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完結まで全話書き上げ済のため、夜に複数話投稿していきます。
第三管理室の扉を開けると、最初に気づいたのはノアだった。「あ、リーゼさん。財務局の書類――」
その後ろにいるアデラインを見て、声が止まった。
セレフィナも顔を上げた。次の瞬間には椅子から立ち上がっていた。
「アデライン様」
その声に、リーゼは少し驚いた。
セレフィナが誰かに対してこんなふうに立ち上がるところを、これまでほとんど見たことがなかった。普段、別部署の責任者が来ても椅子に座ったまま応対することがある人なのに、アデラインには自分から数歩近づき、きちんと礼まで取っている。
「本日はどのようなご用件で」
「この子の上司は誰?」
挨拶を返すより先にアデラインが尋ねた。セレフィナの表情がわずかに固まった。
「リーゼさん、でしょうか」
「ほかに誰がいるの」
「直属の指導は私が担当しておりますが、第三管理室の責任者はベネディクトです」
「そう。その方は?」
「今、別室におりますが……失礼ですが、何かございましたでしょうか」
「呼んで」
短く言われて、セレフィナは一瞬黙った。
「かしこまりました。ノア、お願いできる?」
「はい」ノアが部屋を出ていく。
アデラインはその間にリーゼを椅子へ座らせようとした。
「いえ、私は大丈夫です」
「座って」
「でも、この書類を財務局へ――」
「それもあと」
「今日中なんです」
「だから何?」
そこまで言われて、リーゼは仕方なく座った。セレフィナが二人を交互に見た。
「リーゼさん、お知り合いだったの?」
「以前、勤めていた商会で――」
「そんなことより」アデラインが遮った。
「この子、全身に発疹が出てるの」
「発疹?」
セレフィナは初めて気づいたようにリーゼを見た。
「あら。本当」
その反応が、アデラインには意外だったらしい。
「気づいてなかったの?」
「申し訳ありません。先ほどまで普通に仕事をしていましたので」
「普通に?」
「はい」
セレフィナはリーゼへ視線を移した。
「リーゼさん、体調悪かったの?」
「少し痒みがあるくらいで」
「だったら言ってくれないと困ったように眉を下げる。
「私たちにはわからないでしょう?」
言われてみれば、そうだった。発疹が出たのは今日だし、リーゼ自身もさっきまで大したことだと思っていなかった。セレフィナが知るはずもない。
「申し訳ありません」
口にした途端、「ほら」アデラインが言った。
リーゼは顔を上げた。「何がですか?」
「どうして今、この子が謝るの?」
セレフィナが少し黙った。
「いえ、私は別に謝ってほしいわけではありません。体調が悪いなら早めに言ってほしいという話をしているだけで」
「でも謝ったわよ」
「それはリーゼさんが――」
そこへノアが戻ってきた。「ベネディクトさん、すぐ来るそうです」
「ありがとう」
セレフィナはそう言ってから、アデラインへ向き直った。「リーゼさんは少し、何でも自分で抱え込んでしまうところがあるんです。私も以前から、もっと周囲を頼るようにと言っているのですが」
「ああ、それは僕も思います」ノアがすぐに加わった。
「リーゼさん、真面目なんですよ。僕も結構フォローしてるんですけど、何でも自分でやろうとしちゃうから」
アデラインがノアを見た。「あなたは?」
「ノアです。同じ第三管理室の」
「そう」
それだけ言って、アデラインはリーゼを見た。
「今日中の仕事、あと二つあるって言ったわよね」
「はい」
「この書類以外に?」
「はい」
「何?」
リーゼが答えるより早く、セレフィナが口を挟んだ。「ああ。それでしたら、今日中とは言いましたけれど、無理をしてまでやれという意味ではありませんよ」
リーゼは顔を上げた。「ですが、先ほど今週中に遅れを戻すようにと――」
「リーゼさん」声が少し変わった。
聞き慣れた声だった。
「そうやって一部分だけ切り取って話すの、やめよう?」
「……」
「私が言ったのは、休んでいた間に遅れた分をなるべく早く戻しましょう、という話でしょう? 体調が悪いのに無理をしろなんて、私は一度も言ってないわよ」
確かに、そういう言葉では言われていない。
「はい」
「それに今日の案件だって、優先順位は自分で考えてって言ったでしょう?」
「はい」
「だったら、体調が悪いなら自分で調整すればいいのよ。そこまで私が一つ一つ指示しないといけないの?」
