第1話
銀糸が閃き、針が走る。 破れかけた布地を縫い止めた瞬間、ほつれていた魔力回路が正常に動き始めるのが解った。そしてドレスは息を呑むような燐光を放ち始める。
「――嘘、魔力の循環が……桁違いに跳ね上がってる……!」
肩で息をしていた少女の瞳に、圧倒的な光が宿る。 彼女が一歩踏み出すだけで、足元のコンクリートが衝撃波で弾け飛んだ。目の前で咆哮をあげる巨大な異形など、もう彼女の敵ではない。 彼女の纏う服が、彼女自身を極上の『作品』へと昇華させていた。
● ● ●
俺は服が好きだ。
なかでも女の子の服が好きだった。
美味しい料理は皿までこだわるし、素晴らしい絵には綺麗な額縁が付いているべきだ。それと同じことである。かわいい女の子が似合う服を着る。これは最高の現象だと認識していた。
俺の場合はそれを愛でることより、現象を起こす方に興味を持った。
きっかけは些細なことだった。
幼稚園に通っていた頃、お遊戯会の衣装を作る時間があった。フェルトの型にセロファンや紙を貼るだけの簡単なものだ。
手先だけは器用だったから、その日もさっさと作り終えてひとりでぼんやりとしていた。教室を見渡すと、原色だらけででたらめな塗りかたをしているやつ、あらかじめ書かれた型紙の線に沿って切れないやつ、飽きて走りまわっているやつ…… 。
俺はみんなの輪に入るのが得意じゃない。けれど、楽しげな場を少し離れたところから眺めるのは嫌いではなかった。
その時、じゃれあってた連中の周りでうわ、と声が上がった。
見ると女の子の作りかけの衣装が破けていた。何かの拍子で男の子が彼女の作っていた衣装を傷つけてしまったらしい。女の子は震えて泣き出してしまった。故意ではないが、悪者になった男の子もそれにつられて嗚咽を漏らし始めた。
直せばいいじゃん。俺はただそう思って彼女の衣装に合う色で星やハート型のパッチを作って充ててあげた。ついでにお花の形の髪留めもだ。
生まれ変わった衣装を手渡してやると、その子は大喜びした。
頬に残る涙の跡と、袖を通された服が、西陽を受けて煌めいていた。
その時彼女は服によって作品になり、服が彼女によって息づいた。
その時、俺は初めて心の底から高揚した。
それからずっと――二十二歳の今に至るまで俺は服を作り続けている。過去の作品や資料で埋まった、小汚い一間の部屋で。
けど、ただ作っているだけだ。
服飾の専門学校に通っていた時期もあったが、周囲に馴染めなくなり半年で辞めてしまった。ああいう場は技術を修めるというよりは、未来のビジネスパートナーや人脈を作りに行く側面の方が強いのだと感じたからだ。
いいものを作れば必ず誰かの目にとまり、ふさわしい評価を受けると思っていた。好きなことで生きていくということは、それ以外の全ての問題を踏み越えて進むということだ。俺はそれを理解していなかった。
技術は随分上達したと思う。稀にだが、細い知り合いのツテで劇団の人に依頼されて衣装を作ったりもする。
だがあの初期衝動を超える体験は未だなかった。自問自答だけが、ひとりの部屋で渦巻いている。
いつからだろうか、外で子どもやカップルから目を背けるようになったのは。
どうしてだろうか、陽の高い時間に外へ出ると疲れるようになったのは。
それでも俺にはこれしかない、そう言い聞かせて糊口をしのぐ日々はとうに色彩がなかった。
憧れはきっと、呪いなのだろう。過去が眩しければ眩しいほど、現在に落ちる影は濃くなる。いつしか俺は、夢という言葉に縋っていた。これがあるうちは自分は挑戦者で、全ては途中なのだと。
義務と化した行為は俺を縛り、その縛りがあってはじめて、俺は世界へ繋ぎ止められている。俺はただ、あの笑顔をずっと見ていたかった。それだけだったはずなのに。
鉛筆の芯が、折れた。
どうにかなりそうで、パターンを写していたハトロン紙を握りしめてしまう。硬く冷たい皺の寄る音が部屋に響く。
これは大事な仕事なのに、俺は何をしているんだろう。
いいや、これは仕事なんかじゃない。
俺には推しのコスプレイヤーがいる。近頃テレビにも出始めて、登り調子の逸材だった。
