第2話
よせばいいのに、俺は足を止めて振り返ってしまった。
リビングとベランダを隔てていたはずの掃き出し窓が、枠ごと粉々に吹き飛んでいる。もうもうと舞い散るカーテンの残骸と硝子片のただ中に、人が倒れていた。 全身血まみれの少女だ。外からベランダを突き破り、そのままリビングの床へ滑り込んできたらしい。
中継で映っていたのと同じような服を着ている。とすると彼女はあのバケモノに挑んでいたうちの一人らしい。
「ヒヨリ、起きて、起きるパル……!!」
金切り声のような叫びが聞こえ、俺は目を疑った。 少女の顔のそばで、宙に浮いた白くて耳の垂れた生き物。どう見てもファンシーな『うさぎ』が、必死に彼女の頬を叩いている。どうしてうさぎが浮いているんだ? なぜ喋っているんだ?
「お、おい……」
喉から掠れた声が出た。 少女からの返事はない。荒い呼吸は見る間に浅く、弱々しくなっていく。床にじわりと赤い血が広がっていくのを前に、俺は玄関とリビングの境目で、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
「な、なぜここに一般市民が!? 避難勧告が出ていたはずパルよ!?」
うさぎがこちらに気づき、丸い目を剥く。 突然すぎて何一つ理解が追いつかない。喋るうさぎ、血まみれの少女――そして、彼女が身に纏っている、機能美に満ちた服。
さっきテレビに映し出されていた光景は、紛れもない現実だったのだ。
「その子……どうする、救急車?」
頭の整理が追いつかず、まともに喋れない。しかし、どう見ても非常事態だ。女の子を助けなくてはならない。
「アンプリファの治癒機能が停止してるパル」
あちこち破けた服の胸元にある宝石のようなものに手を乗せ、うさぎが狼狽えている。その服が戦うためのものだとしたら、完全に役目を終えているように感じた。ぼろぼろだからという話ではない。決定的な何かが失われているのだ。
「お前は早く逃げるパル。ここで犬死にしたらこの子の頑張りも無意味パル」
「お前と、その子はどうするんだ」
喋るうさぎは、哀しげに微笑んだ。
「ボクに残った最後の力を魔石に込めるパル」
「ボクは消えるけど、ヒヨリが逃げるくらいの治癒能力は賄えるはずパル」
うさぎは少女の胸元のくすんだ石に手を添える。うさぎの体が半透明になり、石はわずかに光を帯びた。
同時に、少女の服が徐々に再生していく。なんだこれは、何がどうなっているんだ。
「待て、お前が消えたら俺はこの子をどうすればいい!」
「さっきも……言ったはずパル。お前は逃げるパル」
「その服が直れば、その子も助かるのか!?」
「そうパルが……普通に直せるようなものでもない……パル」
うさぎの声はどんどん弱々しくなる。聞こえてくる破壊音が、徐々にこちらへ近付いてきていた。
「魔法少女は自分の魔力と親和性の高い魔装束を力に変える……パル」
だとしたら、何かあるかもしれない。
「服だな、相性のいい服があればいいんだな?」
彼女の背格好、容姿、雰囲気……そして今は絶え絶えだが、隠し切れない何か。俺の直感は一つの答えを示している。想像する。頭の中の彼女のイメージが溢れ、映像となって浮かぶ。ボブカットの輪郭、華奢だが引き締まった肩幅、そして何より彼女の持つ凛とした芯の強さ。それに最も似合い、動きを阻害しないのはこれだ。
