3-1帰宅
この話から新章建国編に入ります。
「帰ってきたな」
「帰ってきましたね」
(ここが主の住まいか)
シン(旅装束)、ライ(子狼サイズ)、セブンヴィ―ル(宝杖形体)は城郭都市プロセディオにある自宅玄関に立っていた。
約1ヶ月ぶりの自宅。前回はアンさんとサンちゃん親子と一緒に自宅内へ直接転移したため玄関から帰るのは本当に久しぶりだ。
時刻は早朝。開店時間にはまだ時間があるし、施錠されているのでもしかしたらルシア達は寝ているかもしれない。開錠してなるべく音を立てないように扉を開ける。
“カランカラン”と扉に取り付けている鐘が揺れて帰宅を告げる音が店の奥へと響いていく。店の奥から音に反応してか物音が聞こえたので自分の行動が無駄に終わったことを悟ったが意識を切り替えて扉の中へ足を踏み入れた。
店舗スペースにはガラス瓶に入った商品やショーケースに入れられた商品などが並んでいる。店内の照明は灯っていなかったが窓から差し込む朝の日差しが照明の代わりをしているため商品に誤ってぶつかる心配をしなくていい。
店舗スペースの奥。居住スペースへ進んでいると奥からアイシャが駆けってくるのが見えた。片膝を突いた直後にアイシャは後ろ脚に力を入れて勢いよく胸へ飛び込んできた。
「シン様、お帰りなさい」
「ただいま」
顔を擦りつけながら甘えるアイシャの頭を撫でていると「シン、お帰りなさい」とルシアの声が聞こえた。こんな朝早い時間から起きているとはルシアはしっかり寝ているのだろうか?と思いながら顔をあげる。こちらへ歩いてくるルシアの顔色は悪いようには見えない。
「ただいま。最近変わったことはなかったか?」
「変わったことですか?特には…あ!先日アンさんとサンちゃんに給料を支払いしました。働き始めて1月が過ぎたので支払いましたが許可を得ずにしてしまいました。申し訳ありません。他には特に報告すべきことはないと思います」
どうやら中央大陸大会の一件についてはまだこの都市に伝わっていないようだ。
それよりも、2人への給料日について失念していた。ルシアは確か月末に支払っていたからそれに合わせるように後で伝えよう。
「そういえば2人の給料日を決めていなかった。手間をかけさせてすまない。それとは別に少し込み入った話がある。まずはアンさんとサンちゃんを起こしてもらえるか」
「はい、すぐに呼んできます」
俺の顔を見て何かを察したのかルシアは真剣な顔つきになって頷くと奥へ、恐らく2階でまだ寝ているアンさんとサンちゃん親子を起こしに向かい、俺はリビングへ向かった。
リビングに入るとアインとヘレナが朝食の準備をしていた。
帰宅の挨拶を済ませていつも座っている椅子に座り、アインが出してくれた温かいお茶を飲みながら待っていると最低限の身だしなみを整えたアンさんとサンちゃんがルシアに連れられて降りてきた。
2人はアインとヘレナと同じく侍女用の服を着ている。
そういえば従業員用の制服を決めていなかった。
ルシアが店の店員としても働いているアインとヘレナの服装をそのまま採用して支給したのだろう。本当に店の事を任せきりになっていたことが分かる。
「シン様、お帰りなさいませ。お待たせして申し訳ありません」
「お帰りなさい、シン…お兄ちゃん?」
「!シン様、申し訳ありません。サン、シン様でしょう。働かせてもらっているのだから言葉遣いを直しなさい」
「アンさん、気にしなくていいですよ。前回2人に素顔を見せたことはなかった事が原因ですから。ただいま。話があるからとりあえず座ってくれ」
まだ眠いのか目を擦りながら挨拶をするサンちゃんが疑問に思うのは仕方がない。
前回マスクをしたままだったので素顔を見るのはこれが初めてのはずだ。
冷静に対応したアンさんはさすがと言える。
3人に座るように促すと。ルシアが隣に、机を挟んだ正面にアンさんとサンちゃん親子が座った。
ライとアイシャはどうしているかと言うとリビングへ入ってからずっと俺の後ろ、床に座ってライが俺との旅の思い出をアイシャに聞かせていた。
笑顔で聞いているアイシャだが時折「よかったですね。私なんか一日中カウンターで看板虎をさせられました」と愚痴を漏らしていた。次旅に行くときは連れていこう。
「さて、今後の事を話す前に先日終わった中央大陸大会の事を話さないといけない」
アインが3人の前にお茶を置いてから、俺は先日中央大陸大会表彰式の際に起こった出来事について話をした。
話が進むにつれて考え込むような仕草をするルシアとアンさん。サンちゃんは俺が大会で優勝したところまでは「すごい!やっぱりシンお兄ちゃんは強いね」と我が事のように喜んでくれたが表彰式のところになるとよくわからないのか首を傾げて聞いていた。
話を終えて冷めたお茶を一口飲んでから、今後の事について話をする。
「今言ったように俺は神の1人と敵対している。そして、敵対することになった魔神の言葉によって俺はこれからたくさんの者達から狙われることになる。そうならないために出来るだけのことはするつもりだが、絶対の安全は保障できない。だから残るか出て行くか選んでほしい。出て行くなら当面生活できるお金を渡すつもりだ。ルシアも天人族として神と敵対する俺が許せないなら奴隷契約を破棄して自由にするから言って欲しい。」
静寂がリビングを支配する。
これから出来る限りの偽装工作をする予定だが、何事にも完璧というものはない。
たった1つのピースが欠けたり、間違ったりするだけで思ってもいなかった事態になる。
これから一緒にいれば、最悪巻き込まれて殺される。
今ならまだ、ここにいる3人は俺との関係を切れば巻き込まなくて済む可能性が高い。
「シンは誤解しています」
隣に座るルシアが静寂を破って口を開いた。
口を開いた直後。ルシアは俺が座る方へ身体の向きを変えた。
俺もルシアと向き合うように身体の向きを変えると金色の瞳に引き込まれそうになりながら次の言葉を待つ。
「天人族は神の信者ではありません。神と敵対する者を憎むこともありません」
「そうなのか?だが読んだ本に『天人族は神兵として戦った』と書いてあったが…」
「それは千年前に起こった当時世界の半分を支配していたイレミア皇国と神との戦い。『神皇大戦』の事でしょう。当時のイレミア皇国はこの世界の空の上を支配するほどの力を持っていました。その力が自分たちの生活を脅かすと考えた天人族がイレミア皇国と戦うことを選んだ神と協力だけで、決して神兵として戦ったのではありません」
そうだったのか。昔学園の図書館で読んだ『こうしてイレミア皇国は衰退した』シリーズの著者は人族。神側についた種族について十分な調査が出来なかったのかもしれない。
「私はこれからどんな事があってもシンと一緒にいます。だって私はシンの家族なのでしょう?」
「…そうだったな。ルシア、これからもよろしく」
俺の手を取りながら笑顔で話すルシアの言葉に心の中で「ありがとう」と思いを抱き、ルシアの笑顔につられて自分の顔が自然と笑顔になった。
ルシアと出会ってまだ半年も経っていないのに助けられてばかりだ。
「お母さん、いい雰囲気だね」
「サン、今は黙って見守るのが正解よ」
「そうなの?わかった」
アンさんのサンちゃんの会話が耳に入ってきた。今いる場所を思い出し、バッと姿勢を向かいに座る2人の親子に向けた。チラリと隣に座るルシアを見ると顔を俯かせている。髪に隠れてほとんど見えないが髪の隙間から見える横顔は赤くなっているようだ。
