ダンジョン編-2
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やってられない、というのがオーバンの感想だった。
オーバンは極めて存在感の薄い不思議な気配を持つ男である。別段姿を消せるわけでもないので誰もがオーバンを認識するが、数歩歩くとその容貌を忘れてしまう、そんな人間だ。なぜか先祖代々そんな人間だった。そしてその特殊技能を生かして、先祖代々主に組織潜入の仕事を任されていた。公式な立場は近衛騎士団の一員であるため、戦闘力も高く、また組織潜入のためにさまざまな知識を持っており極めて有能な男でもある。
そんな彼が今潜入しているのは、強制労働ダンジョンだった。偽りの罪状と罰を手に、身一つで強制労働ダンジョンに入獄し、デュラン大隊長の命令どおりとある囚人の行動をそれとなく監視しようと試みているのだ。
ちょうどオーバンが入所した直後に新しい監察官が来て、しかも彼が優秀かつ厳しいということで、ギリギリのタイミングだったようだ。新しい監察官が着任した後であれば、おそらくオーバンの身分は見破られていただろう。
そして今、オーバンは監視対象に接触しようとしている。初接触は慎重である必要がある。
だが、監視対象が一足先に向かったダンジョンにたどり着いたオーバンの目の前に、訳のわからない光景が広がっていたのだった。
まずダンジョンの壁に扉があった。本来そこはダンジョン特有の生きた金属によって作られたただの壁だ。囚人に与えられたダンジョンマップ第一層にもそう書いてある。だが、なぜかそこに扉がある。扉があるはずがない場所に扉があるのである。それは壁の質感とは異なる土を焼き固めたような無骨な扉だった。
それだけで疑問符がたくさん並ぶのに、そこを開けると、なんということでしょう、匠によって作られた快適な空間が広がっているのです!
その通り、扉の向こうにはあるはずのない、あってはならない空間があって、そこで二百人ほどの囚人達がくつろいでいたのである。
床で双六のようなゲームをやっている者、おしゃべりをしている者、良く分からない器具で身体を鍛え続けている者、相撲を取っている者、それぞれ気ままに過ごしている。
おそらくこの強制労働ダンジョンに送り込まれている囚人達のほぼ全てだろう。
本来彼らはこのダンジョンを進み、定期的に現れるガーディアンと呼ばれるメタル系モンスターを倒し、その素材を手に入れるのが仕事だ。仕事のはずだ。
だがとても仕事をしているようには見えなかった。
オーバンは呆然と辺りを見回した。
ダンジョンの中にあるとは思えない広い部屋で、天井までの高さはさすがに低いが広さはおそらく王宮のダンスホール程度ではないか。窓は一つもなく、広い空間の中央には良く分からない金属が雑然と積み上げられている。
強制労働ダンジョン送りは、死刑とほぼ同等と言っていい厳罰である。そこに出現するガーディアン狩りは騎士の小隊にとってさえ至難と言ってよく、死ぬ確率が極めて高い。五年生き残る囚人は5%以下だと言う。
それなのに、この弛緩した空気はどういうことか。
あまりの光景に固まっているオーバンに気づいた頬に大きな傷のある禿頭の男が、
「おう、新入り。どした?」
新入りという言葉になぜか、隣で手持ち無沙汰に鼻をほじっていた狐顔のチビが反応した。
「新入りだって!? よーし、いつも通り賭け拳闘しようぜ。相手はそうだな……」
すると頬に傷がある禿が、
「そういうの、ヤジットさんが怒るぜ? 言ってたろ。みんな仲よく元気よくって」
「あー、そうだったなぁ。伝統なんだけどなぁ。いいのかなぁ。伝統は大事にしろってじいちゃん言ってたけど」
「それしか娯楽がなかった時代の伝統だろ。とりあえず今は食い物とか楽しいことがいっぱいあるんだし、文句言うな。文句言うなら昔に戻されるぞ。戻りたいのか?」