「俺にはその子に何が似合うか、わかる」
俺は過去の作品達がかかっているワードローブを開け放った。
「何をしてるパル! 適当な服を着せたってなにも意味はないパル!」
「こ、これは……服自体が魔力を帯びる程の――」
うさぎが驚愕の声を漏らす。
「お前、何者パル」
「俺は周唯織」
「女の子専門の、服職人だ」
今何が起こっていて、どんな状況なのかは全くわからない。
だけどこの喋るうさぎが、少女の力の源が服だと言うのなら。
ここが俺のいた世界とは違っていて、何かの始まりなのだとしたら。
最初に出会うヒロインは、正統派セーラー服がいい。手にとって、うさぎへ渡す。
「魔石に反応パル……融和率六十八パーセント!? オーダーカスタムでも数ヶ月かけて調整する数値パルよ!? 」
数値の良し悪しはわからないが、うさぎは困惑している。そして首をぶんと振って、平静を取り戻す。
「借りるパルよ! 魔石と新たな魔装束よ……繋がれぇ!」
うさぎが力を込めると、俺が手渡したセーラー服は光輝く繊維となり、石に吸い込まれていく。
魔石と呼ばれるそれは、目が眩むほどの鮮やかな薄紅色の光を放った。
彼女が着ていた服は徐々にセーラー服へ置き換わり、出血が止まる。青褪めた顔も赤みを帯びてくる。
先ほどまで消えかかっていたうさぎの姿も輪郭を取り戻していた。
「魔力循環が戻った……! 成功したパル!?」
ヒヨリと呼ばれた少女は、眼を見開く。
「ありがとうパルファム」
眼を覚ました少女は、横たわっていた床から瞬時にベランダの歪んだ柵の上に移動した。
西陽が、煌めいている。
「そしてお兄さん」
少女の笑顔と、風に揺れるボブカット。俺の作った服と、モデルが互いの輝きを高め合う最高の景色。
「今のわたし、最強かも」
彼女の手から光の粒子が溢れ出し、一振りの刺剣が現れた。
彼女がベランダから飛び立つ衝撃で突風が吹き、俺はたまらず顔を背けた。
風が止み、再び目を開ける。
少女は数百メートル先へ既に移動しており、バケモノと対峙している。先程倒したはずの人間がまた目の前にいるせいか、バケモノも様子を伺いながら滞空している。
「心配パルか」
ベランダの柵へ座ったうさぎが話しかけてくる。もちろん心配だ。先程まで死にかけていた女の子が、あれと戦える訳がない。
だが彼女は機を待つように胸の高さでレイピアを縦に構え静止している。油断も隙もない堂々とした佇まいだ。動いてこそいないが、覇気のようなものが迸っている。
先に動いたのはバケモノだ。刃のような鱗を散弾銃のように射出した。
少女はレイピアを回転させそれら全てを弾く。その動作の暇に、バケモノは一気に距離を詰め鋭利な嘴を突き立てようとする。
嘴が腹部を抉らんとする刹那、少女は半身になり寸前で回避。そのままバケモノの顔を斬り上げながら身を捩り、回転しながらすれ違う。完全に見切った動きだ。
攻撃が外れ、彼女の脇を通り過ぎていったバケモノは、有利な距離を取るためそのまま直進、少女がその後ろを追った。背後を取るのは有効だろうが、あのバケモノには飛び道具と尾がある。距離とタイミングを見誤れば迎撃されるだろう。
「ヒヨリと繋がっているボクにはわかるパル」
うさぎは涼しい表情のままだ。剣のダメージもあまり通ってないように見えるが、なぜ落ち着いていられるんだ?