まだ彼女のSNSアカウントができたばかりの頃に偶然見つけてから、たまに衣装を提供している。今作りかけているのも彼女へ渡すものだ。もともと原石として鈍い輝きを持っていた彼女が今の立場になるのに、本来俺は必要なかったのだと思う。それでも何か、他人に与えることで自分の中のバランスを保っていた。
今日はその子がテレビのワンコーナーに出演するらしい。俺が渡した衣装を着てくれるそうだ。
茶を飲みながら放送を待とうとしたが、麦茶のピッチャーは空のまま冷蔵庫に入っていた。洗い終わったコップもない。水道から手で掬って水を飲む。
放送予定のチャンネルに合わせて、ただ座椅子に埋まって二十分ほど経過した。
ニュースが一通り終わり、バラエティのコーナーへ移る。秋葉原のコスプレイベントの特集だ。
話題性のあるコスプレイヤー何人かと一緒に彼女は登場した。少し後ろの方で大人しくしているが、俺には一際輝いて見える。衣装のサイズ感や作り込みも我ながらよく出来ていると思う。テレビの取材で緊張が混じっているが自信のある表情だった。
こうやって他人の輝きの中で間借りをするのが、俺の唯一の慰めだ。毎日の生活で溜まっている何かしらも、これがあるから消化できる。
キャスターが順々にコスプレイヤーたちへ話を投げかける。イベントの楽しさやファンへの感謝など、それぞれ無難な回答をしていくなか、彼女の番が近づいていた。
――ザザ、ザザザ。
電子的なノイズが走り、映像が乱れる。次が推しの順番だというのに、間が悪い。液晶テレビに効果があるのかはわからないが、背面をバンバンと叩いた。しかしその甲斐もなく、画面はさらに歪んでいく。
「本日の――獣………………中継……………」
ノイズ混じりに響いたのは、さっきのバラエティとは明らかに違う、緊迫した音声だった。勝手にチャンネルが切り替わったのだろうか。
「魔法少女ランキング8位“碧戦姫”が、A級怪獣を撃破しました!!」
ノイズが止んで映し出されたのは、倒れ伏す異様なバケモノ――ワニとサソリを掛け合わせたような、身長二十メートルは下らないキメラだった。そしてその巨躯の頂に、一人の少女が立っている。
何かの特撮番組だろうか。 ハリウッドの超大作であってもCGかそうじゃないかくらいはわかるはずだ。だがこの映像には作り物めいた違和感が一切ない。少女が身に纏うまるでアニメのキャラクターのような服も異様だった。身体にしなやかにフィットしながら関節の可動域を完全に確保している。急所を防護しつつ速度を損なわない構造――映画や特撮の小道具では到底お目にかかれない、純粋に「戦うため」だけに研ぎ澄まされた本物の機能美を放っていた。
画面の向こうで起きていることは、どう見ても現実の光景だ。
「続いて大田区町の中継です」
映像が切り替わった。今いる場所と近い場所の光景だった。
十メートルはあろうか、鷲とトカゲを掛け合わせたような生物が映し出される。尾の先端は蛇の頭のようになっており、意思を持ったように動いている。これだけのクオリティの映像作品が、地上波で流れる前に話題にならないものだろうか。ネットで見かけたことすら無かった。
「突如出現したのはB級相当とみられ、状況は劣勢の模様です」
バケモノの鷲が、ビルを踏み台にして飛び上がる。ビルの角は砕け、弾けとぶ。同時に、テレビとは別に地鳴りのような轟音が響いてくる。確かな振動。まさか、これは。
「現地の銅級魔法少女が応戦しています」
空中、バケモノが飛翔する様子をカメラが遠くから捉える。人間のシルエットが三つ宙へ浮かんでいる。魔法少女と聞こえたが、一体どういうことなんだ。
人らしきものが鷲へ向かっていく。接近していくが鷲の尾がしなやかに振るわれ、叩き落される。二人目はそれを助けに行こうとしたところ、今度は鷲がくちばしで突いた。何か持っている武器のようなもので応戦しているようだったが、まるで歯が立たず落下していく。最後の三人目は善戦していたが、攻撃のタイミングに合わせ反撃をもらい矢のように弾きとばされた。
訳がわからないが、これが現実なのだとしたら戦場はすぐ近くのはず。とにかく逃げた方がいい。これが夢なのか、あるいは映画の撮影なのかを考えるのは後回しだ。
玄関のドアノブに手をかけた瞬間、背後――リビングのほうから、爆発のような轟音とガラスの割れる破砕音が響いた。




