ダンジョン編-59
その異変に最初に気づいたのはエレナさんだった。
その頃俺は体感時間で二百年ほど続いた世界創造作業で忙しく、エレナさんに言われるまでまったくその異変に気づかなかった。
同じくらい忙しかったはずなのに、俺の数百倍注意深いエレナさんが気づいたその異変は「世界の亀裂」、と呼ぶべきだろうか。何もないはずの上空百メートルほどに、よく見れば透明な亀裂が五十メートルほどにもわたって入っていたのである。言われれば気づかない方がおかしいくらいの巨大な亀裂だった。
だが、亀裂に見えるその何かはそれ以上変化することなく、この世界の神にして、なぜか俺とエレナさんのことを両親だと思い込みヤータと名付けることになってしまったこの世界の大聖霊も『良く分かりません』ということだったので、すぐに忘れた。何しろそれくらい忙しかった。
ヤータの力を借りて、世界を効率的に運営していくと言うことが正直に言ってこれほど大変だとは思わなかった。
世界は放っておいても、一定方向に向かって流れていく。それを「絶対的存在」として誘導していくのである。
場合によっては天変地異を抑え込み、必要に応じて天変地異を起こし、徐々に世界を望んだ方向に進化させていくのは、緻密な計算と思い切りの両方が必要だった。ほとんどはエレナさんの計算だったがたまに俺の思い切りが必要な場合もあり、なんだかこの世界がエレナさんと俺の子供のように思えてきた。実は神様のまねごとをやっているとレベルが自分にも蓄積されていることを知ったが、既にそんなことはどうでもいいくらいに世界運営にのめり込んでいた。
時間というものは一度進んでしまうと戻すことこそ出来なかったもののヤータからやり方を教えてもらったあとは早送りすることは出来たので、世界はどんどん進み、そして気がつくと高い知性体が発生し、国家も出来た。この知性体ーーノイエエルフと名付けたーーは人間に似た知性体で、人間よりも小柄だが尖った耳と美しい容姿とそして強い魔力を持つ種族だった。もとの世界で滅んだ古エルフ族をイメージして創造したもので、ほとんど俺の作品だった。例によって社会構造や身分構造を誘導したのはエレナさんだったが、俺が産み出したノイエエルフがちゃんとやっているところを見ていると充分満足できた。
それから五十年ほど経ち、亀裂がさらに大きくなっていることに、今度は俺が気づいた。
そして体感時間で三百年頃、ついに亀裂から向こうが覗けるようになった。
向こうにはフィッタさんとオナシスさんがいた。
なぜかオナシスさんが真剣な顔で、床に置いている盾に向かって切りつけていて、何事かわからなかったが、向こうは時間が止まっているのか動いている様子はなく、一枚の絵のようにいつまでも変わらぬポーズのままだった。
それから十年掛けてフィッタさんとオナシスさんが恐ろしいほどゆっくりと動いていることがわかった。さらに亀裂が徐々に広がっていることも。
いずれにせよ、時間はある。エレナさんと色々話をし、世界の裂け目が行き来に充分な大きさになったら一度元の世界に戻ろう、という結論になった。そもそももとの世界はピンチなのだ。何とかしなければならないのは当然だった。
そしてさらに五十年。
さまざまな準備をしながら待った。
もちろん神様の真似も続けた。
最後の三十年は毎日亀裂を確認した。
ようやくその日が来た。
俺とエレナさんは向こうの世界の最高級の衣装である世界樹の葉を加工して作った最高レベルの防御力を持った衣装を身に纏い、この世界で手に入れた数多のスキルを確認し、そして亀裂の向こう、元の世界に向かって飛び込んだのだった。
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元の世界に戻って最初に感じた感想は、
(……なんだか懐かしい感じがしないなぁ)
だった。
考えてみれば当然かも知れなかった。
元の世界に生きていたのは体感時間で三十年ちょっと。一方、さっきまでいた世界ーーノイエエルフたちの言葉を借りればエルフィリアンは四百年である。
既に向こうが故郷のようなものだった。
ちなみに亀裂の先は俺たちが魔人化したデルトナさんに襲われた強制労働ダンジョンの中のように見えていたが実際そのようだった。そこにいて俺たちを見て驚いた顔のまま固まっているフィッタさんとオナシスさんは疲れた顔はしているが、分かれたときとほとんど変わってなかったから、やっぱりそうなのかと思っていたら、エレナさんが確認してくれた。
「まぁフィッタ。ずいぶんと久しぶりですね」
「……まだ一日程度です」
「こちらは一日ですか」
エレナさんが言っていたとおりだった。
つまり、向こうでの自分たちの時間は止まっていたのだ。
エルフィリアンの時間は過ぎていても、その時間は別の世界に属する俺たちには影響を与えなかった、ということなのだ。
その可能性はエレナさんが指摘していた。
俺は改めてエレナさんの頭の良さに感心し、
「へぇ、やっぱりそうなのかぁ」
「言ったとおりでしょう?」
それだけの会話でフィッタさんが驚いた顔をした。