「そ、そそそそんなことあるわけねー。ここは天国だぜ? 昔は地獄だったけどよ……マジでみんなバタバタ死んだもんなぁ。怪物以外にもガスとか落盤とか、あー思い出しただけで寒気がする。バガスもゼットも死んじまった。俺はよく生き残ったよ……つまり助けてくれたヤジットさんは神さまだな! 神さまの言うことにはじいちゃんだろうが逆らえねー」
「だろ?」
「そうだな。みんな仲よく元気よくだな! 新入りも戦わなくていいぞ! その代わり仲よく元気よくだ! 大丈夫だな? 元気はあるな?」
「あ、大丈夫です。楽しくはないですけど病気じゃないです」
「よーし。ならよし」
頬傷の男はリーダー格のようで、思い出したように手を叩き大声で、
「休憩は終わりだ! みんな仕事に戻るぞ」
「おう」
皆、いっせいに起き上がる。
そして空間の中央に積み上げられた金属類ーーおそらく破壊されたガーディアンの身体に群がり仕分けを始めた。
「それにしてもこれが仕事たぁ、楽なもんだぜ」
「だな」
「ちょっといいですか?」
「どうした?」
「そのヤジットさんという方は今どちらにいるんです?」
オーバンの疑問に頬に傷がある男は首をかしげ、
「今どの辺だろ……あの人ずんずん先に行っちゃうからなぁ」
狐顔の男も首をひねりながら、
「あの人が今行ってるところ、マップなんてないだろ。ってか、俺らが三十年掛けて作ったマップ、二層までだったけどな。とにかくおとといヤジットさんに聞いたときは十五層って言ってたから今は二十層くらいじゃないか?」
「そうなんですか、ったく面倒だな」
オーバンの率直すぎる感想にも、誰も異を唱えず
「ヤジットさんに用か? 待ってたらすぐ帰ってくると思うぜ……ってことはそれまでにこれ仕分けとかないと、まーた増えちまうよ」
「嬉しい悲鳴って奴だなぁ。なんせこのガラクタ、看守が服とか武器とか必要物資と交換してくれるし」
「へん。今までちょろまかされていた分も全部取り返してやるぜ!」
勢い込んで仕分けに戻った狐顔は、同じく仕分けに戻った頬傷の男に向かってふと思いついたように、
「そういえばヤジットさん、大丈夫かな?」
「ん? あの人に何かあるわけないだろ。だって……その、なんというか、とにかくすごい人だぜ?」
「だけどよ、このダンジョン、噂があるだろ……例の……」
「あー、銀色の悪魔か。ありゃ噂だろ。見た奴全員死ぬってんだから、ほんとだったら伝える奴がいねぇ」
「そっか……そうだよな! おう、一応ヤジットさん、探しに行くなら気をつけるように伝えてくれよ。銀色の……その悪魔っぽい奴がヤバいってな」
「あー、覚えていればそうします」
「頼むぜ?」
「そういえば、知ってるか? ダンジョンには守護神ってのがいて、そいつを見ると寿命が延びるらしい」
「あれ? 殺されるんじゃなかったっけ?」
「俺はその日の晩飯の肉が焦げてるって聞いた」
「そりゃ吉兆なのか?」
勝手な会話を始めた囚人達を置いておいて、周囲を見回せばダンジョン攻略用の武器が転がっていた。オーバンは状態が良さそうな奴を見繕って拾い上げ、それから雑談しながらすごい勢いで仕分けを進める狐顔たちにぎ愛想笑いを向けた。もう、オーバンを気にしている者などいなかった。いつものことながら心の中でため息をつき、もう一度土製の扉を開けて部屋を出る。
まぁ、いいか。
歩きながら考える。
もともと難度が高い仕事であったが、所詮は仕事、ヤジットという人物に何の興味もなかった。それが興味が湧いてきている。ここにいる囚人達はそもそも死罪に等しい強制労働ダンジョン送りになっているわけだから、重罪人だ。重罪人しかいない空間なのだ。なのにとてもそんな風には見えない。当たり前の労働者のように和気藹々と過ごし、そして、ヤジットの提唱した「仲よく元気よく」という子どもの標語のようなルールを守ろうとしている。一体どうしてこのようなことになったのか。このようなことがどうやったら可能なのか。まだ見ぬヤジットという人物に少しだけ会ってみたい。
オーバンは一人ダンジョンの奥に向かって足を速めた。




