第3話
上空から手を振るヒヨリへ、おずおずと振り返してみる。女の子とコミュニケーションを取る機会がなさすぎて、かなり照れくさい。
「邪念を感じるパル」
「断じてそんな気は発してないよ」
喋るうさぎ、パルファムとやらがこちらをじっと睨む。
「そもそもお前はなんなんだ。女の子は空を飛ぶし、あのバケモノは?」
パルファムは戸惑ったような、呆けたような微妙な顔をした。
「お前が何を言っているのか、逆にわからないパル」
ヒヨリがベランダへ降り立つ。
「お兄さんありがとう!命の恩人だよ!」
ギュッと両手を握られた。
「お兄さん魔装師だったんだね。でも避難しておかないとダメだよ?」
「あの、それってなんでしょうか」
パルファムは俺の手をピシピシ叩いてヒヨリから離させた。
「こいつ、魔法少女のことも何も知らないパル」
「え、そんなことあるかな……?幼稚園で習うよ?」
どうしてだろう、すごく尊厳が傷付いた気がする。
「外国人ってかんじでもないパル。怪しいパル」
幼稚園で習うレベルの教養がない人間が目の前にいる。実際これはかなり不審だ。
俺にとっては彼女らが唯一の知人だ。この二人とコンタクトが取れなくなったら詰んでしまう。病院や警察に連れていかれたらかなり面倒なことになりそうだ。身分を隠し通すしかない。
「実は、記憶が断片的にしかないんだ」
苦しすぎるだろうか。だけど、何も知らないことに整合性を持たせる理由を他に用意するなんて無理だ。
「ええ、そうなの!?」
いたいけな少女に嘘をつくのは気が引けるが、俺はこの世界にしがみついていかなくてはならない。元の世界へ帰る方法はわからないし、帰ったとしてもまた、灰色の日々が再開されるだけだ。
「うん。名前と、服を作るのが好きだったことは覚えてるんだけど……」
言葉にしてみると、あながち嘘でもないと感じる自分もいた。本当のところ、俺にはこれしかないんだ。
「にわかには信じ難いパル」
「でも、悪い人じゃないはずだよ」
ヒヨリはパルファムを諭した。
「わたしのこと、守ってくれたもんね」
ヒヨリは胸の魔石へ触れて微笑んだ。
パルファムは思索を巡らせているようだ。俺を信じられなくても、ヒヨリを信じてくれれば今はいい。
「確かに、こいつは役に立ちそうパル」
パルファムはにやりと笑った。そうだ、存在を認められるために利用価値を提示するのはどの世界でも同じだ。そして二人の発言から察するに、俺の価値は元の世界のそれより高いのだろう。
「魔装師については思い出せないけど、俺の力が君の助けになるなら協力する。命の恩人だから」
ヒヨリの表情が明らかにポジティブな方向に変わった。利害関係がなくたって、俺は彼女に何かしてあげたいと感じているのが本音だ。懐かしい情熱を蘇らせてくれたのだから。
「お兄さんが助けてくれるなら百人力だよっ」
ヒヨリがきゅっと拳を握ってみせた。頼られるのは素直に嬉しい。
「わかったパル……特別にヒヨリとの糸を結ばせてやるパル」
「そうだね、心配だし」
ヒヨリは手のひらを僕へ向けて差し出した。
「合わせて」
言われるがまま、そうする。パルファムが俺たちの腕に手を添え、目を閉じた。
「“結糸”」
ヒヨリの魔石が光り、温かな感覚が俺の掌へ伝わってくる。桜から降る、木漏れ日のような。
ヒヨリが手を離すと、俺の手首には薄紅色の糸が輪になって掛かっていた。凝視しなければわからないほどの、繊細な糸だ。
なぜだろう、彼女がすごく近く感じる。
「これはわたしとお兄さんの繋がりだよ」
「結糸した者同士は、お互いの大体の位置がわかるパル」
わからないことをまた増やされたが、これは助かる。ヒヨリと再会できないのだけは避けたかった。それにこの糸も気になる。どんな質感で強度なんだろうか、後でじっくり観察してやる。
「じゃ、行こっか」
ヒヨリにベランダへ出るよう促される。行くって、どこへ。
「乖獣退治の後って、意外と忙しいんだ」
ヒヨリはバツが悪そうに頬をかいた。
「だから色々終わったら会いに行くね」
ベランダへ出た俺の腕を掴み、ヒヨリは少し屈んだ。
「一旦避難所まで連れてくよ!」
そして、飛び上がった。とてつもない速度で引き揚げられる。下腹が浮遊感でぞっとした。そして揺れる、腕だけでぶら下がっているから風に煽られる。
「と、とと、飛んでる!!?」
ヒヨリはふふん、と笑った。
「飛んだのは初めて?」
「ぜっ、たいに手を離さないでくれ!」
「ビビリなやつパル」
パルファムがヒヨリの頭の上でごろごろしている。
「わたしも最初は怖かったなぁ」
でも見て、とヒヨリは向こうを指差す。
遠く、地平線へ沈んでいく夕陽だ。雲が太陽との別れを惜しむようなグラデーションで、夜の色へ染まりはじめている。
「綺麗だ」
「そうだよね。だから、守りたいんだ」
下からはヒヨリの表情が見えないが、声には決意がみなぎっていた。まだ大人とは言い難いその身と心に、何を抱えているのだろう。俺にはまだわからない。
「そうだ、お兄さんの名前を教えて?」
「俺は唯織、服職人だ」
「わたしはヒヨリ、魔法少女だよ」
生き死にの現場に立ち会って、怪獣を倒して空を飛んで、ここで自己紹介か。順序が滅茶苦茶で笑える。
「ボクは使い魔のパルファムパル」
ところで、とパルファムは僕の目の前に飛んできた。
「避難所では身の振り方に気を付けるパル」
「何かルールとかがあるのか?」
「お前が何も知らないアホだからパル!」
確かに、小さなコミュニティで浮いてしまったらかなり居心地が悪そうだ。
「特にお前が魔装師だと周りに知れるのは面倒パル」
「そんな大層な呼ばれ方をされるいわれはないけど、服が作れるくらいでなんだって言うんだ?」
「詳しくは後で話すパル。例えるなら、札束に足が生えてひとりで歩いているもんパル」
よくわからないけど、かなり危なげじゃないか。
「そう、だからこれは」
ヒヨリが俺の方へ顔を向けた。
「今はわたしたちだけのヒミツだよ」
ヒヨリが人差し指を鼻の前で立てた。何もわからないこの世界で、彼女は別の色で描かれているかのように俺には映った。




