ダンジョン編-57
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ザトガリアはベレスティナ王国の王都にほど近い小さな都市である。
小さな都市であるが、王都への流通の中継点も兼ねているため隆盛しており、人も多く活気があった。
そのザトガリアが大混乱に陥っていた。
直轄都市であるザトガリアを治めるのは王都より送り込まれた代官だった。その代官にもとに、マクダフ王子直筆の退去命令を携えた騎士が現れたのだ。
命令書は正式なもので、署名も本物に間違いなかった。
こうなってしまっては代官であるギルメイに否やはなかった。
直ちに退去を実行するため、布告を出し、衛兵による整理という名前の半強制退去も始まった。
結果、大混乱である。
取るものも取りあえず、押し合いへし合い逃げだそうとしている市民たちを、沈痛な面持ちのギルメイは都市の城壁の上から眺めながらため息をついた。
「……都市というものはそもそも逃げ出す用にできていないのだ。逃げ出す必要が無いように防壁があるのだからな」
「……そうですな。ただ、この光景は胸が痛みます。我々が守ってきたものが今まさに壊れつつあるのですから」
返事をしたのは隣に立っていた衛兵隊長だった。ギルメイは代々ザトガリアの代官を拝命している官位貴族であるが、衛兵隊長はこのザトガリア出身の衛兵の中から頭角を現した人間が隊長となる習わしで、たたき上げの優秀な軍人だった。
「いっそ、邪魔な城壁を破壊してしまいたいが、そんな時間もない」
「このような事態は想定されておりませんからな。城壁は壊れにくいように作るものです」
「そして、一度失った信頼は簡単には取り戻せない。このザトガリアが往事の賑わいを取り戻すのはいつの日になることか」
「……」
「だが、まぁあれを見たらわかる。あれは城壁など関係ない」
ギルメイは振り返って、城壁の上から遙か南を見やった。
そこには雲を突くようなとてつもなく巨大な人影が複数見えた。
「……我々の常識を越えた何かが起こっている、というのは理解しております」
やはりそちらを見ながら衛兵隊長が答えた。
「マクダフ殿下はあのようなものと戦い続けているのだ……我らが弱音を吐くわけにはいかん」
「はい。退去を急がせましょう。一人でも犠牲者を出すわけには生きません」
ギルメイと衛兵隊長はうなずき合い、それぞれ住民退去の作業に戻った。
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銀の巨人との戦いの最前線は、当然のことながら戦場だった。休息のために作られた本陣ーー実体は敷物を敷いただけの簡易的なスペースは、うめき声と治療のための治療術師の声とそして死に満ちていた。
ザトガリアへの使者の任務を果たした騎士ベンゼルは、交代制で必要な治療を得ながらわずかな休息を取っている生きている騎士と、任務から解放されすでに永遠の休息を手にした死んでいる騎士の間を回り、そこにいるというマクダフ王子を任務の報告のために探した。
そこここで座り込んだり寝転がっている騎士達の中で怪我をしていない者は一人もいなかった。
ひどい怪我の場合は各騎士団所属の治癒術士が所属に関係なく治癒魔術を掛ける。最初はそれぞれ所属している騎士のみを治療していたがすぐにそれどころではなくなり、魔力が残っている者が順に怪我の度合いが大きく、かつ致命傷でない相手を優先して治療するシステムになった。治癒術士が治癒を諦めた相手は、亡くなったあと顔に布を掛けられてそのまま転がされていた。その数はざっと見てもすでに千近かった。だが、今は悲しむ時間ではなかった。犠牲を爆発的に増やさないためには戦わなければならない、ということをここにいる誰もが理解していた。わずかな休息を取っている者たちの向こうで、今なお戦い続けている者がいるのだから。
騎士ベンゼルは死体から目をそらし、マクダフ王子の居場所を訊ねる。
マクダフ王子は、治療が終わりわずかな休息を取っている騎士達の間にいた。
どうやら、自ら食事を配っていたらしい。食事をマクダフ王子から受け取った騎士は、まずマクダフ王子が配っていることに驚き、慌てて立ちあがろうとし、それを押しとどめられ、
「いや……しかし……」
「いいのだ。そのままでいいのだ。私にはこれくらいしか出来ないのだから。むしろそなた達に申し訳なく思っている。この国を守るために私はいるのに、何も出来ない……ほんとうにすまない」
深々と頭を下げる次代の国王の姿に騎士は戸惑い、それから頭を下げてスープの入ったコップを受け取った。
涙を流しながら熱いスープをすするその騎士にマクダフ王子はうなずき、次の相手にスープを渡すために移動する。
その光景を見て、騎士ベンゼルは感動していた。
この王子の元であれば、きっとこの困難を乗り越えられる、そう確信した。
