず、しかめっ面をさせてしまった。
「暗いなぁ! 暗いのは好きじゃないよ。僕の民族はね、祖国を愛する歌が沢山ありすぎて困るぐらいあるんだ。君のところにはないのかい?」
「よく知らねぇっす」
「なんじゃそりゃ! 淡泊な後輩だなぁ!」
そしてイズマイールは民族の誇りについて演説をした。彼は自分をチェチェン人と自認していたが、育った土地は違っていて、カザフスタンだった。それなのに行ったこともない父母の土地チェチェンについて、とくとくと熱く語るのだった。
「それはもう、コーカサス山脈の美しい色彩といったら! 輝く万年雪、途方もなく広がる険しい尾根。霊山の青さ。愛する祖国よ……お前のために全てを捧げたい……。ヴァイナフ(これは彼の民族のこと)、われわれの掟は騎士道精神にあふれているんだ。ブシドーと似ているんだぜ?」
「ブシとニンジャはとっくに絶滅しましたよ」
「まったく、お前ってやつは!」
デニースはその先輩が好きだった。明るくて活発で、いつも笑顔でいるムードメーカーだった。正直者で、純粋で、おちょくりがいのある先輩で、児童のことが好きだった。自分とは正反対の性格なのに、だからこそなのか、彼との毎日は面白かった。
その頃から、デニースには胸に一つの疑問がくすぶり始めた。
(育ちは違う土地であるはずの、彼の一体どこから民族への愛着が生まれるのだろう? 僕は日本についても、ソ連についても、こんなに熱く語ることはできない。自分の故郷は、ソ連と日本、どちらなのだろう?)
中途半端で、どっちつかずのデニースは、そのままКГБ養成学校で1991年のソ連崩壊まで過ごした。今は後継組織にあたるФСБ(エフエスベー)で勤めていた。外交員の顔をしつつ、スパイとして日本に派遣された。内密の仕事は緊張することが時にある。あの先輩と過ごしたシベリアの学校が、懐かしい第三の故郷のような気がしていた。
イズマイールは崩壊前の1985年に、チェチェンへ転任してしまった。チェチェン内の取り締まりが仕事だったが、「愛すべき故郷」へ帰ることができると喜んでいた。遠く離れても、二人の間でしばらく交流が続いた。教師仲間とつれだって、コーカサス山脈へトレッキングに行ったりもした。しかし、ソ連崩壊の荒波に飲まれて、イズマイールも政治家として担ぎ上げられた。チェチェン独立派の大統領の側近になり、紛争の中に身を投じ、音信不通になってしまった。今はどうしているのだろうか。チェチェン独立派を守るために戦っているとは噂で聞いた。
(僕にとって、愛国心というものが分からない。思い出という言葉しか、分からない……)
イズマイールは園芸部顧問だった。彼の残した花壇をデニースは引き継いだ。しかし先輩のように見事な、季節ごとに変化する色とりどりの花を咲かすことはできなかった。百日草やナスタチウムなんていう、世話をしなくても咲き続ける花しかデニースには育てることができなかった。
※ ※ ※
時は流れ、2004年の早春。
デニースは姫路駐屯地を訪問した。いつも、改発という、珍しい苗字の一佐が案内をしてくれた。
「今の季節は、男子の新隊員教育を見ることができます。夏には女子の新隊員も加わるので、雰囲気が変わります。今だけの若々しい基礎教育をぜひご覧下さい」
新隊員の坊主頭は、КГБ養成学校の男子生徒たちを思い出させた。ロシアと異なり、実戦を知らない日本の若者たち。生死の境をさまよい、不安に怯えたことのない澄んだ目。運動部のように眩しい若者たちの姿があった。演習の様子は、デニースにはもうできない動作が多かった。背嚢をかついだ駆け足や、活気あふれる体力測定が目をひいた。
ただこれは、戦争がないからまばゆく感じるのではないかと思った。訓練はもっと渋々やるものだ。この空間が失われることのないように切実に願った。
会食の後、デニースは大隊長と応接室で会話した。
「今日もお忙しいところ、お付き合い下さり、ありがとうございました。頻繁にお伺いして、かえってご迷惑ではないかと思っております」
「そんなことはございません。何時でも歓迎いたします」
会話を始めてすぐに、士長になったばかりの、うら若い女性隊員が熱いお茶を出してくれた。日本の礼儀作法通り、誰とも目を合わせずに一礼だけして、去っていった。しかし壁が薄いので外の声が聞こえた。彼女の上司……ここでは何でも「班長」と呼ぶ……班長とヒソヒソ話をしていた。
「どうだった? 俺の模様替え」
「班長、あの大きなツボ、隊長は微妙な顔で見てはりましたよ」
「ええ〜せっかく運んだのになぁ」
「でも、昔の写真を飾ってある、ガラスケースは磨いたかいがありました! あの外国のお客様、じっと眺めてはりました!」
「そうか、そうか!」
この国はとても平和だ。実戦がない土地の、和やかな先輩と後輩の会話は、デニースに懐かしさを強く感じさせた。
夏の終わりにあるという創立記念行事にも誘いを頂いた。そして、改発一佐の案内で桜の咲く坂道を、門のところまで下りた。右手には大きな運動場が広がっていた。新隊員たちが、班長達に愉快なちょっかいを出されつつ訓練する姿があった。デニースはクスッと笑ってしまった。機械を動かす動作を間違えたら、腕立て伏せをしなくてはならないのか。
