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4話 甘いタルトと友達の味

 前屈みになり、明るく跳ねた声で言うブルージャム。

 満点の星空よりも眩しく感じる瑠璃色の双眸に覗き込まれて、ベルは息を飲んだ。

 そろりと頷く。

 彼女の瑠璃色の瞳が、より強い光を灯した。


「すごいわ! 今日は記念日ね」


 こんなにも可憐で、目を焼くほどの存在感を放つ彼女に友達がいなかったなんて……想像できない。

 ブルージャムの初めての友達。

 その言葉の意味を脳が理解した瞬間、ベルは鳥肌が立った。体温が一気に上がり、汗が吹き出す。

 毒でも飲んだあとみたいで、けど嫌な感じも気持ち悪さもない。ただ、心臓が痛いほど騒がしくなる。


「お願いよ、ベル。少しだけ遊びましょう?」


 ブルージャムが祈るように両手の指を顔の前で重ねる。

 そんなに必死にならなくても、ベルはブルージャムを優先する。


「もちろんです」

「本当に⁉︎ 嬉しい! じゃあ早速お洋服を見に」

「ブルージャム。まずはタルトを」


 椅子が倒れそうになるほど勢いよく立ち上がったブルージャムを制して、ベルは視線を食べ掛けのタルトに落とした。


「まあ、わたしったら」


 ブルージャムは照れくさそうに一笑して、すとんと座り直す。


「あら? フォークは……」


 キョロキョロとするブルージャムに、ベルは独り言のように溢した。


「エクソシストもまだいるでしょう。いま動くのは、危険な気がします」


 この世界を統べる白き正義――エクソシストは異端を許さない。

 教会に属するエクソシストは悪魔を狩り、魔女を裁き、人々を守る聖なる剣だ。

 魔女たる二人は、その剣に討たれるべき存在――

 元は人間であろうと関係ない。どんな事情があっても、人の理から外れた瞬間エクソシストは容赦なく牙を剥く。

 教会は魔女を災厄と断じる。悪魔に魅入られ、魂を売り渡した忌むべき存在だと。

 その教えを疑う者は、ほとんどいない。

 教会の言葉は法であり、エクソシストの剣は正義そのものなのだから。


「あの子たち、しつこいものね」


 ブルージャムの溜め息を耳にしながら、ベルは紫の瞳を遠くに移す。

 ステンドグラスに彩られた白亜の建物がすぐに目に入った。自由を謳うハーメルンにも教会は至るところにあり、その存在感と権威の強さを主張している。

 エクソシストと相対せずに悪魔を狩れるのが一番いい。

 それにベル自身、魔女としての事情としてではなく、個人的にエクソシストとは極力会いたくなかった。


「…………」


 ベルは静かに顔をブルージャムに戻した。

 フォークを落とした彼女は、素手でタルトを頬張っていた。甘酸っぱい果汁とカスタードが形のいい唇を濡らして、それを幸せそうに舌先で舐め取る。

 自分ならまだしも、ブルージャムのどこが厄災だと言うのか……ベルは、不思議でならない。

 そんなふうに思ってブルージャムを眺めていると、彼女は突然しまったと言わんばかりに息を呑んだ。


「わたしったら、また! 夢中になるとだめって分かってるのにね。どうぞ、ベル」

「えっ?」

「あーん」


 ブルージャムは腕を伸ばし、手掴みしたタルトをベルの眼前に向けた。


「とーっても美味しいわよ!」


 艶々のストロベリーの下にはカスタードがぎゅうぎゅうに詰まっていて、齧られた断面からいまにも溢れ落ちそうだ。


「もしかして、甘いものは嫌い? ベルっていつもコーヒーとパンしか頼まないものね」

「嫌い、じゃないと思います。多分」

「不思議な言い方ね」

「食べたことがなくて……」


 幼い頃から、食事は訓練を続けるための燃料でしかなかった。

 与えられるのは硬いパンと薄い薬草湯ばかり。たまに塩漬けの肉や豆の煮込みが出ることはあったが……少なくとも栄養重視であった、子どもを喜ばせるための献立ではなかった。