視線を正面に座る親子に戻した俺は咳払いをしてから親子に答えを求める。
「それで、アンさんとサンちゃんはどうする」
「私はシンお兄ちゃん達と一緒が良い」
サンちゃんが元気よく言ってくれたが襲われたら一番危ないのも彼女だ。
俺はサンちゃんの事を一番大切に思っているアンさんへ視線を向ける。
アンさんは俺と視線が合うと微笑みを浮かべた。
「サンもこう申しています。私達親子を温かく迎えてくれたシン様達の下でこれからも働かせて頂けませんか?」
「本当にいいのか?」
残ると言った親子に俺は最終確認として訊ねたが迷うことなく「はい」「うん!」と答えが返ってきたので俺も腹をくくることにした。
「わかった。俺はこれからみんなに危険が及ばないように出来るだけの事をする。だから今日1日は外に出ないように」
さて、これから忙しくなる。今日中に必要なことは全て終わらせる。
朝食を食べてから砂色のローブを目まで隠れるように被ってから自宅を出た。
◇
「ギルドカードをお返しします。レイス商店の営業権を暁商会が引き継ぐ手続きですね。そうなりますとレイス商会の権利義務を全て引き継ぐことになりますがよろしいですか?」
「承知している」
「わかりました。少々お待ちください」
身分証明として提示した白金製の商業ギルドカードの返却を受けてから商業ギルドの受付嬢が手続きのためにギルドの奥へと消えていった。
俺は各ギルドで『暁信』という名前でギルドカードを発行した。
そして、家の所有権などをシン・レイスから暁信へ移す手続きを終わらせて、最後の仕上げ営業権の移譲をいま行っている。
『レイス商会』というのは営業許可証を得た際に登録義務があった商号だ。
だが、レイス商会の所有者兼代表者はシン・レイス。狙われる可能性がある。
そこで、新しく設立した『暁商会』に営業権を買い取らせるようにして『レイス商会』を事実上消滅させる手続きをした。
「お待たせしました。こちらが商号変更を行った営業許可証です。商号がレイス商会の物はこちらで破棄させて頂きます」
「お願いします」
受付嬢から商号の欄が暁商会となった営業許可証を受け取り、ギルドを出る。
時刻はちょうど昼時。
(昼食のために一度戻るのも面倒だ。近くの屋台で済ませよう)
商業ギルドの2つ隣にある串焼き屋に立ち寄る。
次の目的地の事を考えると少し多めに頼もう。
「すみません。店にある串焼き全部ください」
「ぜ、全部かい?いま焼くからちょっと待ってくんな。お前さん見ない顔だな。最近来たのかい?」
「ええ、今日来たばかりです」
「ほお、身なりからして冒険者かい?だったらうちの店の串焼きを選んだのは正解だ。なんていっても他の店よりも分厚く切ったオークのバラ肉に濃いみそだれを使ってるからな。うちの串焼きを食べて生き残ったってやつは大勢いる」
「そうですか。それは食べるのが楽しみです」
鍛え抜かれた身体に小麦色に焼けた肌をした中年男性が手際よく串焼き網に乗せて焼く光景を見ながら相槌を打つ。だが、内心ため息をついていた。
(これまで冒険者として活動したことはないのだが…)
確かに冒険者ギルドカードは持っている。しかし、Gクラスだ。
つまり初心者冒険者。さらにこれまで一度も依頼を受けたことがないので依頼達成率0%。
これで「冒険者です」を言えるだろうか?
そういえば白金の商業ギルドカードを持っているのにこれまで商人に見られたことがない。
今から孤児院にレイス商会から暁商会が営業権と権利・義務を引き継いだことを説明に行こうと思ったが、これでは信じてもらえない可能性がある。
孤児院へ説明に行ったら自己紹介の時に『暁信』と東方から来た商人だと説明するつもりだが、どう考えても怪しまれる。それでは説明に行く意味がない。
南通りの住人はこの都市の裏に独自の情報網を持っていると商業ギルドの閲覧情報で見たことがある。そして、南通りの住民に孤児院出身の者は多い。意外と知られていないが孤児院を敵に回すとこの都市では表以外歩けなくなるらしい。
これまで短期間だがレイス商会が寄付した金額は前年この都市が孤児院のために用意した予算額とほとんど変わらない額だった。
そんな商会が消えて新しい商会が業務を引き継ぎます。はい、そうですかといかない可能性が高いから説明に行こうというのに初見で疑われては意味がない。
第一印象がとても大事なのはどこの世界でも同じだ。
「兄ちゃん。ほれ、全部焼いたが持てるのかい」
「大丈夫です。アイテムポーチを持っていますから」
考えるのをいったん中止して串焼きを受け取る。
串焼き10本入の袋が複数用意されていたので1つずつ腰に付けたアイテムポーチに入れるように見せながらアイテムボックスへしまい。代金を払って店を後にした。
少し歩いて北通りに用意されている休憩スペースのベンチに座ると影からライが飛び出して、隣の席にお座りした。
ライの期待に満ちたつぶらな瞳を見れば何を求めているのか考えなくてもわかる。
「ちょっと待っていろよ」
紙皿を取り出してその上に先ほど購入した串焼きから櫛を抜いて肉だけを乗せる。
肉は皿の半分、もう半分は野菜を乗せた。
「残さず食べろよ」
そう言って自分の串焼きを食べようとしたところでライがジッと紙皿の上に乗った昼食を見つめて動かない。理由は大体予想は着くが一応聞くとしよう。
「どうした。食べないのか?」
「主、人参とピーマンが入っています」
「そうだな」
「………」
「そんな目で見てもだめだ。好き嫌いをしていたら大きくなれないぞ。だが、そうだな。何かご褒美があった方が良いか。…よし、全部食べたら今度ライが好きな焼肉のたれを使った焼肉を用意しよう」
「本当ですか!?絶対ですよ。僕、頑張って食べますから約束ですからね」
潤んだ瞳で訴えてきたライに、頑張って食べた時のご褒美を伝えると嫌いな人参とピーマンを一生懸命食べだした。大好物の肉をうまく使って味をごまかしているようだ。
(ふ、ちょろいな)
(主よ。妾も食べたいぞ)
(セブンヴィ―ルは食べられないだろう)
(ふ、妾を誰と思っておる。800年前神具と互角に渡り合った伝説の武器セブンヴィ―ルであるぞ。その程度の事出来ぬわけがなかろう)
いや、武器としての性能と武器が食事出来るかは全くの別問題だと思うが…
「主よ。串焼きを所望するぞ。」
「ちょっと待て」
ベンチに立てかけていたセブンヴィ―ルが突然光ったと思ったら見た目8歳位の少女が座っていた。日にあたって七色に輝く髪が印象的な可愛らしい少女。
頭が追いつかずに呆然と見つめていると串焼きを要求されたので待ったをかけた。
すると突然目に涙をためて「なんで串焼きくれないの。お兄ちゃんの意地悪ううう」と泣き出した。
その声に休憩スペースにいた人々から「酷い兄貴だな」「あんな小さな子に酷いわね」とひそひそ声が聞こえてきたので泣き止ますために手に持っていた串焼きを差し出すとサッと一瞬で消えて、泣いていたことが幻だったかのように嬉しそうに頬張り「うううん。美味しいのう」と手足をばたつかせながら喜びを表現した。
(今聞いても答えは返ってこないだろうな)
実においしそうに串焼きを食べているセブンヴィ―ルを見ながら説明は食べ終えてから聞くことにして自分の食事をすることにした。
