3話 初めてのお友達同士
「次は食べないわ。絶対に絶対に、絶対によ」
「食べてもいいですよ」
「だーめ。さあ、行きましょう!」
「どこにですか?」
「最近、ハーメルンの美術館で行方不明が増えている噂を聞いたわ。きっと悪魔よ」
「ブルージャムが楽しめる悪魔だといいですね」
「そうね。……って、違うわよ! ベルのための悪魔だからね!」
真っ赤な顔でブルージャムは頬を膨らませると、ベルの手を引っ張った。
魔女は夜に溶けていく。
――後日、宿場街のある宿の地下で複数の身元不明の遺体が発見されたと新聞の一面を飾った。
◆ ◆ ◆
地方紙では大々的に取り上げられていた奇妙な死体遺棄事件も、自由と芸術の都ハーメルンでは新聞紙の端に小さく掲載されているだけだった。
それよりも、教会のエクソシストが美術館に潜んで悪魔を討伐したことと、カーニバルの知らせで埋まっていた。
賑やかな昼のカフェテラスの片隅で、ブルージャムだけが暗い顔で呻いていた。
「どうしましょう。まさか、倒されちゃったなんて……」
「そんなに急いで探さなくてもいいですよ。まだ一ヶ月ほどありますし」
「もう一ヶ月しかないの!」
なんてことないふうにベルが熱々のコーヒーを啜れば、ブルージャムはキッと眉を吊り上げた。しかし、すぐに自業自得だったと言わんばかりに唇を噛み締めて、弱々しく俯いた。
「……わたしが言えないわよね」
「そんな顔をしないでください、ブルージャム。大丈夫ですよ」
彼女の美しい顔を曇らせたいわけじゃない。
適当に言っているわけではないと、ベルは説明する。
「ブルージャムは、本当に危ない時は自分を優先してくれますから」
彼女の、悪魔に対しての理性は確かに弱い。
それでも、いままでの経験上ブルージャムは本当にベルの命の期限が危うい時は、自分の欲望よりもベルの命を優先してくれる。
ベルからすれば、それは悲しく、悔しいのだが……。
「それに、ブルージャムの食べてる姿を見るのが自分は好きですよ」
だから、気にせず食べてほしい。
自分の欲望のままに。
あの幸せそうな、頬が蕩け落ちそうなほどの恍惚とした顔を見せてほしい。
ベルにとっては自分の命の灯火を繋ぐことよりも、そっちのほうが大切だ。
ベルはブルージャムの前に置かれた、手の付けられていないストロベリータルトにフォークを伸ばす。先端を一口サイズに切り分けて、ブルージャムの口に運んだ。
「その甘やかし癖を、少しでも自分に使ってちょうだい」
ブルージャムは不服そうな態度は見せるが、その頬はほんのりと赤らんでいた。
「もうっ」
ブルージャムはフォークの先にパクリと齧り付いた。途端に、ストロベリーの甘酸っぱさと、濃厚だが甘さ控えめのクリームのハーモニーに口元を綻ばせる。
彼女は、本当に美味しそうに食べる。
その姿を見ていると、ベルもお腹の奥がポカポカした。だから、ブルージャムをもっと、もっと、悪魔を味わわせてあげたい。
「ブルージャム。これからどうしますか?」
悪魔が倒されてしまったのなら、この街に居続ける意味はない。
「別の街に行きますか?」
「いいえ、ここで狩るわ」
ブルージャムは顔を上げる。その視線の先にいるのは、趣向を凝らした仮面を被った人々。
街はどこを見ても仮面を着け、鳥の羽をあしらった絢爛な衣装を纏う人々で溢れていた。
小気味よい太鼓のリズムと竪琴の音色が響き渡り、極彩色の紙吹雪が舞い踊る。弾けるような歓声と笑い声が歴史ある芸術都市の隅々にまで響き渡り、人々の心を満たしていた。
「この賑やかさに惹かれるのは人間だけじゃないのよ」
カーニバルの今日、この街では呼吸をするすべての者が主役であり、芸術そのものだった。
「まだいるわ。絶対に」
ブルージャムの白い指が、ベルの手からフォークをするりと攫う。フォークの先が、臓腑よりも真っ赤なストロベリーを確信を持って突き刺した。
ブルージャムが言うなら、間違いない。
「分かりました。探してきます」
