第10話
「なに、取って食おうなんて話じゃないさ」
老婆が床下の戸を開ける。ここへ入れば、何かを知ることになる。ヒヨリに見せていいものだろうか。
「行こう、イオリさん」
ヒヨリはきゅっと口を結び、覚悟を決めたようだ。彼女が行くというなら、俺も腹を括ろう。
「足元に気を付けな」
老婆が先に降り、電灯を点けてくれたようだ。俺も老婆に続いて階段に足をかける。
少し冷えた空気が、足元から吹き上げる。この香りは、糊や熱された動物毛、オイルや薬品——仕立て屋の匂いだ。
軋む木製の階段を降りると、大きな空間へ出た。年季の入った木製の机、吊られた革や布、色とりどりの糸が所狭しと並んでいる。
「アタシのアトリエさ。ほぼ引退しているがね」
「すごい……」
ヒヨリも圧倒されている。ここで作られたであろう服と物語の説得力が、この空間にはある。
「そこらに椅子があるだろうから、探して座んな」
老婆はさらに奥の部屋の戸を開けて、向こうへ行った。あたりを見回すと、古ぼけた木製の椅子が二つあった。被った埃を払い、作業机の側で腰掛けた。
机の天面と、側面の色が違う。元々はかなり分厚い木材で、表面を削っているのだ。わずかな傾きや汚れを許さない、職人のこだわりが垣間見える。何者なんだ、あの老婆は。
「こんな場所、初めてパル」
「何かわかるの?パルファム」
「調律された周波数があちこちから伝わってくるパル」
パルファムとヒヨリがひそひそ話している。不気味というよりは、畏れに近い感覚を俺も覚えている。普通であれば地下で陰鬱とするはずだが、不思議と気味の悪さはない。
老婆が鞄やノート、服の材料と思しきものが入った袋を抱えて戻ってきた。作業机にドンとそれらが置かれる。
「まずは坊やが尋きたそうな事から話そうか」
ありすぎて整理がつかないが、あの革についてまずは知りたい。
「葬掃衆、魔法少女の活躍の裏で働く黒子たちをそう呼ぶ。」
「その人たちがこの素材を?」
「ああ。やるのは主に戦いで汚れた街の清掃、乖獣の死骸の処理——汚れ仕事さ」
そうか、乖獣と触れる機会がある仕事だから、素材を拝借できると。
「それを取ってきてどうするの?」
「魔装束に使うのさ」
ヒヨリは息を呑んだ。自分達の敵を、人が利用することに驚きや抵抗があるのだろう。
「魔装束も万能じゃない。使えばそのうち壊れるし、高い出力を維持すれば傷みもする」
「……人類はより強靭な素材を選んだ」
「そうさ、坊や」
しかしな、と老婆は続ける。
「人工物の魔石すら扱うには熟練を要する。無作為なパターンを持つ生体素材を選定し、加工するのは至難さね」
言う通り、あの巨躯から理想的な部位を見つけるのは困難だろう。戦いで傷がついているだろうし、処理に時間をかけ過ぎれば腐敗が進む。
「扱えるとすれば、装師」に他ならん」
「……わたしたちの魔装束にも使われてるの?」
「それはないね、なにせ貴重だからね。使えるのは三枢軸お抱えのランカー達だけさ」
三枢軸、魔装束メーカーの最先端企業だとパルファムは言っていたな。お抱えということは、専属契約のようなものを結んでいるのだろうか。
「そうさ。企業は有望な魔法少女により強い服を与え、その活躍で自分たちの技術力を示す——そういう経済活動さ」
企業も営利団体なのは理解できるが、全ての魔法少女をサポートして強くした方がいいのではないだろうか。乖獣が倒せなかったら商売以前に国がなくなる。
「一理あるがね。しかし周波数を扱いきれない未熟な魔法少女に与えれば、死に装束になる」
素材として性能がいい反面、作るにも着るにも人を選ぶということか。魔石という扱い難い物質を、さらに先鋭化させるなら間口は狭くなってまうのだろう。
「どこまでいけば、着れるかな」
ヒヨリは少し俯いたまま、独り言のように漏らした。今の話を聞いて、恐れるのが普通の反応だと思うが……故を訊ける雰囲気ではない。
「……少なくとも、金級に上がらないと厳しいかね」
「どれくらい難しいんですか?」
「とてつもなくだよ、坊や。いつこの国のランカー十人と入れ替わってもおかしくない猛者たちが金級さ」
つまり、企業のバックアップなしでもその位置にいられる魔法少女が金級なのか。かなりの上澄みであることは間違いないだろう。
「しかし、何事も抜け道はあるものさ。ヒヨリちゃんはよくわかってるね」
「うん、既製魔装束の改造だね」
「うむ。テレビで見た服は、坊やの作だろう?」
「はい、そのつもりで作ったわけではないですが」
老婆が言うには、魔法少女は初めに数種類の既製品から概ね自分に合ったものが支給されるらしい。
出会った日のヒヨリや、避難所にいたレイさんが着ていたものがそうだ。どちらも馴染んでいた印象がなかったのはそのせいだろう。
同じ規格の装備を手にした状態で皆始まるのであれば、その後を分けるには才能か熟達か、あるいは装備自体を強くしてしまえばいい。
「言うは易しだがね。功を焦り力を求めれば、どうなるかは想像できるね?」
ただでさえ精密な服だ。軽自動車にニトロを積んだらエンジンが吹き飛ぶように、思想と技術のない改造は身を滅ぼすだろう。