強制労働ダンジョンからあふれ出したのは確かに最悪の脅威だった。だが、その脅威を前に王国は一つになっていた。
しかもマクダフ王子のアイディアーー銀の巨人が歩く地面に手を加えることで侵攻速度を落とすという時間稼ぎはそれなりにうまくいっているのである。
銀の巨人の進行速度は大幅に落ち、このまま何事もなければ王都に到達するまで三日は稼げるだろう。
そしてその間に、聖女であるエレナ王女が何とかしてくれるはず、ベンゼルはそう考えていた。聖女であるエレナ王女自ら問題の解決のため、問題の原因となっている強制労働ダンジョンに潜入しているという。これで何とかならないわけがない。エレナ王女は女神の生まれ変わりと名高い天才なのだから。
愛する祖国ベレスティナ王国は未曾有の危機を乗り越えつつある。
そのために自分もがんばらねばならない。
改めてベンゼルは決意を新たにし、それからマクダフ王子にザトガリアの住民達の避難が順調に進んでいることを報告した。
「そうか……よかった。民の犠牲は少なければ少ないほどいい。犠牲となるのはなんとか騎士だけにとどめたい。そのための我々だ」
マクダフ王子の言葉にベンゼルも大きく頷いた。
報告を終えたベンゼルが自分も銀の巨人と対峙するべく部隊に戻ろうとしたその直後だった。空から何かが降ってきた。
「!?」
あり得ないことにそれは人影だった。ベンゼルが瞬時に王子を護るため抜刀しかかったところで、マクダフ王子に止められた。
「フィオレ殿だ。銀の巨人に対抗できる唯一の方だ。騎士を率いて戦ってくれている」
マクダフ王子の説明に、慌てて騎士の礼を行う。
フィオレというのは有名な傭兵団の団長のはずだ。こんな若い女性とは知らなかった。
フィオレはベンゼルの立礼に鼻を鳴らしただけで、マクダフ王子の方を向いて、
「ふん! 聞いてたわ。犠牲を騎士だけにすましておきたいって? でも私は騎士じゃないわよ」
その話をしていた時は離れていたと思うのだが、何という地獄耳、とベンゼルは驚く。
マクダフ王子は気にした様子もなく頷いた。
「ああ、もちろんだ。だからフィオレ殿を犠牲にするつもりはない」
「そうね。そもそも私は愛しのヤジット様に命じられているからやっているのであって、愛国心とかないもの。以前はお金のために戦って、今は愛のために戦うの。だからこの国なんてもうどうでもいいわ!」
誇らしげな宣言だったが、マクダフ王子に対する余り物言い草に思わずベンゼルは激高した。
「殿下に対してなんだその言い草は!」
だがそれを止めたのはやはりマクダフ王子自身だった。フィオレは視線を寄越しさえしなかった。
「気にしないでいい。それよりも何かあったのか? そのためにここに来たのだろう?」
「そう! それよ。あれは何? どういうこと? 何で止まってるの?」
「止ま……って?」
マクダフ王子がフィオレを指し示す方を向く。ベンゼルも追随し、そして気づいた。
銀の巨人が動きを止めていた。
突然歩き方を忘れたように立ち尽くしている。
「説明して! 何が起こっているの?」
当惑がマクダフ王子の顔に浮かんだ。
もちろんベンゼルにも答えはない。
だが、もし停止が事実であればそれは望ましい状態だ。
もしかしたらエレナ王女が何かを成し遂げた結果なのかも知れない、とベンゼルは淡い期待を抱いた。
そしてその答えを、強制労働ダンジョンに潜入しているエレナ王女に求めるように、南へと視線を向けた。残念ながら強制労働ダンジョンは離れすぎていて見えなかった。逆に言えばすでにそこまで侵攻は進んでしまっているのだ。
結局、答えはどこにも見つからず、ベンゼルは顔を戻す。だが、すぐ横のマクダフ王子は驚愕の表情を浮かべたままあらぬ方を向いていた。
慌ててベンゼルもマクダフ王子の視線を追った。驚愕の理由はマクダフ王子の視線の先に存在した。
空中にそれは浮かんでいた。
いつ現れたのか、無表情で空中に浮かんでいたそれは、当たり前の人に見えた。
その事実に驚く。
魔術に宙に飛ぶ方法はあっても浮かぶ方法は存在しない、というのが通例である。
今度こそベンゼルは抜刀した。
マクダフ王子を護るために前に出る。
「何者だ……!?」
それは人の姿をしていたが、明らかに人ではない気配を漂わせていた。さらに一体何のつもりなのか、蔦のような植物を身体に纏わせつかせている。
ベンゼルの背後でマクダフ王子が困惑の声を上げた。
「お前は……」
「殿下、面識が?」
「う、うむ……妹とともにダンジョンに入ったものだ。確かフィオレ殿の知り合いでーー」
「どういうこと? なぜあなたがここにいるの? それから……」
マクダフ王子の言葉を継いだのはフィオレだった。
さらに知り合いに向けるものとは思えない険しい表情で詰問する。
「なんであなたまで魔人になっているの!? ヤジット様はどうしたの? まさか……」
魔人?