程なくして串焼きを食べ終えたセブンヴィ―ルに「どうして人型になれることを教えなかった」と聞くと「戦いには関係ないから教える必要はないであろう」と説明を受けた。
「まあ、良いではないか。それに主たちがおいしものを食べているのに妾だけ除け者など許せるわけがなかろう。ところで先ほど言っていた焼肉のたれとなんだ。焼いた肉に使うのはわかるがうまいのか?」
「美味い。僕の中では最高のご馳走だ!」
セブンヴィ―ルの問いに反対側にいるライが答えた。まあそれはあとだ。
足が届かないため足をぶらぶらさせながら話すセブンヴィ―ルにとりあえず10本入りの袋を渡して、ライには肉を追加してから自分の中で話しを整理することにした。
七宝具セブンヴィ―ル。七種の(・)武器に姿を変えることが出来る武器。
そう七種の(・)武器であって人の姿になれるとは知らなかった。
それに800年前から存在していたのか。全くもって摩訶不思議な武器だ。
視線を隣に座るセブンヴィ―ルに向けると実においしそうに串焼きを食べている。
この姿を見ていると武器とは誰も思わないだろう。
(やめよう。これ以上考えても頭が痛くなるだけだ。それより、もう少し商人らしい服装に変えるか)
その後お腹を満たしたライとセブンヴィ―ルを連れて服屋に立ち寄り、若手商人らしい少し質の良い服に着替えてから孤児院へ向かった。
◇
「すまない。マリアさんを呼んできてくれるかな」
孤児院へ到着すると見覚えのある子供達が孤児院の外で焚火をしながら芋を焼いていた。外で焼き芋が出来るぐらいには食糧事情が改善していることを内心喜びながらマリアさんを呼んできてもらうようにお願いした。しかし…
「お兄ちゃん。無償の善意を期待してはいけないよ」
「商人は笑顔の裏で獲物を狙う牙を隠しているって聞いたわ」
「普通。もう少し服はこだわった方が良いよ」
「まさか!孤児院へ立ち退きを迫りに来た悪徳商人!」
「食べ物くれないかな?」
無駄だった。
どこでそんな言葉を覚えてきたのか聞くべきか迷ったが聞かない方が良いと考えて、まずは話を進めるため以前使った手段を使うことにした。
俺はアイテムボックスからいちご大福を取り出し、笑顔を浮かべながら少しぽっちゃりした男の子に向って手招きした。
食べ物につられて動き出す男の子。
「ボブ、行くな!」
「もうすぐ芋が焼けるから我慢するのよ」
「綺麗な色をしているな」
「何悪徳商人が出した食べ物を観察しているのよ。ボブ行ってはダメ。帰れなくなるわ!」
仲間の制止を振り切ってやってきた男の子が「くれるの?」と聞いたので頷くと即座に手の平からいちご大福が消えた。そして、男の子がいちご大福を一口で半分食べた瞬間。
男の子はカッと目を見開いた。そして天に向かって身体をのけぞる。
「美味あああああい。なんだこれは!?もちッとした皮に甘さ控えめのあんこ。そして、この…お菓子の主人公は自分だと主張する赤い果物。赤い果物の甘さと酸っぱさが皮とあんこと合わさることで絶妙なハーモニーを織り成している!?これは一体なんなんだあああ」
天に問いかけるように叫ぶ男の子。
うん。俺も「君は一体何者なんだ」と聞きたい。とても10歳にも満たない子供のコメントとは思えない。
あっという間に食べ終えた男の子がいちご大福のなくなった手の平を寂しそうに見つめている。この時を待っていた!
「マリアさんを呼んできてくれたらもう1個あげ「イエス、ボス!」」
言い終わるよりも先に男の子は孤児院の中へと走っていく。
視線を正面に戻すと4人の子供が戦慄していた。
「ボブが買収された」
「大変よ。こちらの情報を相手は掴んでいるようだわ」
「あれは色や形だけではなく、味も良いのか」
「あんたも興味を持つんじゃないの。みんな気をしっかり持って、まだ負けていないわ!」
別に戦いに来たわけでも陥れるために来たのでもないのだがどうやら誤解されているようだ。こちらから何かすると子供達の警戒心を高めるだけと思って何もせずに待っていると孤児院から「早く、お菓子が待ってる!?」とマリアさんの手を引っ張りながら男の子が戻ってきた。
約束通り、マリアさんを連れてきた男の子に「ありがとう」といちご大福を渡すと両手で抱えて仲間と離れた場所に腰を下ろして今度は味わって食べ始めた。
他の子供達は男の子があまりにもおいしそうに食べるので、“ごくり”と唾を飲み込んだがいちご大福はマリアさんを呼んできてくれた彼への報酬だ。何もしていない子達に渡すことはできない。
「シンさんですか?」
マリアさんに突然名前を呼ばれた。咄嗟に返事をしそうになったが何とかこらえて初めて会った相手にするように自己紹介を行う。
「初めまして、暁信と申します。東方の国からやってきた商人です。本日はレイス商会から私が経営する暁商会に営業権が移譲されました。ご説明いたしますので少々お時間を頂けませんか?」
「シンさんですよね?今日は甲冑を着ていないのですけど。それで、レイス商会はシンさんの商会ですからシンさんの商会の営業権がシンさんの商会へ移譲されるのですか?」
「マリアさんが思っているシンさんと私は別人ですよ。こちらの良い方で言えば私の名前はシン・アカツキと言います。名前は同じですが全くの別人です。どうして同じだと思われたのですか?」
マリアさんには素顔を見せたことはないはずだ。
声も以前はマスクをつけていたから違う…はず。
現に子供達は気が付いていない。
どうして気が付いた?なにかばれる様な事をしただろうか?
だとしたら早く対策を取らないと致命的な事になりかねない。
「理由ですか?う~ん。そういわれるとうまく言葉に出来ません。顔を見たときにそうかな?と思ったのですが…本当にシンさんではないのですか?」
「………場所を変えて話しませんか」
「そうですね。折角来ていただいたのに立ち話もなんですから孤児院の中で話しましょう。どうぞ、こちらへ」
マリアさんはどうも信じてくれていないように見える。
しかし、見せたことのない顔を見て分かったのか?どうやって違うことを伝えるか困ったな。
その後マリアさんについて行くと孤児院の中にある個室へと案内された。
「私の部屋です。ここなら誰も来ません。少し汚れていますけどお茶を用意するので座ってお待ちください」
自分の部屋に初めて来た男を入れるのはどうかと思うがマリアさんは気にしないのか俺だけ残してお茶を用意するために部屋を出て行く。
俺以外誰もいない部屋へ視線を向ける。部屋の広さは6畳ぐらい。机と椅子、あとは足つきベッドだけが置かれた部屋。
ベッドの下に籠が並べられている。恐らく服や小物を入れているのだろう。
「少し汚れている」と言っていたがどこにも汚れている所は見当たらない。
毎日掃除をしていることが分かる。
(それにしても何もないな)
マリアさんの年齢ならもっと着飾ったり、高価な物を欲しがったりしてもおかしくないのに。部屋には女性らしさを感じる物が見当たらない。
「お待たせしました。粗茶ですが」
湯呑2つと手の平サイズの焼菓子が盛られた皿を乗せたお盆を持ってマリアさんが戻ってきた。
「どうぞ」と机に湯呑と皿を置いてから椅子を勧められた。
セブンヴィ―ル(宝杖形体)を机に立てかけてから椅子に座る。
「頂きます」
湯気の立つお茶を一口飲んでから皿に盛られた焼菓子を1つ摘む。
(乾パンか?)