 腹を満たせればそれでいい。好き嫌いも、美味しい不味いも、考える必要がなかった。

 コーヒーも、同じだ。眠気を追い払い、頭を冴えさせるから飲んでいる。それだけ。好みとは、違う。

 だから、ベルは自分が甘いものを好きなのかハッキリと判断できなかった。


「そうだったの? もっと早く教えてくれたらよかったのに」

「すみません」

「責めてるわけじゃないのよ。教えてくれたら、美味しいものをたくさん教えてあげられたじゃない?」

「自分で調べます。ブルージャムの手を煩わせるわけには……」

「ベルったら、そうじゃないわ。わたしが教えたいのよ」


 ブルージャムは頬を膨らませて、食べ掛けのタルトをさらに突き出してきた。

 タルトの先端が唇に触れそうな距離まで近付いてきて、ベルは反射的に口を開けた。


「!」


 舌の上で瑞々しさが弾ける。知らない味の洪水が口いっぱいに広がった。

 くらり、とした。毒にも薬にも慣れた身体が、こんなもので揺らぐとは思わなかった。


「好きなものは教えたくなるでしょ? お友達なら、なおさらよ」


 ブルージャムが笑う。そして、少し形の悪くなったタルトを頬張った。


「どう? 甘酸っぱくて美味しいでしょう?」

「……はい……」


 ベルは小さく頷いた。

 けど、本当はよく分かってない。

 だって、舌に残るタルトの甘酸っぱさよりも、嬉しそうなブルージャムの笑顔のほうが、ずっと強く胸に焼き付いていたから。


「すごく、甘いです」


 甘くて、むず痒くて、あたたかい。

 冷え切っていたはずの場所に、誰かが小さな灯を置いていくみたいで……逃げ出したくなるほど、心地がいい。

 もしこれが美味しいということなら。

 ベルは、人を殺して生きてきた自分なんかが味わっていいものではない気がした。


「どう? 好きな味だった?」

「えっと、まだ、そこまでは……」

「食べ比べなきゃ、好きも嫌いも選べないわね」


 タルトの最後の一口を食べると、ブルージャムは少し考えるように指を舐めた。


「ねえ、明日はベルの好きなものを探しましょうよ」

「探してどうするのですか?」

「ふふっ、ベルはどうしたい?」


 答えられないベルに、ブルージャムはくすくすと意地悪に目を細めた。


「好きなもの、見つかったら嬉しいじゃない?」

「そう、なんですね」

「そうよ。好きな食べ物、好きなお洋服、好きな歌、他にもたくさん。自分の好きが分かると、幸せよ?」


 ブルージャムはベルの幸せにこだわる。

 だからね、と彼女は甘いタルトに負けない甘い顔で微笑んで……。


「探しましょうね」


 ベルは不思議でならない。

 どうして自分のことみたいに嬉しそうにするのでしょうか?

 分からないまま、それでもこの笑顔をもっと見ていたいと思ってしまう自分がいた。


 ◆ ◆ ◆


 翌日、ベルはブルージャムと待ち合わせをしていた。

 同じ宿に泊まっているのだから、同じ時間に一緒に出ればいいと言ったのだが、ブルージャム曰く――


「それじゃあつまらないわ! わたしたち、お友達なのよ? お友達らしいことしましょう!」

「お友達らしいことって、なんですか?」

「…………待ち合わせしてから、遊ぶ、とか?」

「ブルージャムもよく知らないんですね」

「し、知らないからこれから知っていくのよ! たくさんたくさん、お友達らしいことをしましょう!」

「分かりました」

「任せて!」


 だそうで。

 昼前に、広場の噴水前で落ち合うことになった。


「待ち合わせは、十一時。早くても、遅くてもいけませんよね」


 時間厳守。ベルは十一時の鐘が鳴った瞬間に広場に足を踏み入れ、噴水前にいたブルージャムに声を掛けた。


「ブルージャム」

「時間ピッタリね。ベルらしいわ」


 ブルージャムがクスクスと笑うと、それに合わせて髪飾りの羽根が揺れた。

 彼女も周りの人々と同様に羽根のあしらわれたドレスに身を包んでいた。

 瑠璃色の生地に重ねられた純白の羽根は、光を受ける度に煌めく光沢を放つ。その姿は周りの人たちと明白に違った存在感を放っていて……


「なんだか、本物の天使みたいですね」


 自然とベルはそう溢していた。

 ブルージャムが大きな瞬きをひとつする。それから、頬をほんのりと喜びに染めて微笑んだ。


「ありがとう。ベルも素敵よ」

「……正直、動き難いです」

「あら、そういう格好は嫌い?」

「嫌いなんですかね? 動き難いとは思っていますが……」


 嫌悪感があるかと問われれば、少し違う……と思う。

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