左手には女性隊員のための隊舎が建っていた。ふと目をやると、玄関先に人影がいた。先ほどお茶を運んでくれた士長だった。道路に背を向けて、エンピという名前のスコップを使い、必死で草を掘り返していた。デニースは声をかけてみたくなった。
「何をなさっているのですか?」
「わあっ」
思いのほか驚かせてしまった。彼女は盛大にしりもちをついた。
「大丈夫ですか?」
「ああっ隊長とお客様! お疲れ様です!」
遠くから元気よく敬礼をするものの、彼女は帽子を落としていたので、あっと慌てて右手をおろして「気をつけ」した。帽子がなければ敬礼は「気をつけ」だった。
「何をしていたのか言いなさい」と部隊長に直接問われて、士長は頬を紅潮させながら、はきはきと答えた。
「はい! 花壇を増設しておりました!」
「懐かしいですね、私も花壇をしておりました。腰が痛いですよね」とデニースが言った。
「はい、でも、皆喜んで下さいますので大丈夫です! 百日草と、ナスタチウムと、ヒマワリを植える予定です! 赤くて黄色くなります! またぜひおこし下さい!」
デニースたちは女性の隊舎へ近づいてはならないので、十メートルほど離れていた。そのため、彼女はよく通る大きな声で答えてくれた。デニースもなるべく大きな声をかけ、手を振った。
「日差しが強くなってきたので、あまり根をつめすぎずに。お気をつけて」
警衛の前まで歩いて、大隊長がぼそりと言った。
「あの子は喘息で、こうした仕事しかできないんですよ」
「そうですか……。でも元気な挨拶でしたね」
「やる気さえあれば居場所を与えるのが自衛隊です」
その声音には自信を感じ取ることができた。
(先輩と後輩か……)
デニースは、かつてソ連という国にいた頃の、イズマイールとの会話を思い出した。
※ ※ ※
夏の太陽がシベリアに降り注ぐ、輝かしい季節だった。テレビではモスクワ五輪に出場する予定の選手たちへ、気の早いインタビューを放送していた。
イズマイールが、職員寮の共同リビングで中国茶を飲んでいた。もう夏ということで、花瓶にサンダーソニアを立てたのも彼だった。おかしな形の黄色い花が、休憩室へ元気を与えていた。
イズマイールはデニースが作った甘いお菓子、ピロージナエ・カルトーシカをかじった。
(あいつが作ると爆弾のような固さになるんだよな。うまいんだけど……もうちょっと柔らかいものが欲しい……。それに、はあ……。ソ連じゃ、中国と仲が悪くなってから、おいしい茶葉が手に入らなくなったんだよなぁ。デーニャなら東洋育ちだから、上手に淹れることができると思ったんだけどなぁ。しかし、この国には色んな民族がいるもんだ……云々かんぬん)
キッチンでデニースは、笑いをこらえて眺めていた。のんびり首を傾げているイズマイールの様子がおかしかった。まずいことは自分でも分かっていた。今度はハーブティーを運んでみた。先輩の反応を見ることが楽しかった。
「わあ、何が入ってるんだ? 良い匂い。カモミール?」
「ナスタチウムも入ってまっせ。はい、葉っぱ。かじってみて下さい」
丸い大きな葉をイズマイールがばりっと食べた。しばらく噛んでから、うへぇっと口をしぼめた。
「かりゃい……」
「イーラ先輩は苦手っすか。ソ連には辛い物が少なくて良かったっすね」
イズマイールはお茶で口を薄めながら、仕返しをしようと思った。デニースへ日本のことを覚えているか尋ねた。
「日本と言っても、広さはイングランドほどありまっせ? 僕が住んでいたのは瀬戸内海の一寒村で、方言がきつい場所です。親父は、姫路城のあたりで諜報活動をしていました。母とは満州で知り合ったそうで、素朴なロシアの良いところのお嬢さんだったようですよ。
僕は九歳から十二歳までしか日本にいなかったので、もう日本語なんて忘れちまいました。
ベッチョナイとか、アイソなしですんませんなとか、なんどいやわれダボーとか、でぇこんてぇてぇて……大根炊いといてっていう祖母の言葉なんですがね……そんな強烈な方言しか憶えてないですわ」
「へえー。お前の言葉って日本語でも荒っぽいのか? 方言って面白いなぁ、ふむ」
「正しい日本語もロシア語もできなくてすんませんね。はっはっはっ」
「なんか、歌とか教えてくれよ。ほら、『荒城の月』だけじゃないだろ? もっと明るめのやつあるだろ?」
「小学校で習う唱歌ぐらいっすかね」
デニースはあくまで淡泊だった。これで話が終わりそうだったので、イズマイールがどんなメロディか歌ってみせてくれと頼んだ。
ずいずいずっころばし ごまみそずい
ちゃつぼにのまれて どっぴんしゃん
ぬけたーらどんどこしょ
「このヌケターラドンドコショって、どういう意味なんだ?」
「知らねっす」
「なんじゃそりゃ! あはは!」
「そういうイーラ少佐は、なんかチェチェンの歌、覚えてるんっすか。カリンカばっかり鼻歌で聞きますけど」
カリンカは百年前にスラヴ系の人物によって作られた歌だった。
「うっ」
痛いところをつかれたイズマイールは、必死で記憶を巡らせた。
「チェチェンには祖国っていう歌があるんだ。バリエーションもいくつかあるけど……。僕が覚えてるのはこれだけかな」
母なる祖国よ!