見た目は少し大きな乾パンのような焼菓子。
ベッドに腰かけたマリアさんに「これは何ですか?」と訊ねると「食べてみてください」と微笑みを返されただけで名前は教えてくれなかった。
とりあえず、食べてみないと始まらない。
“サクッ”
乾パンだ。木の実が入っているためか以前炊き出しの際に出した乾パンよりもおいしい。
「以前炊き出しの時に用意して頂いた乾パンを真似て作ったのですがいかがですか?」
「美味しいです。以前お出しした乾パンは木の実を入れられてなか……」
マリアさんを睨むとクスッと笑ってから「すみません」と謝られた。
「やはり、シンさんでしたね。どうして別人のように振舞われたのですか?」
すでにマリアさんの中ではシン・レイス=暁信が確定している。
まさかこんなからめ手で来られるとは思わなかった。今日初めて会ったはずなのに以前あった時の話をするのは無理がある。この失敗を言葉で挽回するのは…無理だな。
(やってしまった)
(主よ。油断したのう)
セブンヴィ―ルの言う通りだ。油断していた。
焼菓子を使って確認されるとは思っていなかった。
どうする。口封じのために殺すか?ダメだ。そんなことをすればこの都市にいられなくなる。それにマリアさんは俺に何かしたわけではない。俺を殺そうとしたわけでも殺すことを手伝ったわけでもない。
もしもマリアさんを殺せば前世で俺や家族を殺した者達と同じになってしまう。
だからと言ってこのままだとシン・レイスと暁信が同一人物であることを知った人間を放置するのも不味い。どうすれば…
「なにか事情があるようですね。では、聞きません。話せるようになったら教えてください。それまでこのことは誰にも話さないとお約束します。ところで、先ほどの営業権移譲とはどういうことですか?」
「ありがとうございます。いずれマリアさんの耳にも入るかもしれませんが、今は聞かないでもらえると助かります。営業権移譲の話は…もうマリアさんをごまかしても無駄ですから簡単に言いますが寄付する商会の名前が変わるだけです。実質的には何も変わりません。ただ、これまで寄付していた商会ではなくなることについて調べる様な事はしないでもらいたい。それを伝えに来ました」
マリアさんが聞かないと言ってくれた時はほっとした。
それに「誰にも話さない」と言ってくれたので今すぐどうこうなる可能性はないだろう。
(だが、人の心は変わる)
何が原因で変わるかは人それぞれ。俺はマリアさんの事をよく知っているわけではないがこれまでの言動や仕草から信用は出来ると思っている。しかし、信頼できる関係ではない。
シン・レイスを殺せば魔神が願い事を叶えるという果実を聞いた時、マリアさんがどういう選択を取るかわからない。また、マリアさんが話さなくても彼女が何らかの情報を持っていると周囲が知れば巻き込むことになりかねない。
(ここを離れるべきか)
この都市を詳しく調べればジン講師の着ていた黒竜甲冑を着てシン・レイスが生活したことを知ることが出来る。シン・レイスという存在を表面上消すことはできてもこれまで接した人間全ての記憶から消すことはできない。
ならいっそのこと最初からこの都市を離れて別のところへ行った方が良いのかもしれない。
マリアさんのところに情報が届くまでまだ少し時間があるはずだ。準備だけはしておこう。
「そうでしたか。シンさんの商会が多額の寄付をして下さるようになってこの都市にある全ての孤児院で子供達が十分な食事を食べられるようになりました。本当にありがとうございます」
マリアさんはそう言って深く頭を下げた。
「頭をあげてください。少しでもお役に立てたのなら幸いです。店が続く限り寄付を続けていこうと思っています」
「ありがとうございます。ところで、いつまでそんな話し方をされるのですか?以前はそんな畏まった話し方はいませんでしたよ」
「そうだろうな。今回は第一印象で誠実な商人と思ってもらうために急いで取り繕っただけだ。付け焼刃であることは最初から分かっていたさ」
「不貞腐れないでください。それにしても、ふふふ、誠実な商人さんですか。確かに誠実な商人さんだと思いましたけど、もしシンさんだとわからなければ言われた内容を疑っていたと思います」
頑張って商人に見えるよう努力したのに子供達からは怪しまれるし、マリアさんには同一人物だと見破られて笑われると散々な結果に終わった。
「それで、これから炊き出し…にしては昼時を過ぎているか。何が良いかな。…少し寒いからあれにしよう。マリアさん、甘い食べ物を用意するから他の孤児院の子供達を集めてくれないか。それと各自お椀と匙を持ってくるように伝えて欲しい」
「ほんとですか!?ありがとうございます。早速他の孤児院の子達も集めてきますね」
花が咲いたような笑顔を浮かべたマリアさんが部屋を出て他の孤児院の子供を呼びに部屋を出て行った。自分の事にはあまり頓着しないようなのに子供達のことになるとまるで自分の事のように喜びながら出て行くマリアさんを見ていると自分の心が酷く汚れているように感じる。
(俺には信頼できる人がいない)
信用できる人はいる。しかし、信頼できる人がいない。
ルシアはもしかしたら信頼できる人と言えるかもなるかもしれないが奴隷契約を破棄した後どう行動するのか。もしかしたら出て行くかもしれないと恐れている自分がいる。
(自分で家族だといておきながら情けない)
細く長く息をつきながら椅子の背もたれに身体を倒して上を向く。
(よし、家に帰ったらルシアとの奴隷契約を破棄しよう)
時が経っても味のある天井の木目を見ながら決意する。恐れたところで何も変わらない。
自分から一歩踏み出すことから始めないと。
そこまで考えてから頭を切り替えてこの後の予定を確認する。
(あとはフォンテインさんに謝罪と協力を求めるだけか)
学園への紹介状を書いてもらったフォンテインさんに迷惑をかけたことへの謝罪とシン・レイスが自殺したように見せかける偽装工作の協力。
ただ、日が昇っている間はダメだ。城の門番にはシン・レイスの名前と顔が一致する人間がいる。正面から城へ入ろうとすると顔を見せなければならない。そうなればこの都市にシン・レイスがいることがばれてしまう。
(行くなら夜だな)
黒竜甲冑を着れば姿を隠して城内へ忍び込むことが出来る。
フォンテインさんの寝所は以前行ったことがある。
最初は警戒されるかもしれないが、顔を見せれば大丈夫だろう。
魔神が殺すように促したジン講師の正体がシン・レイスだと言われたとしても自殺していたことに出来ればジン講師の正体を知る人間がほんのわずかなため噂程度で処理される可能性が高い。
「シンさん。子供達を広場に集めています。何かお手伝いすることはありますか?」
長いこと考え事をしていたようだ。扉をノックして顔を出したマリアさんに「すぐ行く」と立ち上がって孤児院の外へ出ると広場を埋め尽くすほどの子供が集まっていた。
「すみません。お使いに行かせた子供達が孤児院以外の子供達も呼んでしまって」
「大丈夫ですよ。全員分用意できますから」
長机を取り出して、その上に魔法の寸胴鍋を置いて魔力を注ぐ。
今回作るのは漉し餡のお汁粉。画面に表示されたお汁粉には粒餡と漉し餡があったが今回は漉し餡のお汁粉にした。お汁粉には贅沢にも白玉と栗の甘露煮が入っている。
「さあ、並べ!全員分あるから喧嘩するなよ。マリアさん、子供達が喧嘩をしたら止めてくれ」
「わかりました。後ほどティーナ院長様や他の孤児院の院長の方々も来られますから協力して問題が起こらないようにします」
それから数時間休むことなくお汁粉を注ぎ続けた。当初は1時間ほどで終わると思ったのだがどこから噂を聞きつけたのか孤児院に入りきらない程の子供が集まって全員にいきわたるのに倍以上の時間を要した。
「兄ちゃん。手伝ったからお代わりくれ!」
「お汁粉、お汁粉、お汁粉」
「栗多めで」
「白玉いっぱい入れて!」
全員にいき渡ると列がスムーズに進むように協力した子供達がやってきた。
彼らは食べ終わった後に再び並んだ子供達だ。
全員にいきわたるまで手伝ったらお代わりを入れる約束をしていた。
お代わりをお椀に注ぐと子供達は走り去っていった。適当なところに座って食べるのだろう。最後にマリアさんやティーナ院長達の分を木製の椀に入れて、余った分は場所を提供してくれたこの孤児院の鍋に移し替えた。
ようやく一段落着いて用意してもらった椅子に腰かける。
「お疲れ様でした」
マリアさんが差し出したタオルを「ありがとう」と受け取り、額の汗をぬぐう。
立った状態でお汁粉を注ぐ作業を数時間続けたので肉体的というより精神的に疲れた。
マリアさんの背後からティーナ院長が幾人かの恐らく他の孤児院の院長を引き連れて歩いてくるのが見えた。
ティーナ院長がマリアさんの隣に並ぶと頭を下げた。
「初めまして私はこの都市の孤児院をまとめておりますサンティーナ・オペロスティンと申します。ティーナをお呼びください。本日は施しをして頂きありがとうございました。また、マリアから話は聞いております。シン・アカツキさんこれから宜しくお願い致します」
「たいしたことはしていません。こちらこそこれから宜しくお願い致します。よろしければ皆さんの分も取り分けていますのでどうぞ食べてください」
「いいのかね!子供達が食べているのを見て食べたいと思っていたところだ」
取り分けたお椀が並べてある場所を示すと孤児院の院長にしてはぽっちゃりした体型の男性がティーナ院長を差し置いて食べ始めた。
ティーナ院長は孤児院のまとめ役と聞いていたがこういった事にはあまり関係しないのだろうか?
