第八話
その冬、リーゼは一度、高熱を出した。朝から身体が重かったが、月末で処理する仕事が多かったので出勤した。昼を過ぎたころには立っているのも辛くなり、同僚に顔色を指摘されて、ようやく治癒院へ行った。
熱が高い。一週間は休むようにと言われた。
「一週間ですか」思わず聞き返した。
「最低でも」
「仕事があるのですが」
治癒師に呆れた顔をされた。「熱がある人間を働かせる仕事なら、職場の方がおかしい」
診断書をもらった。第三管理室へ提出すると、セレフィナから返信が来た。
『了解しました。無理せず休んでください』
少し安心した。
二日目の昼、魔導通信器が鳴った。ノアだった。
『休んでるところすみません。北部商会の件なんですけど』
「共有記録に残しています」
『見たんですけど、ちょっとわからなくて』
「どこでしょうか」
そこから一時間ほど説明した。終わったあと、また眠った。
翌日はセレフィナだった。『この案件、どこまで進んでるの?』
「進捗一覧に記載しています」
『一覧だけじゃわからないから聞いてるの』
説明した。
四日目はノア。
五日目は別の案件についてセレフィナ。
六日目にはベネディクトから、『体調どう? 無理しないでね。それと、時間あるときでいいんだけど、この商会の過去条件わかる?』と連絡が来た。
一週間休んだ。けれど、仕事から一週間離れた気はしなかった。
復帰した朝、机の上に書類が積まれていた。
一週間分だった。「これは……?」
ノアが顔を上げた。「ああ、リーゼさんの案件です」
「対応していただけなかったのでしょうか」
「下手に触って違ってたら困るじゃないですか」悪びれずに言われた。
「共有記録に手順を書いてあります」
「でも、リーゼさんの方が詳しいし」
その横でセレフィナが言った。「まあ、休んでた分だから。今週中には遅れを戻してね」
「今週中ですか」思わず聞き返した。
ため息が聞こえた。「また、できない理由?」
「いえ。一週間分ですので、通常業務と並行すると難しい可能性がありまして」
「だから、最初から無理って決めないで」
「では、優先順位を確認させてください」
「それくらい自分で考えてよ」
「……はい」
その日の夕方、ノアが書類を一つ持ってきた。
「これもお願いします」
「こちらはノアさんの担当では?」
「僕、今ちょっと別件が立て込んでるんで」
「私も復帰したばかりで、一週間分が残っているのですが」
「じゃあ、お互い大変ですね」
机に置いていった。リーゼはその書類を見た。何か言わなければと思った。けれど、何と言えばいいのかわからなかった。
数日後、セレフィナから別の案件を渡された。
かなり大きな案件だった。
「これ、今週中にお願い」
資料を見て、リーゼは顔を上げた。「こちら、数か月前から進んでいる案件ですよね」
「そう」
「私が引き継ぐということでしょうか」
「お願い」
「今週中に何を完了すればよろしいでしょうか」
「全部」
聞き間違いかと思った。
「今週中に、ですか?」
「そうだけど」
「現在の進捗を確認してからでないと判断できませんが、既存案件の締めもありますので、すべては難しいと思います。どちらを優先すれば――」
大きなため息。「またそれ?」
「……」
「リーゼさん、復帰してからずっと、できない理由ばっかり言ってない?」
「そういうつもりではありません」
「じゃあ、どうしたらできるか考えて」
「まず現状を確認します。ただ、既存案件との優先順位だけは――」
「自分で考えてよ。それくらい」
それ以上聞けなかった。資料を持って席へ戻った。中を確認すると、思っていた以上に止まっていた。
数か月前に商会から質問が来ている。返答されていない。
工房への確認も途中。
条件も決まっていない。
どうして今まで止まっていたのだろう。
過去の通信を追うと、最後に対応していたのはセレフィナだった。
そこまで見て、リーゼは画面を閉じた。
考えてはいけないことを考えた気がした。自分が休んでいたから遅れた仕事ではない。ずっと前から止まっていたものだ。それを、なぜ今週中に自分が終わらせなければならないのだろう。
一瞬、腹が立った。
すぐに不安になった。
何か事情があるのかもしれない。
自分が知らないだけなのかもしれない。
そう思って、仕事を始めた。
その週は毎日遅くなった。翌週も続いた。
ベネディクトから別の案件が追加された。
ノアの仕事も一つ回ってきた。
セレフィナからは、「まだ終わらないの?」と聞かれた。
「工房からの回答待ちです」
「催促した?」
「昨日と一昨日に」
「じゃあ電話して」
「先方は昨日、明日までに回答すると――」
「そういうの、待ってるだけじゃ仕事進まないでしょう?」
電話した。
工房の担当者に、「昨日、明日までと言いましたよね」と少し苛立った声で言われた。
「申し訳ありません」また謝った。
四日目の朝、腕が痒かった。
乾燥しているのだと思った。仕事を始めると忘れた。昼ごろには首も痒くなった。何度か掻いた。夕方、財務局へ届ける書類がまだ手元にあることに気づいた。今日中だった。急いで書類をまとめ、廊下へ出た階段を上がりながら、首を掻いた。
痒い。
腕も痒い。
それでも、財務局が閉まる方が気になった。
廊下を曲がったところで、
「リーゼ?」呼ばれた。
足を止める。
アデラインだった。王宮で会うのは、あの再会以来だった。
「アデライン様」
「やっぱりリーゼね。そんなに急いでどうしたの?」
「少し急ぎの書類がありまして」
「そう。じゃあ引き止めて――」
言いかけて、アデラインの目が止まった。
「リーゼ」
「はい?」
「あなた、首どうしたの?」
「首?」
「掻かない」
言われて初めて、自分の手が首筋にあることに気づいた。
「少し痒くて」
「少しって。腕、見せて」
「でも――」
「いいから」袖口を上げられた。
リーゼ自身、驚いた。手首から腕の内側まで、赤い発疹がびっしり浮いていた。
「何これ」
「……朝は、ここまでではなかったんですけど」
「いつから?」
「昨日くらいから少し」
「治癒院には?」
「まだです」
アデラインの眉間に皺が寄った。
「なんで行ってないの」
「今日中の仕事がありまして」
「仕事と身体、どっちが大事なのよ」
「でも、これを財務局へ届けないと」
「誰かに頼めばいいでしょう」
「私の担当なので」
アデラインはしばらくリーゼを見た。
「じゃあ、それを届けたら治癒院へ行くのね?」
答えられなかった。まだ仕事が残っている。
「ほかにもあるの?」
「……少し」
「どのくらい?」
「今日中のものが、あと二件あります」
「今から?」
「はい」
「その身体で?」
「大丈夫です」
言った途端、アデラインの顔から表情が消えた。
「あなた、昔そんなこと言う人だった?」
「え?」
「三日でできるかって聞いたら、できませんって即答したじゃない」
覚えていたのか。
「お金を積んでも無理なものは無理だって言ったでしょう」
「それは商品の話ですから」
「同じよ」
「同じでは――」
「同じ」
きっぱり言われた。
アデラインはリーゼの抱えている書類を見た。
「それ、どこから持ってきたの?」
「第三管理室です」
「あなたの職場?」
「はい」
「行くわよ」
「どちらへですか?」
「第三管理室」
リーゼは慌てた。「いえ、大丈夫です」
「大丈夫じゃないから行くの」
「でも、アデライン様には関係のないことですし」
「関係あるかどうかは、見てから決める」そう言って歩き出した。
リーゼはその場に立ち尽くした。
「何してるの。案内して」
「……はい」断れる雰囲気ではなかった。
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