話しているうちに、いつの間にかリーゼの判断力の話になっていた。「申し訳――」
「謝らない」アデラインに止められた。
口を閉じる。
ちょうどそこへベネディクトが入ってきた。「お待たせしました。アデライン様がお見えだと聞いて」
「あなたが責任者?」
「はい。第三管理室長のベネディクトです」
「この子、発疹が出てるけど」
「ああ……」ベネディクトはリーゼを見た。「大丈夫?」
「はい」
答えてからアデラインを見ると、ものすごく嫌そうな顔をされた。「大丈夫じゃないそうよ」
「そうなんですか?」
ベネディクトは今度はセレフィナを見た。「セレフィナ、どういう状況?」
リーゼは一瞬、何を聞いたのかわからなかった。
自分が目の前にいる。体調を聞くなら、自分に聞けばいい。けれどベネディクトはセレフィナを見ていた。
「リーゼさんが少し仕事を抱え込みすぎているみたいです」セレフィナは淀みなく答えた。
「私もノアも、もっと周囲を頼ってほしいと言っているんですが、本人が何でも自分でやろうとしてしまうので」
「なるほど」ベネディクトは頷いた。
「リーゼ、無理しちゃ駄目だよ」
「……はい」
「何かあったらちゃんと相談して。僕たちだって、言ってくれなきゃわからないから」
相談ーその言葉を聞いて、以前ベネディクトへ持っていった担当一覧を思い出した。あのときも相談した。大変なのはわかる、と言われた。
セレフィナはまだ余裕があると言っている、とも言われた。結局、仕事は一つも減らなかった。
「はい」それでも返事をした。
アデラインはしばらくベネディクトを見ていた。
「あなた、この子から仕事が多いって相談されたことは?」
「え?」
「ないの?」
ベネディクトの目が泳いだ。
「ああ、以前、一度相談はありました。ただ、当時はまだ対応可能な範囲だと聞いていましたので」
「誰に?」
「セレフィナです」
「本人じゃなくて?」
「もちろん本人からも話は聞きましたよ」
「それで、セレフィナに聞いたの?」
「ええ。現場を一番把握していますから」
アデラインがゆっくりセレフィナを見た。
セレフィナは姿勢を正した。「私としては、当時の業務量であれば十分対応可能だと判断しました。実際、リーゼさんは期限内に対応できていましたので」
それは、毎日遅くまで残ったからだった。口に出そうとして、やめた。今言えば、残業しなければできなかったと言い訳しているように聞こえるかもしれない。
アデラインがリーゼを見た。「何時まで働いてたの?」
なぜわかったのだろう。「日によります」
「昨日は?」
「……十九の鐘くらいです」
「一昨日」
「同じくらいです」
「その前は?」答えに詰まった。
セレフィナが困ったように笑った。「リーゼさんは少し時間の使い方が苦手なところもあるんです。私も、残業することが頑張っているということではないと何度か――」
「ちょっと待って」アデラインが手を上げた。
「仕事が多いと相談された。あなたは対応可能だと判断した。その根拠が、実際に期限内に終わっているから。だけど本人は毎日遅くまで残って終わらせていた。そういう話?」
セレフィナの口元が固まった。「それだけではありません。ノアもフォローしていますし」
「何を?」
今度はノアが見られた。「え?」
「あなた、この子をフォローしてるんでしょう? 何を担当してるの?」
「いろいろです。資料を見たり、確認したり」
「今、あなたが持ってるリーゼの案件は?」
「持ってる?」ノアがセレフィナを見た。
「そういう意味ではなくて、チームとして支えているということです」セレフィナが代わりに答えた。
アデラインは少し黙った。
「そう」それ以上追及しなかった。
なぜか、その「そう」が一番怖かった。
「とりあえず、この子は治癒院へ連れていくわ」
「もちろんです」ベネディクトがすぐに頷いた。
「リーゼ、今日はもう帰っていいから。ゆっくり休んで」
「でも、財務局へ届ける書類が」
「僕が行きますよ」ノアが手を伸ばした。
「こういうときは頼ってください」
リーゼは書類を渡した。「お願いします」
「任せてください」いつもの笑顔だった。
部屋を出ようとすると、セレフィナが呼び止めた。
「リーゼさん」
振り返る。
「明日は無理しなくていいからね。体調を見て、自分で判断して」
一見、とても優しい言葉だった。
「はい。ありがとうございます」
廊下へ出て、扉が閉まった。アデラインはしばらく何も言わなかった。
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