「ダンテ院長。ティーナ院長を差し置いて何を先に食べている。それにまずは食べ物を提供してくださった方へお礼を言うのが先でしょう!」
ティーナ院長の後ろにいる痩身の男性院長が注意したことからお汁粉を食べているダンテ院長の行動は問題があるようだ。
「気にしていませんよ。それより冷めないうちに皆さんも食べてください」
「アカツキさんは若いのにしっかりされていますね。皆さん、折角ですから冷めないうちにいただきましょう」
ティーナ院長の言葉によって痩身の男性院長も怒りを表面上は沈めて、院長達と一緒にお椀を持って食べ始めた。
さて、用事も済んだし、お暇しよう。
「それでは私はこれで失礼します。今後レイス商会がしていたことは私の商会が引き継ぎますのでご安心ください」
「はい、今後ともよろしくお願いいたします。何かお手伝いできることがございましたらいつでも仰ってください」
「ありがとうございます。もしかしたらお願いすることがあるかもしれませんがその時はよろしくお願いします」
孤児院のまとめ役をしているティーナ院長はこの都市では有名な人らしい。
協力してくれるなら色々な事がうまく運ぶ。
とは言ってもこの都市に残る場合に限られるが。
「シンさん。また、来てくださいますか?」
「機会があればまた来ます」
マリアさんから別れ際に聞かれたことについて現状次にいつ来ることが出来るか確約することはできない。
孤児院を出て、南通りを北上する途中、俺はわき道に逸れて人通りの少ない細道に入る。
細道で絡んできた男達を気絶させてから奥に進み辿り着いた先は土がむき出しの空き地。
人気のない空き地の中央に辿り着くと子狼サイズのライが影から出てきた。
「主、43人です」
「わかった。ツヴェイヴィ―ル」
ライが牙を出していつでも動ける姿勢を取りながら周囲へ目を配る。
俺も宝杖から宝剣へセブンヴィ―ルの形状を変更する。
取り囲むように視線を感じる。気配からかなり腕の立つ者達だ。
それが43人。中央大陸大会での出来事がこの都市に届くにしては早すぎる。
それに届いたとしてもこれだけ腕の立つ者達を短時間に集められるだろうか?
先ほど別れたマリアさんの様子から誰かを刺客として差し向けたようではなかった。
もしそうであったのならこれから俺は女性を信用できそうにない。
だとしたら別の理由から俺を狙ったのか?情報が足りないな。
相手を見ることができれば詳細鑑定で確認できるのだが…
「出てきたらどうだ」
周囲に潜む者達に聞こえる声で話しかける。返事が攻撃の可能性を考慮してすぐに動けるように身構えていると前方の細道から「いつから気づいておられたのですか?」と黒ローブを羽織った腰まで届く桃色の髪が特徴的な20歳前後の女性人狼が姿を現した。
どうやら話を聞かずに一方的に襲ってくる相手ではないようだ。それなら詳細鑑定の結果を見る時間を稼ぐため話を長引かせよう。
「最初からだ。家を出た時からずっと見ていただろう」
「驚きました。さすが白銀の騎士ですね」
彼女は感嘆の言葉を口にしたがそんな事よりも言葉の中にあった『白銀の騎士』という単語から彼女が少なくとも中央大陸大会の出来事で来たわけではないことは把握できた。
そして『白銀の騎士』が見た目から言われたのだとしたら恐らく神龍甲冑の事だと思う。
となると神龍甲冑をこの都市で来たのは1度だけ数か月前の魔物襲来時だけだ。
マリアさんが関わっていないようで安堵すると同時にどう対処するか難しくなった。
恐らく目的は2つ。抹殺か勧誘。どちらにしても顔がばれているのはまずいが勧誘であれば交渉の余地が残されている。しかし、抹殺であれば面倒だ。
うん?彼女の履歴を見ていると気になる内容があった。
とりあえず読む時間を確保するため話を長引かせよう。
「白銀の騎士とはなんだ?」
「白銀の甲冑を身に付けた騎士からつけられたそうですが、白を切っても無駄です。あなたがこの都市に来た初日に連れていた狼と虎。魔物襲来時に一緒になって戦っていた狼と虎と同じであることは調べによってわかっています」
まさかそんなとことから正体を突き止められるとは思わなかった。
俺の正体がばれないように俺自身は気をつけていたがライとアイシャの事まで気を回していなかった。
「主、申し訳ございません」
「謝る必要はない。これは俺のミスだ」
自分の所為で狙われることになったとライは思っているようだが、ライとアイシャではどうしようもない。今回の事は俺の不注意が招いたことだ。今後気をつけるとしてこの場はどうやって収めるかべきか。女性人狼が俺の後ろに目を向けて頷くと腰に差した刀を抜いた。
「さて、準備が整ったようです。いまこの周辺で起きているのはあなた方と私達だけになりました。残念ですが死んで頂きます」
正面の女性人狼が言葉を言い終わった直後。
取り囲んでいた黒ローブを着た獣人達が姿を現し、様々な武器を持って襲い掛かってきた。
「ライ、1人も殺すな。ゼスヴィ―ル」
「?わかりました!」
ライに不殺を命じてから宝剣ツヴェイヴィ―ルから戦棍へと形状を変える。
【宝棍ゼスヴィ―ル】攻撃を当てた対象を即死又は気絶させることが出来る。ただし、効果発動中、即死させる場合は2ランク、気絶させる場合は1ランク分俊敏と器用が低下する。
低下幅がランク単位のためステータスが高い者ほど低下する値は大きくなる。だが、かすっただけでも効果がある。
気絶の効果を発動すると少し身体が重くなったように感じたが、この程度なら問題ない。
程なくして気絶した43人の獣人が空き地に転がった。
「さて、次は」
仰向けで気絶している女性人狼の隣で片膝を突いてから服の胸元を開く。
左手で巻かれているさらしを鳩尾まで下げると形の良い胸が露わになる。
右手を女性人狼の心臓がある場所の上に置き奴隷魔術を発動する。
女性人狼の心臓がある場所から赤い光を放つ魔方陣が浮かび上がり、右手を持ち上げると魔方陣も引っ張られるように身体から剥がれ、完全に剥がれたところで握り潰した。
“パリンッ”と音がなると魔方陣は粉々になって消えた。
「これで1人。次だ。ライ、気絶から目を覚ました者がいれば電撃を使ってもう一度気絶させろ」
「わかりました。全員奴隷なのですか?」
「そうだ。だから奴隷契約を解いてもう一度話しをする。その内容次第ではもう一度戦うことになる。油断するなよ」
1人でも逃がせば、自宅を襲われる可能性があることをライも理解している。
例え人狼でもライが本気になれば逃げきることは困難だ。
全員の奴隷契約を解いたところで、女性人狼の元へ戻ると目が開いていた。
ライに起きたことを気づかせないとはさすがだ。
感心しながら女性人狼の隣に腰を下ろす。
「起きていたのか」
話しかけると女性人狼は目を空へ向けたまま口を開いた。
「…私達は負けたのですね。尋問しようとしても無駄ですよ。尋問しようとするとその前に死にますから」
女性人狼は人生に疲れた生きる執着が感じられない表情で話す。
彼女の経歴を考えれば当然かもしれないが今のままだと奴隷契約を解いた意味がない
恐らく尋問をしようとした瞬間自害するように命令されていたのだろうが契約を消したことでその命令も無効になっている
奴隷契約が解かれていることは解かれた本人はわからないようだ。
「奴隷で無くなったらしたいことはあるか?」
唐突な質問に女性人狼はチラリと一度だけこちらを見たがすぐに元の空へ視線を戻した。