あなたへの思いを
測れる天秤はあるのだろうか?
母なる祖国への私の気持ちを
測れる秤などありはしない
それを納められるのは
ただ心だけ そう心だけなのだ
「コーカサス地方の人々は民族意識が強いんですね。日本では第二次世界大戦が終わると同時に、そうした祖国愛の歌は消えました」
「へえ。寂しくないのか?」
「子どもにとったら、価値観の基準は、楽しいか楽しくないかだけでさ」
「そうか。なら、僕も素直になろう。実はカリンカの次によく歌った歌は、ダイモークじゃなかったんだ」
ア〜リラン
ア〜リラン
ア〜ラリヨ〜
アリラン ゴゲロ
ノモガンダ〜
イズマイールの育ったカザフスタンでは、高麗人という人々と共同生活を送っていた。
(パクさん一家のキムチはものすごく辛かった。年上のアーニャが好きだった。長い黒髪を後ろにきっちり束ねた、綺麗な女の子。だから、極東の顔立ちをしているデーニャにも、警戒心なく腹を割ることができるのかもしれない)
「それともう一つ、『故国山川』っていう歌も歌ったよ。ロシア語でノスタルギーヤとも言う」
イズマイールはそのメロディを歌って聞かせた。
「ああ、この歌は知ってます。日本にいた頃、神戸で聞きました。コリアンタウンがあって。いやはや、故郷を想う気持ちはどこでも同じなんですね。不思議なもんです」
※ ※ ※
2004年。
デニースは姫路駐屯地を離れて、帰路に就く前に、近隣を散策することにした。最終目的地は生石神社と決めていた。加古川の河川敷を歩いたりして、やっと夕闇せまる頃、神社の石の御神体を拝んだ。ロシアから来たばかりの後輩は、なぜこんな、巨大で真四角というだけの岩が信仰の対象になるのか、不思議がっていた。デニースにも謎だ。
石段を登り、父が好きだった大正天皇御幸の石碑をもうでた。ここからは明石の山や、果ては淡路島まで見渡すことができた。日本神話で、最初に作られたという淡路島だ。
ここの気候は播磨灘のおかげで、年間通して温暖で、雨がめったにふらない。ロシア暮らしが長いデニースと、その後輩にとっては、リゾート地へ保養に来た気分でいた。
突然、ピリリ、ピリリと、インマルサットという衛星通信の音が鳴った。
「デニース・ハヤトヴィチ。インマルが反応しています。出られますか?」
何者からだろうか? 受話器を取った。
「ああ、その声! 懐かしいな! 覚えているかい? 僕だよ」
あせった男の声が耳に響いた。所々ノイズがかかっていた。
「アロー? お名前をたのんます」
少し食い気味に答えが返ってきた。
「イズマイール・イリイチ・ベーザムだよ! КГБ養成学校時代のよしみで話を聞いてほしいんだ。急にすまない、お願いだ」
デニースは後輩に、衛星通信の電波をたどるよう、密かに指示を出した。
「イーラ中佐、いえ、今はチェチェン・イチケリア共和国の大統領代理でしたね。お久しぶりです。お元気でしたか? なるべくゆっくり、状況を説明して下さい」
一言、一言区切るデニースに安堵したのか、イズマイールも言葉がゆっくりになった。
「そうだな、久しぶり。まずは挨拶しなきゃな。急いでも仕方がない……。今、元気じゃないよ。村人ごと過激派勢力に包囲されているんだ」
デニースはおかしなことだと思った。
「どうしてそんなことになったんですか? あなたは過激派の武装勢力と結びついたって、メディアで盛んに報道されてまっせ?」
いったん落ち着いた声が、再び熱を帯びた。
「そんなデタラメ、デーニャ、君まで信じているのか? いつものプロパガンダじゃないか。《対テロ》とかいう! 友達じゃないか。僕の立場は明らかだ。家族を守りたい。この戦争を一刻も早く終わらせたいんだ!」
この時、ロシアとチェチェンは戦争のただ中にあった。岩手県ほどの広さの国と少数民族を相手に、大国ロシアは十年も争っていた。大元をたどれば、この紛争には二百年もの歴史があった。1800年代のロシア帝国だった頃から、ロシアの人々は北コーカサス地方の少数民族を、恐ろしい相手であり、憧憬の対象とみなしてきた。
北コーカサス地方には、ロシア帝国によってディアスポラを招きながら併合を受けたという負の歴史がある。最後まで激しく抵抗したのはチェチェンの民族だったという。近現代では、皆ソビエト連邦の一部だった。
ソ連崩壊とともに東欧諸国や中央アジア、南コーカサス地方、そしてチェチェンは独立を宣言した。しかし1994年、ロシア政府はチェチェンだけ独立を許さず、武力侵攻した。こうして第一次チェチェン紛争が始まった。1996年にいったん和平条約が結ばれ、実際はチェチェンの勝利で終わった。ところが直後、再び戦争が始まった。以後を第二次チェチェン紛争と呼んでいた。そしてロシアは世界で最も難民の多い国の一つとなった。
第二次チェチェン紛争は泥沼化した。ロシアの軍人がチェチェンの商店で銃を売るなど、誰のためか分からない、腐敗が蔓延する戦争となってしまった。この戦争について、当時のロシアの大統領は世論と世界から多大な非難を受けた。
一方、次代の大統領は情報統制を徹底し、9・11以降は《対テロ》という名目で《掃討作戦》を行った。世界正義のイメージを重ねて、民間人への拷問や非人道的行為を黙殺した。
