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完結まで全話書き上げ済のため、昼、夕方、夜と複数話ずつ投稿していきます。
続きはお昼に投稿します。
半年ほど経ったころ、隣国から使節が来ることになった。第三管理室でも朝から関係者との打ち合わせが予定されていたが、会談に出席するのはベネディクトとセレフィナだった。リーゼは前日までに求められた資料を揃え、人数分を綴じて会議室へ置いた。
帰り支度を始めたところで、セレフィナに呼ばれた。
「リーゼさん。明日、六の鐘までに来てくれる?」
「六の鐘、ですか?」聞き返したのは、時間を確認したかったからだった。
それだけなのに、セレフィナは大きく息を吐いた。
「そう。明日の朝」
リーゼが借りている部屋は王宮から遠い。中心部は家賃が高く、故郷への仕送りを続けながら住める場所となると、どうしても外れになる。普段使っている乗合馬車の始発は、六の鐘を過ぎてからだった。
「申し訳ありません。その時間ですと、まだ乗合馬車が動いていません」
「あのね、リーゼさん」
最近、この声を聞くと身体が少し固くなる。
「はい」
「最初からできない理由を探すの、やめた方がいいと思う」
できない理由を探したわけではない。馬車がないと言っただけである。
「では、何か別の交通手段を手配していただけるのでしょうか」
「どうしてそうなるの?」
どうしてと言われても、こちらも困る。
「老婆心ながら言わせてもらうけど、何でも人に用意してもらおうとするのは、そろそろ卒業した方がいいんじゃないかな。あなた、もう学生じゃないでしょう?」
リーゼは学生だったことがない。十五で村を出てから、ずっと働いている。
「歩くと二時間ほどかかりますので、今日中にできる準備でしたら済ませて帰ります。何をしておけばよろしいでしょうか」
これならいいだろうと思った。
セレフィナは額に手を当てた。「そうじゃないのよねえ」
何が違うのだろう。
「来訪者をお迎えするのよ? 朝いらっしゃる方に対して、こちらは馬車がないので行けません、ではなくて、どうしたらきちんとお迎えできるかを考えるのが仕事でしょう?」
「ですから、今日できる準備を――」
「リーゼさん」
遮られた。
「もう少し視座を高くしてもらわないと困るの」
視座を高くすれば、まだ走っていない馬車が走り出すのだろうか。今度はその考えを打ち消すまで、少し時間がかかった。さすがにこれは自分だけで判断してはいけない気がした。
セレフィナの席を離れたあと、帰る前にベネディクトのところへ行った。責任者なのだから、こういうときこそ相談すべきなのだろう。
「少しよろしいでしょうか」
「どうしたの?」いつもの穏やかな声だった。
事情を説明した。
「明日の使節の件ですが、六の鐘までに出勤するようセレフィナさんから指示をいただきました。ただ、私の住んでいる地区からですと、その時間はまだ乗合馬車がありません。歩くようにとのことなのですが、二時間ほどかかりますので」
ベネディクトが首を傾げた。「セレフィナが?」
「はい」
「そんなこと言うかなあ」
リーゼは一瞬、言葉に詰まった。
「……はい」
「何か理由があるんじゃない?」
「来訪準備とのことでしたので、具体的な内容を伺ったのですが、それについては明朝とのことで」
「うーん」ベネディクトは腕を組んだ。
「まあ、セレフィナも長くこの仕事をしてるからね。必要だと思ったんじゃないかな」
それで終わりそうだった。
「では、六の鐘までに出勤するということでよろしいでしょうか」
確認すると、ベネディクトはさらに困った顔になった。
「いや、僕からそこまで指示する話でもないと思うけど」
では、どうすればいいのだろう。
「ベネディクト様としては、必要だとお考えでしょうか」
「僕はセレフィナから直接聞いてないからなあ。もう一度セレフィナと話してみたら?」
そのセレフィナとの話が成立しないので、ここへ来たのだが。言葉が喉まで出て、止まった。責任者に対してそんな言い方をするのは失礼だろう。