「奴隷であると知っていたのですか。…そうですね。奴隷で無くなったら帝国に獣人であるというだけの理由で奴隷にされた人達を助けたいです」
「俺を殺す任務は良いのか?」
「帝国の奴隷であれば命令に従わなくてはなりませんがそうで無いのなら私個人にあなたを殺す理由はありません」
「そうか。それが聞けて良かった」
俺の手が女性人狼の耳を揉むように撫でると「あっ」と驚きの声を出した。
やっと人らしい顔になった。ライにこうすると嬉しがるので同じようにしてみたが成功だったみたいだ。撫で続けると顔をまっ赤にして甘い吐息をするようになったためさすがに不味いと思い手を放すと「あっ」と今度は切なそうな声を出した。
女性人狼が妙に色っぽい雰囲気を醸し出しているがこのままだと話が進まない。
咳払いをして空気を変えるとすでに奴隷ではないことを伝えることにした。
「お前やここに転がっている者達の奴隷契約は解いていた。これからは好きに生きろ」
「……!?待ってください。どういうことか説明してください」
伝えることは伝えたので立ち去ろうと腰をあげたところで、慌てて起き上がった女性人狼に腕を掴まれた。どうやら説明しないと話してくれそうにない。
「俺は奴隷魔術を使える。それを使ってお前達の契約を解いた。だからお前達はいま奴隷ではない自由だ。これからは好きに……」
突然女性人狼が胸に飛び込んできた驚きによって言葉を続けることが出来なかった。
髪から香る匂いが鼻腔をくすぐる中、顔を下に向けると俺の胸に頭を押し付けてきた。
「本当ですか」
「ああ、本当だ」
「本当に、本当?」
「本当に本当」
それから言葉はなく、すすり泣く声が聞こえてきた。
(泣いているのか)
彼女は10歳の時に奴隷となった。それから約10年間奴隷として生きてきた。
その嬉しさは俺には想像もできない。泣き止みそうにないので女性人狼の頭を撫でながら落ち着くのを待つ。
しばらく経って泣き声が止み「落ち着いたか?」と聞くと彼女は無言で頷いてから後ろに下がった。
顔をあげた彼女の顔は目だけではなく、頬も赤くなっている。
奴隷でなくなった喜びの感情が抑えきれずに目の前にいた俺に飛び込んで泣いたことが恥ずかしかったのだろう。
「ようやく自由になった命、粗末に扱うなよ」
先ほど奴隷で無くなったらと聞いた時に他の獣人を助けると言っていた。
折角自由に生きられるようになったのにすぐに散らすようなことはしてほしくない。
最後に頭を軽く数回叩いてからライに「行くぞ!」と声を掛けて歩き出そうとしたとき「待ってください!」とまた止められた。
今度はなんだと思い振り返ると勇気を振り絞り叫ぶように「責任取ってください!」と言われて「は?」と思わず面食い間抜けな声を出してしまったのは仕方がないと思う。
(主よ。恐らく耳を触った責任だと思うぞ。人狼族の仕来りで未婚女性人狼の耳に触ってよいのは家族以外だと夫か婚約者だけと決まっておる。ちなみにそうで無い者が触った場合殺されても文句は言えんし、家族以外で最初に触った者を夫に出来なかったら一生結婚できずに生涯を終えねばならん。可愛そうに主が責任を取らねば、あの娘は女の幸せを経験することなく生きることになるのう。もしかしたら自殺するかもしれん。これでは奴隷契約を解いた意味がないのう)
(知っていたなら触る前に教えろ)
(ま、待て。主よ、それはいかん。主の力であれば折れずとも曲がる。それに主が相手に聞かずに触るのが悪い。女性に許可なく触ったのがそもそもの発端であろう!)
戦棍を地面に置き柄の中心を左足で踏み、両端を持ってへし折ろうとした段階になって自らの状態に危機感を覚えたセブンヴィ―ルが必死に言い募る。
セブンヴィ―ルが言っていることが正論であることはわかるため、一度深呼吸をしてから手を放すと人型になってライの元へ逃走した。
(さてどうしたものか)
俺とセブンヴィ―ルの会話が聞こえない女性人狼は突然自らの武器を折ろうとする俺の行動に目を白黒させていたが、セブンヴィ―ルが人型になって逃げる姿を瞠目しながら見ている。
セブンヴィ―ルの言ったことが正しければ、俺は目の前の女性の人生を奪ってしまったことになる。だが当事者以外に耳を触ったことを知っている者はライとセブンヴィ―ルだけ俺達が黙っていればなかった事に出来る。
「シン様。私達の奴隷契約を解いてくださったのは感謝しております。しかし、私の耳を触られた責任を取って頂きます」
「ひ、姫様それは真でございますか!?」
女性人狼が奴隷からの解放してもらった感謝の言葉と耳を触られたことに対する責任の話をすると運の悪いことにその内容を気絶から覚めた襲撃者の1人が聞いてしまった。
ライは何をしているのかと言うと逃走したセブンヴィ―ルに抱き着かれて身動きが取れない状態にある。
(終わった)
内輪で解決できなくなった現実を突きつけられて俺は逃れられない現実を悟った。
その間にも次々と気絶していた者達が起き出している。
これは腹をくくるしかない。
「わかった。責任はとる」
言った直後女性人狼が抱きついてきた。頬を赤く染め柔らかな笑みを浮かべている。
いまの表情からは先ほどの非難するような感情は感じられない。
「黒咲椿です。椿と呼んでください。これから末永くよろしくお願いします」
ため息をつきたいのを必死にこらえる。
(なぜこうも嬉しそうにしているのか俺には理解できない。今さっきまで殺そうとしていた相手だぞ)
内心の想いを表に出すことはしなかったが現実を冷静に分析する。
椿についてだが名前だけ見ると日本人と思うだろうが彼女は転生者でも転移者でもない。遠い昔に転生した日本人の子孫だ。
そして、帝国に滅ぼされた獣人の国で唯1人生き残ったお姫様。
しかし、人族至上主義を掲げる帝国では王族だろうと平民だろうと関係ない。
椿は帝国の獣人奴隷で構成された部隊獣爪へ入れられた。常に前線に送られて優秀な年長者が死んでいく中、実力を考慮されて若くして隊長に任命されている。
彼女が隊長に就任してからの死亡数・率ともに過去最低。部下からの信頼も厚い。
と波乱万丈な人生を歩んできた女性が暗殺対象の妻になろうとしているのに反対する者が1人もいないのはなぜだ。
むしろ、喜びを露わにする者やうれし涙を流す者がいる。
そんな中、1人の白髪の老人が近づいてきた。老人の動きは洗練されて、全くよどみがない。
かなりの実力者だと一目でわかるが確かライに一瞬で気絶させられていたような…
「シン様、私は黒岩源蔵と申します。どういう理由かは存じませぬが我らを奴隷から解放してくださり、また、姫様に女性の幸せをお与えくださったこと心よりお礼申し上げます。我々一同、これよりあなた様にお仕えいたします。どうかこれからよろしくお願いいたします」
「黒岩さん。ちょっと待ってくれ。椿については責任を取ると言ったがそれがどうしてあなた方が仕えることにつながるのか教えて欲しい」
「シン様。私の事は源蔵とお呼びください。シン様の実力は先ほど拝見いたしました。そして殺そうとした者も救ってくださった優しさ、姫様が嫁ぐ相手として十分な素質をお持ちと我々は判断しました。ここに居る者は皆姫様のために命を捧げると誓いを立てております。姫様が嫁がれるのであれば我々もシン様に今後お仕えしたいのです。よろしくお願いいたします」
「「「「「よろしくお願いいたします」」」」」
源蔵さんが頭を下げると他の者達も一斉に頭を下げた。