2004年には、チェチェンの大統領、指導者が次々と殺害され、チェチェン・イチケリア共和国は国家としての実態を失っていた。ロシア政府は、独立派から寝返ったチェチェンのグループを擁し、傀儡政権を建てたことで、戦争は終わったと何度も宣言していた。
ここまで戦争が長引いた原因は、石油資源と領土を確保したいロシア政府の思惑のためだった。
「あいにく、僕は今、ФСБの一員として日本にいます。ロシアの民間人だって戦争は早く終わって欲しい。でも、ロシア政府はこの戦争が続くことと、腐敗を望んでいます。あなた方へ高度な自治や、独立を認めてしまうと、自分たちの行いが治安維持ではなく、ただの侵略行為だと世界に知らせることになりますから」
デニースは目を閉じた。信じる神なんて特にいないのに、何かへ祈った。誤作動がありますようにと。
イズマイールはついに語気を荒げた。
「そんな馬鹿な話があってたまるか! その口ぶり、チェチェンで何が起こっているのか知っているだろう!?」
デニースの足元で、芽吹き出したフキノトウが風にさっと揺れた。傍らでは後輩がインマルで本部に連絡を取り、通話の電波を逆探知していた。
イズマイールもまた屋外にいた。側には特徴的な先頭をしたヴァイナフの塔が建っていた。数百年前からある古い防御塔で、ぼろぼろのそこへ幼い息子と娘を「決して表へ出ないように」と言い聞かせた。ナージャという、КГБ学校時代からの教師仲間が二人を看ていた。イズマイールの足元にはミントの群れがあった。歩けば澄んだ香りが漂った。
デニースの答えは冷たかった。
「ええ知っています。この仕事に就いていると、嫌というほど極秘の情報が入ってきます。КГБの頃より酷く……。僕も命が惜しいので、何もできません。僕はあなたへ無力なんです」
覇気のしぼんだ声がデニースへ返ってきた。
「力になってくれないのか?」
「ジャーナリストや政治家が、暗殺されていることをご存知でしょう?」
「どうして誰も、この戦争をやめさせてくれないんだ? 人として見過ごすのはどうなんだ?」
デニースの言葉は次第に詰問に変わった。
「僕は無力です、大統領代理。それに、戦争を始めたのは、あなた方ではないのですか?
民族や領土の独立がそんなに大切ですか? 破壊され尽くしても、人の命よりも大事ですか? 日本へ来ても、懐かしいとしか思わなかった僕には、愛国心が理解できません。それさえなげうてば、もっと早くに平和を実現できたでしょうに!」
イズマイールは沈んだ声のままだった。
「僕たちヴァイナフの民族の誇りは、この十年で踏みにじられたよ」
デニースは一瞬、自分を愚かだと思った。こんなこと問い詰めたって、なんの意味もない。
「世界にとっては、チェチェンはロシアの一部で……テレビの中の沢山起こっている悲劇の一つに過ぎないんです。先進国は怖いと言うだけです。戦争は最新技術が集まっているからと、兵器に注目する者をのぞいて、誰も興味を向けません。日本人のうち、一体何人がチェチェンの場所を正確に把握しているでしょう?」
表情の見えない相手は、しばらく沈黙して、力なく言葉を口にした。
「長く喋りすぎたようだな。昔からの僕の悪い癖だ、ははは。本当はこう伝えたかったんだ。デーニャ、君に子どもを頼みたいんだ。それだけは……かなえてくれるか?」
デニースは不意をつかれて、どうして今そんな遺言のようなことを言うのか理解が追い付かなかった。
(包囲されているからか? いや、それなら、もっと近い人に頼むはずだ)
「……何歳ですか?」
(もしかすると、逆探知されることを分かっていながら、自分へ通話したのでは?)
「二歳と十歳だよ。上の子は足が不自由になっている」
もっと友情をこめて話をしようとしたその時、突然、激しい爆撃音が聞こえ、ブツッと通話が遮断された。超音波で発射された誘導ミサイルは、標的に届いたようだった。
「イーラ中佐……なぜ、あなたが対立国にいなければならなかったんですか?」
デニースはインマルの受話器をたたき落とした。そしてソ連崩壊前、イズマイールが別れを口にした時のことを思い出した。
※ ※ ※
もはや花壇に咲いているのは、百日草とツルニチニチソウばかりになっていた。昔あったアネモネでも植え直そうかと、土を掘っていたところだった。イズマイールが庭園に入ってきた。デニースと視線が合うと。肩をすくめた。辞令の書かれた紙をひらひらさせた。
「デーニャ、チェチェンへ出向することになったよ。君とのバディもおしまいだ。楽しかったよ。いつか、またバイカル湖へ行こうな」
「カズベキ山へも行かなくちゃあ。イーラ中佐、僕もあなたと過ごせて、なんというか、良かったです」
「柄にでもないこと言うなよ!」
「だって、明日からもういないってことでしょ? 近くへ来たら、この学校へ寄って下さいな。あなたがいなくなったら、この花壇は荒れ放題っすよ。もうこんな状態ですのに……」
※ ※ ※
できるなら、衛星電話ではなく、直接会いたかった。いや、声だけで良かったんだ、きっと。
日本の、ことに播磨はロシアからも、チェチェンからも遠くに位置している。顔を上げると何事もなかったかのように、夕陽が空を赤く染めている。友人をこの手で殺すことになるなど、三十分前までは想像もしていなかった。責任とはなんだったのか。ただ密告されて死にたくなかった。友人の命に代えてまで、そんなに自分の命なんか大事だったのだろうか。