「アタシたちの裏の裏稼業は、そうした魔法少女に適切なモノを流してやることさ。無論、値は張るし客は選ぶがね」
「では、ランカー未満の魔法少女も実は魔装束に手を加えているんですね?」
「少数だがね。あの子らにも事情があるのさ」
パルファムが俺を使える人材だと判断した理由がわかった。俺の腕が確かであれば、階級を駆け上がることだってできるかもしれないからだ。しかし気になることがある。
「どうして俺の服は魔装束として機能したんだろう」
「ふむ、実際かなり稀有な例だね。物を見せてごらん」
ヒヨリは頷き、魔装束を身に纏った。老婆は鞄から小さい眼鏡を取り出し、まじまじと服を観察し始めた。
「ふむ……見事な仕事だね。坊やの汗や執念が香ってくるようだ」
実際これは、かなり時間をかけた力作だ。布の選定から地直し、裁断から裁縫まで気が遠くなるほど地道に行った。
「精密な地とステッチは、それだけで魔力の回路として優れる。これだけでも既製品と同じレベルの融和率が出るかもしれないね」
「でもこれを着ると、うわーっと力が湧いていつもより動きやすいんだよ!」
ヒヨリが力説している。着た本人にしかわからない感覚があるのだろう。
「それはヒヨリちゃんの魔力とこの服の設計が噛み合ったんだね……言うなら似合ったのさ」
この服くらいこだわった、同程度のクオリティのものは他にも手持ちにあった。だけど、俺はこれしかないとあの時感じていた。
「パーツ程度のものを作れる優秀な職人はたまに現れるが、坊やが例外なのはそこの感性さ」
装師と職人を分ける最も大きな差だと老婆は言う。
「装師は見えぬものを捉え、聴こえぬ声に触れるような者のことさ。断言するよ、これは努力の延長線上にはない」
大層褒められたようで恐縮だが、老婆の言葉には含みがあるように感じた。
「その力をもって、坊やは何を望む?」
俺の望みは、服を作り続けること。そして、それを着た人が放つ輝きを見続けることだ。そのためにこの世界でやらなければならないことがある。
「俺は戦うための服だけを作りたい訳じゃない」
「ほう」
「でも、戦いを終わらせるにはもっと強い服が必要だ——乖獣を滅ぼせるほどの」
「青いねぇ、坊や」
老婆はどこか懐かしいものを見るような目をしていいた。
「アタシも歳を食ったね」
老婆はカバンの中から、取手のついた木製のケースを取り出した。重厚感があり、表面は年季の入った鈍い艶が出ている。
「自分のことより、次を見てみたくなっちまう」
老婆がケースを開けると、見たことのない意匠のハサミや針、指貫などか綺麗に収まっていた。裁縫道具だ。
「坊やに貸してあげよう」
老婆は俺の方へケースを押し、手に取るよう促した。一番目を惹くハサミを、恐る恐る手に取る。実際よりずっと重く感じる。
「わかるかい。アタシが使ってたものだからね」
「こんな美しい道具を……本当に使っていいんですか?」
「いいさ。その代わり、次の服が出来たら見せにおいで」
「はい、それはもう。むしろありがたい」
ただならぬ雰囲気を持つ老婆のものだ、流石と言うべきか、ハサミ自体に念がこもっているような印象すら受ける。美しい道具だ、なんでも切れると言われたら信じてしまいそうな程に。
「そこにあるのは全部特別性さ。乖獣の素材も魔導繊維も加工できる」
「魔導繊維?」
「魔石を繊維の形で固定したものさ。そいつで作った服の方が魔法少女に馴染むんだよ」
今後は扱う素材からしてがらりと変わりそうだ。でも魔石——魔導繊維はとてつもなく頑丈なはずだ。ハサミなんかで刃が立つのだろうか。
「蝶番に周波数を発生させる機構が組み込まれているのさ。刃に触れた時だけ魔導繊維が緩む」
リアルタイムで変質させながら加工するのか。想像するだけでとてつもない難度であることがうかがえる。
「じき慣れるさ——だが少し急いだ方がいいね」
「なぜです?」
「今の服は長くは保たないよ。奇跡的に機能しているだけで、魔装束としての強度は高くない」
「ええ、これ気に入ってるのに」
ヒヨリはがっくりと肩を落とした。
「もっといい服を作るよ。この道具があればなんだって作れる気がしてくる」
「となると、材料が必要だろう」
この道具があればヒヨリの服を作る素材の選択肢が大きく増える。吟味していかなければならないだろう。
「アタシが口を利いてやろう。ここらで扱っている裏物や非売品も、値段次第で手に入るだろう」
「ありがとうございます、ただ俺全然手持ちがなくて」
「ま、アーチストなんてそんなもんさ。アタシのところで買うなら出世払いで安くしてやるよ」
仕事道具と、仕入れルートが一気に手に入った。ヒヨリが連れてきてくれたおかげだ。この世界で戸籍も金もない俺が、所謂表で手に入るものなんて知れてるだろう。
「じゃあ、おばあちゃんのところでお買い物して帰ろっか!」
ヒヨリが可愛らしいうさぎの刺繍が入った財布を取り出して、どんと自分の胸を叩いた。
「坊や、アタシらは紐を扱う側さ。自分がなっちゃあいけないよ」
ほんっとうにしまらない奴パル、とパルファムの声が聴こえた。