「シン様、私からもお願いします。彼らはこれまで私を支えてくれた者達です。皆優秀な者ばかり、必ずお役に立てるはずです」
確かに彼ら全員のステータスが中央大陸大会で見た獣人族の講師と比較して1ランク高い。それに諜報能力に優れた人材を多数手に入れるメリットは計り知れない。
「わかった。お前達を部下として迎える。そして、うちの商会は福利厚生に力を入れている。部下として迎える以上。お前たちが安心して仕事が出来るようにお前たちの家族を帝国から連れてくることを約束する」
「福利厚生?はよくわかりませんが、彼らの家族を助け出して下さるのですか!?」
「ああ。だが数日待て、先にしなければならない用事がある。それまでは源蔵、この金で住むところを確保しろ。あとは…そうだった。一番肝心な事を聞いていなかった。お前達以外に俺の存在を知っている者はいるか?」
源蔵に金の入った革袋を渡してから、最も大切な情報を聞く。
「いいえ。シン様と白銀の騎士が同一人物だと知っているのはインヴァザオ帝国では私達だけです。数日前。北部公爵領で何万という帝国兵が消滅した影響により帝国の諜報員たちは慌てた様子で私達だけを残してイレミア皇国の皇都へ戻っていきました。その後にシン様と白銀の騎士が同一人物だと判明しましたので帝国で知っている者は他にいません。しかし、この都市にいる領主お抱えの諜報員がシン様の自宅を見張っていることから領主は知っていると考えてよいかと。本日もおりましたがシン様が南通りへ入られるときに眠って頂きました。ご安心を殺しておりません」
領主お抱えとなると俺の正体を知っていてもおかしくない。理由はどうあれこれまで何もしてきていないことを考えると放っておいていいだろう。殺していなくて助かった。さすがにお抱えの諜報員を殺されて、殺した諜報員を雇っていると知れたらフォンテインさんとの関係が悪化しかねない。
なにより椿達以外にはまだ情報が広まってなくてよかった。
今日中に話を進めれば間に合う。そう考えると情報収集が得意な椿達を引き入れることが出来たのは大きい。
「そうか。領主お抱えの諜報員は放置で良い。連絡は…彼ラバロン4(フォー)に伝えてくれ」
自宅周辺にいる領主お抱えの諜報員との要らぬ衝突を防ぐため連絡要員としてオートマタ創造によって新たに作ったランドバローを同行させることにした。
「頼んだぞ」
「了解」
これでこの場ですべきことは全て終わった。
椿以外の元獣爪の構成員を解散させてようやく一息つくことが出来た。
「そろそろ暗くなるから。急いで帰るぞ」
「はい、シン様」
椿が頬を紅く染めながら遠慮がちに左腕に抱き着いた。
これくらいは良いかとそのまま帰路に着く。
(主。いまから言い訳を考えておいた方が良いですよ)
道中ライが影の中から何かの予言めいた事を言ったが理由については黙秘を貫いた。
ライがなぜそんなことを言ったのか。それが分かったのは自宅前に到着した時だった。
◇
「お母さん。私知ってるよ。この状況修羅場っていうんだよね」
「いま大事な話をしていますからサンはこちらにいらっしゃい」
「はーい」
サンちゃんがアンさんに連れられて2階へ上がっていくのを見送り、俺は正面に座るルシアに視線を戻す。ルシアと目を合わした瞬間ゾクッと背筋に寒気を感じた。
微笑んでいるのだが目から感情が読み取れない。完全なポーカーフェイス。
(シン様、事情は分かりましたがこれまでシン様が家におられない間この家を守り、今日もシン様が無事に帰られるのを心配しながら待っていたルシアに対してあまりにもひどい仕打ちだと私は思います)
アイシャの非難する言葉に対して俺は何も言い返せない。
俺達が自宅前に到着した時、ルシアが俺の帰りが遅いことを心配した玄関を出たところでばったり出くわした。
その時、俺は前世であった一幕を思い出した。
あれは俺がまだ小学生の時、家族3人で都市へ買い物に行った時の事。母さんがお手洗いに入っている間、外で待っていた父さんと俺は目の前で若い女性が同い年位の男達3人に絡まれていた。「信、お前は右の1人をやれ」と父さんに指示されたので指示された男の足元を蹴り飛ばし、尻餅をついて丁度いい高さになったところで顎先に拳を叩きこんで脳震盪で倒したところで父さんを見るとすでに男2人は地面に倒れていた。さすがと感心していると助けられた女性が普通の女性よりも豊かな胸で父さんの腕を挟むように捕まえて話しかけた。どうやら一目ぼれしたようだ。まだ30代の父さんは20代前半の女性に言い寄られて鼻の下を伸ばしていたがそれをお手洗いから戻ってきた母さんが目撃した瞬間。俺はこの世で一番怖いものを見た。その後若い女性は泣きながら走り去り、残された父さんは蛇に睨まれた蛙状態だった。
その時の母さんの目と出くわした直後のルシアの目がそっくりだった。
前世ではその後母さんは父さんと口も聞かなかったし、父さんの食事だけ素材の味をそのまま味わう料理?が出された。父さんは毎日のように土下座して許しを請うたが許してもらえなかった。
それから何日か経ったある日。帰宅すると普通に話をするようになっていたし、食事も調理された物が出されるようになった。何があったか聞いても母さんは笑顔を浮かべて話してくれず、父さんに至っては顔を赤くして視線逸らして話をはぐらかされた。
(あの時に父さんが許してもらえた理由を聞いておけばよかった)
過去の出来事を思い出し、他人の失敗から学ぶことの大切さを教えられた。
さて、意識を現在に戻そう。隣に座っている椿はルシアより年上のはずだが委縮している。
「椿さん」
「は、はい。なんでしょうか。ルシアさん」
なぜだろう。2人の背後にそれぞれ牙を見せながら襲い掛かろうとする虎と震えて逃げ腰の鹿が視える。
「あなたはシンの事をどこまで知っているのですか」
「どこまで…ですか?」
「はい、単刀直入にお聞きします。あなたはシンが神と戦うことになっても神と戦えますか」
「神ですか?私の先祖は世界を滅ぼそうとした神と戦ったと聞いたことがあります。私自身に神と戦う力があるとは思いませんが、シン様の敵なら例え神とでも戦う覚悟です」
椿は曇りのない瞳で迷いなく言い切った。まさかそこまでの覚悟をしていることに俺は驚いたが、それはルシアも同じだったようだ。
そして、ちらりと俺を見てから再び視線を椿に戻してから目を閉じてゆっくり息を吐いた。
目を開いたルシアはなにかを諦めたかのように「そうですか」と呟いてから「それなら私から言うことは何もありません」と席を立って2階の自室へと歩き出した。
2階へと消えていくルシアの背中は小さく儚いものに見えた。
このまま何もしなければ大事な物を失う気がしたルシアの後を追うこと決める。
「椿。すまないがこの家の事はアインとヘレナから聞いてくれ」
「シン様にとってルシアさんは何ですか?」
立ち上がった俺の腕を掴んで訊ねる椿に「家族だ」と即答する。
「…そうですか。私はシン様にとってご迷惑な存在ですか?」
不安なのだろう俯いて話す椿の耳を優しく撫でる。毛並みが良いためいつまでも触っていたい誘惑にかられる。
「心配するな。椿を蔑ろにすることはない。だが、ルシアも大切な家族だ。行かせてくれないか」
誘惑を振り切って椿に手を放してくれるように説得する。
自分を捨てることはないと信じてくれたのか頬を赤く染めた椿は小さく頷いて腕を離してくれた。