2004年の夏はまたたくまに過ぎた。日頃の業務に加えて、航空券と、養子縁組の手続きをとることが難しく、ようやくチェチェンへ行くことができたのは秋になってからだった。
デニースにとってチェチェンは、初めて足を踏み入れる土地だった。そこでは、日本においては考えられない光景が日常だった。破壊された首都グローズヌイ、燃える建物、難民と孤児があふれ、砲撃を受けた戦車が遺棄されていた。空襲の轟音に恐々とする人々の姿があった。
同乗させてもらったロシアの「クラカジール」という戦闘機には、女性の兵隊が、新兵なのだろう、銃を抱えて延々と涙を流していた。隣の女性が肩を抱き、これから死地へ向かうという悲壮さを酷く感じさせた。
春に探知したイズマイールの場所は、シャトイという山奥の村だった。こちらも破壊されて、ヴァイナフの塔があったと聞いていたが、跡形もなくなっていた。
(やったのは自分か、それともここであったという激戦のためか。地下室が焼け残っている。開け閉めした跡がある。日記だ……。手がかりはないか。彼は、包囲されたと言った。そうか。この冊子の位置を教えるために、わざわざ僕へ連絡をよこしたんだ)
はらりと日記から写真が落ちた。歳をとったかつての先輩の姿があった。
「イーラ中佐……」
彼の腕には、三つ編みの小さな女の子が笑っていた。かたわらには、父親とよく似た赤毛の女の子? いや、息子と言っていたな。目のぱっちりと大きな、子犬のような子どもが父親の足にしがみついていた。ちょっと臆病そうに、でも嬉しそうに。
裏に走り書きがあった。
2004年2月
息子アルフズールと娘ラジュ。デーニャ、この子達を頼む。
ずっとナージャさんに面倒を看てもらっていたんだ。なかなか会えなくてね。
その三人を探し出してほしい。
ナズランの難民キャンプに行くよう言ってあるから、
きっとナズランのどこかにいるはずだ。
ナズランは隣のイングーシ共和国の町だった。チェチェンに傀儡政権ができてからというものの、イングーシでは難民を帰還させる動きがあって、国内外の誰もがどよめいていた。治安が悪い上に、チェチェンには収容所があって、対ロシアのゲリラや、都合の悪い人間とみなされれば、老若男女問わず連れてゆかれ、拷問を受け、殺されるか廃人にされるためだった。傀儡政権は安定していなかった。
デニースも身分証があるとはいえ、油断はできなかった。余分に現金を持っていて正解だった。各地に自警団や、ロシア軍により関所が設けられ、賄賂を渡さなくては通ることができなかった。やっとのことでナズランにたどり着いた。
「ナージャさん! ナージャさんじゃないっすか?」
とある人道支援団体の施設で、昔の面影のある人を見つけた。そこは運よく拾われた、難民の子どもたちを預かる場所のようだった。
「ナージャさん」と呼ばれた人は振り返った。ストレートの黒髪に、黒い瞳。かつてはルーマニアの妖精と言われた、体操の名選手。ソ連崩壊の時にルーマニアで革命が起こり、行方知れずになっていた。その彼女が、こんなところにいたなんて意外だった。
「デーニャくん? もしかして、デーニャくんなの?」
ナージャは驚いて駆けつけて、敷地の門を開いた。
「イーラ中佐から、子どもたちを預かるようにと頼まれました。ナージャさんも、あの現場にいましたか?」
彼女の顔色が曇った。
「イーラくんが、包囲されているのを知っていて、囮になったことは分かった。あたしたちを逃してくれたのよ。ここへのつても用意してくれていた」
デニースは、とても自分がやったとは言えなかった。ナージャは震える声で、旧友のたどった道を伝えた。
「私は大丈夫……。イーラ君も。悲しいけど、どのみち、大統領代理という肩書を持ち続ける限り、一生狙われるんだって本人が覚悟していたから。イーラくんはね、チェチェンへ高度な自治を求めながら、ロシアとも共存の道を探そうって中庸派だった。なのに、誰も耳を貸してくれなかった。カリスマ性もなくて、派閥をまとめることができなくて、孤立していたの。
デーニャくん、私からもお願いします。イーラくんの形見だと思って、あの子たちを育ててあげて下さい。戦争しか知らないの。それに、上の子のアルフズールは……」
会話の途中で、二人の赤毛の子どもが扉を開けて出てきた。十歳くらいの子の方は車椅子だった。二歳くらいの三つ編みの子を膝からおろして、ハグをした。そして、遊具の周りにいる他の子どもたちの中へ押しやった。車椅子の子は、それをただじっと見つめていた。大人が近づくと、ぼんやりと見上げた。
「君がアルフズールだね? もう一人の子はラジュか。お父さんに頼まれて来たんだよ。これから、おじさんと暮らすんだよ。ナージャさんも一緒に」
子どもは押し黙ったまま、イズマイールと同じ色をした目をデニースへ向け続けていた。ナージャが代わりに答えた。
「アルフズールは、父親が殺される瞬間を見たのよ。恐ろしかったのでしょうね……。それっきり、目がよく見えていないみたいで……口もきかないの」
「ゆっくり、寄り添ってあげよう。僕は赦されないことをしたんだ」
「何を?」
「言っておくべきだろうか、実は……」