「な、なんですか? その息のあった感じ……ど、どういうことです?」
いぶかしそうなフィッタさんにエレナさんはどこか自慢げに答えた。
「当然です。だって私たちは向こうの世界で四百年ほど一緒に過ごしていましたから」
フィッタさんは衝撃を受けた顔をした。オナシスさんもビックリしていた。
それはそうだろう。
四百年は長い。実際長かった。
ビックリするのは当然だ。
俺はうんうんと頷いた。
するとなぜかフィッタさんがウジ虫でも見るような目で俺を見て、それからエレナさんをちょいちょいと手招きした。その様子は侍女と言うよりも親戚のお姉さんみたいで、エレナさんに対する気安さが感じられ、すっかりエレナさんに対して家族のような気持ちになっていた俺としては温かな気持ちになった。
ダンジョンの隅で、エレナさんとフィッタさんのひそひそ話が始まった。
この距離だから所々聞こえてしまうのである。
気づくと意識を集中してしまうのである。そしてどうやらオナシスさんも聞き耳を立てているようなのである。
「エレナ様付きの侍女として、どうしても聞いておかねばなりません。今から聞きづらい質問をいくつかいたしますがご了承ください」
「もちろんいいですよ。他ならぬフィッタですもの」
「一緒に過ごした、とおっしゃっていましたが、それは……」
「そうですね。文字通り、一つ屋根の下で一緒に生活いたしました。家族のように」
フィッタさんは打撃を受けたようによろけた。
「い、いきなり核心を……」
それからフィッタさんがハッとした。
「ま、まさか、子作りとかは?」
エレナさんが真っ赤になってうつむいた。
「……」
「したんですか!? ままままままさか既にお子も!? そうですよね……四百年も家族をしていれば子供の一人や二人、というか子孫が千人いてもおかしくありません……こ、これはどうすればいいのでしょう。ベレスティナ王国の王位継承権をお持ちの姫様の子、孫までは一定の王位継承権を持つのは当然として、ひ孫、玄孫、それ以上まで数に入れるのか……とにかく直ちに王都に戻り報告いたしましょう。エレナ殿下が一族を引き連れて帰還される旨報告しなければ……場合によっては大公家を設立していただき、分家として認めていただきましょう。いえ、それがいいかもしれません」
覚悟を決めた顔のフィッタさんにエレナさんがおずおずと、
「……あの? フィッタ?」
「ご安心ください。私は姫様の味方です。必ず悪いようにしませんから」
「……」
「ともあれお子様を紹介していただけませんか? エレナ様のお子様なら、たとえあの馬の骨の血が入っていてもきっと私は愛せます」
エレナさんはまたうつむいてしまった。
それから絞り出すように、
「いま……せ……ん」
「はい?」
「いません! ですから私たちはまだそのようなことはしていません!」
「は? 何を言っているのです? だって四百年ですよね? 男女ですよね? 一緒に暮らしていたんですよね?」
「……そ、そういうのは結婚をしてからと」
「で、ではまさか姫様はまだ……?」
「まだ純潔です!」
エレナさんは真っ赤な顔でそう叫んだあと、半泣きで俺の方に来た。
「ヤジット様! だから言ったではないですかぁ! むしろ何もしなかったことが恥ずかしい結果になると!」
「いや、でもそういうのはやっぱり結婚してから……」
「愛があればそういうのは乗り越えちゃっていいんです!」
フィッタさんは現実を受け入れることが出来ないように座り込んでしまい、それから絞り出すように言った。
「なんという……想像を絶するへたれ……」
エレナさんがきっとした顔でフィッタさんの方を向く。
「フィッタは言わないでください! それに……そりゃあ、ヤジット様の勇気が無いところ、私も少しだけどうかな?って思いますけど、でもそこがかわいいと思いませんか!?」
「いえ、まったく」
エレナさんの目が据わった。これはマズい奴だ。
「……わかりました。すぐにエルフィリアンに戻って子作りをして帰って参ります。お待ちください」
「え? あれ?」
「ヤジット様、戻りますよ?」
「ちょ、ちょっと……」
『えーっと、あのぉ、仲良くしているところ悪いんですけど』
突然掛けられた声に俺は周囲を見回す。
「あれ? サッチャン?」
『さすがヤジットさん。すぐにわかってくれた……ってそんなことより、メーチャンとの連絡が回復したと思ったら、たった今すごい勢いで僕の身体の中を元デルトナさんが上に向かっていて……』
「!?」
「しかもなんだかとんでもないことになっているんです。急いだ方がいいかもしれません」
俺は意見を伺うようにエレナさんの方を見た。
既にエレナさんはしゃんとしていた。
「ヤジット様、子作りは後ほど。今はこの世界の危機を救いましょう。サッチャン様、デルトナさんはどちらに?」
『あイタ! って今まさに僕の身体をぶち抜いて外に出たところです』
「方角を教えてください。すぐに向かいましょう」
「うん」
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