悪魔は欲望のままに人を弄ぶ。
特に、幸せに浸る人間や笑顔の人間を好んで。
ベルはすぐにコーヒーの残りを飲み干して、席を立つ。しかし、すぐに伸びてきたブルージャムの指先がベルのコートを摘んだ。
「一ヶ月、よね?」
「はい?」
一瞬なにを問われたのか分からなかったが、ベルはすぐに自分の命の残り時間だと気付いて頷いた。
ブルージャムは気まずそうに俯くと、そっとコートから手を離した。もじもじとフォークを両手で弄る。
それをベルが黙って凝視していると、ブルージャムは意を決して顔を上げた。
「ベル。悪魔が見つからなくても、絶対にベルは生かすわ。それこそ、わたしを食べさせてでもね」
長いまつ毛に縁取られた瑠璃色の瞳が、真っ直ぐにベルを射抜く。
吸い込まれそうなほど深い色合いの瞳を見返して、ベルは首を傾げた。
「魔女を食べても、命の補充はできませんよね?」
ベルの命は悪魔の呪いによって削られている。
それを継ぎ足せるのは悪魔の心臓だけだ。
ブルージャムは一瞬だけ目を丸くして、それからほんの少しだけどこかいじけたふうに、タルトをフォークでほじった。
「……そんなの、ちゃんと知ってるわよ」
「ブルージャム? その、自分はなにか間違ったことを言いましたか?」
「間違ってないからいやなの」
ブルージャムは悔しそうに、甘酸っぱいタルトを頬張る。
「? よく分かりません。正しいほうがいいのではないですか?」
ベルは時々、いや、よくブルージャムの言動の意味が分からなくなる。
彼女はあまりにも、ベルがいままで関わってきた人々とは違っていて、その豊かさにベルはついていけなくなった。それでは駄目だとベルは自分を叱責する。
(自分が、こうだから命令してもらえないのでしょうね)
もっと彼女の道具として役に立ちたいのに。
「明日は、カーニバル本番でしょ?」
そろりとブルージャムが口を開いた。
「まだ悪魔はいるだろうし、期限も平気よね? 矛盾してることを言っている自覚はあるのよ。それでも、その……」
言い淀むブルージャム。
申し訳なさそうに、情けなさそうに、そしてなにより恥ずかしそうに耳まで赤くする彼女に、ベルはやっとピンときた。
「遊びたいのですね、ブルージャム」
ベルが何気なく訊けば、ブルージャムはぴゃっと肩を跳ねさせた。
ブルージャムはいじいじとフォークを弄び、逃げるようにタルトを口に運ぶ。パクパクと、あっという間にストロベリータルトを食べ尽くすと、少ししてからベルの顔を見ないまま呟いた。
「わたし、お友達と一緒に遊ぶのがずっと夢だったのよ」
「お友達、ですか?」
「ええ」
ブルージャムは頷くが、不意にハッと目を見開く。ただでさえ白い肌が、みるみると血色を失っていく。
「わ、わたしたち、お友達よね?」
ブルージャムは不安げにベルを見上げた。胸の前でフォークを握る手がふるふると震えている。
ベルは黙って席に座り直した。
「あの、ブルージャム」
強張った表情のブルージャムに、ベルは隠さず答えた。
「自分は、友達がいなくて……。そうだとすれば、ブルージャムが、初めての友達なんです」
「えっ」
「ですので、その……どう答えればいいのか……」
ベルはテーブルの上で両手を強く握り締めた。
物扱いには慣れているが友達扱いは初めてで、どう答えれば粗相がないのか分からない。
(友達にはどんな返答が当たりで、どんな返答なら喜んでくれるのでしょうか?)
グルグルと考えても、友達相手に向ける言葉をベルは教わったことがなかったので、頭が真っ白になる。
正しい答えを黙考するベルの手を、ブルージャムがフォークを放り捨てて飛び付くように握り締めた。フォークがテーブルの縁で跳ね、地面に落ちる。
「わたしたち、初めてのお友達同士だったの⁉︎」
前屈みになり、明るく跳ねる声で言うブルージャム。
満点の星空よりも眩しく感じる瑠璃色の双眸に覗き込まれて、ベルは息を飲んだ。そろり、と頷くと、彼女の瞳はより強い光を灯した。