ナージャは、さっとデニースの口元に自分の掌をあてて制した。
「いけない、この子の前では何も言わないで。誰のせいでもなかったのよ。この戦争は、始まった理由も、続いた理由も、人が死んだ理由も、無意味よ」
ナージャの瞳から涙がこぼれた。КГБ養成学校の教員だった頃は見せなかった、強く美しい彼女が打ちのめされていた。
「アルフズール、君の名前はチェチェン語で鳥という意味なんだね。ラジュはリンゴ。お父さんが好きだった花だ」
車椅子を押しながら声をかけてみたが、反応はなかった。
デニースとナージャ、そして子どもたちは日本に向かうこととなった。遠く離れた土地、戦争のない平和な場所へ。初めての光景ばかりだったのだろう、子どもたちは目をしばたたいていた。特にラジュは無邪気で、航空機の景色に「キャーッ」と歓声をあげた。
まず南方のトビリシへ向かい、ドバイを経由して羽田空港から関西空港へ乗り継いだ。そして瀬戸内海の町まで電車で移動した。長い旅だった。慣れない移動に疲れたのか、みんな飛行機の中で眠ってしまった。デニースだけが起きていた。彼の先輩だったイズマイールの日記を、読まなければならない気がした。
「着いたよ。ここが、これから住む家だ」
デニースの家は彼の祖母の家、つまり父の実家だった。今は独り暮らしになっていた。農家によくある間取りの二階建てで、周囲はなだらかな山々と黄色い田んぼだった。
「これぜんぶ、なあに?」
ラジュが興奮した声で尋ねた。
「お米っていう食べ物だよ。カーシャ(おかゆ)になる」
ナージャが車椅子のアルフズールをバスからおろして、あたりを見回しながらデニースへ声をかけた。
「アルフズールが寒いみたい、お家に上がらせてもらってもいい? デーニャ」
子どもたちとの生活は、馴染むまでが大変だった。養子縁組をしたとはいえ、アルフズールが日本の学校へ通えるとは思えない。まず心のケアが必要だった。
昔、似たような子どもが生徒だったことを思い出した。デニースがКГБ養成学校へ赴任した時、初めて受け持った学級にいた子だった。二十六番という番号で呼ばれ、全く口をきかなかった。そして、自殺未遂までした。明け方の花園の中で。アネモネが血を吸い上げたように咲いていた。
イーラ中佐はとてもショックを受けて、学校中の教員の署名を集めて、転校させようとした。その結果、二十六番の預けられた先はイーラ中佐の親戚の元だった。あれで良かったのだろうか、今はどうしているのか……。当時のことを考えながら、デニースは庭のハーブを摘んだ。
「良い香り……」
アルフズールを部屋で寝かせたナージャが手をそよがせた。
「ノコギリソウとローズマリーとミントでさ。イーラ中佐が、僕の淹れるお茶が好きだったなって思いまして。精神を落ち着かせる作用があるんです。あの頃は、異様にハーブティーやら中国茶やらに凝ってました」
ナージャが一口すすって、少しだけ床の間へ持って行った。
「アルフズール、飲まない? おいしいお茶よ」
アルフズールはナージャに起こしてもらって、そっとカップへ手を伸ばし、口をつけた。
デニースは小さな声で話した。
「少しずつ、ここで楽しいと思えることを増やしましょう」
「そうね……」
ラジュが可愛い笑い声をたてて、表で一人遊びをしていた。アカマンマをカーシャにみたてて、ぱくぱく食べる、というごっこ遊びだった。大昔、弟妹がよくやっていたものと同じだった。
「ナージャさん、この子たちの詳しい名前の由来って、聞いていますか?」
デニースはあえて、ナージャと先輩の二人の関係について聞かなかった。彼自身も、異性や同性へ恋心というものを持ったことが無く、性別なんて生まれ育った環境でそう言われるだけだと思っていた。全て友情でよかった。
「うーん、名前はイーラくんの奥さんが付けたんだって。お産で亡くなったそうなの……。だから、話してくれなかった」
「そうっすか……」
鳥という名前をつけたのなら、産まれた時、さぞかし可愛らしい声だったのだろう。
(僕は、今からでも取り戻せるだろうか。赦されないことをしたという、罪滅ぼしのためだけではなくて。イーラ中佐の喜びや、愛情を、この子達へ与えてあげられるだろうか)
なぜか、アルフズールの赤い髪が、話に聞いていた先輩の幼い頃を彷彿とさせた。
イズマイールはカザフスタンで育った。1930年代から1953年までのスターリンによる大粛清の時代、北コーカサス地方の諸民族は、シベリアや中央アジアへ強制移住させられた。だから、彼はチェチェンを知らずに育った。
高麗人という、大昔から極東の、少しロシアよりの土地に暮らしていた人々も同じ憂き目にあった。罪状は「第二次世界大戦におけるスパイ容疑」だった。数百万人が計画的に、家畜列車で追放された。大勢が亡くなった。先にカザフスタンで、懸命に暮らしを建て直そうとしていたコリョサラムの人々に、とても世話になったと聞いた。
彼はニンニクと肉の多いチェチェン料理よりも、ソ連の甘いお菓子が好きで、東洋系の顔立ちをしたデニースに親近感を抱いた。それでもチェチェンへの愛を、受け売りながら謳い上げていた……。
中庸派だったのか。あの時、もっと話を聞いておくんだった。