ベンゼルの知らない言葉が出てきて、ベンゼルの当惑は増した。
だが、フィオレの口調から味方でないことはわかった。
改めて目の前のデルトナと呼ばれた相手を見る。
空中に浮かんだまま何をするでもなく、ブツブツと何か分からない言葉を呟いている。
目はうつろで明らかに異様だった。
どうする?
先手を打つべきか。
危険な相手ならば、相手が迷っている間に排除するべきだ。王国の未来を背負っているマクダフ王子を意味なく危険にさらす愚は犯すべきではなかった。
ベンゼルの剣を掴む手に力が入る。
突然デルトナがベンゼルの殺気に反応した。
デルトナの右手に絡んだ蔦が伸び、
「あっ!」
何が起こったかわからなかったが、一瞬でベンゼルは十メートルほども吹き飛ばされていた。
金属の胸当てが大きくへこんでいて、衝撃の凄まじさを物語っている。おそらく肋骨も折れていた。
だが、それどころではなかった。
自分という盾がいなくなり、それ以外はフィオレという愛国心を持たない傭兵、そしてあとは怪我人ばかりだ。マクダフ王子を守る者がいなかった。王国の未来を守る者がいなかった。
ベンゼルは痛みを無視して跳ねるように起き上がる。
剣は遠くに落ちているが取りに行く時間はなかった。
デルトナは呆然とした顔のまま、先ほどベンゼルを吹き飛ばした蔦が絡まった腕をマクダフ王子に向けて振り上げていた。マクダフ王子はそれをなすすべもなく見上げているだけだった。デルトナの手刀は、防具を身につけていないマクダフ王子の身体を引き裂くだろう。手刀が振り下ろす前にその前に自分の身体を投げ出す。自分が盾になる。
間に合うか。
どう考えても間に合わない。
だが、考える時間さえ惜しい。
ベンゼルは必死に走った。
だが間に合わなかった。
手刀が振り下ろされる。
絶望がベンゼルの思考を停止させた。視界が絶望で黒く染まった。
だが、次の瞬間、ベンゼルの代わりに誰かがデルトナの手刀を受け止めていた。受け止めた瞬間、空気が破裂するような爆発音がして、手刀の威力の凄まじさを物語った。
「間に合ったぁ……! あ、だだだ大丈夫!?」
「だ、大丈夫です……! たぶん」
手刀を受け止めた誰かは振り向いて背中にしがみついている小柄な人影に無事を訊ねるだけの余裕があった。あまりのことに思考がついていかないベンゼルであったが、誰かに無事を訊ねられた人影を認知して驚愕した。
答えたのは誰がどう見てもベレスティナ王国の聖女エレナ・ベレスティーナその人だった。
「ヤジット様!? どうしてここに!?」
場違いな媚びたような黄色い声が戦闘態勢を取っていたフィオレから発せられた。
「あ、うん。色々あって」
あっさりと答えたヤジットは周りを見回して、
「いやぁ、汚い空気が気持ちいい! なんか汚れているのがいい!! これこれ。汚い自分の部屋に帰ってきた感じだよ! そう思わない?」
なぜかエレナ王女は拗ねた口調で答えた。
「うれしそうですね……二人きりが終わったのがそんなによかったのですか?」
「ち、違う違う誤解だ」
慌てて否定したあとヤジットはデルトナをちらっと見て、
「で、どうすればいいの、これ?」
「ぶん殴ってやってください!」
「りょうかい」
エレナ王女は王国の聖女である。その聖女に対してあまりにも気易い。というか気易すぎる。一方、エレナ王女もヤジットに対してひどく親しげだ。
その様子にベンゼルは恩人であるはずのヤジットに対していらついた。
「というわけで戦うんで、一度離れてもらっていい?」
「……名残惜しいですが」
「それは俺もそうだけど……って嘘嘘。そんなことないよ!」
「もう……すぐ倒してくださいね」
「が、がんばる」
まるで夫を送り出す妻のように優しく服のゆがみを直したあと、ヤジットの背中から降りてきたエレナ王女は、優雅な仕草で兄であるマクダフ王子に歩み寄った。
「あら、お兄様、お久しぶりですわ」
「な、なんだお前、ぶん殴るとは言葉遣いが悪いぞ! 王女たるもの、常に優雅にあれと常に母上が……とまぁそれは今言うことではないか」
「これは申し訳ありません……って言葉はこれでいいのでしょうか? 何しろ体感時間でヤジット様以外の方と話をするのが四百年とちょっとぶりでして」
「四百年!? ……そういえばお前、雰囲気が変わったか?」
「どうでしょう……あまり自覚はないのですがどこか変わりましたか?」
「なんというか凄みというか圧力というか……」
「ああ、それならレベルが上がったせいかもしれませんね」
「レベル? どういうことだ?」
「色々あって今の私のレベルはーー」
エレナ王女は優雅な笑みを浮かべ、ヤジットの方を見て、それから胸を張って言った。
「三百八ほどです」
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読んでいただいてありがとうございます。次回更新は25日(月)の予定です。