「あ、それなら僕、行きますよ」後ろから声がした。
ノアだった。いつから聞いていたのかわからない。
「明日、叔父の家に泊まる予定なんです。王宮から歩いて来られる距離なので、六の鐘なら全然大丈夫です」
ベネディクトの顔がぱっと明るくなった。「そうか。助かるよ」
「でも、ノアさんの担当ではありませんし」
リーゼが言うと、ノアは笑った。
「いいですよ。こういうときは助け合いじゃないですか」
「そうそう」ベネディクトも頷いた。
「こうやってチームでカバーすればいいんだよ」
何かがおかしい。相談に来る前と、問題は何一つ解決していない。ただ、六の鐘に来る人間がリーゼからノアに変わっただけだ。それなのに、自分ができないと言って周囲を困らせ、それをノアが快く引き受けてくれたような話になっていた。
「……ありがとうございます」
礼を言うしかなかった。
翌朝、始発の乗合馬車で王宮へ向かった。到着したのは七の鐘より少し前だった。
第三管理室へ入ると、ノアはすでにいた。窓際で朝食を食べていた。
「おはようございます。昨日はありがとうございました」
「おはようございます。いや、近かったんで全然」
「準備は終わりましたか?」
「準備?」
「使節の方がいらっしゃるので、事前に準備するものがあると聞いていたのですが」
「ああ」
ノアはパンを持ったままセレフィナの机を見た。
「まだ何もしてないですよ」
「……そうなんですか?」
「セレフィナさん来てないし、何やるのかわからないんで」
会議室を確認した。前日にリーゼが揃えた資料が机の上にある。茶器は王宮の侍従が用意することになっている。座席表もすでに総務部門から届いていた。何を準備するために六の鐘までに来る必要があったのか、やはりわからなかった。
セレフィナが来たのは、それから一時間ほどあとだった。
「あら。ノア、早いのね」
「はい。リーゼさんだと朝は難しいってことだったので、僕が代わりに来ました」
それだけ聞けば、間違ってはいない。
「そうだったの。ありがとう。助かるわ」
「何やればいいですか?」
「会議室の資料が揃ってるか確認してくれる?」
「わかりました」
昨日、リーゼが揃えた資料だった。
ノアは会議室へ行き、机の上を一周して戻ってきた。
「大丈夫でした」
「ありがとう」
それで、早朝の準備は終わったらしい。リーゼは自分の席で書類を開いた。
「リーゼさん」呼ばれた。
「はい」
「老婆心ながら言わせてもらうけど」
来た。そう思った。自分がそう思ったことに、少し驚いた。
「こういうとき、ノアみたいに『じゃあ自分がやります』って言えるようになった方がいいと思う」
「……はい」
「仕事って、できない理由を説明することじゃないの。どうしたらできるかを考えることだから」
「はい」
「毎回こういうことまで説明しないといけないのも、正直どうなのかなって思う。もう少し視座を高く持ってほしい」
「申し訳ありません」
「別に謝ってほしいわけじゃないのよ。あなたのためを思って言ってるだけだから」
それなら、何と答えるのが正解なのだろう。
わからなかった。
その日の午後、使節との会談は何事もなく終わった。
ベネディクトはノアの肩を叩いた。「今朝はありがとう。助かったよ」
「いや、本当に近かっただけなんで」
「それでも、自分から動けるのはいいことだよ」
ノアは照れたように笑った。
リーゼはその横で、自分が前日に作った会議資料を回収していた。
***
数日後、別部署の職員に呼び止められた。
「リーゼさん、大丈夫?」
「何がですか?」
「使節が来た日。朝の対応、ノア君に代わってもらったんでしょう?」
手が止まった。
「……そう聞いているんですか?」
「うん。ノア君、結構リーゼさんのフォローしてるんだね」
フォロー。その言葉を聞いたのは、そのときが最初だった。けれど、それから何度も聞くことになる。
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