子どもたちもまた、故郷を平和な姿で知らない。あの地域が誇る騎士道精神は崩れてしまった。それをあらわした民族舞踊もアルフズールには踊れない。せめて戦争のない日本で、心の傷を癒やしてもらえないものだろうか。これは身勝手な考えだろうか。
冬が終わり、また春がやってきた。
あるぽかぽかした日、ナージャが採用通知を持って廊下をぴょんぴょん飛び跳ねていた。
「みて! デーニャ君、これ! あたし、日本語難しいけど、神戸でロシア語の教員募集ってあってね。それに採用されたの。久しぶりに普通に働くのよ。嬉しいわ! いっぱいバレエや体操のことも、教えちゃうんだから!」
ナージャは根っからの強かさを発揮して、もう日本の暮らしに順応し始めていた。ラジュは保育園で赤毛をいじめられたようだが、保育士たちがカバーしているようだった。アルフズールはずっと家の中で眠っていた。何をするでもなく、ただじっと動かなかった。
デニースは仕事帰りに、アルフズールを表へ連れ出すことにした。行き先は生石神社にした。大勢の人たちに支えてもらいながら、車椅子ごと頂上まで登った。折よく晴れて、うっすらと青い淡路島まで眺めることができた。
「綺麗な眺めだなあ……。見えないか」
隣でぽつりと声が聞こえた。
「………カリンカ」
「アルフズール?」
「カリンカ、マヤー」
「その歌はロシア語の歌。いや、お父さんの歌だね?」
「ダーダ、ナーナ……。カリンカ、マヤー」
デニースは昔のことを思い出した。
※ ※ ※
「なんで、カリンカをよく歌うんっすか? チェチェンの歌は歌わないんっすか?」
先輩にそう尋ねたことがあった。
「カザフスタン育ちだからね」
彼は、はにかんで答えた。
※ ※ ※
アーイ リューリ リューリ
パリュビー ジェ トゥイ メニャー
どうか私を好きになっておくれ、という意味だ。何を指してその歌を口ずさんでいるのか、デニースは目線を追って理解した。
「これは、カリンカじゃないんだよ。ユスラウメっていうんだ。でも食べてごらん。美味しいから」
採るときは毛虫に気をつけなければならない、と言おうとした時だった。木の棒をアルフズールが差し出した。
「そっか……。素手で採ることしか頭になかったよ。そんな方法があったか。君は賢いんだな」
(アルフズールの父親が亡くなって一年が経った。こんなに愛らしい声をしていたのか。
イーラ中佐、僕はあなたのことを考え続けるばかりです。なぜ、電話をかけてきたんですか? もう終わりだと悟ったからですか? 僕に責任を押し付けたのですか……? いや、責任を感じてあなたの居所を政府に知らせたのは僕自身だ。僕はあなたへ一生、悔いながら生きるのでしょうか?)
昔、イズマイールと別れたときの声が聞こえる気がした。
「デーニャ、この花壇はもともと雑草だらけでね、忘れ去られていたんだ。それを僕が勝手に開拓したんだよ。潰すも残すも、園芸部後任の君が決めればいい。嫌ならいいんだ。
ま、次会う時はバイカル湖の凍った上を、お前の車で爆走して、カズベキ山でトレッキングだ!
いいな!」
(イーラ中佐、子どもたちにとって明るい未来はどこにあるのでしょうか? 国へ戻すべきですか? 愛国心を教えるべき? 戦争がいつ終わるかも分からないのに。それとも、愛国心などない僕に任せたのは、それのない生活を送らせるためですか)
難民の二世、三世は、一体どのようにして先祖のエスニックアイデンティティを維持するのだろうか。イスラエルや、コーカサス戦争でシリアやトルコへ逃れた民族はどうして。アルメニアも何度もディアスポラを経験している。そして、まだ幼いこの子たちにとって何の意識を持つことが最善なのだろうか。
日本で五年もの歳月を暮らした子どもたち。アルフズールはある日、チェチェンへ戻りたいと話した。チェチェン紛争がついに終わったと報道されたためだった。
「デーニャおじさん、せめて近くの街に行きたいんです」
誠実な面持ちで、ぐっと告白するような話し方だった。
「ラジュは、にほんがええー! うち、ともだちいっぱいおるねんもん!」
妹はまだ正しく持てないお箸で、兄をぽこぽこ叩いた。
「ラジュ、播州弁もええねんけど、ぼくら外国人なんやで? チェチェン語しゃべりーな。いつかお父さんの国に帰らなあかん。すっかりチェチェン語忘れる前にな。せやから、早いほうがええねん」
「がいこくじんちゃーう!」とラジュは泣き出した。
デニースには、その光景が妙に弟妹を思い出されて、胸が痛くなった。
「アルフズール、引っ越しってことかい? それなら僕には仕事があるから、困ったな。まだ政情不安定な場所へ、子どもだけ送るわけにはいかないし」
「パンキシ渓谷はあかんのですか」
播州弁とロシア語、チェチェン語、ごった煮の食卓だった。
ナージャが驚いてお茶をこぼした。
「パンキシ渓谷! あかーん! 危ないとこっていうやん?」
デニースも唸って腕を組んだ。ぶりの照り焼きと、豚汁が冷めてしまう。
「グルジアも、ロシアとの戦争が終わったばっかりだからなぁ……。もう少し待てないか」
グルジアは(日本において2015年にジョージアと呼称を変更)、チェチェンから山を挟んで南にある国だった。2008年の8月だけロシアと戦争をし、大敗した。結果、グルジア領内だったアブハジア、南オセチアが、ロシアの後ろ盾を得て半独立した。チェチェンだけでなく、政治的な陣取り合戦はコーカサス山脈全体で行われていた。