アインとヘレナに後を頼み、ルシアのいる部屋の前に辿り着き、深呼吸をしてから扉をノックする。
返事はない。「ルシア、入るぞ」と扉の中にいるルシアに声を掛けてから鍵のかかっていないドアノブを回して扉を開く。部屋の照明はついていない。すでに日は暮れ、窓から入る淡い光が膝を床に突き、ベッドの布団に伏せるルシアの後ろ姿を照らしている。
無言で近づき伸ばせば手が届くまでたどり着くと、片膝を突いて「ルシア」と名前を呼んだ。ルシアはビクっと肩を震わせるがそれ以上の反応はない。
完全無視ではないことに安堵してから口を開く。
「ルシア、こっちを向いてくれないか。話をしよう」
優しく落ち着いた声で話すことを心掛けて話す。
話しかけてから答えが返ってくるまで待ち続けると。しばらくしてルシアはベッドから身体を起こすところまで状況が進展した。
あと一歩。そう思った時だった。
「振り向かせたいなら命令してください。私は…私はあなたの奴隷なのですから」
ルシアの答えを聞いて酷く胸が締め付けられるような痛みに襲われた。
奴隷…か。家族だと、一緒にいると言ってくれた相手との間にある奴隷契約という壁が目に見える形で現れたように感じた。他人を信じ切れない自分が作り出した壁。
壁を壊す力は俺だけが持っていながらこれまで振るうことを躊躇い続けた結果が今目の前にある。
「ルシア、そのままでいい。俺の昔話を聞いてくれないか」
「聞いてくれ」と言いながら、自分が誰かに話したかっただけなのかもしれない。
返事はない。それでも俺は話し始めた。
俺がまだ日本人で合った時の事。親族に両親や祖父が殺されたこと、1人になって激変した周囲の環境と彼女に殺された事。そのことが切っ掛けで人を心から信じることが出来なくなった事。
一部大切な記憶が無くなっているような気がするダンジョンの話やこの世界に転生してからルシアに出会うまでの話を終えた時にはルシアはこちらを向いて泣いていた。止めどなく流れる涙。自分の事のように悲しんで泣いてくれる姿を見て俺は覚悟を決めた。
「俺は他人を信じることを恐れていた。だが、このままだと前に進めない気がする。だから…ルシア、俺は君との奴隷契約を破棄する」
言った直後パリンッとルシアの胸から何かが砕ける音が聞こえた。
目を見開いて涙を流しながら驚くルシアの顔が可笑しくて自然と笑顔が浮かぶ。
椿達とは違い。奴隷契約を結んでいる主人側は意思を持って契約破棄を口にすれば、その瞬間契約を破棄することが出来る。
元々帰宅後に契約を破棄する予定だったがこんな状況ですることになるとは考えていなかった。
(これでいい。どういう結末を迎えるにしても今回の行動に後悔はない)
縛り付ける物が無くなった以上、これからのルシアがどんな行動をしても命令によって止めることはできない。
出ていく事を選ぶかもしれない。ルシアには空を飛ぶための羽があるのだから。
「もう、俺は主人ではない。ルシアは奴隷ではない。だからこれからいうことはお願いだ。ルシア、これからも一緒にいてくれないか?」
言葉を投げかけるとルシアは俺の頭に腕を回し、自身の胸に引き寄せた。
顔を包む柔らかな感触に心までも包まれるような気がした。
服の上からでもわかるルシアの心臓の鼓動が俺に安心感を与え、身体から余分な力を抜き、心を軽くする。
「私は貴方に一生を捧げます」
バサッと音が聞こえてから全身を温かい何かに包まれた。
「今朝お話した神皇戦争の事で1つ言っていないことがあります。神は天人族が味方に付いた時あるスキルを使わせました。それは1人の天人族が一生に一度しかできないスキルです。それによって、ほとんどの天人族は神の命令に従いました。恐らくシンが天人族を神兵と勘違いした理由だと思います」
ルシアが話す内容を聞いていると身体だけでなく、心もつながるように感じた。
なにか見えない紐で結ばれていくような感覚。
「『生命奉納』」
ルシアがスキルの名前を口にすると同時に俺の中に何か、とても温かい何かが入ってくるのを感じた。
頭に回されていた腕がほどかれ、全身を包んでいたものが開いたので顔をあげると微笑みを浮かべるルシアの背中から純白の羽が生えていた。
その姿はまるで神話に出てくる天使のように美しいと思った。
「何か身体に異常はありませんか?初めて使うのでうまくできたでしょうか?」
右手を胸の中心に置いて心配そうに聞くルシアに詳細鑑定を使う。以前見たステータスには今言ったスキルはなかった。しかし、今は灰色になって使用できなくなっているが特殊スキルの欄に【生命奉納】というスキルが確かに存在している。他にも能力値が上昇して、スキルも増えている。以前との違いは羽があること。
天人族本来の姿はこちらなのだろう。
そして、ルシアが使用した生命奉納の説明を読み絶句した。
【生命奉納】:一生を捧げると決めた相手に自らの生命を捧げることで捧げた相手への思いの強さによって全能力値が上昇する。代わりに捧げた相手は自分の命を自由にすることが出来る。一度捧げると取り消すことは不可。また、相手が呼び出したらどこにいても即座に召喚される。
これでは奴隷契約を破棄した意味がない。
「ルシア、なぜこんなことを…」
「私はシンを絶対に裏切らない。その証を示したかったのです。椿さんへの対抗心もありましたけど。さっ!下に降りて食事の準備をしましょう」
突然ルシアが立ち上がると背中に生えた純白の羽が細かな透明な結晶となって空中に霧散した。途中うまく聞き取れない部分もあったがルシアの気持ちはよく分かった。
今は以前にもましてルシアの事を愛おしく思えた。
俺も立ち上がると満面の笑顔と曇りのない瞳を向けるルシアの腰に手を回して引き寄せた。唇を重ねたことに当初驚きの表情を浮かべたルシアだったが時が経つごとに身体の緊張がほぐれて次第に自分から求めるようになった。
それからしばらく経ってから階段を降りるとリビングでは椿とセブンヴィ―ル(人型)がアンさんとサンちゃんと談笑していた。ライとアイシャは隅で仲良く寝ている。
どうやら俺達が降りるまで夕食を食べるのを待っていたようだ。
「待たせてすまない」
謝りながら近づくとアインが椅子を引いて「どうぞ」と新しい俺の席を示した。
アインとヘレナが気をきかせたのか机が6人掛けの長机に変わっている。
俺が座ると右側に椿が座っており、左側にルシアが座った。
向かいにはアンさんとサンちゃん、セブンヴィ―ルが座っている。
「話は終わったのですね」
「椿さん、先ほどは失礼な態度をとってしまい。申し訳ありません」
「気にしていません。突然押しかけるようになった私が悪いのです。これから仲良くして頂けますか」
「はい、もちろんです。よろしくお願いします」
「さあ、話は終わったようだし、食事にしよう」
その後アインとヘレナが料理を並べ始める。机からはみ出しそうな程豪勢な料理。
どうやらアインとヘレナなりに椿を歓迎する気持ちを込めて作ったらしい。
椿はアンさんとサンちゃんとも仲良く話が出来ている。
椿の寝る場所はルシアが今寝ている部屋にベッドを追加することで対応するとして俺の寝るところがないが当分は鍛冶部屋のベンチで横になればいいか。
こうして椿は無事迎え入れられて夕食は終わり、新たにベッドを設置して黒竜甲冑に着替る。
家を出る直前。見送りに来たルシア達に「行ってくる」と言ってから姿を隠し、夜に紛れて城へ向かった。
お読みいただきありがとうございました