「見ていればわかるパル」
バケモノが牽制で刃を放つ。少女は回避も減速もせず、最小限の動きで鱗を弾きながら直進。一部は髪や脇腹を掠めていったようだ。しかしそれを気にしている素振りはない。距離を詰めて今度は尾の切断を狙った斬撃を繰り出した。バケモノは身体を捩って回避し、翼を回して宙返りをする。
「逆に背後に着かれた!」
気付けば俺はベランダからいっぱいに身を乗り出していた。手に汗がにじむ。無事でいてほしい。それに彼女が敗れたら、この街はどうなってしまうのだろう。
少女が追われる展開だが、彼女は後方への攻撃手段がない。一方バケモノは、鱗を撃ちながら機を狙える。圧倒的に不利だ。
少女は高度を変えたり、ロール回避をし駆け引きを繰り返すがバケモノを振り切れない。このままじゃ不利な消耗戦になる。
「何かできないのか」
「戦闘という意味なら、何もできないパル」
でも、とうさぎは続ける。
「ボクらのリンクで話すことくらいはできるパル。――ヒヨリ、せいぜいあと二回パル」
うさぎの声と同時に、少女は加速した。一気に高度を上げ、バケモノも続く。あと二回、どういう意味なのだろう。
バケモノはただ追うだけで仕掛けない。少女の旋回のタイミングを待っているのだろう。無限に上昇し続けるのは不可能な以上、必ずその時が来る。知能か本能か、わからないが驚異的な存在だ。
少女が上昇をやめ、バケモノの方へ向き直ろうとする。すかさず鱗が発射される。このままでは術中にはまってしまう。
だがその目論見は外れた。少女は旋回し下降せず、身を翻してその場で静止した。正面からの弾丸であれば弾けるのは先程実証済みだ。
一方バケモノは、突然の停止に対応できず。少女を追い抜く格好になった。すれ違い様にすかさず少女の剣が走り蛇頭の尾を切断する。怪鳥は金切り声を上げ身悶える。
少女はこの隙を見逃さず、再加速して距離を詰める。それを察してか、バケモノは放射状に鱗を放つ。
「まずい、ここで止まれば体勢を立て直される!」
「いや、もう詰みパル」
今回は面の攻撃だ、先程より回避は難しい。防御に徹するしかないはずだ。
しかし少女は正面をきって進んだ。
どうしてか、脇を掠める程度で鱗を掻い潜っていく。直撃しそうなものだけを弾き、徐々に距離を詰めていく。
「弾切れパル。弾幕の密度が薄くなったからこの一手に出られたパル」
うさぎの言葉で気が付いた。堅牢だったバケモノの鱗がなくなり、体表が露出している。あと二回というのは、射撃回数のことだったのだ。
バケモノは肉体に頼る他なく、少女へ目掛け翼を鋭く横薙ぎに振るう。
少女はそれを剣で受けつつも、それを支えにして衝撃を揚力に変え、優雅にすら思える滑らかな側転をした。
「護りの鱗がない今、攻撃が通るパル」
怪鳥の背中へ着地した少女は、両手でレイピアの柄を握り締め、渾身の力で突き立てる。切先は頭頂部を貫通し、下顎から突き出ていた。致命傷だろう。
理外のバケモノは事切れ、真っ直ぐに地上へ落下した。
それを見下ろす少女―――魔法少女ヒヨリは西陽を背に髪とセーラー服をたなびかせていた。
頭が狂った。
この動悸、この滾り。あの時と同じ、いやそれ以上の。これが服の力だと言うならどうかしてる。
「おいうさぎ、ここがどこなのか教えてくれ」
「どこって、ここはニッポン、パル」
どうやら俺の知っている日本に限りなく近いが、別のどこかにいるらしい。冷静になって見てみると、街並みも全く同じではなかった。あんなバケモノも、戦う少女も日本に、この世界にいるわけがない。
考えられるのは二つ。ストレスか病気か――とにかく夢を見ているか。もしくは俺とこの部屋だけが何故か別の時空か異世界に移動したかだ。
「お前の服の力が、ヒヨリとこの街を護ったパルね」
うさぎの言葉にはっとさせられた。帰る方法を見付けなくてはと考えていたが、そんな思いはすぐに消え失せてしまった。
ここには俺の服に命を吹き込んでくれる相手がいるのだ。世界を守るために戦うヒーローを、服作りで助けることができるのかもしれない。俺すら見失っていた俺の価値が肯定されたような気がした。今まで見た誰をも超える、彼女の輝きの果てを見てみたいと思った。
「お兄さんのおかげで助かっちゃった」
少女の声が聴こえる。うさぎを介して向こうの声も届くのか。
「礼を言うのは俺の方だよ」
色褪せた世界が、彩を取り戻していく。凍った血が熱を帯び、靄のかかった頭が晴れる。彼女という現象が、俺に鼓動を与えてくれる。
「服を作らせてくれないか。君に相応しい、君だけの服を」
ヒヨリという少女はこちらにピースサインを向けた。眩しく笑った。
そして、かつての思い出より、朱く照りつける太陽より、輝いて見えた。