パンキシ渓谷はグルジアにある一地域だった。古くからキスト人という、グルジアに同化したチェチェン由来の人々が暮らしていた。政治が及ばず、チェチェンからの難民を多く受け入れていた。そのため、ロシア政府からテロの温床と名指しされた。その時もロシアはグルジアの領空を犯して空爆を続けていた。実際のところ、そこはテロとは無縁なことをデニースは知っていた。
「今の時代はインターネットでしょう。おじさん。パンキシ渓谷にはピアノ教室も開かれたし、お祭りだってあるし……。この先生、びっくりだ。真っ白でしょう。日差しを浴びると大変とか、いっぱい苦労があるけど、周りの人と一緒に協力して生きていける平和なところなんだって」
アルフズールの取り出した携帯電話を、デニースは食い入るように見つめた。
「まさか、その画面もっと見せてくれないか」
「あっこの人! 似てるわぁ」
ナージャも、デニースとアルフズールの間に分け入った。
「二十六番のことか……?」
アルフズールから特徴を聞いて浮かんだのは、二十六番しかいなかった。写真の人物はКГБ学校時代と同じように、長い髪を後ろで無造作に結わえていて、先天性白皮症だった。
また、二十六番のその後については、イズマイールの残した日記が事細かに語っていた。預けられた先でピアノを習ったこと、軍学校へ転校したこと。第一次チェチェン紛争で敵ながら再会したこと。2004年の時点でコーカサス地方にいること……。
平和をアピールするニュースの一環で、ホームページに飾られた写真だった。子どもたちの後ろに立つ、赤い目で白い髪をした大人が立っていた。
「ピアノの講師になったのか……」
デニースもナージャも驚きを隠せなかった。
デニースにとって、日本に未練がないなど、そんなことはない。九歳から十二歳まで父母と過ごし、今は連絡がつかない弟妹と過ごした場所。母を追いかけた播州大橋。埋め立てられた高砂の砂浜。真っ黒になるまで友達と泳いだ海。アルフズールとラジュ、ナージャと過ごした月日。生きてきた年月のうち、たったの数年だが、忘れようのない濃い日々だった。
「そうだな、会いに行っても良いかもしれないな」
ラジュだけが泣いて、泣いて、その日は一日中、不機嫌だった。
アルフズールは妹を宥めながら、考えた。
(初めてデーニャさんに会ったときと比べて、僕は随分変わった。大人になったら、独立派に志願して、お父さんを殺したやつに復讐するつもりだった。そのことだけ考えて、日本へ来た。でも、みんなと一緒に暮らすうちに、僕は違うものを見始めていた。お父さんの笑っていた顔……もうぼやけてしまっているけど、懐かしくて悲しかった。
お父さんの旧い友達だっていうデーニャおじさんと、ナージャさんの喜ぶ顔が見たいと思った。ラジュを危険な目にあわせたくないと思った。お腹いっぱい食べることの嬉しさを知った。砲撃がないこと、安心して寝ていいことを知った。ユスラウメを採ったとき、賢いねって言われて嬉しかった……。もっと良い子になりたいと思った。平和な場所にいることができたからこそ、なにか、遠く離れたチェチェンのためにできないかって思った。小さい頃、お父さんとお母さんが、僕の歌を褒めてくれたから、音楽……ピアノ、素敵だなって……。
夢でしかないのかな、実現してもいいのかな。カリンカを歌うとみんな、喜んでくれたもの。ねえ、お父さん。将来は復讐じゃなくて、音楽家になりたいって、言ってもいいのかな?)
民族意識とは何だろうか。
デニースのように懐かしさや、思い出なのだろうか。イズマイールのように、父母より受け継ぐ、憧れの理想郷だろうか。ナージャのように、住めば全て都だろうか。
チェチェンには、「祖国」という歌がある。コリョサラムは日本の歌も、チェチェンの歌も、ロシアの歌も、みんな取り入れて宴会をする。朝鮮半島とはまた別の民族だと自称して。カザフスタンで育ったイズマイールは、実はグローズヌイの気候に馴染めないことが悩みだった。湿っぽいのだと日記で嘆いていた。
日本では戦後からナショナリズムは忌避されている。だからデニースは愛国的な歌を知らない。しかし、「故郷」の歌は知っている。
平和とは、どこにあるのだろうか。
そして、アルフズールがチェチェン語で歌った「故郷」は、別にダイモークとも言われて、国境を越えて多くの人々に歌われるようになった。次の弾き語りも含めて、パンキシ渓谷で愛唱された。
戦火が両親を焼いてしまった
母は妹を産んだあと治療を受けることができなかった
父は礼拝の姿勢のまま死んだ
孤児の僕を見放さなかったのは見ず知らずの人々だった
死ぬことは簡単で、憎むことは簡単で、からっぽでいることも楽だ
でも寄り添う人がいて、僕は命を取り戻した
広島の原爆ドームを見に行った
報復よりも歌を歌うのだと知った
僕はヴァイナフ
誇り高い狼と鷲の子孫
だから涙をこぼすだけにしよう
民族の垣根を超えて
愛する人々のために生きよう
最後までご覧くださり誠にありがとうございました。
こちらでイズマイールとデーニャの物語は終焉となります。
26番の物語はまた考えております。今後ともよろしくお願いいたします。
ひとまずここで筆をおこうと思います。
本当にありがとうございました。




