12.9月10日 午前6時
ところが2時間経っても救助は来なかった。バスは関門大橋を越えた。関門海峡の海が美しく光っているのが見えた。夜が明け始めている。いよいよ九州である。もう小倉まで時間がない。どうしたものか。かといって何かできるわけではない。弓彦は焦っていた。前江田さんが脇をつつく。
「ちょっと、どうするのよ」
「おいって、わからないってもんよ」
前江田さんはバスジャックされてからずっと隣に座っている。
「そろそろ着いちゃうわよ。着いてからSATが急襲みたいな映画的な展開ないかしらね」
SATとは警視庁特殊急襲部隊のことである。人質を取った立てこもり犯のいる建物に果敢に乗り込んでいく警官をテレビでよく見るが、前江田さんはそんなシーンをイメージしているのだろうか。
「そんなにうまくいくことないってもんよ」
「ここまで来たらお題目を…」
前江田さんがなにやらぶつぶつ唱え始めたとき、状況が一変した。
サイレンの音が聞こえてきた。次第に大きくなる。車内が急にざわつく。犯人が驚いて叫んだ。
「さ、サイレンだと?誰か警察に連絡したのか?そんなことはないはずだ!」
うろたえている。犯人はスマートフォンを取り出して確認をし始めた。弓彦が見ると、右車線とバスの後部にパトカーが並走しているのが見えた。
「父さん、どうなってるんだ?!」
犯人がうろたえている。父さん?さっき動画を撮っていた共犯者は父親だったのか?弓彦は思い出した。あの父親は確か『日本商業バス振興協同組合』の理事でうちの店を買収しに来た男だ。確か名前は桂浜真一郎と言ったか。でもなんでこんなところに?
「健治、もうやめよう」
父親・桂浜真一郎がそう言って録画中のスマートフォンをアフロ頭に渡した。どういうことだ?真一郎の協力者がいるというのか。別の人がそっと録画をしている。パトカーのサイレンの音が聞こえる。
犯人は車内をウロウロし始めた。そして、鞄の中から包丁を取り出した。
「信じていたのに…。父さんまで俺を裏切るんだ…」
「そうじゃない。父さんはこの装置を使ってほしくないんだ!こんなものが世に出回ったら…」
「父さんまでこの世紀の発明にケチをつけるんだ!もう、誰も信用できない!お前を殺してやる!手始めにこいつだ!」
「ひ、ひいいいい、南無妙法蓮華経」
犯人はよりによってまた前江田さんに刃渡り20センチはある包丁を突き出した。前江田さんは両手を上げる。
「そこまでだ!桂浜健治!」
バスの後ろで突然二人の男女が立ち上がり、拳銃を犯人に向けた。犯人が驚く。
「え?このバスは無線を傍受して…」
包丁を前江田さんに突き付けたまま犯人が父の顔を見た。茫然としている。
「父さん、なんで警察がバスの中にいるの?」
「仕方がなかったんだ…。お前の計画は犯罪だ。こんなバスジャック計画を聞かされては、市民としての義務…」
「父さんは俺を売ったんだ!」
「桂浜健治!包丁を置きなさい!」
後部座席の二人がもう一度叫んだ。一人はさっき喫煙所で見たくたびれたサラリーマンである。もう一人はおばあさんだった。二人とも変装していたのか。犯人の桂浜健治は慌ててポケットに入れていたスマートフォンを取り出した。
「通信は傍受していたはずだ!このバスの中の通信はみんなこのスマホに…」
「そんなことはできない。この車内の通信は警察が傍受するよう手配した。お前の通信もな。そうでしょう?山田刑事」
真一郎が話しかけると、アフロ頭の男が立ち上がった。
「そうです。この車内の通信、合わせて動画も撮っていただきましたから車内の状況もみんな警察に筒抜けです。隣を走っているパトカー3台にはすべて動画と通信を傍受できるよう手配しています」
「そ、そんな…」
パトカーのサイレンが一際大きく聞こえた。健治は泣きそうである。共犯者、よりによって父が実は警察とつながっていたとは夢にも思わなかっただろう。アフロ頭は乗客に語り掛けた。
「警察です。乗客の皆さん、このバスは小倉のバスターミナルで停車します。そこで皆さんは解放されます。もう少しですのでご辛抱ください」
アフロ頭は刑事だったのか。そういえばどこかで見たことがあった。
「乗客といっても、そこのお二人以外はみんな関係者だったのですが」
アフロ頭が弓彦と前江田さんを見た。犯人が驚く。
「え?みんな関係者って…」
「実は真一郎さんに協力をいただきまして、このバスをチャーターしました。なのでこのバスには関係者しか乗っていないのです。運転手は桂浜さんの会社で事務長をやっている種崎さんです」
運転手が犯人の顔をまじまじと眺めた。
「坊ちゃん、私の顔を忘れてしまわれたんですね。確かにこんな大きなほくろと髭、縁の厚い眼鏡をつけていれば誰だかわからないと思いますが」
種崎と呼ばれた男は、ほくろと髭、眼鏡を外した。
「種崎さん…」
「坊ちゃん、もうやめにしましょう。こんなこと」
種崎がそういうと、犯人は肩を落とした。それを見てアフロ刑事が続ける。
「ともかくも、このバスには関係者しかいないのです。間違って乗ってしまったそこのお2人を除いて」
「おいって」
弓彦は狂言バスジャックに巻き込まれたということなのか。
「私、機動隊の2人、新聞記者の2人、ベトナム人のグエンくん、探偵の今村さんの合わせて7人とそこのお二人です」
「伊豆さん、お久しぶり。また巻き込んでしまいましたね」
男が眼鏡を外し、帽子を脱いだ。小倉で小さな探偵事務所を開業しているを今村だ。弓彦はこの男のせいでこれまで散々な目に遭っている。今村は新聞記者に話しかけた。
「前醍醐さんも増岡さんもいい記事が書けましたね」
「優秀ですから」
女が笑った。ずっと禁煙パイポを握っていた。喫煙所で会った大きな眼鏡をかけた女は新聞記者だったのか。
「ハヤクベトナムカエリタイデス」
ベトナム人のグエンがつぶやくと、座り込んでしまった健治が小さな声で父親に話しかけた。
「父さん…」
「お前の犯罪を食い止めるために、皆さんに協力してもらった。この自動運転装置には欠陥が多すぎる。そもそもこんなものがあっては運送業者の雇用を守ることはできん。まだ時代が追いついていなんだ。わかってくれ」
「そんな…」
「お前が優秀な頭脳を持っていることはわかった。だから、しっかり反省して、新しく人生をやり直してほしい」
「父さん…」
健治はうつむいた。感動的な父子の会話であった。弓彦は前江田さんを見た。普段見せない、父と子の話を聞いて図らずも感動してしまったおばあちゃんの顔が見えた。
アフロ刑事が高速道路の表示を見た。
「そろそろ小倉インターです」
「これで家に帰れるわ」
前江田さんが涙を吹いて禁煙パイポを口にくわえた。それにしても時代に逆行して喫煙者が多い。
「あれ?」
アフロ刑事が妙な声を出した。バスがインターで降りなかった。
「おいってどこ行くってもんよ」
「ちょっと、帰れるんじゃないの?」
狂言バスジャックに巻き込まれてしまった一般市民二人が同時に言う。
「ニンベンシテクダサーイ」
ベトナム人のグエンが悲痛な声を上げた。この外国人も可愛そうに巻き込まれたうちの一人なのだろう。いや、それは『カンベン』だろう、誰しもそう思ったが誰もそんなつっこみを入れる者はいなかった。
何が起こったのか。まだ何かが起こるというのか。




